じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2017.06.01更新

連絡は突然来ます。私の中では、私が議員や請願書に関わる事は無いと思っていました。諦めという感覚?近いかもしれませんが違う気がします。悟りの感覚?近いかもしれませんが違う気がします。

多分、自分が経験してきた人生という歴史が静かにいる事を欲求するのだと思います。

自身が捉えている鍵に、顎位という言葉があるかと言えば確かにあります。只、全てではありません。昔”ふと”行動した事があります。これが分かる検査法が存在すれば、楽に(安全に)事が進むのではないか。
*これの具体像は当時ありません。

そうだ、〇次医療機関に相談しよう。
今日都合悪いから、無理だ。 ⇔   相手にも事情が有りますから仕方ない。
今どこにいる?門の前?ちょっと用が入って。⇔ 3次医療機関です。仕方ない。

頸部固有感覚をコントロールできる手法を顎位から導ければ、検査法の相談が出来るかもしれない。

誰に話せばいいのだろう。
⇒タイの教授が、この1次医療機関に話してごらんと縁を頂きます。

何を話したいですか?⇔何を聞きたいですか?
特に        ⇔じゃあ、話しません。
十分ですよ。    ⇔結構です。
お疲れ様      ⇔貴重な時間頂戴し、ありがとうございました。
では、また     ⇔(手は付けませんでしたが)お茶ありがとうございました。

検査手法があればこの臨床の苦しみから解放されるかもしれない。こんな事を思っていたような気がします。今の歯科の検査で私の疑問の解放があるのかないのか。ここに拘るしかない。精度を上げれば見つかるのだろうか。自分の人生観を壊すと決めるまではこんな所で留まっていました。

新居先生との出会いから、八茶ける感覚を覚えるしかなくなります。ま、人は色々あります。私の履歴書でもないですからこれぐらいに留めます。そんな中、捨てる神あれば拾う神ありという具合ではないですが反射を運動という側面で教授して頂く経験を頂戴した事もあります。生き方として前に進めと背中で教えて下さる方もいました。必要な経験でした。

価値観は向こうに分かっている事を世に問いかけようと決める訳です。私からすれば価値を壊すという方が感覚的には近いですが。学会に発表する事を決めました。

今度は意見書を頂戴したいとその方から言われます。路傍の石という視点では違う感覚ですが公の精神の尊さを優先する事を決めます。

そして、この請願書は場合によっては私でない人間が意見を言うのだろうなと自然と思っていました。今までが今までですから。そんな中、その方から声がかかります。公の精神だろう。何が何でも恥ずかしくない話をしなければならないのだろうと思うに至ります。その理由を問う事など男ではありません。

勿忘草の言葉と抽象的な表現を用いましたが、その方にもその方へ想いを託された方々の重さを私のせいで台無しにすることは出来ないと知ります。でも主役になってはいけない。私程度にとっては難しい役割です。そんな程度の人間です。当日、始めてみる請願書の束を見て、そう、たまげる以外ありませんでした。尻の穴が震えるぐらいたまげました。お役を努められたかは正直、今もって分かりません。只、伝えるべきことは伝えました。

考えます。
その方に言われたお願い事も大事にしなければなりません。
「裏で先生と繋がっているように思われたくない。」
その方は、医科と歯科が垣根を越えてこの疾患に対峙する事を求めているだけで、この1点が具現化する事を求めているにすぎません。

考えました。
HP上で公開して良いと思われる(これは私のフィルターになりますが)事を載せる事が公正と考えるに至ります。その先は、読み手にお任せする以外無いと思っています。

これが全てです。これが私の文章力で表現できる内容になります。きっと、文章力がある方であればもっと、適切に的確に事実を表記できるでしょう。ですが、私にはこれが一杯です。

もしかしたらその方のブログからこの文章に目を通される機会がある方もおられるかもしれません。早回しかもしれませんが、こんな時間があったという事を少しだけ知られて頂ければと思います。

後は、議員の言葉を信じるしか無いと思います。

私は勿忘草の花言葉を信じる以外無いと思っています。
私を忘れないで。
真実の友情。
誠の愛。
こんな意味合いを持っていた気がします。

長い文章を読んで下さり、心より感謝します。
                        こすが いちろう

投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

その方の行動の意味は、きっと世に気が付いてほしい。“勿忘草”の花言葉は、私を忘れないで。そう“勿忘草”の言葉のように、何かを忘れているのではないか。その何かを気が付いた人は何とかしないといけない。そんな事を思われたのかもしれません。
メディアの方に伝えメディアの力で何かが生まれるきっかけに繋がって欲しいと発想された時もあられたようです。“勿忘草”の言葉は魔法の言葉でしかなかった。魔法は現実にはありません。

では、患者の会に問いかければどうなるか?患者は自分たちの事で必死です。当然です。何とかしたく何かを得たく情報を集めているのに“良くなっています”では、“勿忘草”はまさに通りすがりの言葉でしかない。必要は、完治という言葉。大事はエビデンス。その説明が無い通りすぎた言葉、そう、まさに風の如し。私はそう捉えています。

どうすれば良いか。“勿忘草”は道を思い出させます。それをその方は素直に受け止められます。思いが想いとなり請願書が生まれました。それを、中川先生は力強く受け止めた。しっかりと受け止められました。この目で確認しました。

その方は”勿忘草”の言葉を知らない方々には言われます。「誰が得します。」「そんな事に意味がありますか」「自分が犠牲になってどうしてそこまでやるのだ」当たり前の言葉と取られるか、或いは、心無い言葉と捉えられるか?全然違う事として捉えられるか、それは“勿忘草”の意味をどう取るかで決まるのかもしれません。

きっと悩まれ苦しまれたのだと思います。そうだ「請願書」を募ろう。挑戦を選ばれたようです。(私の理解です)でも、実態も知らなきゃあ。線維筋痛症学会の話を聞けるのか確認しよう。そして、その方なりに行動をされ、言うなれば募る力を無意識に勝ち得られたのだろうなって思います。動機はただ、何とかしたい。何とかしなければ、ならない。公という精神に立ち返ればそれは、この国では当たり前だったことなのかもしれません。子供の心に立ち返れば、難しく考えない。”何が出来るか、そこから始めよう。“できる側にその方は天の采配で役目を渡されたのかもしれません。考え行動しようは、小さな想いから始められたのかもしれません。私には分かりません。
募った際、その方は色々と知られます。例えば、難病と闘われ言うなれば魂の昇華まで行きつかれた方は本当に積極的に協力してくれる。動機は何であれ日本人として日本の医療が変わる解明を期待したい。そんな想い、そしてそれぞれの期待、願いが何時しか賛同者の数になられたのだろうと私個人は思っています。小さな(筈の)発想が、何かの利益を期待したのでもなく、何かの名声を得たいと思ったわけでもなく、只、願いを持たれます。個人が出来る行動は請願書の数に繋がりました。一人ではなく数多くの願いの声です。

”勿忘草”は、何をその方に伝えたのでしょう。”勿忘草”のもう一つの言葉は真実の友情という意味があるそうです。その様々な想いの重さを渡す事だったのでしょうか?小さな発想は、そんな重みに耐える準備などしていなかったように思います。その方は、選ばれました。そして行動されました。

只、”勿忘草”の言葉に隠された言葉。誠の愛。ここからどう展開していくのか、中川先生へ手渡されたバトンが、次なる発展を育てるのか。”勿忘草”の私を忘れないで、この言葉から何が生まれていくのかただ、待つしかないのでしょう。

お目にかかった日に議員は”一人でこんなに沢山””これだけあれば十分です”傍観者の私は、厚みを持った資料を前に意味の重さの前に何かを感じたようです。愚鈍なので言葉など出ません。

そういえば私の立つ景色からも、色々な景観が見えます。そして、歯科と医科のあたかも共同作業で長く違和感を覚えていた鍵の指すべき鍵穴を見つけたという不思議な経験を私は否定しません。

そんな両者の(歯科医師と医師)の姿から、その方は何かを感じられたのかもしれません。只、盲点を気付かれて、実際に行動に移そうという行動は簡単な事で無いと思うのです。それを知って欲しい。

勿忘草という言葉を、私は請願書の束を見た時”ふと”思い出しました。その時の情景を、触れないと行けないっていう想い、情緒主体に纏めました。意識的に抽象的に表現しました。具体的な行動や、意思はその方のブログが語られていると思います。

そんな感じです。

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

そういえば、請願者の方が何故こんなに熱心に請願の運動をされるのだろうと考える事があります。(以下、その方)
少しその方の事を記載させていただく前に自分の思いを書いてみたく思います。

議員に伝えた内容は、ずばりストレートです。会話を読んでいただいた上での判断で良いと思います。

今までは意図的にぼかす。お茶らける。そんな感じの構成というか体裁をとりながら(当時分かった何かを)書くようにHPの構成を心がけていました。何か一石投じて公に恥じなければ良い、分不相応いえ、そんな大それたことを思っていました。というのも、(私の目か見れば)科学になっていないにも関わらず(あるいは根拠というレベルとしては脆弱)胸を張ってかみ合わせを治すと**とか、何々が起きると実はかみ合わせが…という構成を私は受け入れることが出来ませんでした。試行錯誤の末、ぼかすとかお茶らける方法を選んでいました。

ライセンス者と言え、その領域の全てを知るわけではありません。ましてや、当時学会で口腔由来の未知の反射の存在と全身への影響の可能性を公に出す域まで私自身気が付くようになるまでは、やはり上述の表現以外は思いつけませんでした。

私は、歯と身体は関係ないという立ち位置におられる先生方は公の場で科学的根拠を示しながら立証を努めれば良いでしょうし、関係あるという先生も同じだと思っていました。でも、批評家の数は増えども科学に立脚をしてという面持ちの方はどれぐらいおられるのだろうと一人考えていました。私などその域には当然の事立てませんから茶化すか、ぼかすぐらいしか出来ませんでした。

ただ、この関係性を科学性に乗せる道のりは愚鈍な私には相当な時間が要求されました。今でも私より秀才の方が乗せるよう努めればもっと早かったと信じています。

このHPの構成前も構成後も葛藤は続きます。モチベーションの低下など当たり前にあります。人ですから。強い人間ではないと思っています。只、実際は業界と関係ない方々に支えられました。支えられるたびに思うのは、逃げ出せないし、やり切れるかどうかは別にやりきるしかない。今にして思えばそんな日本人の魂に秘められた“痩せ我慢の精神”のお陰だと思っています。
科学性の土俵に乗るにつれ、また悩みます。路傍の石の如く目立たず生きていければよいという価値観の人間です。でも、この価値観を壊す方が良いのか或いは、壊さない方が良いのか。葛藤の中、公の精神を省みる方が良いと考え直すようになります。価値観を壊す事を選ぶ事にします。私自身は強くないから、やはり周りの方々の縁だと振り返ると思います。個人の葛藤など相当なものではありませんから割愛しますが、価値観を壊すという作業はしんどい物でした。

そんな中での請願を決めた方との出会いでした。多分同伴という位置づけになるのでしょう。これは私の捉え方になります。
請願者のご家族に、そういえば始め何をしたかと言えば蝋を貼りつけただけです。
その事が請願者を始め患者には相当な衝撃を与えたようです。世代的には分かる方は減るのかもしれませんが“なんじゃあ、こりゃあ”という名セリフが昔の刑事ドラマの殉職シーンにありました。それぐらい驚きを持って口由来の反射確認を行った際に思われたようです。

誤解なきよう補足しますが、実際は、検査やテストを行っていますが目の前で痛みが消える瞬間は相当な驚きだったようです。

無論、毎回毎回どの患者にも、この演出が出来れば嬉しいのですが例えば呼吸反射まで影響がいきわたってしまう場合などは期待に添えない場合もあります。難しい所です。

この反射がキーワードと問いかけられて答えます。
相当な驚きだったようです。身内が苦しんで来た線維筋痛症が、線維筋痛症学会の大家に頼り当たり前の処置として薬でコントロールしようとされても消えなかった症状が少なくともその一瞬だけだとしても忘れることが出来た。

この驚きを記録に残して、この疾患に苦しんでくれている方々に伝えたい。そして、ブログという表現法にその方は行き着かれた。始めは何かないかと新居先生の著書に行き着かれた。何をしても落ち着かないのだから藁にすがる思いで新居先生を訪ねられた。そして、私どもと出会う。

ブログを進めるうちに、この方なりに線維筋痛症を患者とは別の視点でしかも非ライセンス者として問題を感じるようになられたようです。
何故、効果がある手法というべきか療法というべきか、折角の考えが広まらないのだろう。始めは素朴な思いでのブログだったと思います。学界も原因不明とするならどんな所からでも原因が解明できたという声を拾い上げようとするのではないか?どうしてそうならないのだろう?

例えば、ライセンス者が公にしない中で解明したと言えば、素直な気持ちで是非学会を通して公にされて欲しいと願われるのでしょう。そんな方です。

原因不明なら、解明したという無謀な輩の意見をどんどん汲めばいいじゃないか?そして適切な解明なら、無謀ではなく人類への貢献者であり。不適切であれば再チャレンジを求めれば良いだけであり。それが、公に挑戦する側への公側の礼儀ではないか。

そんな所まで考えをお持ちになられていたのか分かりません。でも、原因が未知である以上、そんな環境が用意されるべきだと信じておられると、その方の言葉を聞くたびに感じます。

 

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

私:少しの協力と今ある工業力で大規模な投資もいらないはずです。それで、解放に近づく。意義があると思うのです。
議員:分かりました。

その後、請願書の話に繋がります。この部分は割愛したく思います。これは、私が立ち入って良い世界ではないと思います。先にも書きました。個人のブログに纏めてあると思います。どうぞ、ご興味があられる方は検索されてください。(線維筋痛症、請願書で探索可能と思います)

只、その行動力は凄いなと舌を巻く以外ありませんでした。この疾患は壮絶です。治す側の壮絶さは私に所属する物ですが患者の心というべきか、それら体験はやはり知っていても目の前ではあまり聞きたくないものです。特に白衣を脱いで歯科の現場を向こうに置いている時は、心の備えがありません。

涙腺が一番弱い時間帯でもあります。白衣での心の武装がされていない時はたまりません。現場では心は無表情と思われる方がなんぼか良い。

具体的には書けませんが、響いた内容を少しだけ。

意見書を私も書かせて頂きました。患者、患者の家族も書かれていたのですね。

ある患者の家族の話です。身内が線維筋痛症になられます。その方はお身内がもしかしたら手が届かない方法を選ぼうとされました。それぐらい苦しいのでしょう。過去の話です。発症前、一緒に笑い喜んだ顔は昔に置きました。苦みの顔は残り、辛さは今も身体にこびりつきます。置いた顔がどんな表情だったかは家族の記憶に留めるのみ。置いた顔すらも過去になりました。ある患者の家族の意見書の概要の話でした。

議員:そんなに壮絶なのですか。
請願者:先生、死を選ぶ事がある病気なのです。一番、動機としては自殺者が多いと言われる病気なのです。
議員:先生。
私:いえる事は、患者は治る事が分かれば痛みを耐えられます。でも、治らないと分かればその先にあるのは、言いたくありませんが絶望かもしれません。(失望ならまだ、先があるのかもしれないけど。分からない)
議員:そうなんですね。ところで、この治療は難しいと言われましたが実際、1回の治療時間はどれくらいかかるのですか?
請願者:私の〇〇は4,5時間ぐらい平気でかけて頂いています。7,8時間の日もありました。
議員:そんなにかかるのですか?
私:いえ、まだ軽い方です。今でも週に1回は20時間かける日もあります。
議員:ええ。そんなに!?
私:だから、国に指揮を執って…
議員:それで経営は成り立つのですか?1日に診られる人数にも限りあるでしょうに。
私:難しいです。代診を雇っていますが…

正直、経営はいつも火の車です。寅さんの映画ではないですがタコ社長と自らを言い聞かせながらおります。この部分は、多分誰にも分からないよな…

どこかは心の声になります。

議員:分かりました。とにかく動きましょう。先生にも新居先生にも力添えを頂く事もあるかと思いますが、その時はどうぞよろしくお願いしたく思うのです。動きます。そして一番良い方法を考えてみたく思います。

(新居先生はアマゾンで自費出版をなされています。ご興味がある方は、購入されると良いかもしれません。線維筋痛症のメカニズムを自身の体験からまとめられています。また、線維筋痛症に関するHPもお持ちのようです。私自身、他人のHP等をあまり読まないのでこんな表現しか出来ません。ご興味がある方はそちらもご覧ください。)
(先に書いたお医者先生や、時々表現するお医者先生は彼の事がほとんどです)

一瞬、過った事。
待てよ。新居先生は当然として、今私も呼ぶことがあると言われなかったか?聞き間違いかも…ここは、あまり深く考えないようしよう。

大事な方には墓参りをすると良いと言われました。色々考えました。物理的な事情もあります。この前日、大國魂神社でお参りというよりは、挨拶をすることにしました。挨拶というのも変ですが、神頼みというよりはしっかりと見守って欲しいとか、悩んでいる様をしっかり確認して欲しいとかそんな感覚の事を祈願しました。
神頼みをして上手く事が運ばなければ、神様を恨みそうで。そんな罰当たりな事は出来ません。只、個人の出来る事は行った。そう思う事にしました。私より優秀な方であればもっと、素晴らしいプレゼンが出来るのだと思います。私の能力では、これぐらいがせいぜいでした。無い能力を後悔するよりも、出来る限り考え得るベストは尽くしたと思う事にしました。始めての経験ですし、人生の中でこんな貴重な経験は早々出来る物でもありません。だから検討の仕様が無いというのが実際です。

議員の言われた言葉。“分かりました。一番良い方法を考えたく思います。”この意味をいつか知りたく思うのです。知る時が来ることを信じたく思います。

これが便乗とはいえ、個人が出来る公への挑戦でした。本年も線維筋痛症学会、全身咬合学会に何かを訴えたく思います。

ただ、歯は身体の一部と捉えませんか?そして、歯科はどうあるべきか一緒に考えませんか?これだけを訴えたく思います。

おかげさまで計測法は順調に結果を出し始めています。この事実に気が付くまでの道のりは、埃まみれです。誇れれば嬉しいのでしょうが、埃まみれと思っています。臨床医が誇りを持ちたいなら、引退前か死ぬ直前に振り返れば良いと思っています。きっと、そんなものと思います。

少しでも計測法が認知されていけば良いのになって思いますが、今は身体の一部の歯という(私にとっては当たり前の)“常識に立ち返るきっかけの側に立てればな”って考えている次第です。それ以上は求めては行けないと考えています。

ま、こんな歯科医もいるという紹介でした。

いつもの挨拶でおしまいにしたく思います。

読んでいただいたとしたらありがとうございます。
ほんじゃあ、またHPで。
あるいは、診療室で。

おしまい

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

私:先ほども申し上げたように、目先に必ず問題がある。いえ、言い方を変えれば足元にあると言い直しても良いかもしれません。もっと言えば、あまりに身近な所にありすぎるから、いくら探しても原因の本丸に近づけないと考えたのです。この観点に立つとき、あまりに歯科も医科も遠くに行って問題の把握が出来なくなっていると思えてなりません。器質障害性の疾患だと分かって、その器質障害部位が無い。科学の進んだ医科の立場になれば検査していない口に可能性があると考える方が自然ですし、歯科の立場になればそもそも、身体と口が、身体と歯が関係ないという無意識な思い込みに対し、何かを気が付けと行動を求めること自体が難しいと捉える方が自然だと思うのです。私は、直観的に開業医でも気が付けるのではないだろうか、疑問を子供の心で捉え続けた結果行き着いたという程度です。むろん、これは一人の力ではありません。そんな賢くありませんから。
議員:そうなのですか?
私:そうです。開業医程度で気が付ける、“そんな程度”の問題が大きな要素を持っていた。だから厄介なのだと思います。あまりにきっかけが単純すぎるから、気が付く必要もない。でも、この単純さを足元において先を考えても前に繋がるはずもない。
議員:(呟くように)創薬…
私:あまりに単純で、開業医程度でも気が付ける反射。ただ、常識には無かった存在。だから、相手にされるわけがありません。その必要性も感じられない。当然だと思います。気が付け、常識を変えろと求める方がおかしい。変わり者になる以外無いと思います。
議員:…
私:その常識を変える以上に、この問題は制度にそもそも問題が孕んでいます。(そもそもの言葉の定義を出せと言っていた議員もいたよな。挙句には閣議で定義を提出、ふと滑稽さを感じ、この言葉を出した時妙におかしくなってしまいました。吹き出すな。笑ったらおしまいだぞ。そんな事を覚えています。)
問題は、三叉神経を両者(医科と歯科)が扱っている事実がある。そして尚且つお互いに無視し合う関係になっている。なら、両者を同じ土俵に上げてしまえばよい。両者を同じ土俵に上げれば、無視し合う事も出来ないはずです。どちらか一方で気が付いても意味が無いと思うのです。続けてよろしいですか?
議員:どうぞ。
私:難しい話を抜きに、患者10名。線維筋痛症学会のトップの☆先生(名前は了解を頂いていないので割愛します)がお認めになられる医師を1名。歯科医を1名ご用意いただきたいのです。
議員:10名?
私:半日~1日かからない程度でまとまる実験です。費用は材料費で2万円程度です。先生方の人件費は手弁当かもしれません。10名いれば、Χ二乗検定の最小単位になるはずです。論文にするための最小単位です。ご存じの通り線維筋痛症の評価は筋触診が主体と私は捉えています。つまり、うがった見方をすれば主観主体ですから☆先生がお認めになられる先生で無いと、後々調子悪いと思うのです。次に、私以外の歯科医というのは、後々私が何かをしたとうがった見方をされない為です。この2万は私が出しても構いません。
議員:ほう。
私:私のすることは、ここに蝋を貼ってくださいとお願いするだけです。彼か彼女か分かりませんが上手く貼れないときだけ私が手伝う。医師が恣意的と思われる行動を仮にされるなら私も触診をさせて頂き、そこで見解を統一したい。難しい話ではありません。その場で痛みの軽減あるいは、消失が確認できるだけで良いと思います。そこにおられる先生方が良心的な方であれば、目の当たりした変化から中心と正中という違いの関係を素直にお認めになられるはずです。医科と歯科が共同で行えば三叉神経の互いの盲点を気が付けるはずです。まずはそこから始めないといけないと思うのです。すぐに歯科医は見抜き方を覚えますよ。蝋の貼る場所の見抜き方など、実は簡単です。開業医程度の設備で考えられたのですから。こんな単純とあきれますよ。私がそうだったように。
議員:開業医ですか。では、先生その中心と正中が分かればすぐに誰でも治療が出来るという訳ですか。
私:いえ、そんな単純なものではありません。そうであればどれだけ嬉しいか。
仮に、厚生労働省の方が立ち会われれば何かを感じられると信じたいです。
議員:単純ではない?
私:議員。私は、気が付けばこんな状況になってしまいましたから命がけでこの疾患に対峙する羽目になりましたが、他人に私のような事を求めること自体無理ですし難しいと思います。私がその立場であれば、協力も率先してやろうとは思いませんし、やりません。大変ですもの。やりたくもない。絶対にやりません。人が動くには、名誉と金だと思っています。それ以外あるわけがない。そう割り切った方が(長期戦になるから)絶対にうまくいくと思うのです。私はそう思っています。
あくまでも個人の提案という事で了解いただきたいのですが、制度を作って盲点を作り出してしまった以上、国に責任を取って欲しいのです。誰が悪いという事ではない。この盲点が制度から生まれたとすれば、制度を管理する側が指揮を執る方が自然と思うのです。その上で、新しい技術が必ず生まれます。その特許を国が一つの資金に利用すればよいと思うのです。例えば(具体例は割愛します)のようにすれば、歯科医が必ず買います。国内のみならず先進国の歯科医は買わざるを得ない。これで、研究費の資金の足しになると思うのです。少なくともアナログの計測法は始めのうちは私のネタを使えば良いでしょう。それを足掛かりにされれば、関わった先生は名誉もお金も手に入れられるはずです。夢中に真剣にやっていただけるはずです。
議員:別の切り口ですね。
私:そうです。

次の章に続く

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

議員:そんな事があるのですか?
私:ただ、議員。これが分かるには私の場合、技術的進歩を待たねばなりませんでした。
議員:どういうことです・
私:私たちの技工技術は舌側に関しては、消極的に作成せざるを得ないと言った方が適切かもしれません。この時、舌のずれが起きる可能性が高まるといっても言い過ぎではないかもしれません。
議員:難しい話ですね。
私:コンピューターで計測して歯を作れる時代になって、始めてこの問題を解決できるようになったと言っても良いかもしれません。ここで、動画を見て欲しいのです。パニック障害の患者ですが、歯一つで重心系が変わる事が確認できると思います。(動画に含まれています)
議員:先生、これを気づかれている歯科医はどれぐらいいるのですか?
私:おそらくここまで精査した歯科医は私ぐらいしかいないのではないかと、怖れを承知で申し上げたく思います。
議員:そんな事があるのですか?グルーピングをしている歯科医の先生はほかにはおられないのですか?
私:(詳しい事情はここでは触れません)そんな事情ですから、歯科医の先生方に迷惑をおかけする事も出来ません。また、中途半端な知識では患者も、歯科医も地獄を見ます。(私がその張本人でした。これは、申し上げられませんでした。解決という糸口を切り開く為にどれだけ・・・という話は機会があれば。)
議員:学会で発表をされた訳ですよね。
私:そうです。議員。ここで整理をしたいことがあります。私の見立てでしかありません。よろしいでしょうか?
議員:どうぞ。
私:筋骨格系疾患という事で、医科は足元を確認せずに相当先を見ている気がします。他方、歯科は足元を置き去りに別の事を研究されているように感じています。どちらも問題と思う訳ではありません。あまりに近すぎる事。こんな所に目を向ける事は、私の主観でしかありませんが常識ではないと思います。医科的検査では見つからないという言葉の裏を考える訳です。ヨハンソンの考えを思い出す訳です。本質は一つだ。でも検査法はない。これだけ科学が進歩している中で、世界中の優秀な研究者の誰一人、取っ掛かりが見いだせないとするならもっと、近い所に問題があると考える方が自然と考えた訳です。そして、医科的には歯科が含まれていない事に気が付きます。歯科的検査で、その知り得たい現症を成立させられないと考える時、何かが隠されているのではないかと臨床から感じる訳です。
例えば、インプラント性不定愁訴という言葉があります。
議員:インプラント性不定愁訴?
私:そうです。これなども舌の活動性を阻害した時出るのではないかと、勝手ながらに予測しています。
議員:先生は、そういう患者を診た事があるのですか?
私:あります。私が診た患者はインプラントの埋入位置が悪く、
議員:悪い?
私:ええ、悪かったのです。即ち、挙句には体の調子が悪くなりこの方は、線維筋痛症と疑われる始末でした。歯科では、〇〇歯科大学でインプラント性不定愁訴と診断されます。
議員:その後どうなりました?
私:議員、ご存じの通り歯科ではインプラントの除去は保険が利きますが、埋入は保険外になります。現状の解釈では、医療責任は歯科医側に問う事も出来ませんし、歯科医側を単純に問題があると決めつける事も出来ません。舌の関係が分かっていないのですから。この方は、結局、私が診る事はありませんでした。あまりに受けてきた歴史が重かった。単純に誰が正義と決める事が出来ない。ここに大きな問題が孕んでいると思うのです。まだ紹介していませんが、お願いしたい研究の意義になると思うのです。
議員:そんな事があるのですか?

ふと、何気に自らが置いた名刺を見つめる。そして、軽く名刺を遊ぶ議員。

図2 

 

私:続けますね。
議員:ええ、どうぞ。
私:お金の問題が派生する以上、即決という訳にもいきません。
議員:そうですか…
私:学会の話を続けます。学会で発表しましたが、おそらくあまり有り得ない常識を紹介したせいか歯科でも医科でも静かな反応しかありません。
議員:そうなのですか?
私:そんな単純な事で痛み軽減するとか、取れるとなれば、非常識扱いです。有り得ない事を紹介した事に問題があるのではないでしょうか。私は、そう捉えますし、当事者でなければ無視が一番です。当然の事です。私もそれが正しいと思います。

以下次の章に続く

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

私:ただ、議員歯科界の問題と単純化して捉えて欲しくないのです。明治維新の8年前に近代歯科が始まったと言われています。即ちその歴史は、200年にも歯科は足りていません。更に付け加えるならば、チュイーンという歯科の独特の音、即ちタービン音が生まれ普及したのは50年代後半~60年代初頭という方が適切です。言い方を変えれば、私らからみて爺様の世代に当たる引退された先生方は漫画ではないですが、ペダルをこいで歯を削るという経験すらされています。
議員:なるほど。
私:医科よりもそう意味では相当に歴史が新しい業界と理解して頂ければありがたく思うのです。只、問題は2点ほどあると思います。まず、筋骨格系疾患という存在は、エジプト時代からある。言い換えれば古くから存在しそして今日に至る。そして、合理性から医学部と歯学部に分けた事。ここにこの疾患が訳の分からない展開に陥っている側面がある。これを知っていただきたいのです。
議員:なるほど。
私:エジプト時代からあると確信したのは国立図書館で調べて結論を出した次第ですから私の判断にしかすぎませんが、筋骨格系疾患が課題となるのは21世紀に入ってからになります。ご存知かと思いますが、WHOは21世紀の課題を3つほど挙げています。遺伝子、再生、そして筋骨格系疾患になります。
議員:ええ。
私:見方を変えれば、古くからあって新しい疾患という位置づけという点だと思います。これは科学の進歩から導き出されたものと捉える方が適切だと思うのです。私はそのように思っています。その分かりやすい代表が線維筋痛症とみなす方が適切と考えます。
議員:なるほど。
私:話を続けます。
議員:どうぞ。
私:三叉神経という存在があります。ここに医科と歯科の盲点があると考えます。三叉神経は姿勢制御に関わっているという事は分かっています。この姿勢制御に於いて姿勢に関わる病気と紹介する事には問題があるかもしれませんが、例えばパニック障害、例えばメニエール病。これは、医科の担当の仕事になります。ところが厄介な事に、口の支配神経も三叉神経が担当しています。ここが、盲点だと思っているのです。合理性から医科と歯科を分けたのは国です。その結果、この神経支配に関していつの間にか、盲点が生じてしまったという事は言えないでしょうか?落とし穴に嵌ったと言っても良いかもしれません。
議員:どういうことです?
私:口の治療は歯科が担当します。その時、嬉しくない反射命令を三叉神経に与えてしまったとすれば、医科はどう処理をすればよいのでしょう?また、見方を変えて医科が三叉神経をコントロールしようとすれば、口の命令形を担う三叉神経への影響はどうなるのでしょう?歯科にとってありがたくない環境を提供するという可能性は無いでしょうか?ここが何時しか、制度として担当を分けた事で互いに気が付けない盲点になってしまっているという側面は無いでしょうか?
議員:もう少し分かるよう説明を頂けないでしょうか?
私:議員、もしよろしければ私が用意したUSBを見て頂けないでしょうか?その方が早いです。
T病院で線維筋痛症と診断された患者です。(これは、前ページの動画になります。) 蝋を貼るだけで痛みの軽減、消失が確認できるかと思います。
私:この現症を確認して欲しいのです。
議員:これは、どういうことを意味しますか?
私:姿勢において、私たち歯科医が習う正中線と姿勢単位で見た場合、中心線と称す軸線があると捉えて頂きたいのです。ここにも盲点があると思うのです。この中心関係に対し、シンメトリー性が成立するよう舌を誘導しただけです。この瞬間、変化しました。即ち痛みが消失あるいは軽減という評価が出来ると思うのです。
議員:ん?どういう事になりますか?
私:単純に捉えて良いと思います。この図をもう一度、見て頂きたいのです。三半規管が平衡感覚を担いますが、その間にある咬合関係がずれる事がないのか?ここにも盲点があると思うのです。目と耳が平衡感覚を担っていますが、では、口は影響を与える事がないのかあるのか、ここがブラックボックスを開ける鍵があると思うのです。この絵を見て頂いても了解いただけるよう、例えば口の存在を無視したとしても、平衡感覚のずれは頸に図のような影響を与えるという事をイメージして頂きたいのです。
議員:バランスが影響を受けて、筋肉の関係が変わると思えば良いという事ですか?
私:その通りです。まずはそこを理解して頂ければ話が早いと思います。
議員:ちょっと待ってください。こういう事ですか?
名刺をおもむろに出される議員。

 図

議員:アーチがこんな感じにあるとして(上記左)、それが、何らかの影響で舌がずれる事があるとする。その時、筋バランスが崩れて、それが大きくなると身体中が痛くなることがある・・・こういう事ですか?

私:単純化すると、そうです。それだけです。それに伴い、顎がずれる事もある。そう捉える方が自然と思います。そして、歯科的には問題が次々繋がっていく。そう考える方が自然と思うのです。

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

さて、請願書の話は患者家族の方に所属する物です。その話は主人公にお任せするとして(個人の方のブログです。線維筋痛症・請願書等々で検索すると見つかると思います)私が、何を話したかを軽く紹介して、この章を終わらせたく思っています。私は脇役でしかありませんから。
実は、個人が出来る範囲での課題の模索という次元ではこれが限界だろうなと思う所まで理論としては行き着いたと思っています。完璧ではなく、これ以上は個人の努力ではどうにもならないと言った所が正解だと考えます。

正確に言えば、寂しい表現ですが、これ以上は個人の努力では難しいと考えています。

私は口腔由来の反射を主体とする疾患の解明には3つのカテゴライズに分けて考える必要があると予測しています。表現をすればA,B,Cの箱があるとします。Aの箱には5つの課題があると考えています。Aが解明できればBが、そして次にCへと続くことが出来る。但し、Aだけで臨床は十分だと捉えています。汎用化という側面と(それでも疾患を扱える歯科医は厳選されると思いますが)期間の短縮化という側面ではBという箱が秘密を解き明かすべき鍵である。次に、P物質といわれる産生物から誕生するのではないかと言われる疾患等には多分、Cという箱が準備される必要性が出てくると予測しています。

ま、頭にあるイメージを表現しただけですので戯言と一蹴されて頂く方が良いと思います。

只、Aという箱をこじ開けるには、隠されている5つの課題を明示化させる必要がありました。臨床でいえば、隠されている反射を具現化させ、変な言葉ですが好ましい反射環境へ橋渡しをする事なのだろうなと勝手ながらに思っています。5つというのは私の中での整理ですのでもっとあるのかもしれませんし、多すぎるのかもしれません。

臨床で私が解決を図っている項目はこの課題だけです。解決が図られると、身体が痛みを伴わない方向に変化する。ただそれだけ。

5つの課題が何かを紹介する事ではなく(舌反射に関しての考察と、歯牙形態と舌反射についての考察は紹介済みです)何をお伝えしたかが大事だと考えます。
*5つの課題は、1個でも成立させられないと猛威となって臨床医に襲ってくる気がします。それは、歯の治療をしたとき身体が**という患者の声と嬉しくありませんが一致するのかもしれません。有り得ないという言葉を用いることが必然なのか、その解消法を持つ事が当然なのか…実は臨床医にとっては難しい選択だと知っていただければと思うのです。それだけ、私個人は課題の解消は簡単ではないと思っています。

さて本題です。色々な話が出来ました。
脇役と言えど、私のシーンだけは私が主役です。
*今回お話させて頂いた内容、個人のHPに乗せて頂く旨は了解いただきました。感謝する次第です。
*幾つかのお話をさせて頂きました。全てを記載する訳ではない事は予め、ご了解ください。私のフィルターを介しこれは、知っていただきたいと思われる内容のみ記載します。ご了解ください。そして、この紹介はこの先もこの章では増やす事は無い事も併せて承知ください。お伝えした事の一部かもしれません。でも共有して一緒に考えて頂きたいと思われる事だけ記します。よろしければ、考えてください。

議員(中川衆議院議員、以下議員と統一します。三重県選出、公明党の先生です)とはこのような会話をしました。要点のみ記載します。

議員:線維筋痛症とはどういった病気か教えて欲しい。
私:まず理解を頂きたいことは、現症病名でしかない事。スウェーデンのヨアンソンの疫学調査によれば、痛みの部位、発症場所からその病名を付けているに過ぎない。但し、医科的検査では何ら、異常が見いだされない。只、原因不明の器質病変という位置づけに当たる。そして、線維筋痛症はアメリカリウマチ学会が指定する17の圧痛点に対し11か所以上痛みを患者が感じる場合、与えられる病名になる。私は、ヨアンソンの疫学調査を肯定する立場にいます。彼の疫学調査によれば顎関節症も、40肩も、腰痛症も本質は同一の筋骨格系疾患にしか過ぎない。そして、広範に痛みが拡がった症状を線維筋痛症と命名しているに過ぎない。更に言えば、線維筋痛症は、一番わかりやすい筋骨格系疾患で、いうなれば氷山の一角にしか過ぎない。私はそう考えます。
議員:氷山の一角とは?
私:例えば、肝要な事は学会でもどうやら今の所原因不明の病気2~300程度に何らかの影響があると考えられつつあるようです。例えば、リウマチ因子は顎関節周囲からの影響があるのではないかという考え方も存在します。そういった中で一番分かりやすいと申しますか捉えやすい位置づけが線維筋痛症と理解されてみたら如何でしょうか?
議員:そんなに大きな話になるのですか?
私:ヨアンソン先生の考えに従えば、この筋骨格系疾患の比率は先進国での差異はそんなにないと捉えています。スウェーデンは3000万の人口でうち、200万がこの現症病名(彼は総称して作業関連性筋痛症と名付けている)に罹患していると言われます。日本は、その4倍に当たりますから800万にいる事になります。そのうち200万が線維筋痛症という位置づけになります。
議員:そんなに大きな話になるのですか?
私:問題は、この数字ではなく医療者側の持つ治療法になるのではないかと思います。只、誰が悪いとか誰が正しいという考え方で解決を図るべきではないと思います。現状は、一言でいえば創薬という考え方に医科サイドは収束されていると思います。むろん、これで解決が図られているならば何ら申す事ではないと思います。大きく分けて二つの事実関係があるという事を知って頂きたく思うのです。
一つは薬を飲んでも変わらず(良くならず)、だんだんと通院を諦め定期的に三法(鍼灸、指圧、按摩)等に頼るか…これが3年~5年ぐらいの通院でそんな展開に変わる。そんな患者集団がいる。もう一つはプロの患者、この表現は相当に問題です。ですが、薬を飲み続ける事で生活を成り立たせる状態になる。こうなると治る事でなく、薬で生計を立てるという別の問題を孕む。この点を知っていただきたく思うのです。
議員:そんな事があるのですか?
私:肝要な事は、解決が図られている事ではなく言葉を選ばずに述べる事が許されるならば、先延ばしを図っている一面がないのか。ここが大事な点になると思うのです。
議員:なるほど。
私:ここで話を変えますが宜しいでしょうか?
議員:どうぞ。
私:厚生労働省に確認して頂ければ確実と思いますが、咬合の(研究の)話を、理解を深めて頂く為にさせてください。
議員:どうぞ
私:歯と身体の関係を明確にする為に、日米ともに国が主体に80年代研究を行います。日本の咬合の研究もこの時、相当に花を開きます。ところが、どうしても研究が肝心な所まで結びつかない。これは、日米ともです。これを10年ほど行いました。
議員:なるほど。
私:日本はその後、古くて新しい課題となりますがアメリカはブッシュ(ジュニア)大統領の時代に、今度はカイロにその研究を任せます。言うなれば、頸と身体の関係という側面でよろしいでしょうか?結局、10年程行いますがカイロサイドからは歯と身体の関係と思うという結論で終わるわけです。言うなれば、咬合は未だ解明されていないブラックボックスのままという次第です。かみ合わせという言葉で、昨今歯科医がこれと対峙する物の、課題はかみ合わせという医学定義がまだ成立していない事も併せて問題となるかもしれません。

以下次の章に続く。

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投稿者: こすが歯科医院

2017.06.01更新

私自身、咬合と全身の関わり合いを知る道を歩む(ような)結果に陥ってしまいました。
こんな表現を使うのも滑稽な事なのですが、一つ読み手の方に共有して頂きたいことがあります。
口を支配する神経に三叉神経があります。で、口の治療と言えば歯科が担当します。その一方で、姿勢制御反射は三叉神経が関与する事が分かっています。この姿勢制御は医科の担当になります。

医科が主催する学会、歯科が主催する学会。いずれも静寂(しじま)の中で過ごす時、個人にくる凹み感は、実は相当なものがありました。

何故だろう?
私なりの結論は、制度設計上の盲点と捉えています。誰が悪いとか誰が正しいとかそんな考え方もあるのでしょうが、私は好みません。むしろ、制度設計上の盲点、いうなれば灯台下暗しが全てだと考えています。理想論かもしれませんが、医科と歯科の共有と確認から物事が始まるのではないかと考えています。

実は、本年(2017年)5月プライベートの用事があったのですが、急遽予定変更で国会議員さんに会ってきました。

いわゆる便乗です。この写真は許可を貰って取っています。

請願書を提出

 中川衆議院議員

 

経緯の要点だけ書き記します。
①ある線維筋痛症に罹患した患者がいました。
②家族に問いかけられました。“世に必要性を訴えるにはどうすればよいか?”
③私には私の戦い方しかできない。
④開業医らしく、学会に発表して何かが起きると良いなって、期待するしかない。
⑤家族の方は考えられます。請願書にすれば、国が動くのでは?そうだ、請願書集めよう‼
⑥先生の意見を語って。今度は先生の番。(前に医科のお医者先生が必要性を語っています。)請願書運動を開始する前はお医者先生。請願書を渡す今度は先生の番。と言った所でしょうか?
⑦という事で、急遽自らの予定を変更して、意見を伝えに行って参りました。しかし、色々と調整が上手くいって(本心から冷や汗)話す運びとなりました。

で、“今回自らが決めた方策と違うのかな?”っていう考えが過りつつも、吉田松陰が提唱した草莽崛起という言葉も思い出しました。一人の人間の発案から、賛同者が集まり草の根の如く広がり今請願書に繋がる。ここに、参加させて頂く名誉を頂戴して何もしないというのは如何なものか?その機会が巡ってきてミスミスというのも…、そんな所が、動機でしょうか。

私は医科歯科である所までは共有してこの現症の意味の解明が進む方が良いと考える立ち位置にいつしか変化しています。歯科医だけでも身体と歯は関係ないのかあるのか喧々囂々です。仮にあるとすれば次は医科の先生方の認識を変える作業も必要になります。それならば、一緒に考えていく方が確実と思うようになりました。

反射系の把握の為には、私の場合、基準の準備が必要でした。反射の定義は「特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こる動物の生理作用」になります。ならば、口腔内の刺激因子の分析に基準があれば確実になると考えました。この基準の存在は、咬合の明示化が可及的具現化が図れると予測するようになります。

さて、口腔由来の課題があると判別出来るようになれば、医科は新しい対応に迫られると考えています。同時に、医科的見識に基づく患者との対峙法は歯科に存在しているのか、ここにも課題があるように感じてもいます。全身との兼ね合いに課題があると両者が認識する際、歯科は新しい対応が求められると予測します。しかし、両者ともにその備えは出来ていない。これが、私の見識です。医科のアプローチ法も変わる気がします。分かりません。

この両者の関係が新しい視点で整頓される時、新しい医療形態の誕生を意味するのかなって考える時もあります。飛躍しすぎかもしれませんが。

歯科医科を含む現状の医学のある側面を根本的に見直す必要すら出てくるかもしれません。その共有・発展は医科・歯科の共同研究から始まるのではないかと考えたのです。

実際、こんな協力行動が具現化される時、それがどんな意味を持つのか。未来像も、将来像も私には分かりません。
ですが、ここにしか三叉神経という医科にとっては口の問題、歯科にとっては姿勢制御という側面を共有する事も大事になるのではないかと思うのです。

この時、口が身体と関係ない、歯が身体と関係ないという説の存在も緩やかに見直しが始まるのではないかと手前勝手なのですが期待したいのです。

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投稿者: こすが歯科医院

2017.05.13更新

私自身、長年結果論ですが咬合と全身の関わり合いを研究する(ような)状況に陥ってしまいました。いえ、正確に言うと必要に迫られました。
こんな表現を使うのも滑稽な事なのですが、一つ読み手の方に共有して頂きたいことがあります。
口を支配する神経に三叉神経があります。で、口の治療と言えば歯科が担当します。その一方で、姿勢制御反射は三叉神経が関与する事が分かっています。この姿勢制御は医科の担当になります。これは、制度設計上の課題と言えるのかもしれません。

ここで、問題があるとすれば姿勢制御に関連する疾患に罹患した患者が、仮に歯科の治療を受けた場合、歯科治療を行う度に三叉神経に対し嬉しくない影響を渡す可能性がある事があげられる事だと私個人は考えます。

見方を変えれば、三叉神経に嬉しくない状態を薬でコントロールしようとすれば、逆説的ですが歯科治療には芳しくない影響を渡す事がある。

こんな命題に対し考えてみたいというのが今回のお話。

舌には空間把握能という生理学的能力があります。この能力に対し、長年悩んできたというのが私の経験。

2016年になりますが、日本全身咬合学会、日本線維筋痛症学会にこの舌の空間把握という視点で発表をさせて頂きました。

線維筋痛症Fibromylgiaに対する現症変化の報告になります。詳細は割愛しますが、動画にて変化の様を観察できるかと思います。反射テストという位置づけになります。

 

痛みの軽減が確認されます。線維筋痛症患者、あるいは咬合を主体に関連症を訴える方々にこの反射テストをすると、面白いぐらいに変化が確認できます。信じられるか、信じられないかは観手のご判断次第になりますが、実際に消失・軽減をするから不思議なものです。

☆どう考えましょうか?
口腔内には様々な反射系が存在します。この様々な反射がどのように関わっているか、その実あまり探索されていないのではないかというのが私の認識。もう少し、深く入れば身体との影響という視点での相関関係が見いだされていないのではないかというのが私の見識。勿体ないなと思う所です。この反射が「あるか、ないか」その研究を諸研究機関がされたら如何だろうか、これが開業医の背一杯の訴え。

学会で発表するも、線維筋痛症学会ではこの現症は、治療費の質問、この紹介したい反射は向こうに別の見解の質問。全身咬合学会では、静寂とまた新しい見地を紹介してほしいという辞令。そんなものなのでしょうね。

反射という定義だけを紹介します。
動物の生理作用のうち、特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こるものを指す。

これが、口の中に蝋を入れるだけで肉体に与える影響となれば価値がある事象と思うのですが、どうにもそうはならないようです。蝋を貼ってみようとなれば(貼り方は別に)すぐに反応が出ます。安全な可逆反応試験を紹介しても中々難しいようです。

昨年の発表の抜粋という位置づけです。

咬合と身体は関係ないという考え方に対して、関係あるという側面を反射という視点でかつ、舌の空間把握能という生理反射を利用して紹介してみました。

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投稿者: こすが歯科医院

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