じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2014.12.02更新

ファウストは、一枚のボードを差し出します。
“どこかで、書いたような気もしますね。随分前の事でしょうか?”
懐かしそうにソクラテスさんが答えます。

“そうでしたかね?”
ファウストもそれに同調するが如く返します。

“さて、難しいものですよね。今の所、漢字表記だと一単語でしか表せません。
何が、その問題として挙げられるのでしょうかね?”

返す形で、すかさずファウストが聞きます。
“そこです。それに興味があってちょっと、立ち寄ってみました。”
“面白い事を言いますね。”
ソクラテスさんが答えます。

“いえ、別に…ただ、ソクラテスさんあなたが言われた通りです。私は、矛盾をさらけ出して、相手を焦らせたり、困らせたり、悲しませたり。ま、いわゆる諦めから来る絶望を甘美の味として生きていく物でもあります。”

“それだけなのですか?”

はにかんだのか、困ったのか、言いづらそうにファウストも返答します。

“また、面白い事を言われる。いえ、別に、あらたまって言われると、違う側面もあるのでしょうが…そうなると、物語に登場する際、調子悪いと言う物でございます。ですので、そんな所で如何でしょうか?”

“ま、そうですね。そんな所にしておきましょう。あなたが矛盾をさらけ出させて生きていく物であるのなら、私は真理を考えるとは何かを、考える変わり者でしかありませんからね。”

珍しく愛想良くソクラテスさんが答えます。

こんな絵を出してみましょうか?
また、ソクラテスさんが書き始めます。
“そして、これを別の病気として捉えるのか、幹が一緒の物と捉えるかで解釈が変わっていくから不思議とも思っています。”

あくまでも、こんな考え方もあるという見方でいいのではないでしょうか?見方でしかないでしょうからね…
面白い物で、広範囲に広がれば、繊維筋痛症と名前が付けられ、顎付近であれば顎関節症と付けられ、腰が目立てば腰痛症と名前が付き、首から腕が目立てば頚腕症構候群と名前が付けられ、不思議なものです。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ある日、ソクラテスさんは日向ぼっこをしながら、ぼんやりと考えていました。季節は涼しくなり、太陽から来る日は温かく、その光は優しく、まどろむような心地よさを感じながらぼんやりと、考え始めます。

そうか、症状と言う言葉がある。この症状は何を示すのだろう。
例えば、感染症と言う言葉がある。
これなどは、細菌が体内に入り込んで悪さをしているから、細菌をターゲットにすればいい。
ウィルスもそうなのかもしれません。

では、例えば現象で病態を示す場合もあるのだろうか?

もし、そうであれば、本当に面白い問題と思う。
そこで、彼は何気に漢方と言う物を調べます。漢方は、ご存知の通り東洋医学の象徴の医学形態の一つかもしれません。
これなどは、症状で病名を決めている一つの方法なのでしょう。

ですから、~の場合はAが利く。*~の場合はBが利く。~と、*~が、混ぜこぜの場合はAとBを合わせてみる事もあり、新たにCを合わせた方がいい場合もあり。これを煎じるという。

フムフムと、理解する。

そして、その病名は漢方薬の主に利かせる名前を用いる事もある。
A症とか言う感じにネ。

あるいは薬がメインに活躍するAとBである場合は、AB症と言う場合もある。
と言う具合に、症と言う言葉で何かを示そうとする。

フムフム、だから、症状の症を読めと、彼らは言っていたのか?

西洋には無い物事の捉え方ですから、彼にとっては、大きな発見でもありました。面白い発想をする物だ。思わず新しい発見をみる訳ですから、彼は不思議と微笑みます。
割り切る発想と、絡めながら行う発想の二つがどうもあるようだ。それが、また面白いと思う。

しかし、視点を変えてみると、地政学という色々な因子を絡めて考える発想起点を我々は持ち、国境と言う概念を曖昧にしつつも、関係を重要視する文化も持つ視点の地域もある。背景と言うのはつくづく面白い物だと、ほくそ笑みます。

その違う発想起点が出会えば、始めは衝突かもしれない。しかし、衝突から新しい関係を見いだす場合もあるかもしれない。私は、それを見る事も無いかもしれないけれど、そんな事を思えば、未来もきっと悪くないな、って思い始めます。

“よろしいですか?”

ふと見上げると、魔物がおります。
“ファウストさんではありませんか?”

“覚えていらっしゃいましたか?”
“まどろみながら太陽の心地よさを楽しんでいる時に、君はお節介に来ますね。”今日はどうされました?
一見嫌味にも聞こえるこの台詞も、決して嫌味でも無く自然な感情の赴くままソクラテスさんは、話しかけます。
“これについて、お話に来ました”

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ファウストは、覗きながら不思議と真剣に見つめます。
何をお書きになっているのですか?大先生?
但し、何故か茶化すように、大先生と言う言葉を魔物は添えます。

君に、先生と言われる所以は私にはないよ。あるとすれば、私は真理を考えるその意味を追求したい者。君は、矛盾に直面させたがる物。

言いますね?
そして、ソクラテスさんは再び絵に色々と加え始めます。もしかしたら、また、人に誤解されるのだろうと思いながら…
いや違うな?時間がかかるのだろう。前みたいに…人を愛せない証拠になるな。誤解されると思えばね。ふと、優しく微笑みます。

自律神経が強く関わる、そんな言い方もありますよ。
ふと、上を見上げるとファウストが、魔物の曲に何かを言いたげに呟いた。

微笑むような、泣きそうな、寂しそうな顔をしながら、でも、決してあきらめた顔ではなくソクラテスさんが呟きます。

症と言う言葉に集約されるように、症状を指し示す限りその区分をする事は多分難しいのだろう。例えば、感染症のように細菌なら、ウィルスなら、どこに何をターゲットと言う言い方が成立するのだろう。例えば癌なら、遺伝子レベルまで理解できる所まで来た現在は、どのような手法でターゲットを抑えるのか、取り除くのかそんな発想も生まれるのだろう。放射線なのか、免疫療法なのか、外科なのか、服用なのか、あるいは、複合なのか…

しかし、まだ顎関節症は、複合系の疾患と言われる時もあるのに、複合でその関わりを見いだしていないのかもしれない。
ソクラテスさんの声は大きくなります。
それは、医学SF理論になりがちでは無いですか?

面白い事を言うね。癌がウサギの耳の実験で人工的に作れるまで散々言われて来たじゃないかな?今は、その時代と見るのが自然ではないかな?

矛盾ではないですか?

時間がその矛盾を解決してくれるのではないかな?私は、鳥が何故飛ぶか、重力の概念も、物が何故腐るかという細菌の概念すら生み出す事は出来ませんでした。症状で捉える疾患に、適正な検査が生まれるまでは、時間がかかるかもしれない。基準があるようでないのが症状でしょ?
痛みだけが基準で扱われれば、それは、相当に混乱を示す物にならないでしょうか?

その事実をどう考え、どう捉え、どう律するか?
あるいは、その事実を流して、事実を分からないから、専門外だからと受け流して、次を紹介するのか?

目の前にいるのが患者であり、医療者であれば、流している事実を無視して紹介は、これまた矛盾かもしれませんね。それは、見落とす事もある訳ですからね。症状で見抜く場合、患者が言わない限り見落とす事に繋がりますからね?

えっ?
ソクラテスさんが顔を挙げます。いたずらっ子ぽく聞こえた声の主はいつの間にか、消えています。立ちあがりきょろきょろとあたり一面を見渡しますが、既にファストは立ち去っていました。

そして、看板も消え、一枚の紙が落ちていました。

そこには、只一言。

患者の声を真実として捉えるか、管轄外として捉えるか、扱っていないと受け付けないか?どれも、正しく、矛盾に満ちたものである。

矛盾か…
ソクラテスは呟きます。また、奴さんとは出会う物かもしれない。わたしは、真理を探すとは何か、また歩いてみよう。

きっと、あの時の私には熱意が少し足りなかったのかもしれない。情熱を傾けて考えてきたけれど、熱意があれば、また違った何かが生まれてくれたのかもしれない。人の世界は、本当に難しい。

そして、ソクラテスさんは歩き始めます。
前を向き、何も無い道を只、淡々と…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ファウストが声をかけます。
何を考えているのですか?

ソクラテスは答えます。
私は、医者でも無い。その治療を行う者でも無い。ただ、昔からあった方法にマッサージがあった。お手当などと言う言葉もあった。筋を緩めればいいのだと言う言葉が、新しく聞こえるのは、知らない人間にとってだろう。昔からあった一つの方法で、昔から考えられてきた一つの方法で、どうして否定する根拠が生まれようか?

ならば、それを金に結び付けようとする事は?

生きると言う事で糧を得る。ここに、大きな問題があるのだろうか?そこに、上下があるのだろうか?人の心は弱いものです。大きな金額がかかれば妥当かどうか考えもするでしょう。資格からみて、対応していると思われなければ、疑いの眼を向けるものでしょう。
大きな組織であれば、その看板に、肩がきに心を揺らすでしょう。

それが、人なのではないでしょうか?
筋を緩めれば良い、この考え方も誰が紹介するかで、正しいも、あり得るも理解を得やすいという見方も無いでしょうか?

面白い事をあなたはおっしゃりますね?ならば、是非お伺いをしたい。

TMDに罹患した患者に歯科医師を敵対視する人間もいる。これは、何故だと思いますか?
何を問いかけたいのかな?それと、何を私に答えさせたいのだろう?
ソクラテスさんが問いかけます。

患者=被害者 歯科医師=加害者 という図式まで発展しているかもしれない世界をどのように思いますか?

あなたは、その全てを知っているのですか?
そういうヒトがいる事を知っています。
その人の苦しみを知られているのですか?
その苦しみが、私には蜜の味です。それが、仕事ですのでね。
愛嬌を持ってファウストは答えます。それは、決して許される物では無いのでしょう。しかし、魔物のファウストには当然の帰結なのかもしれません。

分かっている所と、分かっていな所。気が付いている所と、気が付いていない所。整理されている所と、整理されていない所。見えている所と、見えていない所、それがあるから、起こる物語のような気がします。
ソクラテスは答えます。

相反する事を、あなたは言っている事を理解されていますか?医者だから治せるはずという期待と、何とかしてくれるはずと言う希望を、無残に壊す訳ですよ。そこから、新しい苦しみが生まれませんか?私には、それが一番嬉しい限りですからね。苦しみの声は、安らぎの声であり、身体が痛いと、動けないと希望まで失う声は、讃美歌の如く高尚な気持ちにさせてくれます。

苦しみの声が大きければ、その大きさを知れば、ある人は何とかしようとするかもしれません。
セルフで出来るマッサージを紹介する事も素敵でしょう。昔の東洋の考えでは理を分かる人間は、その先まで見えると言う考えもあるようでしたしね。

理とは?

それが難しいと、私は思います。

そして、ソクラテスさんは地面に絵を描き始めます。心では本当だろうかと、迷いながら…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

顎関節症にまつわる考え方を、何気に拾い出そうとします。
ふと、地面に文字を書き始めます。

顎関節症にまつわる考え方

こんな所なのだろうか?
ふと、横から、魔物よりの声がかかる。男なのか、女性なのか、至って中性的な姿顔立ちを感じる。しかし、美しい顔立ちで、手足も長く、男と思えば女性に見え、女と思えば男性の様な眼鼻立ちだ。

始めまして、ファウストと申します。
少し、違うと思うよ?

えっ。驚いたようにファウストは答えます。
違うと思う。冷静にソクラテスは言います。

何故、そのような事を言うのですか?調子が狂ったのか、ファウストは驚きを隠せないように、鋭い声で聞きます。

私は、真理を探すとは何かを考える事が好きな人間だ。君は、真理を探す人間にまとわりつき、その矛盾に直面させる事が仕事じゃないのかな?ソクラテスは、言います。

確かに。ファウストが答えます。
私は、矛盾に直面しながら、真実は何かを導こうとい言う発想を持つ男ではない。むしろ、真理を考える、その持つ意味を考えたい人間だ。

しかし、今既にあなたはその矛盾を感じているのではないのですか?ファウストは、聞こえ方によっては優しく、見方を変えれば残酷な声色で、誘ってきます。

誘われても何も出て来はしないよ。少し、見ていなさい。そして、ソクラテスは、また、新しく絵を描き始めます。

顎関節症にまつわる考え方2

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

では、色々な言葉が乱れ飛ぶのは?そして、懐疑的な意見、消極的な意見が飛び交う理由、その意図は?
静かにソクラテスは、語ります。

それが、人間であり、それでも人間なのだ。

或る者は、何とかしたくてそれ以上を語る場合もあるかもしれない。
或る者は、患者としてそれ以上に辛い事を語る場合もあるかもしれない。

また、或る者は自分のみる範疇を決めてそれ以外は、関与せずと宣言するかもしれない。その宣言を貴重とみるか、限界とみるか、緩慢と見るか、それは、受け手それぞれだろう。

それが、人間なのです。

但し、公に宣言をされたものを、自分の世界で批評するのは人間である以上、仕方が無いが、批判や反論をしたくば、やはり、公の中で進むしかないだろう。違う意見を紹介したくば、公の中に身を投じざるを得ないだろう。

或る者は、その公を選ぶかもしれない。
それでも、人間です。

置き去りにされたと捉える患者も表れるかもしれない。しかし、宣言は置き去りにされたのではなく、このガイドラインからはみ出た患者は、このガイドラインからは、対象外とされただけで探す自由と、求める自由を奪われた訳でもない。治る権利を奪われた訳でも無い。

専門家が、それ以外は、扱えないと宣言したのか、認められただけで、それは勇気に値するのではないだろうか?その勇気は、賞賛されるべきであり、否定する物では無いと思う。勇気を否定する者もいるだろう。勇気を絶望に変える者もいるだろう。勇気の意義と、受けた感覚のギャップ、この差もあるのは当然かもしれない。

それも人間なのです。

あたりが急に静寂になります。ふと見上げると、スフィンクスは、いつの間にか、その動きを止め、単なる石像に戻っています。ここに、こんな物があったのだ…ふと、ソクラテスさんは呟きます。そして、再び、考える散歩を始めます。

ソクラテスさんは、天を仰ぎます。
この世界にはきっと沢山の人がいる。その沢山の人が社会を構成しているに違いない。色々な事を思いながら生きているのだろう。その中で、人の幸せに貢献する仕事もあるのだろう。その意味は、どこにあるのだろう。自然界では、百獣の王ライオンですら、例え、一本の歯を失っても、その生命力は弱まると聞く。しかし、人間界では、歯は身体に影響を与える事が無いとなっている。一昔前、そう、半世紀以上前は脳の研究は歯を主体に行っていた時代もある。

きっと、その当時は、歯は身体と関係があると見ていたのかもしれない。でも、今は歯と身体は関係が無いという事が、前提で関係があると言えば、空想と言う言葉か、妄想と言う言葉が渡される世の中になっているようだ。面白い物だ。歴史を否定するのか、歴史を忘れるのか、それとも、実際に、歯と身体は別の物か、関係性が何気に出て来れば来るほど、関係が無いと言う言葉が歩調を合わせて生まれて来る。

それが、人なのだろうか…

本当に不思議なものだ。
その中で、線を引く勇気は尊いものになるのではなかろうか?

ふと、歩いていると、目の前に新たな標識が出て来ます。

看板には、このように書かれていた。
問いかけたい。
顎関節症とは別に、筋を緩めればいいのだ。これは、なんと答える?

また、質問か…人は正に、考える葦だな…
残さなければ本当に良かったかもしれない。
むしろ、どう善く歩くかが大事だ、この言葉がもっと、表に出た方が素敵なのかもしれない。そう思えたそうです。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ソクラテスさんが、何気に歩いていました。珍しく何も考えず、散歩を楽しんでいました。すると、天井の方から声が聞こえてきます。
君は、どれが正しいと思うか?
顔を見上げると、スフィンクスが、悠然とその四肢を大地に置きながら、ゆっくりと静かな声で聞いて来ます。

一瞬驚きますが、何気に目の前には、一枚の標識がある事に気が付きます。

顎関節症をどう訳すか?

それだけが書いてあります。

どう訳すか?また、変わった事を聞く物だ、ふとソクラテスさんは思います。
何を持って、そう聞くのだ?
この答え方如何で、貴様をこの口で喰らってやろう!答え方如何で、貴様はこのまま歩く事が許されるだろう!

始めて、ソクラテスさんは、事の事態を理解します。
この答え方如何で、自分の思考する自由が奪われる。この答え方如何で、考える自由を奪われる。いや、考える事すらできなくなる。だって、スフィンクスの胃袋に、彼は飲みこまれる運命が待っているだけですから…

少し考えて、少し迷って、言葉を出します。

この答えには3つある。
一つは顎関節症。Temporomandibular joint
一つはいわゆる顎関節症。Temporomandibular disorders
一つは、歯科が意識していない顎関節症
Temporomandibular pain and dysfunction syndrome

そのどれについて語ればいい?答えれば良い?

ふと、笑いがこぼれます。そして、続けます。
仮に、Temporomandibular joint=顎関節症としよう。
この場合、顎関節症学会のガイドラインを大事にすべきだろう。一つの方法にスプリントを入れる場合がある。2週間たって、改善が認められなければ、それは、違う。

それはどういう意味だ?
中等度のレベルの顎関節までは治るが、それ以外は、まだ、それ以上の見解はない。

意味はあるのか?
ソクラテスさんは、只、淡々と続けます。
ガイドラインで答えるしか無い。治る物が中程度以下であり、治る物が顎関節症と言う意味だ。

ならば、治るのか?
専門家が関わるべきで、専門家しかその意義を知らない。まずは、専門家に紹介しなさい。それが、ガイドラインだ。専門家でも無い、只、吟遊詩人の如く、歩く私に応えられる訳が無い。

その専門家は、治しているのか?
それは、考える歩みを選ぶ私に応えられる訳が無い。それは、専門家に聞かれるべきだろう。このガイドラインは治る治らない事が大事でなく、どういう物を専門家が扱っているか、どういう立ち位置で取り組んでいるか、そして、どういった過程でその道を選んだか、それを紹介しているに過ぎない。しかし、尊いものだ。宣言する勇気もなく、ただ、使いまわした言葉を無責任に語るよりは、余程尊い物ではないか?

スフィンクスは何かを言おうとします。しかし、落ち着いた声で、ソクラテスさんは、話を続けます。

この答えには3つある。3つの言葉のうち、一つのみに解答をしようとすれば、見方を変えれば矛盾が生じる。一つのみを答えれば、残りの二つについて矛盾を問われるだろう。
そもそも症状で、病名が付く限り、その症状を限定的な存在と捉え、その範疇を専門と捉えるか、その症状を大きく受け止め、その考察を深めた中、扱うかその立ち位置で答え方も変わろう。

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投稿者: こすが歯科医院

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