じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2017.04.19更新

動き方も色々あるのだなって思う今日この頃。

恐怖ととの対峙は、どうにも好きになれません。

いえ、好きになれる訳など無いと思います。

 

1)例えば、こんな機会があったとすれば

例えば、2万円程度の経費と、10人(Χ二乗検定に耐えられる、多分最小単位)の患者と

手弁当になるかもしれませんが、医師と歯科医が線維筋痛症の患者における反射経路の

変化を観察する機会が作れたとする。

 

何かしらの反射が起きて、痛みの解放(完治という訳ではありません。)が確認できたとする。

 

その時、この両名は論文を書いてくれるのでしょうか?

 

仮に書いてくださって発表されれば、何かが変わるのだろうか?

 

そんな事を想像する事があります。

 

2)例えば、こんなチームが出来たとすれば

例えば、この反射の秘密を紐解くために、プロジェクトチームを立ち上げようとそんな動きがあるとする。

プロトコールを医師と歯科医が共有できれば、何かの働きかけが生まれるかもしれない。

 

その時、何かのガイドラインの誕生につながる事は無いのだろうか?

 

3)例えば、口の管轄矛盾がさらけ出されたとする。

口の中の治療は、歯医者である事は基本で変わらないと思います。

でも、口をいじる時三叉神経反射に何かしらのノイズを出すとする。

このノイズ、この影響はどうなのだろう?

 

三叉神経は、姿勢制御反射に関わっています。

この姿勢制御反射に、ノイズが関わっているとすれば、姿勢制御にまつわる疾患を

担当される医師は、何を感じられるのだろうか?

 

無意味か?共有し、プロトコールからつながるガイドラインの点検に入られるのか?

あるいは、怒りか?

勝手にノイズを出すな!なのか?

 

恐怖から生まれるリバイアサンは、妄想を上手に育みます。

国家の危機という事を承知しつつも、孤独に対し妄想が恐怖と共に寄ってきます。

 

昔、タイに口は身体の一部と捉えるのが、そんなに不思議な事なのか?異常なのか?

話を聞いてくれるという事で、訪ねた事があります。

 

多くは阿保かいなと、ケンモホロロ。国内での経験と同じケンモホロロ。

ケンモホロロは、怒りや挑戦という機運を渡してくれましたが、恐怖はどうにも

調子が悪いようです。

 

調子が悪いからと、勝手に体が機能停止をしてくれる訳でもなく。いえ、本当は望んでいるのかもしれません。

恐怖の提供は目で見て分かったのは、体重減でした。カレン・カーペンターズのように世をさる状況まで

やせ細っている訳でもなく。(正確に言えば、痩せすぎて世を去られたわけではないです)いえ、本当は望んでいるのかもしれません。

 

ただ、タイに行った際、真剣に人の目を見て理解を努めていただいた方の(教授)事を忘れることはありません。

どんな言葉をかけられたかは、機会があればですが…

 

この恐怖との対峙は、本心の願いとは別に、誰かに伝える事も大事なのかと考え始めてもいます。

ま、そんな奇特な方がおられればの仮定ですが。

 

”おりました。いらっしゃいました”と言えれば、最高のなのでしょうがドラマではありません。

大した報告も出来る訳でもありません。いえ、それが普通の事なのだと思います。

 

でも、そんな動き方もあるのかと、学会で報告する事とは別に考える今日この頃です。

 

静かに考える。それだけが今唯一恐怖を一瞬かもしれませんが、忘れる事の出来る時間のようです。

その一瞬を増やす可能性を考えてみたくなっている、弱気な今日でした。

 

逃避ではなく、自由を勝ち得る方法はどこぞに無いか。

恐怖に縛られてたまりますか。体重減は受け入れても、まだカレンの歌は現生で、あの世で聞きたいとは

思ってはいけません。それだけを再認識した今日でした。

 

自由までもを恐怖が浸蝕した時、きっとあの世でカレンの歌を聞こうと思う瞬間なのかもしれません。

 

静かに考える、そこに今は拘ろうと考えます。

 

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2017.04.18更新

1)昔
昔、小劇を焦がれた時があります。ま、30年ぐらい前の記憶。どれぐらいの情熱が無責任な碧い頃、有ったのかは正直分かりません。
【宇宙で眠るための方法について 序章】確かこんな題名だったような気がします。今は解散してしまいましたが、第3舞台の舞台でした。
最後の長ゼリが、すごいインパクトを当時のあっしに渡したように覚えています。ただ、断食芸人の話を何かを暗示させるが如くつらつら綺麗な言葉で述べて終わった。そんな世界でした。

今もって、あのセリフの意味は分かりません。文章もシナリオ等を持っている訳でもありませんから思い出そうにも思い出せません。

ただ、断食芸人の芸について語っていたように思います。食べずただ居る。その存在を気が付く聴衆は途中からその体のやせ細りぶりを感動します。でも、それ以外何もせずただ、やせ細っていく芸人から聴衆は離れ、そして忘れ去られていく。
でも、断食芸人はただ断食を続け、それを続けていく。

そんなある時。

彼はある人に問いかけられ、答えます。
「誰も見ていないときに、こっそり食べてもばれないではないか?それだけやせ細っているなら多少食べてもばれる事はあるまい。その方が、またあなたの存在を気が付き聴衆は感動を覚えるのではないか。」
彼は答えます。
「ばれる、ばれないではなくこれが私の仕事だ」
芸人はやはり食べずそしてその存在がいつしか消え、人々の記憶からも消えていく。

そんな事を、何かのモチーフにしたく作家は書かれたのだろうと思うのです。そのモチーフの先の世界観は、未だに謎です。

そして、それで良いと30年後のアッシは思うようにしています。

2)口という器官の担当機関の不思議さ
そういえば、口という中にある歯はあっしら歯科医の仕事。で、これは三叉神経が担っている。
で、この三叉神経。姿勢制御に結構、関係する。で、これは医科領域の仕事だったりする。
ここにある種の不可思議さがあると思うのが、小劇に感動した当時から数えて30年後のアッシ。

別に個人の感想ですからどうでも良いのですが。

ただ、目の前に展開する現象で、手の長さが変わる、頸の長さが変わる。こんな事を計測するようになってから結構、知るようになる。

これは、結構胃が痛くなります。

医科界から身体と歯は関係ないと公式発表があれば目の前に拡がる現象は気のせいで済まされる。
歯と身体が関係あるなど、可能性はない。と、歯科と医科を分けた国が公式に発表して頂ければ最高な状況と思えてしまいます。

もし仮にアッシが見ている現象が真実なら、この真実からは通り過ぎたかったと今もって思います。そう、気が付かずに通り過ぎたかった。通り過ぎるべきでした。

3)まさか  ね。
この神経戦、まさか自分の肉体に怪物が襲ってくるとは思いませんでした。
食べる量もとくに減っていません。減らしていません。

でも、この2週間で10キロ痩せちゃいました。今年始めから見れば13キロですが。

ま、デブが太り気味になる事は良いのでしょうが、如何せん1週5キロずつの減少はたまりません。
何か贅肉が減って来たなと、ヘルスメーターに乗った時に“あれれ体重が減っている”と気が付きます。もう2キロ減った時には標準内に納まってしまいます。

見事な中年太りが、急速に痩せる。

頸を戻す、こんな表現を用いたく思います。この現象を目の当たりにする時。
一人の人間の精神は相当に参るようにこの頃は思い始めています。

これを続ける時、アッシは持つのだろうか?
でも、続けないといけないのだろうか?
この緊張感というか、恐怖は、そう恐怖です。本当に恐怖です。この恐怖との対峙の仕方が見えれば見えるほど、体重は減っていきます。ホンマカイナ?と自問自答を続けるも、10キロ分贅肉がなくなった腹を見ながら、ホンマなんだろうと妙に納得します。10キロの減少は、妙な衰弱を自分に渡すから面白い物です。食欲も何故か、ここ数日減衰している気もします。まさかね、と言い聞かせていつつも、恐怖は早々、去ってくれはしないようです。この対峙の情動に、アッシの身体は正直に反応してくれているようにも思います。

その時、断食芸人の話を思い出した。そんな話です。

セリフは確か。
断食芸人の事など、いつしか誰しもが忘れてしまった。始めは興味を持っていた人も、彼が動かなくなっていき反応しなくなると一人去り、やせ細った身体への鑑賞を耐えられなくなると一人去り、いつしか彼のいる檻には誰も近づかなくなった。その彼がいただろう檻に、そもそも誰がいたかも人々は忘れ去っていった。ある時、そこには断食芸人がいた事を思い出した僅かな人も、檻にはもはや彼がいない事を確認する時、彼への興味を急速に失っていった。

でも、彼は確かに生きた。断食芸人として生きた。それだけは真実だったのです。

そんな感じのセリフだったように思いだします。

歯と身体が関係あるにせよ、ないにせよ世間には何ら関係ない。そう思います。

でも、それで済ませて良いのか?そんな事を静かに考えている訳です。

 

投稿者: こすが歯科医院

2017.04.07更新

角度だろうと何かを掴んだのかもしれません。

でも、代償は胃の痛み。

こいつはプレッシャーのせいだから受け入れました。

でも、コヒーで自分にとってのプレッシャーを避ける方法は諦めました。

 

カフェインに頼る事にしました。

こいつのお陰で、胃には負担は来ませんが、多分自らの身体に悪いのだろうなって

思う今日この頃です。

 

いつか角度という価値が表に出れば嬉しいと思う今日この頃です。

 

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2017.04.03更新

角度という世界があります。

咬合と角度、そんな表現を用いればよいのでしょうか?

 

この角度が非常に厄介とおなかの痛みを感じながら実感する今日この頃です。

 

しかし、これはとてつもない事だと個人的には思っています。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

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