じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2016.05.30更新

1)感情が
同調圧力という言葉がある。とみに、この国では、時にそいつが思わない方向に活躍するから厄介だそうだ。そうなのかもしれません。でも、本当にそうなのかなって思う時もあります。

では、同調意識を打ち破る方法は無いのかなって考える時もあります。それは、多分、正しい情報なり、知識を持つ時、判断は同調意識から離脱できるのではないかと思う時もあります。

で、判断をしがたい時、秩序に重きを置く価値観であれば同調という行動形態になるのかなって想像したりします。

分りませんが。

この同調意識に仕向けるコツは、情緒に委ねる事なのだろうなって考える事もあります。一々調べる事など出来ないでしょうし、影響力がある(と思われる)人や組織が云えば一端は受け入れるのが自然なのかもしれません。ヒステリックな情緒(と受け入れたくなる)のお陰で、情報の方を避けるようになった由縁かもしれません。そういう意味ではネットの発展は、アッシの場合情緒扇動を避ける上では大事だった気もします。

2)そういえば
アメリカの大統領が広島に来られました。是非については思う所もありますが、あの形も(いざ行うとなれば)一つの姿なのかなって(久方ぶりにテレビの)モニターを通しながら見ていました。
戦争の仕方にも国際ルールがある。一般市民は無差別に殺さない。このルール違反はどうであれ、ルール違反。でも、世界のトップと自負される国の方であれば、そう易々と認める事など出来る訳がない。あちらにはあちらの人々の意見もあるでしょうから、易々と落ち着く事は無いと思うのです。

でも、何かを始めなければ“ここで納めましょう”と云う形も出来る訳がない。そう個人としては思います。
でも、“納めましょう”が始まった限り、あるべき形が導かれて行く気もします。何百年後の世界かもしれませんが。その可能性の芽が生まれたと個人としては信じたく思います。それが、アメリカの凄さと云えるのかもしれません。分りませんが。

戦争学(こんな名称があるのか分りませんが)と社会の意識は必ず乖離するものだと思います。人間の気持ちと言い換えてもよいのかもしれません。

人の気持ちが科学と混合させる事例など多分にある。ガリレオの天動説・地動説の争いしかり。もしかしたら、STAP細胞の件もそうかもしれません。

だから、“ここで納めましょう”というスタートは、言い換えれば戦後レジウムの始まりと云い直せるのではないかとアッシは考えるようになっています。

3)社会の感情を
そうはいえ、社会の感情を高ぶらせたい(とアッシが思い込んでいる)左巻きの情報の方も変わらぬ活躍で、安心する次第です。
アジアの国々が相変わらず許していない中で、日米で納めるのは如何だという内容と理解しました。
歴史学で言えば、左巻きの方々の事大の儒教の国は、当時誕生していないし。儒教のシナも建国されていないし、条約の締結で全ての処理が終わったにもかかわらず、終わっていない事にしたい人の気持ちを優先されるようで、あんたの(既得権益を守りたい)生活が優先だろうとアッシの人間のふがいなさを寂しく思う次第です。

シナに対峙すべくアメリカの武器を購入する関係を構築されたベトナムもアジアの一員と思いますが、左巻きの人の気持ちではアジアの一員ではないようで。
シナは戦後、一番アジアの国では戦争を仕掛けていて、それも全てはアジアの国々で、侵略をしては植民地も作っていても、この行為は(アッシの中で思いこむ)左巻きの気持ちの中では認める必要なく。
海ではアジアの国々も、日本にも侵略を繰り返ししかけているにも拘らず、彼らの気持ちでは侵略される側は相変わらず加害者でなくてはならず、国内の島を平気で侵略しているお隣の国には、いついかなる時も謝罪をする事が大事らしく。
東南アジアの中ではシナ以外でシナのような戦争を他国間で仕掛けた国は無いにも関わらず、アジアは許していないそうです。気持ちで社会をコントロールしたいみたいで、どうにかならない物でしょうかね。

ナイィブな方々です。アジアは3カ国で全てと理解しないといけないようです。社会の感情を、上手く混合させる方々とは、アッシは相変わらず距離を開け続けたい。情報の方々の変わらぬ情緒には一線を置きたいと変わらず置きたいと、言葉にはされない折りヅルの意味を想像しながら(勝手に)思った次第です。難しいですね。

4)そういえば
咬合にまつわる患者と、話しながら思った事もありました。
歯の高さには垂直的な考え方と、水平的な考え方があるとお話しをしました。垂直的に高くするのではなく、水平的に歯牙の厚みを作る事で、高径が高くなる話をさせていただきました。

これでも、顎の傾斜性が確保される分、どうなんでしょう?

そんな所です。

科学と云う世界には、情緒が入り込む事は絶対にしてはいけないという立場を取っています。
感情ではなく、強いて感情的側面で表現するならば国益と云うか、公のものであるべきとそんな立場で強くいたいと併せて思います。何時かは既得権益に目覚めるかもしれません。その時は、左巻きの方々のナイィブな生き方が大事なのかもしれません。出来るか分りませんが。

計測で判断した事を報告させて頂きました。
さて、どうなるのでしょう。

学会のアクセプトは来ません。
やっぱり、難しいかな。
それも、人生。
仕方ない。

おしまい。

投稿者: こすが歯科医院

2016.05.17更新

1)ゴールが見えてきて

ゴールが見えてくる時、やはり嬉しい物です。あ、これ臨床の話。

 

リエゾンと云う治療形態の考え方があります。治療コンセプトとしては最高の考えと、個人のアッシは評価しています。

さて、その状況と結果は別なのでしょうが、リエゾンと云う考えは好きです。

 

この治療形態がどのように機能しているのか、評価する側にいる訳でないので何も言えません。

 

この形態を知った時、”これだ!”って、思った事は事実です。今から5年ぐらい前でしょうか?

でも、少なくともこの患者の治療経験を聞くと、評価は難しいと思った寂しい経験を持っています。

 

結局、歯科で起きた問題は歯科で解決する以外は無いと、試行錯誤を覚悟しながら治療を引き受けた記憶があります。

その当時のアッシのレベルと比較すると、考えてみれば雲泥の差と振り返ると思えるから不思議なものです。

個人の所感はこれぐらいにして。

 

身体に痛みがありました。

眠れませんでした。

口の中がおかしくて仕方ないと訴えていました。

 

ま、それ以外に色々とあるのですが、ま、個人の気ままな世界。この程度にして。

 

途中で断薬に至り、お医者の先生の力は途中で卒業し。

あ、言葉を補足します。

 

別の1次医療機関の歯科と1次医療機関の心療内科でリエゾンをおやりになられ、歯科の部分が

アッシに変わった訳です。

人生色々とある訳です。

 

薬は通院が始まって、2年ぐらいで心療内科の通院はと患者判断で終了。正確にいえば、断薬はその半年前に

完全に終了していたのですが。

 

2)断薬に至った時に

断薬に至った時、1次医療機関のお医者先生が論文をお出しになられないのかなって、勝手に期待しました。

リエゾンの世界観で、アッシの知る限り重症化した患者(この場合、薬抜きではどうにもならなくなった状態)の

の断薬は、中々難しいようです。

その仄かな報告が世に何かを(世間を変えるなどと云う大それたものでないです)紹介しないかなって期待したのです。

 

アッシの感覚では、口にその本質がある限り、その道の専門家が取り組まなければどうにもならない。

その一時しのぎの泊まり木が、このコンセプトと云う位置づけです。

 

この専門家が歯科にいるのかいないのか、あからさまに曝け出される時、何かが始まると期待したのでしょう。

 

開業医ですから、その道の専門家であろうと考えた事は無いです。実は。

唯、目の前の患者を何とかしたいという…何でしょう。青臭さになるのでしょうか?

 

その青臭さか、泥臭さが、対峙しようと決めた動機であったように思います。

もう一つは、この方の家族が元々、当院の患者でその紹介があって、断りにくかったという側面も

ありましたが。

 

後者のエネルギーの方が多分だった気がしていますが。

確実に言える事は、もし家族の紹介がなければ当時のアッシは、断ったでしょう。(多分)

 

変な経験をこの家族の方の治療でしてしまった事も理由になったのでしょうが。

 

難しい咬合状態を、簡単に(アッシ的には評価は違いますが)治したと思われてしまった事も

裏腹にあるようですが…

 

①ライセンス者の端くれとして、困っている人を助けたい

②開業医だから、無理はしてはいけない。

(皆に迷惑がかかる)

 

この分岐点に立った訳です。

 

3)分岐点は本当に分岐点なのか

当院ではインプラントは扱っていません。

いえ、正確にいえば、インプラントのオペはしていません。

オペは、別の医療機関にお願いしています。

 

何故か?

 

アッシが行うより確実な方が医療として適切と思うから。

 

では、咬合は?そして、咬合と身体との関係は?

この基準を含めた時、適切な処置を行える機関があるのか?

 

ここにもしかしたら課題が存在するのかもしれません。

矛盾点かもしれません。

 

この方が、一次医療機関を3か所渡り歩く既往歴がなければ、この課題など無視して一般論に終始出来たのかもしれません。

 

アッシは馬鹿だからロマンを求めて(多分ね)咬合を知りたくなって、身体との兼ね合いを後からどんどん知って行く。

だって、大学教育で知らされていませんもの。もしかしたら、今は違うのかもしれませんが。

 

上手くはいえませんが、矛盾点がある時、2極で分けて考えるべきではないと考えるように

なります。そのように捉えるようになるのは、いつの頃か分りませんが。

 

矛盾があり、どうにもならないと考えた時、良心に帰る以外ないと考えたのでしょう。

その時、選んだのは青臭さだったのでしょう。

 

そんな事を思います。

 

40代で選ぶ青臭さは、草臥れた自分には相当、重かった気がしますが…

 

4)飛び込む事で

でも、飛び込む事で見えた何かもあるから不思議なものです。

その何かが、多分、アッシが知りたかったそのものなのかもしれません。

 

不思議なものです。

 

そんな話も、そのうちに

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2016.05.13更新

1)色々とあるようで
様々な事情と云う色があるようで、どうやらそれぞれの性格を受け入れていくしかないのかなって思う今日この頃です。
この東京の知事は、アッシからみるとあたかも皇帝様のように放蕩三昧を当たり前の如く必死に働いて宜しく頼みますと納めた税金を楽しく使われてくれているようです。
言い分を聞けば、“そうなのかな~”って、受け入れるしかないのでしょうかね。

隙間を見つけるのか、どうすれば日本人をダメな子に出来るかその証明を生きがいにされておられるのだろうなって認めざるを得ない情報の方々は、立派に押し紙という手法での粉飾をされておられるようです。
素知らぬ顔を見るにつけ“そういうものだろうな~”って、受け入れるしかないのでしょうかね。
ダメな子論者の彼らにすれば、それでも天の声として受け入れる事を求められておられるのでしょうか?

ラップする戦争が目前だ・独裁主義の社会だと張り切られている集団に迎合されたいのか18歳に被選挙権をと、張り切られる恣意的方々や、名前も公約も募集された政治の方々を見るにつけ、“そうですね~”と受け入れないといけないのでしょうかね。
18歳の当時のアッシを思い出しても、責務を果たせる力などあると思えないのですが、青臭い現実を知らぬ理想で愚衆政治を体感しましょうという招待状なのでしょうか?

著名な学者先生は“国民怒りの声”という政治の仕事に関わられるようです。侵略行為を延々とされる行為のシナに怒れる声を届けるのではなく、憲法では保障されていない侵略から守ろうとする行為は、いつしか自説をつぶされたと、変換され怒れる側に立てとあおられるのでしょうかね?“そうですね~”と、受け入れないといけないのでしょうか?

2)そもそも受け入れるとは何なのだろう?
生まれた時代と社会が悪ければ、個人の努力など関係ない。今、仮にシリアやイラク、アフガニスタンとかで生まれその民として生きているなら、楽観に生きる事も、夢を持って生きる事も出来ないと捉えます。

そもそも国が崩壊状態だから、その崩壊に巻き込まれるしかない。時代が混乱と暴力にあふれている時に為す術などある筈がない。
命を維持するのに必死な時、社会を省みる余裕など持てる訳がない。そこに自己責任と云う言葉が入り込む余地などあるとは到底、思えません。分かりませんが、逆に生きる事に必死な時、社会を見渡す力は育まれるのかもしれません。
人の人生など個人の努力よりも社会の動きに左右されると表現する方が正確な気がします。

アッシは門外漢ですから間違っているのかもしれませんが、世界的に“何か”が変わろうとするとき、社会に襲い掛かるかもしれない“何か”から備えをするのは当然なのかなって思います。『社会が壊れる』という表現が正しいのか分かりませんが、“何か”によって襲われる如く、その時が差し迫っているとします。あまりに襲われる事からかけ離れている社会とすれば、その備え事態ですら社会が変わると受け止める人がいるのだなって思い始めてもいます。

人生で大事な要素に、どんな職種に就けるかという事実に変わりようはないのかもしれません。社会が変わらなければ、これまでの価値観のように『自分のせい』と受け入れることは当然なのかもしれません。

でも、社会は当に変わっているという捉え方の方がアッシには受け入れやすいです。バブル時代然り、グローバル化時代然り。こんな時代表現のどこに、個人の努力が凌駕する力になりうるのだろうと思うのです。大企業であったスリーダイヤモンドが吸収される時代です。

『自分のせい』という言葉が入り込む余地などないと思うのです。

“時代が悪い”という言葉に置き換えてもよいと思うようになっています。

“時代が悪い”という言葉に対して、アッシには受け入れがたいと思う人々の主張には、“安部政治が悪い”と言葉に置き換えた扇動を用意している気分にこの頃はなっています。
<自己責任>という美徳感の根底にある「自分のせい」という価値観の前では、“時代が悪い”という言葉は、簡単に打ち消されます。

この打ち消された瞬間、ムジナの如く出てくる甘いささやきや行動には、とても危険な匂いを感じてなりません。
地に足をつける余裕があるうちは、“何か”に対して真剣に考えることを要求されるのかなって彼らを観察するにつれ考えるようになっています。

3)人生の時期も色々の筈だから
歴史を知る事を憎む情報の方もおられるからややこしいし、事実よりも思い込みたい思想観から判断を導こうとされる政治の方がおられるから、中々否定する勇気が出てこない。こんな前提の弱い話ですが、不勉強のアッシでも、歴史を眺めるとよい時期もあれば・悪い時期もあることを感じます。

弱い人間であればあるほど、誰かのせいに出来る責任転換の快感は眩しいものです。でも、快感を味わった後は、惨めな苦いものだけが残ります。アッシの場合、特にそうです。“時代が悪い”という事実と、自分に来る責任はまた違うのでしょう。客観と主観という差になるのでしょうか?

時に、この主観と感じる責任の根源はどこから来るのだろうと考えるのです。きっと、公の精神なのだろうとようやく、理解できるようになってきました。
いつまでこの精神を保てるか分かりませんが…

“時代が悪い”という事実を受け止めれば、“社会が悪くなる”も道理のような気がします。そんな時に、「自分のせい」という価値観に全てを縛られても仕方ないと思っています。この価値観を利用する蝕む要素や要因は、とことん排除すべきと考えます。

むしろ、今、アッシが出来ることを背一杯。公の精神に置く事なのだろうと思うようになっています。
何か”が用意している社会への価値観は奪い合いと予測しています。奪い合っても、足りることはないと思います。
金目に満足できないから、ますます放蕩をされる。
事実を伝える事で、考える事を尊重するより、センセーショナルな批判で売り上げを増やす行為の行き着いた先。
自己責任という価値観を利用した見返り方策。
地位を守るためだけの自己保身。

そんな風に、ひねくれたアッシには感じてなりません。

情けは人の為ならずの精神にしか、“何か”が用意している奪い合いの価値観と対峙する方法はないように思うようになっています。
分かち合えば、奪い合えば足りないものも、余るという状態にするのでは?そう考えるようになっています。

くどいですが、奪い合いしか求めない価値観に縛られた方々とはとにかく距離を開けるしかないと思っています。

シリコンを「どっかに置かれて」よく眠れました。と、微笑んでくれた患者との会話から思った事でした。線維筋痛症でした。

でも、調子こけません。
「眠れません」そんな連絡が来る。別の方です。

こんな時間で生きています。

また、考える以外なさそうです。

まだ考える力(相当草臥れていますが)が残っているようですから、考えます。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2016.05.10更新

計測は本当に難しいと本当に思います。

こんな計測一つで身体の変に起きる反射自体に挑む訳です。

この際、、正直、色々な想いが胸中に走る。

だから何という訳でもなく、唯、淡々と行うという事は変わらない。

 

今日も計測。

 

計測をしない日があればどれだけ業務が楽かと思います。

 

気が付けば毎日、計測をしている。

いつの日か、あっさりと終わる日を願うだけです。

 

参ったな。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2016.05.02更新

実は、個人としては何年かぶりのゴールデンウィークって期間を味わっていま。ありがたい事です。

来年もこんな時間を頂戴できるか分らないから、個人としては謳歌したく思っています。何故か、引きこもりを選んだ生活でしたから、いつまた引きこもりに戻るかと思うと結構、不安はつきもののようです。アッシの場合。

さて、とはいえ時は経ちます。その中でも生きていかなければならないというのが間違ないなく“生”を頂戴した側の責務。どうにか、責務は果たしていきたいものです。

ふと、ニュースを見れば台湾のトップの方は、シナが利用したいだけされている国連といえども島と認められている沖ノ島を岩と、新しい魑魅魍魎の課題を渡されて引き継がれるようです。
その魑魅魍魎の親玉のシナの外交の方は、4つの課題を突き付けて日本を去ります。

①歴史を反省して「1つの中国」政策を支持せよ。
②中国脅威論や中国経済衰退論をまき散らすな。
③経済面で中国を対等に扱え。
④国際・地域協力で中国への対抗心を捨てろ。

何を言われたいのか正直分りませんでした。
①1つの中国の政策をお止めになれば、実は展開が変わる気がしてなりません。
②無理をしないで、等身大に戻られて欲しく思います。そうすれば軍事的脅威も、経済混乱も周りに迷惑をかけないで済むと思いますがね。
③自己都合の為の買収を止めれば済む話と思うのですがね。買収をして、自分の都合をごり押ししようとするから、嫌われるだけと思うのですがね。
④国際膨張政策を止めればすむだけでしょ。

そんな事を、妙に思ってしまいました。情報の方々の解説は正直難しすぎて、アッシにはイマイチ分りませんでした。
問題の本質はシナ側にあるのに、何で巻き込まれる側が配慮するのか、多分、そんな所が理解できない理由なのでしょうが。

そういえば、私達のリーダーの第1期政権時代、葬式代を出すのが社是と張り切られていた?日本駄目な子論者の猛者がシナで亡くなられました。

世の中には分らないことだらけです。

来年、連休が取れればとても嬉しいのでしょう。でも、今までの経験が期待する力を脅かすようです。
「さてさて」です。

そういえば、『個人で出来る活動としての症例報告』受理はされましたが、学会に発表できるかは5月下旬まで待たないといけないルール上の判断を待たねばなりません。

「さてさて」です。

何かが起これば、それに対して考えなければいけないのでしょうし。何かが起きないよう考えなければならないのでしょうし。生きるという活動は中々、大変です。
そんな中、密やかに休みながら考えられる時間は、結構嬉しいという本音でした。

おしまい

 

投稿者: こすが歯科医院

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