じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2013.09.30更新

■2013/09/30 現象病名と言う言葉はありません。現症病名が正解です。
現象病名と、アホなあたしは表記したけれど、正確には現症病名という。

現象を追う、そんな表現はあるかもしれないが、臨床の現場では、現症を追うと言う表現が適切。多分、現象を扱うと言う言い方が適切のような気がする。

アホな分、一応アホなりのこだわりは記したく思う。
それでも、現象と言う表現をしたいか…なのかな?
何故なんだろう?

現象とは、人間の知覚出来る全ての物事の事。と言う意味だそう。形に現れる物。出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、を問題にせずに、その見える現れ。この観察された“表れ”を扱う時、現象と呼ぶ。

思いださなければならない事がある気がする。いえ、確認すると言う表現が正しいのかもしれない。ある事象があり、それら相互の因果関係が理論化されてが、(時間軸での)先後関係を因果関係と取り違える事ないよう気をつけなければいけない気がする。

例えば、“歯が痛い”を動機として来院したとする。現症としては歯の痛みとなる。問題は、その本質的要因になる。感染症主体(即ち、虫歯とか)なら、解放は、対、感染症対策が妥当だろう。

例えば、その現象が、過剰にその歯しか当たらない事由来とする。そうすると、二つの事象から適性を考えるように臨床では分裂するのかなって想像する。

?その歯が高すぎて過剰接触の場合
?その歯以外が、低すぎて過剰接触の場合

?の場合、単純なバランスを取ればよいのだろう。では、?の場合は?そして、? が主要素なのに、?対応で対処した場合は?

現症を取るには(掴む、把握する)、現象を見つけないといけない気がする。そんな風に受け止めるようになったのは、咬合と言う世界を患者の病態を介し、対峙する必要に迫られたからかもしれない。

アホだから、経緯を振り返って考えを巡らせた事はない。
ところで、 人間の知覚できる、すべてのものごと・人間界や自然界に、形として現れるものを現象と言う事は分った。次に、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質をいう。もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう場合もある。

ふと、大学時代を思い出す。哲学ぐらい少しかじってみろと、訳も分からずむさぼり読む。記憶に間違いが無ければ、ハイデッガーは、存在するということがものの本質や属性に含まれないと言った?気がする。

『存在するもの、それ自体にしか本質が考えられない』というだけでは、現実存在するとは限らない。

確かその理由は、感性でまず捉えるが、経験と(固定)観念が、存在を決めるからだというお話。

じゃあ、口腔内の所見をみる。経験と(固定)観念が働くのは、自然の理。だって、歯科医は、口腔を診る所から始まる仕事だからね。

で、考える。

現象を捉えられないだろうか?壊れた現象から、疾病が考えられないだろうか?仮に壊れた事で、その時の現象が表れていたとするならば、この現象を打ち克つ手法が無いのだろうか?何で、そんな事を思ったのかは、アホなりに不思議。

多分、咬合がおかしい、とか、慢性疼痛の方とお会いし続けて、行きつかざるを得ない道だったのかな?

さて、本日もそんな感じの人。現象では、寝ると鼻が結構通るようになったけど、立位するとなぜか、鼻が詰まるか、部分的に詰まる。これは、現症。問診で言われた事。
医師の方々ならば、これら現症から、投薬の組み立てが始まるのだろうか?

で、この前は、右向きで寝ると息が出来ない。これも、現症。今は、寝れる見たい。そう言っていたから。

壊れた口腔環境の条件を整える。歯科医の出来る内容と言えば、これぐらいしかない。

でも、整える作業は一長一短で進む訳ではない。

感覚系の支配はOKか?神経活動は?筋活動は…

時に、1回あたり6時間とか17時間と作業時間(治療時間)を必要とする時もある。これが、1回で済む訳ではないから、術者も結構しんどい。患者も…
アホだから、良く分からない。

今の治療の価値観でいえば、評価されるものでもない。そして、どう考えるか、アホ故に、良く分からない。

歯と身体は関係ないという考え方がある。この考えは、(固定された)観念なのかもしれない。
その一方で身体と歯は関係あるという観念もある。

どちらが正しいと評価される物でも無い、そうあたしは考える。時間軸の進んだ際に評価されるものだと思うのかな?

歯科医のあたしには、現症を追う事は問診で何となく出来る。医師の方のようなトレーニングを受けている訳ではないから、我流でしかない。だから、何となく追っていると言う意識しかない。

でも、口腔内の現象ならば、歯科医の領域の気がする。組織構造の、“あるがまま”を捉え考えられるトレーニングを受けているから(?)だと思う。

で、そのコツは、現象を見る事なのかなって、変な感じだけど思う事にしている。

最後。感覚が戻ってきたこの人は、(本人が口の中の感覚が…と言っているから、そうなんだろうと思っている)、歯の位置関係がおかしいと思うと言っている。

この現象は、どんな意味だろうと考える。これが、あたしの臨床の一部。

支えは、身体の痛みは取れて、筋肉の張り、緊張が残っているというのが、今の現症。身体に関して言えば。

臨床は難しい。
そんなお話。
んじゃ。

投稿者: こすが歯科医院

2013.09.29更新

■2013/09/29 線維筋痛症だっけ?これ、現象病名と思う。違うのかな?
昨日に続き、現象について今の自分なりの考察を紹介してみたく思う。

唐突だが、線維筋痛症と言う疾患がある。多分、慢性疼痛とか、疼痛性疾患と言われるグループであれば、変な表現になるけど、キング・オブ・キングになるのかなって、妙に納得する事がある。

でも、この痛みの疾患、これも現象病名と言う側面があるから、結構ややこしく思う。

で、昨日のサイバネティックという概念を用いて思考の旅をすると、何となくこの現象病名の本質に近づけるのかなって、ふっと思う事がある。これは、生物と機械における通信,制御,情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学である。

ところで、口腔という集合体には、咀嚼する能力、発語をする能力、呼吸に関連する能力がある。一方、顎位は頭位の関わり、頚部の位置関係に固有の影響を与える能力がある。この能力の意味を整理する。

時間軸での経過で獲得した結果、環境の影響で獲得した結果、これらを後天的要因とおく。この後天的要因、素質的要因、生得的要因の複合の結果、個人の中に形成されるものとなる。
生得的要因により規定される個人の潜在的可能性を性能、資質と呼ぶ。

これらのいわゆる生命活動に関わる能力が、口腔と言う集合体にはある。このように定義する。
更に、通信、制御、情報処理を下記のような言葉に置き換える。
感覚、反射、運動という言葉にする。

口腔と言う集合体が、上記の目的を達する為に構成されているシステムとする。
この集合体を構成する構造体は、顎関節であり、上顎骨、下顎骨、頭蓋骨等であり舌であり、歯となる。

これらにより構成されるシステムによる結果が、目的に合致した動作となる。

再度、サイバネティクに戻る。対象をある目的を達成するために構成されたシステムとしてとらえる。それはある組織だった構造をもつものであり,その結果は目的に合致した挙動をするものとなる。更に、付与するならば、対象の挙動に注目する場合,対象がどのような物質で構成され,どのようなエネルギーを利用しているかが問題ではなく,情報をどのように伝送し,どのように処理し,その結果を用いてどのように制御しているかが重要となる。

ここで、口腔と言う集合体の話に戻る。口腔と言う集合体が、上記で紹介した目的を達する為に構成されているシステムと捉えた。この集合体を構成する構造体には、顎関節であり、上顎骨、下顎骨、頭蓋骨等であり舌であり、歯となる。
これらにより構成されるシステムによる結果が、目的に合致した動作となる。

例えば、補綴なり、修復物なりを与えたとする。これは、新しい機械的刺激となる。この新しい機械刺激に、感覚系がその影響に適応できない環境下になったとする。この際、反射系はどのような活動をし、筋活動はどうなるのだろう?

例えば、著しく年月と共に、歯列が摩耗を起こした場合、個体としての性能はどう変化を示すのだろう。

それらも現象でしなない。そして、これら現象は、見逃されるのか、あるいは、部分的に捉えられるのか、全体像を捉えるのか、これは、まさに術者に依存する。それが、多分、臨床という現場になる。

痛みもなくなった、社会活動も一線に戻ってきた、でも、油断はできない、そんな個人の感傷を向こうに、もはや線維筋痛症ではなくなった患者の治療はまだ続く。

多分、この患者のゴールは、まさにサイバネティックという科学に基づく、多分、新しいシステム帯の構築なのかなって想像する。

臨床は本当に、難しい。

歯と身体は関係ないという意見がある。これも尊重されるべきと思う。でも、サイバネティクという考え、即ち舵を守るという発想で捉えた場合、咬合とはどういう位置づけになるのだろう。そして、咬合を構成する要素の歯牙を、安易に身体とは関係ないと、切り捨てられるものだろうか?

唯、だからと言って臨床が、医は仁術という精神を忘れている訳ではないとあたし個人は思っている。決して、パロディではないが、医は算術の世界に向かっている訳ではないと思う。

蛇足ながら、仮にシステムいう問題にまで波及しているが故に、現象が次々と現れているとするならば、システムまで関わらないときっと大変な気がする。

コンピューター時代、あるいは、インターネットでの時代と言われて久しい。仮にサイバー攻撃で、社会の舵が壊れた場合、社会が受けるダメージはどれくらいの額や復旧に費やされるのだろう。専門家が、専門知識を駆使して具体的説明をしない限り、素人のあたしには、決して分からないと思う。

そこにこの現象病態の解明の秘密があるのではないかと、ふと、思う事もある。

臨床は、本当に怖いし、難しい。
な、ところで、おしまい。

んじゃ。

投稿者: こすが歯科医院

2013.09.28更新


■2013/09/28 慢性疼痛とか、疼痛性疾患とか…
昨日の続きになるのかもしれない。

今回も現象について考えたく思う。
例えば、”痛みが走ると何も出来なくなる。”と、そんな現象を表記する言葉と出会ったとする。

事実、とてつもなく重い言葉だと思う。

翻って(ひるがえって)分析してみると、現象を表現に変える時、上記のような表記になるのかもしれない。

これは、痛みを発する患者サイドの物語だけではない。
関わる全ての人間の物語になるのかもしれない。
あるいは、何かの原因で人が罹患する可能性があるならば、とても重要な事象になるのかもしれない。

と、映画ならば、多分、もっとセンセーショナルにドラマチックに表現が加わるのだろうけれど、国語力のないあたしにはここら辺が限界。

”家族へ愛の為、男は立ち上がった…♪”とか、副題が付いたり…ね!♪

あるいは…?

”男は、誰の理解も得られなくても、ただ一人走り続けた…♪”とか、目を引くために、カッコウ良い言葉で演出されるのだろうな。

で、本編でお会いしましょう。と、ロードショウを楽しみに待つのだろうな。そんな事を、脱線ついでに思うのです。

本題に戻ります。

この現象を指し示す表現として、患者が痛みを訴えた際、二つの瞬間の時間軸の物語が交叉するように思う。分かんないけれど…

一つは、患者が知る現象の表現。
一つは、その現象に対し、対峙しなければならない歯科医。
同時にその瞬間、不安と期待と、憐憫と畏怖が交錯する時の橋が待ち受けているかもしれない。

この時の橋を、上手に渡れない時、実は侮蔑と嘲笑が、歯科医には待ち受け、現象に苦しむ側には初めは失望で、時と場合によって絶望と言う文字を人生のパートナーにせざるを得ないのかもしれない。

さて、ここで問題は痛みと言う現象を歯科医と患者がどう捉えるかによるのだろうか?

これは、歯科領域だと考える歯科医。これは、歯科領域だと考える患者。
これは、歯科領域と考えない歯科医。それでも、これは、歯科領域と考える患者。

数学的な表現に変えれば、まだまだその可能性は続く。
唯一、交錯が起こらない可能性は、両者が、歯科領域と考えない瞬間になるのだろう。いえ、言い方を変えれば数学的に交錯しない方法となるのだろうか。

と、小難しいお話はこれぐらい。

ところで、なぜ歯科領域と全身との兼ね合いが考えられ始めているのだろう。
ところで、そう考える事は、お門違いか、勝手違いになるのだろうか?

そろそろ、結びにしよっかな。疲れてきたし。

ところで、サイバー攻撃を、結構身近に感じた事がある、

で、その意味を知る際に、時引っかかった言葉が、サイバネティックスと言う考え方。

サイバーの語源は、『舵(かじ)』だそうです。

サイバー攻撃は、舵をおかしくする。舵がおかしくなれば船は、ただのモクズ。
で、サイバー攻撃の究極は、社会活動の停止。コンピューターの管理が一切出来なくなる状態、とでも言えば良いのだろうか…

対して、引っ掛かった言葉のサイバネティック。

サイバネティックは、厳密な定義はないそうですが,一般には,生物と機械における通信,制御,情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学だそうです。

対象をある目的を達成するために構成されたシステムとしてとらえるとする。それはある組織だった構造をもつものであり,その結果は目的に合致した挙動をするものとなる。

対象の挙動に注目する場合,対象がどのような物質で構成され,どのようなエネルギーを利用しているかが問題ではなく,情報をどのように伝送し,どのように処理し,その結果を用いてどのように制御しているかが重要となる。
こんな意味だそうです。はてはて??

仮に、身体に慢性的な痛みがある。痛みが動くと走る。と言う表現も、実は現象を指し示す表現でしかない。

原因として、明確な対象物が無い場合、別の視点がいるのかもしれない。

なんて事を考えたりする訳です。
また、どこかで整理したく思うけど…

慢性疼痛で触るだけで飛び跳ねていたのが、でも痛い。
周りは結構、イイネでも、本人の自覚は痛い。

そんな患者を前に、舵はどこに行ったのだろうと、一人夜更けに思うのです。

歯と身体は関係ないという限り、こんな思いと出会えないのかもしれない。

歯と身体は関係があると捉える時、また別の出会いがあるのかもしれない。

どっちが良いのでしょうね。
落ち切らない所で、おしまい。

投稿者: こすが歯科医院

2013.09.26更新

■2013/09/26 歯が触れ続けてしまう
普段歯は接触しないと言うのが、どうやら正しいあり方のようです。

ところで、それが出来ない集団がいる。ここでは、集団と言う言い方を選択します。

歯を接触させている動機を何気に聞く事があります。

?そういうものだと思っていた→で、こんな感じに意識改革をして見れば、てな具合に、指導をすれば問題が収まる集団がいます。

その能力は、持っているが、歯を接触させるという固定観念あるいは、習慣化故に、意識させるだけで安定の方向へ進む集団がいます。

?能力として欠落をしている集団がいます。

科学的に説明を加えると言う作業は、非常に厄介です。そう、あたしは思っています。国語力があれば、ズバリ的を得た解説も出来るのでしょうが、あたしの場合中々苦労をしているようです。

本題に戻りたく思います。

まず、本質論は(何を本質論と定義するかと言えば、とても難しいと思います。)、”歯を接触させる”事自体が現象をさすという事実だと思います。

歯を接触させる時間の継続の後、何かの異常が派生する。ある一つの現象の後、次の現象が合わせて派生する。ここに、問題が出る場合があるのでしょうね。

臨床は結構、大変で、人間の身体はとても神秘だと思います。
歯が人間の身体の一部でなければ、歯と身体は関係ないと言えるのでしょうがね。

んじゃ。

投稿者: こすが歯科医院

2013.09.25更新

発声と舌と… 、おまけに、顎の動きと
今日から、ブログ第1日目です。わきが甘い性格ゆえ、どこまで続けられるか、それが心配…

さて、本題。

ボイストレーナーが患者にいます。”舌と、奥歯の位置関係で、声の出って変わると思うのです”と、話しかけられます。”今、解剖の勉強を学んでいる先生は、舌との関係を優先して咬合調整をされているようですが、先生(あたしの事)はどう思われます?”

な~んて事を聞かれます。
さて、何と答えた事やら…

ただ、正直、舌の運動性に歯牙の位置関係が、密接に関係している事は、どうも真理のようです。

そんな事を思い出す一日でした。

『何って答えたかったかって?』
ひとまず、内緒。

そういえば、44抜去されていた患者、舌反射の性質を思い出して、歯を少し今回は、小さくしてみた。専門的な事を割愛をしますが、ある条件を付与してね。

「あれ、口軽いかも?」
昨日は、あれ、息しやすいかも?

人間の身体は奥が深いなって、思う日々です。

んじゃ。

投稿者: こすが歯科医院

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