じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2016.10.28更新

①歯を入れたら、ふらつく患者がいるとします。ふらつくというレベルが、眩暈ぐらいならまだしも…

何とか病という名がつくレベルなら、嬉しくないし。

そんな方の悪さしている歯を変えてみる。

 

少しだけふらつきが消える。

良かったけど、その後どうするか(心の中では)冷や汗だらけ。

 

②シャキンと立てない方がいる。

上下の位置関係を変更して、シャキーン。

次は、楽に息が据える事を狙う。

(心の中では)冷や汗だらけ

 

肩こり首コリは消えたといわれるけど、足からしたのしびれが…

 

③手が上がらない方がいる。

装置を入れて、お、もう少しで他人にパンチ出来るかも。

電車に乗る事久々にチャレンジしたいといわれる。

(心の中では)冷や汗だらけ

 

こんな事が咬合を介して反射系で起きるから、口の中は本当に厄介です。

 

1日、こんな仕事ばっかりで汗かき、(心じゃ)ベソかきで、いつか何かが

変わるといいと思う今日この頃です。

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.26更新

1)変わらないこと
歯科という仕事は、おそらく基本の治療の流れというのか、考え方はここ数十年に渡って
同じ作業を繰り返しているといった方が適切なのかもしれない。資本主義的な言い方をすれば、『同じ商品を繰り返し売る』という黄金律なのかもしれない。

事実、人見知りのアッシといえど、名医と言われる人は、「同じことを飽きずにずっとやっている。」という行動パターンが確認されます。心が幼いというか、蒼い時期はこの捉え方が、退屈で変わり映えもなくそれどころか停滞していると覚える事すらあったように記憶します。

むしろ「同じことをしたくない」と思う衝動が常に心を駆け巡って葛藤をしていたようにも思います。

真理は「同じことを繰り返す」という行動行為と理解しつつも、問題はどう「同じように繰り返すか」そこに、振り返ると課題があったように思えます。

そして、同時に保健医療制度に縛られる側の葛藤もあるよう思えます。(あくまでも歯科医側の見地でしかないと理解いただけると幸いです。)

2)変わらないことが、合理的だとしても
名医と言われる先生の治療を見学させていただくとき、ある事を気が付くようになります。
「得意とされ必ず成功に導く」と評すべきか、ご専門と評すべきか 、その部分に関しては、より確実性を上げるために様々な指向と工夫を横に備え、楽器に例えるなら常に同じ旋律を奏でるようされている事に気が付きます。

と、同時に専門でない場所に関しては、上手く言えませんが保険制度の歪を肯定しつつその中で活躍されているのかなって感じる時もあります。多分、この歪の部分を受け流すことが性に合わず「同じことを繰り返す」この意味を深く知る為には基準という意味を改めて見つめなおす事ではないかと思うようになります。

*そもそも保険制度が歯科医側にとり経営基盤を揺るがす事がない点数制度であればこの歪といった表現は出ないものと考えます。
*この歪がおかしいと思われる医療人においては、最初から制度に左右されない経営基盤を考えずに済む自費医療を選択するでしょう。
*この時、医療は誰が為にという更なる矛盾を持つようにアッシの場合感じます。
*先進諸国の1/10という点数評価では、歪が生じる事が適当だと思います。
そこで、合理的な事は「成功したパターンを繰り返す」という意味を改めて自らに問いかけるようになります。成功を単発にしないには継続させる。それにより、足元が強化されるのではないかと考え直すようになります。資本主義的発想であれば、安定成長と安定した収入が生まれると考えるようにもなります。
*実際は、収入面だけは真逆で成る程、1/10の壁はどうにも破れない。あるいは、和式リベラルの一方的な価値観に依存する平等主義が蔓延る限りプロフェッショナルよりも、1/10流されるプロでいる方が経営的には楽という事も体で知ります。和式リベラルはいつも高みから自らが痛みを伴う事を逃避した中で、平等を唱えるから不愉快極まりない。

3)変わらない変わり方ってあるのだろうか
一人の歯科医が成長するには、技術という意味では次から次へとある期間覚えていく必要があるのかもしれません。それは、保険という半世紀前の技術だけでは対応できない事実があるかもしれません。患者ニーズが半世紀前の物であれば不要なのかもしれませんが。

事業という見方に立てば、往診も多角経営の一つの姿なのかもしれません。

ただ、二つの事象両方に隠されている落とし穴は中途半端に陥る可能性がある事だと思っています。変わらなければ纏わりつく1/10の現実という恐怖、和式リベラルの満足する平等に見捨てられる恐怖、これが常に厭らしく絡む分、厄介と思っています。

ここをどのように対峙していくか。「イノベーション」という旗に皆が行ける訳でもないし和式リベラルの主張は「新しい物に手を出さなきゃ」という無責任をいつものように煽りながら靄に身を隠す(と感じる)始末。

変わらない事の方がより合理的で安定する筈と思いつつも、この恐怖は常に駆り立てる。
では、見方を変えてもう一度、必要とされる事を振り返る。1/10は国の方針である以上何もできないまでも、和式リベラルのご都合平等とは一線を置きたくなります。この輩の言い分は、結論言えば全く現実に即さない(ように感じる)。人間社会をあたかも共産圏の理想で見つめれば、個々に求める言い分は理解できる代物とようやく知るに至ります。

冷静になってよく考えれば、変わらないことの方がより合理的で安定すると考え直すようになります。ここが正に変わる事だと、些か文学的ですが考えます。

歯科の大事な仕事の一つは、“正に食せることに戻す事”と見出します。この本質を守る限り変わらなくてもいいし、そもそも、変える必要もない。人間社会がある限り、永遠に続く仕事と考え直すに至ります。ここに、同じことの繰り返しでも「効く」存在があると気が付きます。言い方を変えれば、靄の輩の影響下から離れることが出来たといった方が良いのかもしれない。

4)食せるという拘りが、別の世界に招待を受ける
同じ事の繰り返しという表現をした物の、咬合というべきか、かみ合わせというべきか、これと食せるに結びつける事には、実は相当な乖離があると、途中から知るに至ります。

食せるという作業に上手く運べないとしても、いきなり寝たきりになるわけでもない。ある一定の法則性で現症病名の連続性が担保される。この事実を受け入れなければならないと気が付くとき、また一人のライセンス者として苦しむ。学んでいない常識と出会うとき、受け入れるべき真実なのか、受け入れてはいけない破滅へ導く事態なのか、これと触れた瞬間、受け入れる事を選択したライセンス者程苦しむ。受け入れないと決める限り苦しむことは無い。ただし、食せるという拘りから離れざるを得ない。この本質の表裏が、誰にも言えない趣深い所と思うようになってもいます。

不定愁訴と歯科界は謙虚に濁し(そのように感じる)、医科は現症病名で堂々と対峙する。見方を変えれば、病名が横に備えわれば、そしてある一定の道筋を通れば保険診療に収まる可能性が高い医科であれば現症病名は大事なるでしょう。その一方、手を出すかどうか躊躇しなければならない歯科は、謙虚さに立ち返らねばならない。
この事実のどこに着目をすべきなのだろう。ともすれば、不定主訴という言葉を使えれば歯科は厄介者と切り捨てる立場を持つのかもしれない。現症病名を通せば、ひたすら薬の開発だけが続くのかもしれない。薬が肉体をある適量を越した際、起こる問題は向こうに置けるのだろうか?

もし仮に本質の道が一本明確に通っていて、あるべき対峙法とあまりに距離が乖離していた場合、どうなるのだろうか?全滅しつつあるリベラルでなく、和式リベラルがまた闊歩し始めるのだろうか?邪魔なだけだ。根拠なき感傷はご遠慮願いたい。

5)新しいことをする必要がないという事が最強の利点としたい
あっしは、ずっと「変わらない事に拘りたい」という変わる選択をしました。これが、最も合理的かつ安定的なものになると考えたからです。数字には表れないが、重要な要素になると考えました。

ところが、そこには基準が必要だと遅れて気が付きます。言い方を変えれば、規格化されていなければ、たまたまうまくいったに過ぎないになると危機感すら覚えていました。

治療は、規格化された(表現には些かの難がありますが)技術にのみ安定感は宿り、結果も付いてくる。むろん、その技術の精度という視点での表現ではありません。
この変わらない繰り返しを作るには、一定の規格化された“何か”が必要と考えるに至ります。その時、ライセンス者も安心感を抱き、厄介者を受け入れる勇気が湧くと考えるようなります。

ところが、規格化するには大地に対して骨格というか、咬合がどう位置関係を維持しているか知る必要がありました。フランクフルト平面に対してとでも専門的には言えば良いのでしょうか?

ところが、呼吸に対して歯列のエンドラインが実は乱れる事が上下の歯列の関係であり得る事態を覚えます。

ところが、身体の中心軸に対して正中性と平衡感覚性がどう乱れているか覚えさせられるようになります。

これが、線維筋痛症学会で紹介した計測器を介し知ったことでした。新しい事をしないで済ます為に、規格化しようと物差しで測る試みから問題を的確に把握しようとした瞬間、事態が変わったわけです。

新しい事など何もせず、2次元評価を3次元評価の土俵に乗せなおす試みが利点となると考えたら、変わってしまった。そんな所なのでしょうか?
でも、この瞬間、1本の道が結ばれたとアッシの中では考えています。

6)「何も変える必要がない」という立ち位置が大事の筈ですが
予測はしていたものの、計測上の矛盾は、頚椎のアーチに現れると計測行為を進めるたびに確信するに至ります。
“食せる”と書きましたが、実はこれが一番難しい事だと、直面させられる瞬間でした。

本来、新しいことをする場合、金がかかるのは当たり前です。土俵を変えたあるいは評価基準を変えることで規格化させようとした時、目的は一切変えていないのに、変わる羽目になる。不思議な経験です。

キーワードが反射系にある限り、反射系の収束条件を導けばよい。この条件を満たすには反射系をコントロールするためには、3次元的土俵環境での立ち向かい合う事と予測はしていたものの、これほどの効果を導くとは考えてもいませんでした。
ところが、頸と咬合平面の関連性も計測しなければ事態は改善しないと、嫌な虫がうずきだします。物差しで測り、土俵に乗せなおす。

ここにキーワードがあると感じても、目の前の開発費は正直、絶望を覚える始末。物差しと言っても、球形上の顎顔面を図るとなれば、物差しも特殊な形状が要求されます。

改めてもう1000諭吉さんお代わり、3年で2000の諭吉さん。個人が借りる上で、享受しがたい額とあっしは思ってしまいます。返済までを考えると、ここが限界と思っています。線維筋痛症学会で問いかけられたリベラルな医師の方への、現実を介した返信なのかもしれません。“100万もかかるとは高いと思いませんか?”患者の経済的な側面は知りません。アッシには関与できる範疇ではありません。でも、国からも今は取り残され、原因は分からないけれど薬で対処するか。計測を行うことで、反射系の亢進が口腔由来であると見極める事が出来て、それと対峙するのか?共に闘おうという捉え方と、薬で凌いで果て無き道を続けるのかという捉え方でしかないと思いますが。アッシの知る絶滅したリベラルはもっと、厳しい価値観と思いました。武士道とは“死ぬことと見つけたり”という精神がむしろ近いと思っています。

単純に「うまくいっていて永遠に続けられるもの」に医療人のあり方を求め考えていました。「安定して結果を出したい」と切望していました。その探索の連続性の中から「実は改めて変わらなければならない」必要がある。と、発見をしたお話でした。

時間が経つにつれて、結果は圧倒的な差となるのかもしれませんが、果たしてここまで拘る必要があるのか、自問自答は続きます。患者利益を守るにも、自分をどこまで甚振れば良いのか、苦悶の時を過ごしています。開業医ではなく、やはり研究機関に引き継いでもらいたいと思う心は公の精神を表に置く限り、適切だと思ってもいます。

「新しいことはしないで、今と同じことに拘り続ける」これの方が合理的であると理解していると思っていました。「変わらない」という事が重要と信じていました。しかし、基準を変えるというか、見る視点を規格化させて始めるという決め事が、実はこれほど多くの情報が隠されている事実を教えてくれるとは思いもしませんでした。より合理的で安定を求めた結果への追求は、多くの基準・座標を持つことから始まると考えていました。そして、ずっと求めていた1本の道がつながったと理解した瞬間、おそらく個人の開業医が出来る研究の真似事も終了したと覚えました。

開業医のあっしが拘る“食せる”こと。これには、もう既に十分の情報を提供してくれます。
本質が1本の道の中に、さまざまに変わる現症病名に対しても納得を覚えた今、アッシにとっては自前で用意できる位置づけとしては最後の計測器を、兎に角、やせ我慢してでも資金を工面するか考えてみたく思います。悩むのでしょう。決めた期日までには決断しなければなりません。医療人であろうとし続けるべきか、医業を取らねばならぬ現実という生活を選択すべきなのか。参りました。

頭の中では、最後の計測装置デザインも用意していました。画像診断へつながる物差しと手前勝手ですがイメージしていました。でも、忘れる事にしました。一つの物差しと言え、半年から8か月図面との格闘する事も、もう無理だと受け入れることにしました。これからは、公に問うて公の誰かへ引き継ぐものと、静かに終える人生観に戻ろうと決めたでき事でもありました。

おしまい

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.25更新

どうやら、相当に咬合という存在に個人としては納得してきたようです。

これと、治療結果と合致するかと言えば違うのでしょうが、個人としては

相当に納得したと思える今日この頃です。

長い時間を費やしましたが、もう個人としては十分です。

ま、そんな感想を持ち出した今日この頃です。

 

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.18更新

興奮系とでもいえばよいのでしょうか?今は、あっしにはこれしか言えそうにありません。

反射に秘密があるとにらんでいましたが、身体というのは神秘な機関そのものです。

アッシは、つくづく思います。

 

小さな興奮系までも、筋反射にかかわるとすれば、多分、歯科医は誰一人、いえ、もしかしたら

医科の方でも、ある種の難しい症例には対処しか出来ないのかもしれない。

そんな事を確信した日々でした。

 

ま、確信しつつ諦めの臨床か、何かを探し出してでも解決を図りたく思うのも臨床。

どちらの顔を選ばざるを得ないのも臨床。

 

とても怖い現場に立っていると益々、思うようになります。

 

とてもではないですが、”おもてなし”の心などとは言いたくもありません。

染み出る気遣いと一線を置きたく思いますが・・・

 

あっしの神様?お天道様は、何をさせたいのだろうと震える心で思う時すらあります。

 

皮肉なのか、幸いなのか4年越しの患者、ようやくファイナルに行き着く運びになり

こんな怖さも知らずに対峙していたのか、臨床という現場の怖さを改めて感じた?というところでしょうか?

 

なぜか、益々ある種の病態レベルが上がっている気がして、怖さを身近に感じる今日この頃

という所でしょうか?

 

無神論者?いえ、ご都合多神教者にとっては、神様?か、お天道様は何を導かれたいのか

”ふと”疑問に感じる今日この頃でした。

 

落ち切らないところで、おしまい。

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.14更新

腰椎から脊椎、頚椎そして頭蓋。で、上顎骨。顔面骨と共に、下顎骨。

こう考えると、咬合はここらにまで影響を及ぼすと考える方が自然なのかもしれない。

でも、そうすると、相当に厄介だ。←これ根拠ない独り言。エビデンスなどもありませんから。

 

さてさて、どうしようか?

ただ、迷っていた方向の解決に、『モビライゼーションは有効かもな』と再認識をさせていただいた

この1いえ、2週間でした。

 

経営も考えないと、さすがにまずいし。

 

医療と経営の安定は本当に難しいと思います。

パッパ処理するという行為が出来れば、経営的にはいいのでしょうが。

 

医療は確実がゆえに、いつも悩みます。

 

思いつきだけの口八丁手八丁で、筋道に泥を塗ってもこの国のトップを目指すことを

認められる立法府の女性党首には分らんだろうな。

で、けじめを取らないことを大らかに認められる情報の方も、平等の前では

鈍感が許される姿を見ると、己ひとり葛藤する様は、何だかな・・・って、思えてしまう。

 

だけど、惨めとだけは思いたくない。

それだけは決めている。

 

仕方ない。

おしまい

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.12更新

偽の…と、言いたくなる感覚に襲われる時があります。ま、多分何かを感じるから、そう思うのでしょうが…

 

この国の立法府の活動が始まりました。

たしか、メディアの方がたや、神学論争の中に浸る方々の説明によれば、

言論の自由はなくなり、映画も作れなくなり、言論統制が起こっている社会の筈でした。

群靴の音が聞こえ、徴兵制が始まっている国家体制になっている筈でした。

独裁政治が始まって、民主主義は終わっているという解説でした。

 

この展開になっていない中で、こうなっていると啖呵を切られた方々は誰一人

そうなっていない説明がないまま、立法府が活動されます。

 

これって、偽物?の空想を訴え続け、で、非難が始まります。

揚げ足取りなのか、話を前に進めないために手品を変えられているだけか?

これ、偽物の正義?って、いやな感覚を覚えてしまいます。

 

記憶に違いがなければスーダンのPKOを決められた野田政権時代のことを

決めた立法府の方が、批判する。なんで?偽物の責任感?と、思ってしまいます。

 

白紙の領収書の問題をクローズアップされた独裁政党に置かれては、友党の方々が

されていることには、赤く素知らぬ顔?結局、偽物?の問題提議?

 

すごーく嫌な感じを覚えます。

 

TPPを決定したのは、二重国籍問題で嫌な展開をまき散らす前政権を担った新党首。。

で、自身のことは頬かむりで、関係なく、これを批判される。これって、偽物の条約意識?

 

偽物って便利です。偽物が闊歩して許される。あっしは、すごーく嫌な感じ。

 

比較するのもおこがましいのですが、イメージ的にはゴールポストを動かすのが好きな儒教の国のような

瞬間的に思いついたことを行動されて、その先に対する責任感があられるのか、疑問を持つ感じです。

 

もっと、発展的な話をしていただきたく思うのですが、瞬間的というか反射的な行動と、批判じゃあ、

むなしさを感じたりします。

 

現症病名って言え、これは原因が不明確だから現症で対峙しているだけで原因がわかれば

あるべき病名も付くでしょう。そうなるといいですね~。

 

一個一個整理する事って、多分大変だと思う。

紆余曲折してでも、真実に向かおうとする力と、胡散臭い批評と批判をまかり通す事に鈍感な迷惑が

あたかも対等のような位置づけにしている事が、すごく嫌なのだろうと思うのです。

 

国会という本来、緊張感があり未来と今を、そして過去を取り入れる中で現在を導く基幹の姿が

小さな揚げ足取りという行為の厚顔無恥ですら批判は許さない平等意識の様がとても悲しい。

 

ま、殺したがる馬鹿どもの側のようですから、仕方ない。

被害者ではなく加害者が大事にされる方々に、妙な違和感を覚えます。

日本人が困った、OK.困らせた側を守らなきゃあ。

困らせた側から、仕事が来る。OK、大事にしよう。

 

日本が困る。OK.困らせた側が、日本人を加害者になるべく、何でもいいから被害者として導かなきゃあ。

日本人による被害者に認めさせた瞬間、お金をたかれるよね。OK.それを、困らせる側が手伝っちゃうよ。

 

その為には、揚げ足取りから始めるからよろしくね。

平等の前には、揚げ足取りも立派な仕事だよね、OK。うまくいったら、政局で情報操作で

情報の仕事も潤うぜよ。楽なマッチポンプも揚げ足取りから。静かに、見守りますよ。

早く、日本人を加害者にするネタ探さなきゃあ。

 

曇った心模様です。

 

アッシのできることなど、限られています。

でも、やるしかないのか、そんな葛藤が心の中を駆け巡る。これが、多分、一人になるとリバイアサン

になりそうで、嫌なのでしょうね。

 

(ライセンスシャの)自分にも戒めなければならない言葉かもしれませんが。

”歯で本当に体も人生も変わりました。私は今日のような説明を受けたかった。”

こんな言葉を頂戴します。

 

発信者の言葉とその意味は向こうにおいて感じ事は、実はもっと複雑です。

この意味と、この苦しさは、こいつ(何を指すかは知りませんが)と真正面に対峙した側しか

持てないから、多分複雑なのでしょうね。

 

もう少し、論文に謙虚でいなきゃと思いなおした???それとは違うけど、ま、何かを感じて、

今一度気持ちを引き締めようと思って記した次第です。

 

なんか、憂鬱。

 

ファイト!

落ち切らないところで、おしまい。

 

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.05更新

例えば、人の首にとって後方斜めから来る力が一番厄介らしい。単純化すれば、頚椎への力がうまく乗らなくなる。

その時、口腔には問題が生じないのだろうか?

そこに、なんかのキーワードがある気もします。

 

ま、仮に生じるとすれば、医科、歯科の垣根を越した連携というのが要求されるのかもしれない。

ま、それは時代の要求。

ところで、時代の要求とは?誰がするのだろう?

 

と、こんなことを書き連ねても仕方ない。抄録まとめなきゃ。

 

一応アクセプトされました。

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.03更新

牽引と云うのは、多分、整形領域で機械を用いて始めて成立する。

人の力だと、せいぜい5キロ、云って6キロだと思います。

 

機械で使う牽引となると30キロとか20キロとか出来るそうですが・・・

 

でも、頸が沈むというか、縮むという現症は認めないといけないのだろうなと、認めなくても(個人の感情)肯定する

べきと、感情の働きは別として捉えるようになっています。

頸椎1,2、7の力の分散が、1,3,7と来た時ここからは内緒。

 

こんな所まで、歯科は配慮がいるとすればとても、今の制度設計でも

治療の組み立ても無力になる。

 

”良いか悪いか”と云う様な2言論ではなく、では、『どうしていくべきか』が始めるべき所なのでしょうが…

そう事は簡単に進む訳がない。

どうしたものやら。

 

個人の開業医、何の力もなく3次医療機関らしくなのか、医療機関らしくなのか

個人としては、とても悩む所です。

 

落ち切らない所で

おしまい。

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.10.01更新

今も時々お世話になっている三法の先生とたまにお酒を飲む機会があります。

1)思い出してはいけない疑問と云うか、現症

いつの頃だったか、鮮明では無いですが、いえ、何年前かのこの時期、あたかも頸が沈むと

称すべき症状について、話をする機会がありました。

カイロとかをご専門にされている方なら、この現症についてはそれぞれに含蓄ある言葉が

あられると確信していますし、実際にあたかも頸が沈むというような現象はご存じだと思っています。

 

そして、その対策もお持ちだと思っています。

 

では、歯科は?

もう少し加えるならば、歯科にその事を知って対応する必要性はあるのだろうか?

では、歯科は?

もう少し加えるならば、歯科治療でこのような現症を作りだす事は無いのだろうか?

それが歯科で起こる可能性があるとしたら、我々ライセンス者はどうすれば・・・

 

では、頸が沈むという現症の意味は?(この現症があるとしてです)

この現症を知る手法は?

 

計測と云う手法で分り得るのか?そんな事があり得るのか?その意味は?

この意味と云うのは、単純です。どんな症状になるのか?

これが戻るレベルと、戻らないレベルがあるという事は知っています。

 

ここに忘れていた(興味を持ちたくないと思っていた)現象を考え始めます。

寝るには、これを思い出したくなかった。これを思い出すと、必ず、そんな現症をお持ちの方と出会う筈。

無神論な人です。いえ、多神教なと人と云う方が適切かもしれない。

あっしの神様は、この予感を具現と云うプレゼントを、鬼コーチがノックで理不尽なノックを渡すが如く、

たまに下さる。優しい神様なのですね。そう思う事にしています。あり得ない。

 

2)機会があり、思いだしたアッシが悪いのか?そんな症状を認めないアッシが悪いのか?

等尺性や等張性を確認するのに、腕の伸展能を確認する時があります。

その場所に嵌る時、確かに手の伸展性は変わる。

な、馬鹿な!

と云う方が正しい。

おかしいと思って、メジャーで測る時変わった。と云う事を認めないといけない事を多く体感しています。

多分、確認しています。

科学のファンタジーと云うべきか、勘違いであった方が未だに嬉しい。

 

そう考えると、あり得るのだと考えないと行けない(のかも/だろう/と認めたくない)

(どこに立ち位置を置こうか・・・参った/考えたくない/避け続けようと決めていたのに)

 

3)モビライゼーション

このテクニックは整形外科のカイエリ博士が開発されたテクニックです。これを歯科のユニットで活用できないか

それが、もともとの出発点。

頚部固有感覚をコントロールして安静を提供したい。そんな動機でした。

 

口の反射には、筋反射と脳幹反射がある。考えてみれば、その反射が頸を伝って身体に走る神経の例えるなら電線が

ある訳です。と考えるのが自然です、ここまでは弱いとはいえ個人の頭で考えたイメージ像。

頸が詰まるという現症は肯定しています。だから、それに対応すべく牽引という手法が有効と思う訳です。ナンチャッテレベルでしょうが。

では、頸が縮まるとか沈むという場合は、正に牽引が有効でしょう。ナンチャッテレベルは認められない。

 

カイエリ先生の提唱される牽引の手法には、アッシは個人的には無理だと思っています。理論と実践論の差だと思っています。

だから、ナンチャッテ牽引で十分と思っていました。

 

4)回復出来る沈む?縮む?があったとしたら・・・

予感に対して、沈む(ここらはこの言葉に収束させます)現症を神様は提供してくださいました。何で、今日?

①計測した補綴物。セット後、何かピンポイントで痛く感じます。大丈夫のような気もしますが…

触診すると、確かに沈んでいる。

牽引して、当たる場所と、ピンポイントと云う何もしないで当たる、(アッシラが習うICP)場所を確認。

ピンポイントを取り除くと、頸が楽。

②計測して作成した補綴物。本日セット。

大丈夫と云えば、大丈夫だけど、高い訳では無いけど、少し当たるのかな…

触診すると、確かに沈んでいる。

牽引して、する前のICPの頸の関係との比較。

1か所強く当たる。落とす。

あっさりと、落ち着く。

 

③いわゆる歯牙接触癖で、痛むと急患ではいる。

歯がずきずき痛む。スリープスプリントで3日は持つ。が、痛み出て来られる。

牽引して、終わる。

痛み楽に無くなりました。

本当かよ・・・

何だ、この現症は。

④最終補綴物を入れて経過観察中。

痛みが出て来院。

元々、不定愁訴(ここに留めます)がおありで、落ちついていたから安心していたから。身体に来ていない分、まだ、

安心して良いのでしょうが・・・

 

頸を触る。沈んでいる。

ICPと、牽引して沈んだ頸を戻す当たる位置は違う。

戻して、当たる位置を沈まない位置にして、その瞬間、安定。

 

絶対にやばい。こういうときは、必ず、これがある方と出会う。(出会いたくないのですよ、本心です)

 

⑤牽引して呼吸が楽になる事を確認。

他二人。

 

何なんでしょう。この現症は・・・

 

5)こういうときは、必ずこの現症が向こうからやってくる。

今までもそうです。あっしには、そんな取り立てた能力は無い。唯、違和感を感じる瞬間が、もしかしたら

人より早い時がある。時だから毎回では無い。でも、この違和感の意味を適切なのか、ただしく対応しないと

必ず痛い目にあう。

 

この痛い目は、個人に戻れば”たまらない”

死にたくなるというべきか、死ねればいいなって思うほうが遥かに多い。毎日、思っているかもしれない。

死のうとはしませんが。

 

口の中の脳幹反射の持つ意味を納得するのは、今までの違和感を解決させる上でかけて来た時間より

遥かに短いかもしれない。

ただ、違和感を解決しなければ許さないと、誰かに指導されているように錯覚する時すらある。

 

経験者の独特な完成ですが・・・

 

”頸が沈む”この意味を多面に理解しなければどうにもならないでしょうか?

 

一つ分るのは、この頸が沈みぱっなしだとろくな事がない。

これを戻す手法は存在するのだろうか?

 

そして、それを開業医が考えるべきなのだろうか?

これが、ライセンス者の意味だとするなら、現状置かれている歯科の地位を見るとどうにも理不尽を

感じるのは、横柄な感覚なのだろうか?

 

とても考え込みます。ここに、共有など誰にも求める事は出来ないと、正直確信します。

ふ~。

 

とても、とても鬱積した叫びでした。

落ち切らない所で、おしまい。

 

 

投稿者: こすが歯科医院

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