じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2018.04.30更新

少しだけ活路が見えた気がします。

今はこれに期待をするしかないと思っていますが、(これについては、機会がある時ですが)

頭の切れる人はやはりいるのだと理解しました。

 

その方向に行動しようと思いました。

英語は必要だから、やろうと決めす。

 

しかし、苦しむだけではなさそうだとようやく納得します。

 

心に積もった垢を、取り除く事が今は必要と納得します。

 

しかし、こんな道もあるのかと驚きました。

 

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.27更新

この2週間、多分、色々な方に合う形になるのでしょう。後2人で、今回の企画は終了予定。

人間工学のある部分の秘密を解きませんか?これが、テーマなのでしょうけどね。そんな事を、アッシは思っています。

 

この人間工学の秘密を解けば、結構色々と見えてくるのでしょうと、一人、犬の遠吠えをしています。

 

秘密を公開するのは、正直、未だに躊躇しています。

躊躇するのは、上手く言えませんが、日本の企業のチャンスを奪われるからだと思っているからでしょう。

 

奪われる事は資本主義である以上仕方ないのかもしれませんが、奪われる時、

国益という視点で見る時…ある事を思う訳です。

 

〇〇にとっては、毀損するよなって、妙に愛国心に拘っているようです。馬鹿みたい。

どこそかの国の選挙で選ばれた人みたいに、サボって給料をもらえる方が正しいのでしょうね。

その国のメディアは、サボる事は一切悪い事ではなく、サボる人を応援する始末。

モリカケはいつまでも終わる事もない国の根幹を揺るがす大事件で、セクハラは新たに判明した国の

全てが終わる大事件で、その解明の為には国会を放棄してミィトゥとデモをすれば解決するそうだ。

 

視界を変えると、朝鮮半島で何かがある。拉致された同胞に、もしかしたら何かがと大事な時期でも、

ミィトゥの方が大事な事らしい。抜け目なくデモの立ち位置を拘るおさぼり政治家。おさぼりでも、

仕事放棄でも、どこそかのメディアは正義の人と応援する始末。

 

この応援が国益にかなう話のようで、アッシの愛国心は葛と一人遠吠えをする以外ない。

 

そんな中、、やはりオープンにする方向で気持ちは開き直りつつあるようです。個人が背負うには重い。

 

つい最近、割り切れたきっかけの話を一つ。もう一つは、思い出しても虫唾が走るのでそのうち。気が向いたら。

”では、日本では難しいなら私は英語を勉強をして、海外にこの発想を持っていかれるという事を受け入れる事が

良い。”これが、決定事項と理解して良いですよね。”と、どっかの飲み屋で、偉い人に話してしましました。

恐れ多くても内〇〇与の方に管を巻くしかできない、遠吠えが好きな寂しん坊なのでしょう。

 

「先生、少し待って欲しい。違った視点で、簡易なレポートを纏めてみてくれないか」

”それは、出来そうですね”

→連休中に纏めてみようと決めます。

 

「ただ、理解して頂きたいことはベンチャー的発想は仮に行ける物でも、この国では動く事はなかなかできない。」

「仮に見出したものが本物で、国が例えば企業や大学に橋渡しする仕組みはこの国は課題においていますが、まだ仕組みがありません。

あるのは、アメリカであり、中国です。」

 

→思わず、先の言葉が出ます。

 

で、落としどころがレポートとなります。これを〇議員会館にいらっしゃる歯科の先生に見て頂いて、納得されたら〇官まで話が進むかもに

期待する事にします。その先は、〇官が次の発展を考える、これが今できる一番の道という話でまとまります。

成る程と思いつつも、割り切る以外無いのかなって思うようになります。

お会いできただけで感謝しかありません。

 

人間工学なのに。この工学のある部分に気が付けば誰でもある一定部分まで展開が作れる。

この展開を抑えた大学なり企業が、何かを取れる。

そんな事を思ったりします。ずっと、思っています。

 

企業家にどうすれば声を聴いて頂けるか。あるいは、大学が研究ネタに出来ると気が付いて頂けるか。

その先は、国益になるだけなのに。

こんな事を遠吠えで吠えるアッシは、こんな気持ちを持ち続けたら尻尾を巻いた負け犬になってしまうのでしょう。

ま、個人の人生ですからそれで十分なのですがね。

 

で、本日たまさか患者さんと話していた時。”この反射の変化も人間工学の何かの発見の結晶の末、見いだせるにすぎませんよ。”

何かを感じられたのでしょう。

何かを聞かれ、思わず返答をします。

”開業医です。何百万と実験や研究をするわけではないですよ。”

”20円とか、40円のコストで反射確認をして、何かを知る。”

”2000円かけて、分析基準を見出す”

こんな工夫から、何かを見出した。

 

ここにとてつもない企業家にとって可能性がある。

でも、チャンスは1回しかない。

遠吠えです。

 

この繰り返しから人間工学に行き着いた。この部分を大学があるいは企業が抑えたら、

勝手に何かの歯車が動き出す。これをみすみす海外に持っていかれると思う時、アッシは

妙に複雑な気持ちになるのでしょう。

 

日本の会社が販売して日本人には100万円で売るが、海外では180万で売る。

これは、日本発であれば日本人に得があるのは当たり前だと思うのです。

でも、海外の会社が販売されるなら、ご当地では100万円で売り、日本人には180万円で売る。

*100万には具体的意味はありません。そんなたとえ話です。

 

そんな話をしたからか、そんなつながりがあったのか、今度は人間工学に精通されている方にお会いする事になります。

去年使ったプレゼン資料を使って、29日は学会の人、30日は人間工学に精通した人。

 

もう、だらだら発表を続けても仕方ないや、と、分不相応に思い今月色々な人と会います。

4人行けば素敵だなって思っていて、ありえない数字を勝ち得られました。4人と、ふざけんなと思う1人。

 

4人の中の誰かから展開が始まれば嬉しいのでしょうが、どうなのでしょう。

 

線維筋痛症は歯科がイベントで発症するという報告があります。

という事は、歯科の治療で頚椎のアライメントが問題ない方向に変化すれば良い。これを出そうか、正直凹みながら悩んでいます。

瞬間的に変化した様を臨床で確認しています。

これが普遍化出来るとなれば、展開は変わるのかもしれませんが、ありえない。相手しない。こんな所でしょう。

歯科がイベント発症するの逆の現症は、そんなの意味ないで落ち着くという寂しい遠吠えを覚えてしまう訳です。

或いは、相手しないだと思っています。

 

筋バランスが咬合調整に必要だと、全身咬合学会で言われます。そのシーンなり変化は今の所お目にかかっていません。

ポリモーダルという世界を知り、狙って咬合調整が見える次元に入ります。これを出すか、正直凹みながら迷っています。

 

どうせ、何も変わらない。それが、自分の脳裏に当たり前のように駆け巡るからでしょう。

 

人間工学に秘密があると睨み、その解放に悩み、その治療指標が機能障害という解釈に問題があると

気が付き、多分、相当に押しつぶされる感覚に相当悩まされているからなのでしょうね。

 

後、二人。

アッシは、国益と思いながらも、難しいだろうと諦めつつあるようです。

英語、勉強しよう。6月から。

 

おしまい

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.25更新

今日、お酒を飲みました。こんな感じで国が動けないだろうか~なんて詳しい方と

話しました。

 

成る程難しいと、いやはや考えさせれます。

 

予想以上に、いえ、予想通りに難しいと理解し始めます。

ま、簡単な企画書を書いて、もしかしたら、別の視点で

検討して頂けるかもしれません。

 

英語か数学かと、どちらも出来もしないのに悩み続けて、やはり英語かと

結論を導きます。

一人の呟きなので、何もある訳ではありません。

 

ただ、英語と理解できたので、英語の勉強をしながら、国家国益に繋がる道が

あるのか、ちょっとだけ悩んでみようと思う今日この頃です。

 

いやはや、難しいと色々と考えさせられた今日この頃でした。

仕方ないですよね。

 

いやはや、参りました。

 

 

連休は企画書を纏めてみたく思います。

これが、個人で働きかける最後の努力という位置づけです。

 

独りで踏ん張るのは、もう良いかなって思う今日この頃です。

 

本当におしまい

 

 

 

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.13更新

4)痛みの感覚センサーの存在
そういえばある患者の会の主催者と連絡を取らせて頂いている。ポリモーダル受容器は主催者から存在を知る。
この存在が、ずれではなく歪みという発想起点がどうやら正しいのでないかと知るに至る。

器質性障害は、精度をずれないよう考え、痛みに関しては歪みという側面で捉えないとどうにもならんと知る。いや、そう考えないとどうにもならん。ここに器質的障害の解決糸口があると知る。同時に、そうしないと痛みの連鎖は断ち切れないと考えるようになる。

歯科の歴史は咬合の正解を求める歴史と言って良いかもしれない。その戦いは必ずどこかで限界という連鎖に行き着く。

1次資料というか直接的に問題が把握できる診断法が無い事を知る。間接的に把握できる手法は相当に出ている。しかし、直接的な方法は無い。
歪みという現症を(ひずみ、ゆがみ)を直接的に見いだせれば話は変わる。併せ、ポリモーダルが頑張る時、空間把握能がおかしくなると言われている。この論文とはまだ出会えていない。只、ここから一つ線維筋痛症の患者を介し、理解した事がある。

凝っているから痛いのでない。凝っていても痛みは無い時もある。凝っていなくても痛みがある時もある。凝っていると感じても、患者が痛みを感じない時もある。上手くは言えない。
しかし、肛門、陰部、目とかの軟組織以外を全て触ると分かるが、実際患者が感じる痛みのポイントは確実にある。全て痛いと言って、触ると痛みの起点部位が絞られる時もある。何となく痛いと言って、触るとこれほどまでかと痛み(が誘発された結果)をあちらこちらに感じる場合もある。

ところが、過剰接触を幾つかの機能試験を通して確認を行えば、その場所が分かり、そこを咬合調整すると、痛みが消える。この繰り返しは、顎の傾斜能を変える。このデーターは確実に得ている。傾斜能があるルールに戻る時、痛みも消えていく。

但し、これを一辺に紹介する方法は無い物かと思案していた時、そんな症例と出会う。許可を得られたら、学会に出すかもしれない。直接的1次資料付きで。

口腔のトラブルから身体に行きわたる現症を機能障害と捉えるような学習をしたように記憶している。しかし、違うと思う。器質的障害の延長に問題がある。ここにアッシら歯科医は立ち位置すら、混乱の場面にいるのかもしれない。ここを避ける事は出来ない。オリンピックではやった(のか)“そーだね娘”のように爽やかに立ち向かう勇気もない。だからと言って堕落も出来まい。
何ら威張るものなど無い。機能性障害であれば教科書が教えてくれる。“基礎に忠実に”で導かれる。但し、器質的障害になると、その教科書は無い。

確実でない事に確実性を置くのではなく、確実な事を整理する。それが大事なのではないかと考えるようになる。確実な整理から、始める事ではないか。先人の研究の戦いが必ずどこかで限界という連鎖に行き着くのも、原因はここらにあるのではと勝手ながら思う。

この事を、今の咬合に興味を持つきっかけになった学会に発表をしてみるかと考え始めている。どれだけ、機能性障害と器質的障害に違いがあるか。ここすら問題意識が無ければ、臨床に立つ重さなど到底行き着けない。

悪人なら、スターのご機嫌取りに機能性障害の解決でやられたと持ち上げれば解決する。襲われている街人など関係ない。街の変化などスターは気が付かない。街の風景が侵略されるが如く変われば街人には堪ったものではない。生活を変えられる・文化を壊される。生活もルールも全て悪人の思いのままに支配される。器質的障害とは正にこんな例えばしっくりと来る。スターは壊れた街を治せない。スターは壊された文化に興味がない、街人の声などスターには聞こえない。器質的障害は声なき声をどれだけ一次資料に収め、解決案としての2次資料を用意できるか?そんな所なのだろう。

悪人とは器質的障害の時、ひたすら意味なき防衛の為に活動する自身の肉体の防御機構だ。実際の臨床は、意味なき防衛をしないで済むよう問題をまず抽出しなければならない。機能障害と捉えると機能回復と称し次々と手を打とうとしてしまう。これが厄介だ。新たな防衛を更に身体は繰り出す。この時、無限のループに患者は嵌りこむ。招待すると言って良いかもしれない。

歯科治療が時に器質的障害との対峙と考えれば、機能回復と称す新たなる手の連続は黄昏時を迎えるのかもしれない。蚊帳の外に置かれる器質的障害と、絶好調の機能回復と称す新たなる手。黄昏を迎えるべき考えは何なのか誰かが声を出す以外無いのかもしれない。

唾のみ試験が干渉の発見に使えるのでないかと、バーでひたすら唾のみをする。何時間も酒一杯で粘りなら考え続ける。
また来たのか、とマスターに言われながら何週間も考え続ける。

医者がその試験を見事に応用させる。一人才能が無いとバーで「そんな事もあるさ」とマスターに一杯おごられる。勢いでもう少しグラスは進む。そんな時もある。走って汗をかいて何かを消化する力などもうない。酒の苦さと香りに頼らなければ消火など最早出来ない年になったのか。

咬合における干渉の為の咬合調整も見方を変えれば、決して機能性障害の開放とか回復と言ってはならない、と考える。反射系が変わる以上、器質的障害に対する取り組みとでも言うべきか。

機能試験に活路があると信じつつも、ポリモーダル受容器を知って一挙に方法に華を開く。咬合調整をしていい場所もあればしては行けない場所も存在する。

一人の力ではたかが知れている。聞いてくれると医療とは関係ない資格者に近々話す。只、凄い人を紹介できないか。それが、国益ならまとめて欲しい。公益になるなら繋げて欲しい。貴重な時間を貰え感謝している。

知りたかった課題は多分テーブルの上に置いた。そう思っている。

仮に何かを断言できる人間がいてあたかも予測や予言の如く表に出る時、その演出が素晴らしければ素晴らしい程、「何かが見えているような」気になる。
しかし、よくよく考えるとそんな物など、子供心で矛盾を感じる時もある。その矛盾にこそ感じさせない演出が有効になる時もあるかもしれない。

アッシは、そんな事がどうやら何時しか苦手になったようだ。
つけは作ってはいけない。

熱狂的に受け入れてもらう事など科学にあるのだろうか?ただ、何かに向かって動いて論文を出して発表をして、誰かに気が付いて貰う以外ないのではないだろうか?そう思えて仕方がない。

“忘れな草”この花言葉はさておき。現実的な認識を持つ時、歴史が科学をどう扱ったかを知る以外ないのではないか。この頃、そんな事を嘯く。

それでもこだわり続けるならば修業と言い聞かせるのか。それとも、江戸時代ならもはや年寄り。よる歳にと散る事を考えるべきか。

マスターに「1回おごられたからと言って、またおごられるなんて思うな。酒飲みたかったら、金を払え。人生は修行だ。」と説教を食らいに行くべきか。それを今は悩んでいる。

何時もとは違う文体ですいません。そして長くて仮に読んで下さったなら感謝します。
ふと、思った事を、柄にもなく力をいれて分不相応な事を書いてしまいました。個人の妄想という事で。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.12更新

3)口由来の反射系は、如何ほどに?から発展する話もあるもんだ。
顎位反射という点を主体に捉えれば、顎位を整える時肉体に反射が起こる、技術としては特殊であるし、アッシはそれについて何も言わない。身体の真ん中という点に揃えば、きっと起こるのでしょう。ここにおいて、やはり厄介な事は真ん中が取れない時。あるいは、別の神経反射が機構としてある時。あるいは、その複合系。

丁半という五分五分で済むなら、医療サイドも嬉しい。でも、それでは許されないから一概に安全域にいるとは言えないというのがアッシの立場。約束されない有り難くない5分に転ぶ時、臨床は目も当てられなくなる。確実でない事を確実という捉え方もあれば、確実でない事に確実があるという捉え方も出来るのかもしれない。

痛みを感じるセンサーが身体中にあるとする時、別の視点が切り引かれるのかもしれない。痛みセンサーが働く必要が無くなる時、痛みを感じない。単純にここだけを切り離して、捉えたらどうなるのだろうとアッシは途中より考えるようになる訳です。この鍵の意味というか現症の持つ意味合いを見出すまでは苦しかった。

頸部を上って口腔に影響を与える反射がある。頚反射という。では、口腔を降りて体に与える反射があると考える事が自然じゃないか。この現症は学会に紹介する物の、中々ね。なら今度は母校の教室に行ってどうすれば基礎研究をして貰えるか。まずは聞いてみようと思い始めている今日この頃。訪ねると言うべきか訊ねるのは汗をかけばいいのですから。

早々、口の中の反射の見極めで苦しんだ事の一つが舌の空間把握能と舌反射の意味でした。これを一緒に出来ないと直感が働くも、一緒に捉えても平気という考えもあるのかもしれない。

当時ある疾患に罹患した医者が自ら舌反射の悪さを体験しこの悪さをしない環境をひたすら考えられた。歯科知識に照らし合わせ出来る事をある歯科医は考える。しかし、舌の空間把握能は如何にと不安も持ち始める。改善と共に、器質という言葉に拘りを持つようになる。器質性障害と器質的障害と言うべきだろう。この意味は如何に?
確かにその医者の症状は急速に納まっていく。全身症状になる。しかし、口の器質に相当する部分に対しどうしてもアッシは答えが見えなくなっていく。
そういえば、オリンピックでは『私はあなたを尊敬しているよ。とても立派なスケートだった。』そんな痺れるセリフを言われたアスリートがいた。信じられない程の敗者へのいたわりと思う。そんな場面に必死に付き合った側は、多分似た様な気持ちを持つのだろう。そこで収まれば『世の中にこれほど優れた人物がいたのか…』と感嘆と誇りを感じたのだろう。何かを残され、また己の本道に戻って行けばと益々輝く力を感じたのだろうか。

転換点は人生には色々とある。テレビでは、いよいよ治す道が出来上がったと啓蒙?さらには継承され、らしい。では、警鐘という側面はあるまいか?更に言えば、アホなだけが取り柄と残される感覚を覚える事があるのだろうか。
この世紀の発見は本物か?アホなだけに舌反射で本当に全てが分かるのか。中々治らない患者に不安を持つ藁にも縋る想いのある歯科医はその側面で治るのか意見を貰う。

全く持って駄目だった。ある患者は諦め、何も返す言葉は未だない。
ある患者は、舌しか見ないやり方を拒みアホなやり方に徹してくれと言って仕事復帰をしている。ビール腹になっている物の、10年ぶりに働いている。3年目にもうすぐ入る。アホに徹している内に治った。
何かを残すという意味の考え方を紹介する事は否定などするまい。己の本道に戻る通過儀式の時もある。驚嘆の思いが、自ら手掛けたいと啓蒙というか喧伝まで発展するとは考えてもいなかった。
患者を診る物のおかしくなる患者もいる。このままでは危ないと考える物の、さてはてどうする物かと思案をする。

確実でない事が孕む意味は、医療制度への悪い挑戦になる。
「何でも良いから舌の反射と顎ずれで身体は治る。自分が上手くいったから他人でも成功する。そこで、医療界にも歯科界にも警鐘するんだ。」幾つかは受け入れられても幾つかは関わりたくない。使命感と試みとは別の物と言った所か?

転換点は人生には色々とある。
使命感が貴ければ、一個一個科学に近付ける努力がいるようにアッシは思う。分からないが。一個一個科学に近づける事は、如何に自分が無力化常に思いしる事から始まらない。医療には責任だけは付きまとう。ここを保証するのが医歯賠責保険となる。組織体が違う時、医歯賠責が同列に扱わない可能性がある。その時、試みは実はとてつもない報復を受ける可能性がある。何からか、誰からかは怖くて考えたくない。

上手くいかず痺れ感がひどくなり悪化の一途を取る患者もいた。結局、アッシが引き継ぐ。
舌の空間把握能に本質があった。でも、痛みセンサーの反応が残る。ここについて見えるというか対処する手法を見出しているから、それを信じるしかない。考えている以上に器質的障害は厄介な事を知る。

己の本道に戻るか、本道を変えて生涯をかけて邁進を選ぶのか?20年間、別の視点に立てば30年考え続けてきたか調べ続けてきた側からすれば、そんなに瞬時に解決できるのか。未だに才能という言葉に焦がれる側は、敬して遠ざけるぐらいが賢明な所か。

続く

 

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.11更新

1)どうにも真ん中とは難しい物です。
『顎ずれ』という言葉がある事は前から知っていました。ある学会が提唱し始めて市民権を得た言葉なのでしょう。そんな言葉をテレビでもチラホラ目に入るようになります。

これで、全てが解決するならどんなに楽かと思う立場にいます。過去ある医師から、歯科医が見る真ん中とは医師が見る真ん中とは違うと目から鱗の話をされます。これをまた悩む訳です。この意味を正しく捉えられないと『顎ずれ』自体が陳腐になる。この定義自体が曖昧な中、治療を推し進める事はどんな事が生まれるのか?

この捉え方が間違っていたら、どうなるのか?テレビでは、線維筋痛症の謎は『顎ずれ』と報じられていました。その基準は、真ん中に対してずれているからだと報じられていました。この真ん中という基準を間違って捉えているとしたら、どうなるのだろう。あっしは、この基準の曖昧さを証明できる側に立ってしまったようです。これを原著論文にせざるを得ないと考えています。

確実でない事に確実性を置くという事が良い事なのか?あるいは、違うのか?報道に出ていた医療関係者はその道に通じた専門家なのでしょう。只、アッシは専門家の端くれとして基準を曖昧にはすべきでないと考えたのでしょう。『顎ずれ』が医学用語になっていない以上、安易なバラエティーの教育番組といえその報道内容は怖い気もします。

2)顎位でも良い。口の中でも良い。例えば口は、触らなければ常に一定の環境なのだろうか?
アッシらが学んだ常識では、口の中を触らない限り口の中は一定と学ぶというか思い込ませられます。しかし、アッシの診た臨床では違うと言わざるを得ない。
身体の中心起点で診た場合、変わる事がある。キネシオテープで身体を支えた模型と、キネシオテープを外して身体の支えを失った顎模型では、中心に対する位置は変わり困った事に歯型すら違う。テープを外し瞬時に模型を取って、この有様だ。こういうことがあると知る時、歯科医はどう対峙すれば良いのだろうか?今年の学会でこの模型を出すべきか出さざるべきか、トピックとして報告すべきか、唯思案します。
知らなければ対峙できないし何も起こらない。対峙するには知るべきだと専門家の端くれを目指せば、何かを知る。変数の多さを知り途方もない壁を渡される。

テレビも面白い物です。自らの身体で線維筋痛症を解明したと言われていた。それに付き合った歯科医もいるだろう。医師の知識で歯科の知識が短期間にカバーできるか、そんなに歯科の知識は薄い物だろうか?そんな事を思う。後々尾を引き、つけの始まりにならねば良いと考えたりもする。テレビに出ていた歯科医がその該当歯科医なのか、そうであれば何も言うまい。もし、違った場合長年組んできたというコピーがあるなら、くそとなるまいか。
『悪人は常に悪人でくそは常にくそ』かの名相チャーチルの言葉になる。くそよりも悪人の方が差し詰めまだ良い。
長年組んできたというその歯科医が、瞬時に模型上でも変わる事を知っていればよいが。

 

続く

 

投稿者: こすが歯科医院

2018.04.03更新

そういえば昔話したことがある先生と連絡を何年振りでしょうか?連絡を取ります。

 

あっしの主張は広義の顎ずれはイエスかも知れないけど、狭義は違うと思う。

 

そんな所です。

 

顎ずれという言葉が医学定義に無い以上、もっと慎重に図られれば良いのになって言うのが本音。

 

というのも、顔の正面から真ん中という基準でそれに対して相対的にどうかというのが顎ずれの根拠らしい。では、後方観は?

 

 

ここが顎ずれの考え方の盲点とあっしは思います。

色々な盲点があると思っていますが、この盲点がとてもまずい。

 

ここに感覚受容器を絡めるととてもややこしくなる気がします。

 

そんな事を書いてみたくも思うのです。

こいつが、相当に臨床家にとっては厄介なものだと思っています。

 

そんな話を少しづつ。

 

おしまい

 

投稿者: こすが歯科医院

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