じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2014.07.30更新

■2014/07/31 病名が垣根を作るのか、壁が垣根を作るのか?ところで、壁って?
現症病名を主体とする病気は、色々と厄介な気がします。

今のガイドラインとは、一線を引いて書いているという事を踏まえて、あくまでも読み元と言う位置付けで流して頂くと良いのかもしれません。

単純化させて顎が痛い→顎関節症
顎が痛くて、頸が痛い→昔なら、顎関節症。今は、顎関節症と、他の病気

顎も痛くて、頸も痛くて、肩が…→いわゆる顎関節症、昔なら。今は、顎関節症とは言い難い。で、他の病気、

顎の痛くて、頸も痛くて、肩も背中も、と、四肢に落ちていくと→顎関節症でも、いわゆる顎関節症でもなく、他の病気

今は、いわゆる顎関節症と言う考えは、改訂されたガイドラインでは消された模様。

ま、それは、物事の道理を決める偉い人達が、物の道理の為、考えられて作成されるものなので、一本の草の立場のあたしが、コメントするものでもないし、するべきでないと。それが、あたしの立場。

でも出来る事があるなら、やる以外ないのかなっていうのが、もう一つのスタンス。上手くは言えませんが。自由主義に生きさせて頂いている側の責任?(こんな重い言葉では無いと思います)と言うか、拘りたいなら拘ってもいいよというのが、この主義の良さなのでしょうか?

物ごtの本質と言うか、本題というのは、単純化していけば1本の表現に出来ない物かと考える訳です。

無論、言葉にん乗せる上では、単純化出来るとしても、実際は、複雑な回路図と言うか計算式と言うかそんなものが添えられると思うのですが…

でも、実際はというか、実社会はそう簡単には行かない。

中々な物です。

今回は、こんな所で。

おっしまい。

 

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.30更新

■2014/07/30 そう言えば
そう言えば、もうすぐあたし個人としては、最後と言う位置付けをしている論文の修正稿のチェックがあります。

開業医ですし、大学から、凄い距離が開いた側に立っていますので、普通なら添削などして頂けません。

縁あり、協力を頂戴しています。いえ、正確に言えば、指導を受けています。
冷静に振り返っても恐れ多く、ありがたい事です。

唯、テーマも、内容も自分で決めて、それが、妥当か?適切か?そんな事を客観的に確認して頂きながら、伝えたいテーマに対して、ボケているとか、弱いとか、そんな感じの指導を受けるという所でしょうか…

難しいですね。表現するって。

ま、内容に関しては、学会発表が終わった時、何かを書きたいと思う衝動が自分に湧きあがれば、紹介したく思います。。で、どんな評価を受けるかでしょうが、個人としては今の所、あまり気にしていません。ポスターだかららと言う訳でもなく、あたしにとり大事に思うところが、評価ではないせいでしょうか?

草という意識でしかありませんから、草に評価など不自然だと思います。路傍の石という存在で開業医はあるべきだ。(←あ、これ、対あたしに対して)という思いが、強いせいかもしれません。

唯、自由に思う表現を、批評頂けると言う事は、骨身にしみてありが対と思う次第です。そんなトレーニングなど、大学卒業して以来、縁遠く、何もありません。

本当に、怖い物知らずになる所でした。指導頂ける事に感謝という思い以外ないというのが、自然な感情です。

ま、どんな評価を受けるか…
!だと、凄くうれしいでしょう。
?だと、こんな程度か、あたしの能力は…

そんな感じなのでしょうか?
ワクワクすると言う感覚は、年を取ったせいか、あるいは、日々の出来ごとが、小さな人間にとり消耗が激しいせいか、遠くに置いて来た感覚のようです。

不思議な物です。

ワクワク出来ないなんて、蒼い頃のあたしには許せない感覚。今は、そいつにノスタルジーを感じつつも、向こうに置く方が妥当と言う感覚。

何なのでしょう。この感じ方の差は?

草であるべきとか、路傍の石じゃん!開業なんて。そんな意識の延長のせいでしょうか?(←これ、あたしの価値観)
多分、一部は正解でしょうが、一部は違うのかもしれません。

立場が人を作ると言う言葉があります。きっと、そうなのだと思います。

でも、この言葉には、アホなのでしょうか?二つの解釈が存在している気がします。

立場を守ろうとして執着する行動。時に、周りに迷惑と言うか負の感覚を与える事を厭わない。

立場の意味に、畏怖の念を抱き、畏敬を知ろうとするとでも言えば良いのでしょうか?畏敬な人間になろうとするとは違う気がします。それを謙虚と言うのならば、そうなのでしょう。でも、アホで調子者の分、そんな難しい行動をとれる訳がありません。

で、あたしは後者の姿の方が、妙に会う気がします。執着する事で、発展性が生まれるのかなっとか、生産性はどうなのだろうって思えてならんのです。

立場を守ると言う事が、時に、ややこしく物事を進める気がしてなりません。

上手く言えませんが。

侵略し続ける正当性の為に、日本を非難するアジアもあります。それに、呼応するようにナショナリズムをあおる。結果としてに見える表現体が、集団的自衛権反対という左巻きの面々のように思えてなりません。

侮辱をしてでも、日本を貶め入れて都合の良い様に不満を発散させてあわよくば、集ろうと見えるアジアもあるようです。それに呼応するように、性奴隷を敬えと、歴史認識と言う言葉に置き換え無い物をあるとけしかける日本ダメな子、悪い子信奉者もおられます。

この運動の反発は余計、立場を守ろうとナショナリズムに向ける気がしてなりません。立場を作ると言うのは、変な表現かもしれませんが、安心を併せて持てると言う力があるお陰なのかもしれません。

世界中、分かりませんが、立場を守る所だけに執着されているのか、呼応が呼応を呼び、より過激にナショナリズムが導かれている気がしてなりません。

少し、深呼吸をされて癒すと言うのか癒えると言うのか、立場を違った所に置いて行かなければ、暗い感情の連鎖と、負の破壊を伴う連鎖というのでしょうか、穏やかでない気がします。

併せて、そんな展開が始まると、穏やか戻るには、どうしても大変な時間がかかるのではと、妙な胸騒ぎみたいな嫌な感覚を覚えます。

ですから、呼応には近づかない事、それ以外、あたしには出来そうにありません。如何でしょうか?

唯、嘘は嫌いです。

で、”らしく”とか、”公”性に立ち位置を置かないと行けないのかなって妙に思います。

生きるって、本当に難しいですね。

おしまい。

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.30更新

■2014/07/29 あおり過ぎる表現になりそうだから…
さて、いつの間にか長く、らしくなく、だらだらか?ツラツラ?か、、書き続けてしまいました。

読み苦しい所も多々あるかと思います。どうか、ご容赦ください。

そして、読んで頂いている方がいらしたなら、感謝します。

でも、この話、一端ここで終えたく思います。

何かを伝えたいとしても、あおる事が大事なのではないと思うのです。
一臨床医でしかありません。
社会的にも、まず、無名な草だと思っています。
開業医ですから、唯、そこに、そう路傍の石の如くあるだけの存在と思っています。

だから、草のような物だと思うのです。臨床医ですから臨床に嘘を嘘をつけば、草は枯れるでしょう。臨床医ですから、まっすぐに生えようとしても、草故に、曲がって生えるのかなって、思うようにしています。

でも、臨床医であり続けないと行けないのだろうと思うのです。それ以上もそれ以下も出来ないと思っています。

そんな程度の人です。

だから、書き続ける事は無意味でないかもしれませんが、あおるが如く書き続けても意味がないのではと思うのです。

上手く言えませんが、歴史認識をと談合の如く押し付ける暴力はあたしは、とても怖いと思います。事実が違えば違うほど、反発力も大きくなります。その反発が大きくなればなるほど、愉快ではなく、多分、憎しみや恨みと言う心を育むような気がします。分かりません。

当り前の権利を、さも、今後の未来を変えると恐怖を与えれば与えるほど、実は、恐怖の対象が、いつしか憎しみの対象に変わる事を意味する気がしてなりません。集団的自衛権と言う言葉を、一人歩きさせ恐怖の言葉に転換させようとしている行為などは、その一例のようにも思われます。

出来ているとは到底思えませんし、出来るように心がけたいと思う森羅万象の心はきっと、医療と言う現場では求められるのかなって、手前がってながらに思います。

唯、渇きや憎しみや、恐怖を対象にしながら、それを隠しそれが、正義なように持っていく展開は、個人のあたしは疲れます。というか、あまり受け入れたくないと思います。

国の中の問題は、国の中で解決していくしかないと思います。首都の都知事が、外交に関係ないのにナーバスな時期に行動するものでもなく、私達の国を侮辱して国を纏め、隙あらば、侵略をしちゃおうというノリに歩みを近づけるものでもない気がします。分かりません。

そういう事をすればするほど、もしかしたら、どちらも引くに引けない、感情のループに、別名ナショナリズムに陥る気がしてなりません。

愛国心と、ナショナリズムはきっと違うと思うのです。

良く分かりませんが、深呼吸をして世界のニュースを見ると、あちらこちらにナショナリズムの炎が噴出しているように思えてなりません。その炎が大きければ大きいほど、癒える時間は、相当だろうなと寂しくなります。

どう火の粉が飛んでこないようにしながら、癒すと言うか癒える方法を作るか、これが、間違うと、本当にあって欲しくない戦火と言う景色が目の前に現れるかもしれません。

侮辱のアジアや侵略のアジアと、皮肉っていますが、彼らの憎しみに付き合う気が無い事。その負の連鎖にお付き合いする結果、自らをナショナリズムと言う立場に置く事で得る安心感?から距離を開けていたいと思iいがあります。

自由ではなく、不自由に身を置く事を求める日本ダメな子悪い子のエネルギーからやはり、一線を置きたいと思うのもこんな所が理由なのかもしれません。

反発は、愛国心ではなくナショナリズムと言う正義を招く事になる気がしてなりません。
あおられる事に付き合うのではなく、あおられるならば無視をする事が大事なのかと思う今日この頃です。

お付き合いする事で生まれるヒートのあおり合戦は、傷を新たに作り時間が乗り越えさせるまで、長い時間を要す気がしてなりません。それは、とても悲しい事のようにあたしは思います。

憎しみを日本に向ける侮辱のアジアや、侵略のアジアはどれだけの数の傷つく人を誤魔化す手法に利用しているのだろうと、残念な感じです。

そして、それをあおるが如くお付き合いする左巻きの渦には、正直、ヘキヘキしているのか残念でなりません。

と言う価値観のせいか、顎位とか、咬合とかそんな話は一端、ここでおしまいにしたく思うのです。

恐怖で、患者を集めたいとか、メリットとか、演出された説明会?とかで患者を公募するという生き方とは一線を置く事が大事な気がするのです。草という、路傍の石のあり方ではないかと思うのです。そんな感じです。

長くなりました。

今回は、これぐらいで。
おしまい。

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.30更新

■2014/07/28 咬合tと顎位を同時に?
前々回の整理

左上糸きり歯 沁みる
左下腫れる
右側 何か痛い 特に前歯の方

そんな方とお会いします。
全身症状と言う事になると、、腰が…肩が…頸が…

で、通院が…

さて、お引き受けするかどうかは別に、こんな事をして見ます。

可逆的に(元に戻る事が前提)、一種の体験をして頂きました。

そんな事あるのかい?嘘!でも良いでしょうし、面白い世界があるでも、それは読まれる方の自由かと思います。

少しだけ、高径を高くさせて頂きました。

少し具体的に書くと左上糸切り歯、沁みると言う当たり、何故か、摩耗が激しく、この摩耗を、そう例えるなら、紙一枚分摩耗の激しい部分にスペースを作ります。

左下、ここにも紙一枚分の厚みを増した経験をして頂きます。

右前歯、風をかけると沁みると言う反応が消えます。
腫れる感覚が引くような力の分散を感じます。
左前歯沁みル感覚は消失します。

同時に身体も軽いとおっしゃる訳です。

顎位が先か咬合が先か?

こんな話を長々とシリーズのように書いてきました。
始めは、顎位の色々な考えの整理をして見たく思いながら、書いていましたが、どうやら気が変わったようです。

個人の、あくまでも読み物の世界ですので、ご容赦頂きたいのです。また、その紹介は気が向いた時にでも。

続けます。

定義が顎位→上下顎の相対的位置関係
と言うなれば、歯を1本でも削ると、実は顎位は変わるのではないかと言うのが、あたしの思う所です。

咬合の定義が、上下の歯牙の相対的位置関係と言ういう以上、何らかの処置を歯に施せば、咬合は変わると言うのが、あたしの捉え方です。

こんな捉え方をするようになると、顎がずれると言う現症が一次的なのか?二次的なのか?やはり、悩むようになるのです。

臨床とは、難しいと思います。

既に分かっている理屈と、自然科学が故に、まだ、総意が出来ていない物、必ず分けられてしまうのだと思うのです。

分からないから関係ない、あるはず無いと言う捉え方もあれば、分からないから、あるのかもしれないと言う捉え方では、その距離は永遠に交わる事は無いと思います。

更に言えば、生理学と言う学問を介せば、納得できる現象(症)も、総意が無ければ、個人の思い込みとなるのかもしれません。

更に、詳細は故あって、記載しませんが、身体の調子を整える作用に、顎位なのか、咬合なのか、あるいは、単体か複合かは、別にさせて頂いて、そんな秘密が口にもあるとすれば、とても大変な事だと思います。そして、とても大事な事だと思うのです。

もしかしたr、医科の先生方からすれば歯科が、ごめんなさい。言葉を選べません。乱暴な表現かもしれません。犯される事を意味するのかもしれません。

歯科の近代史など、明治維新の8年前です。もっと言えば、歯科が飛躍的に伸びるのは、国内を例にすれば、戦後日が経ってからになります。あたしは、その様に認識します。

今では当たり前のチュイ―ンというタービンが生まれるのは、あるいは、普及するのは国内だと戦後。
銀歯は…と思われるかもしれませんが、安定的な普遍な技術体系が生まれるのは、60年代。

そう考えれば、全身と口の関係も、口と全身の関係も、もしかしたら不明なところだらけなのかもしれません、こんな話も、研究が進む結果、例えば、20年後なら笑い話になっているのかもしれません。いえ、5年後かもしれません。逆に100年後なのかもしれません。

さて、そうこういいながら臨床は生き物です。時間の経過と共に例えるなら変化します。
そして、仮に全身と口が関係あると言う事をお医者先生の立場で肯定して頂くならば、あるいは、口と全身は関係あると歯科医が主張したいのなら、もしかしたら、同じ空間で共に検証できると良いのかもしれませんね。

あっ!臨床ですから、同じ空間で一人の患者の疾患と対峙する事が出来ると良いのかもしれませんね。そんな事を夢見たりします。

さて、どうなのでしょう?

おしまい。

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.28更新

■2014/07/27 歯ぎしりでどうやら顎位が…
先の話を一端、止めて。
同じ日、同じ時間には、こんな展開に出会います。

簡単な既往歴。ま、いわゆる、歯科で体験された歴史ですかね?お引き受けするか分かりませんが、ご紹介いただいた方の歴史です。

どっかの歯科でクラウンを入れてから、歯ぎしりが著名になる。この頃は、前歯が突出してきた感じで…

で、現症は、心の担当(こんな表現に居たく思います)のクリニックで、睡眠障害に対して、こう鬱の症状に対して、とお薬で対応している模様。

その間に、頭痛に襲われるようになり、身体は疲れるようになり…

仕事は休みがちになり…

今度は帰りの電車で意識はあるのだけど、立てなくなりと言うか、動けなくなり…

ま、隣接医学の知識程度でも、診断権は無い物の言うなら、パニック障害的な現象を経験された。

パニック障害とは、wikipediaによれば、心の病ではなく脳機能障害として扱われる様になっているようですね。
で、1992年WHOも、正式病名として認知されたようですね。

さて、この方、医科に於いては、全てを調べる物の異常なしと診断される。

脳機能障害と言う際、では、口は脳神経とは一切関わり合いがないのかなって?たびたび、思う事があります。

身体と歯は関係ない派に於いては、脳神経に所属する神経が走っていても関係ないのでしょう。じゃあ、その根拠は?

身体と派が関係ある派にとっては、走っているという事実関係は確かだが、その関連性は?

そんな所ですかね?

性奴隷談合と似た構図を個人としては、感じてなりません。ま、何があっても性奴隷談合は都市伝説として医科し続けないと調子悪いのが、日本悪い子ダメな子信望者の宗教の事例として外せないのでしょうが…

困ったら、侵略のアジアか侮辱のアジアに巡礼の旅と。
頭を垂れる稲穂の芝居を学びに瑞穂の国から旅立たれるも、辻切りの気合いを注入に行かれるも良いのでしょうが、白々しいと思える分白けてた感覚は、どうにもならないようです。

話を戻します。

そう言えば、昔、顎位が先か咬合が先か、併せて行うが良いのか、禅問答と言うのか、平すら自問自答の時があります。
今は?

基本はこうだけど、人用に応じてで良いんじゃない!なんて、スタンスと言うか、自然体に立てるようになったと言うのが、適当な表現になるのでしょうか?

ジャイロスコープって言うのでしたっけ?

この言うなれば、感覚が狂う時、顎位は猛威をふるうように思われてなりません。

この方の場合、顎位のコントロールから始めようと思ったと言う取りとめない話でした。

で、先の話に戻りたく思うのです。
おしまい、

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.27更新

■2014/07/26 そう言えば、顎位と咬合?なのか、
そう言えば、顎位と咬合と言う臨床で、面白いなって言う経験をします。

ま、簡易に紹介したく思います。

咬合が先か、顎位が先か?そんな感じの話をしているのかなって思います。そういえば、こんな経験をします。仕事としてお引き受けするのかは、分かりません。

唯、顎位が先か咬合が先かという所が、もしかしたらあたしらの歯科界は、まだ、発展途上な所のかもしれません。難しいですね。

医学と言うジャンルに歯科学も含まれているのでしょう。その際、顎位と咬合と言う物が、更なる飛翔が来る時があればと思う立場にいます。

さて、本題、

左上糸きり歯 沁みる
左下腫れる
右側 何か痛い 特に前歯の方

こんな所で、次回また触れたく思います。

今回は中とですが、ここまで。
おしまい。

 

 

 

 

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.24更新

■2014/07/24 顎位と咬合は分離して考えるべきなのか
顎位の定義は、上下顎の相対的位置関係
咬合の定義は、上下歯牙の相対的位置関係

こんな感じの表現で括る事が出来るようです。

顎位がずれるという事象について考えてみたく思うのです。何を持って顎位がずれると定義するかは、難しい所ですが。

さて、この場合、顎位はずれるものだと言う捉え方と、顎位がずれる原因があるのだと言う捉え方の二つがあるのではないかと思うのです。

言葉遊びです。
昔のあたしは、顎位がずれるから咬合がずれるという捉え方なのだろうかと考えていた時期もあります。でも、結論を言えばすっきりしませんでしたが…

顎位を何らかの手法で変えると、確かに身体にある種の反射を起こします。
顎位反射と、姿勢起立反射の調和性が取れるからと、生理学用語を用いるならば、そのように理解していますが…

ま、口と歯と、身体は関係ないと捉えられる派の人々にとっては、生理学は縁遠い学問のようですから、顎位反射などは遠い世界なのかもしれません。となれば、当然姿勢反射も関係ないのだろうなって想像したりします。

どうなのでしょう?

ま、生理学の話はこれぐらいにして。話を元に戻して行きます。
すると、鶏が先か、卵が先かの議論に戻るようですが、現症についての捉え方が変わる気がして来ます。

難しい所です。

咬合感作が起きるから、顎位まで波及するのか?
顎位がおかしいから、咬合感作が起きるのか?

前者の表現として、時に、いわゆる顎関節症まで波及するのか?

顎位がおかしいから顎関節症に波及するのか?

前者の表現の結果、+++が起きるのか?
顎位がおかしいから。+++が起きるのか?

前者の場合、きっと、治療法は咬合を主体に組み立てていく必要性が出てくるでしょうし、後者の場合、顎のずれを治して、必要なら咬合にと言う発想になっていくでしょうし…

臨床は難しいと思います。

そして、この卵と鶏談義の収束を迎えない限り、中々、あるべきガイドラインは誕生しないのではと、個人の主観は訴えます。

本当に難しい問題です。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.23更新

■2014/07/23 例えば、顎位と咬合と主訴と
少しだけ、毛色を変えて話を進めたく思います。
別に、あたしの知識をひけらかしたく書いている物でもありません。

ま、何かの役に立てばって言う感じです。

さて、そう言えばこんな主訴を訴える患者が来院しました。お仕事としてお受けするかそれは、分かりません。開業医なんて、そんなものだと認識しています。

唯、属性が医療の人であって、職種として歯医者を生業にしているだけの草臥れた中年のおっさんです。

ざっくりと。文字の表現ですので、読み物程度で。

右側から腐敗臭がする。歯肉が腫れると言う自覚
左側が痛い。
右糸切り歯が沁みる。

全身症状
腰が痛む。
右腕が右肩が痛む。
医科の専門クリにンく(?こんな表現なのでしょうか?)に通院中。

で、右側の頸筋、右肩がと言う所、腐敗臭と言う言葉、医科の事を推察します。
咬合が気持ち良く(ここではこういう表現を使います)噛めると、生体は、歯肉縁まで血流循環をあるべき量保つ次第です。この研究は、戦争に負けて、3年もしない内に日本人の研究によって導かれています。

認められている自衛する権利を、これからは堅持しますと言えば、徴兵制の復活と社会に、デマゴーグする人とは大違いと皮肉をこめますが、この発見をを思い出す際何故か被るから不思議。

戦争をしないと、侵略させないは別だけど、話し合えば解決するというお気楽トンボだけでは、臨床のみならずどんな時でも通用するとは限らないと思いますが…これ、あたしの考え。

話を戻します。

で、右の歯肉が腫れると言う現症に置いての状況。根っこの治療が既に終わっており、クラインと言う状況。

腫れる場合、感染と言う可能性。
感染源において、根っこの治療の不備の可能性。
補綴の不備の可能性

歯肉には炎症所見も無く、咬合異常でも腫れる場合もあり。

さて、どう考えるか?

右上の糸切り歯は過剰に摩耗しており、
右頚部~肩周囲にかけて、硬結。いわゆる痛みを感じるトリガー

ちょっとだけ、仮想で歯の高さを腫れると言う奥歯と、糸切り歯に高さを渡す。

すると、頸から肩、腕の痛みが引く。

左側の内側に入っている歯を仮想で、外側に入る疑似感覚を与えてみる。

腰が入る。

さて、どう説明をしていきましょうか?

ま、現象としては、ナンチャッテかもしれませんが咬合状態が変化し、結果、顎位が変わり、身体が変わった。

反射系と言う表現で記すなら、咬合感作の性質を利用して咬合関係を変え、結果、顎位反射が起こり、頚部反射から姿勢反射お調和がとれるようになった。と表現すれば良いのでしょうか?

臨床のあたしらの仕事は大工作業が基本ですが、何気に考える事も多いようです。

タイムリーな例だったので、思わず紹介してみました。

顎位がずれているから、顎位を治す事が大事なのか?
何かの原因で顎位が崩れたのだKら、その原因を対処しながら顎位の調和を取り戻す事が大事なのか?

そんな事を考えるのです。

長くなりました。

今回は、これぐらいにして。
また。

おしまい

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.22更新

■2014/07/22 顎位も良いけど、咬合調整って?
咬合調整と言う表現を用いる際、とても難しいと思う事があります。

多分、狭義と広義の意味があるのかと思うようにあたしは、なっています。
あたしが思う狭義と言うのは、。例えば、インレ―でも良いでしょうし、クラウンでも良いかと思います。
この補綴物(ここではこの括りで表現します)を入れる際、その人の口腔内の適応状況に持っていくために行う調整。

こんなのを、強いて分かると狭義と言うのかなって思うのです。

広義は、多分、顎位を意識してコントロールする為に行う場合かと、考えるようにしています。

どうなのでしょう?

では、広義はあたしの中では、顎位までをもと枕詞を置いている以上、語る事は不要でしょうが、狭義の場合、顎位の変化が起きるか起きないか、ここが重要なのかなって考える事があります。

あたしの所では、患者から「使えそうです。)という自然な言葉が出るまで、確認をするようにしています。例えば、「なれるものです」と、適応を期待する手法もあるようです。

どちらが良いか分かりませんが、昔は、不安もありながら”なれる”と言う派でしたが。”なれる派”でいる事が、個人的には苦痛で、自然体に収まる時って、人はどう表現されるのだろう?

あるいは、自然体で無いとその瞬間、患者サイドが受け止めたとすれば、顎位は変わる事は無いのか?

そんな事を考えるようになります。

あたしは、変わると事が十分あると捉えるべき派ですが・・・

”なれるという”のは、適応した結果、起こる現象であって、その結果、早発性か遅発性かは別に時間軸の経過と共に、何らかの現症を招くので無いかと考える派に今は、所属しているようです。

さて、どうなのでしょう。

顎位と拘る時、それと裏腹に、咬合と言うベースがその価値観には期待されるのではないかと考えたりもします。

決して、分けて考える事は出来ないのではないだろうかという立場に自らを置いています。

難しいですね。

 

投稿者: こすが歯科医院

2014.07.22更新

■2014/07/21 歯科医は顎位を拘らなくて良いのか?どうか?
顎位が身体の中にあると言う見識から、いわゆる解剖学的に考える手法もあるようです。

臨床医が悩むと言うか、考えると言うか.・・・
ま、実際どうなのでしょうね。
そこまで拘るべきなのが、拘る事が現場として求められるのか?

あるいは、臨床とは一線を帰した世界として、いわゆる、そう、座学の学問として存在すべきなのか?

では、同業者野先生の場合ば、どう考えられるでしょうか?ちょっとだけ、興味があります。

?座学
?拘らなくても良い・拘る理由が分からない
?拘る意味など無意味・不必要
?嫌、何が何でも拘るべき

もう一方で、こんな捉え方もあるようです。

そもそも存在していると言う捉え方。
固有とか、個性とかそんな捉え方が自然なのでしょうか?

この場合、顎位ではなく個性咬合と表現をして、顎位の事を飛ばして個性として存在している形に戻せば良い。
こんな捉え方もあるようです。

では、その”そもそも”が曲者の場合、どうyしましょう。

変な表現を用いたく思います。
顎位は、揃えるものなのか?
あるいは、整えるものなのか?

きっと、前者の捉え方の場合、
顎位を何とか、まっすぐ?に戻そうとするのでしょうか?

きっと、後者の場合、整うように悪さの因子を除外する事を考えるのでしょうか?

あたし個人は、どちらもいるのでは?という考え方。臨床での技術論だけに限定すれば。

で、基本は、仕向けるのではなく、邪魔を除去したらそうなったとか、なるべき様になると言う方が好きと言うか、大事にしている物かもしれません。

イソップ童話でしたっけ?北風と太陽の話みたいな感覚ですかね?洋服を脱がすには、二つとも方法として必要だけど、どっちかと言えば、自然と…の方がいいのかなって思うのです。

すると、顎位って何?に戻るのでしょうか?
しまりが悪い所で、おしまい。

投稿者: こすが歯科医院

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