じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2014.12.03更新

信奉者の名誉を守りつつ、20世紀型健保と21世紀型健保に分け、そして、保険医も登録もその2種類に分ければいいと言いました。20世紀の健保保険の限界はその瞬間考えなくて済みます。21世紀健保には、信奉者を混ぜなければいいと思います。彼らは、一生懸命、今後も、無所得者の為に、生きる気力も、考える気力も無くした自由から逃避をする人々の為、心棒をされ続けていけばいいと思います。そして、そこから給与を貰えば良いとも思います。
そうすれば、まさに、日本人的な誰も傷着かない格好を取れると思います。

歯科医のカスタマイズドも、今より簡単に出来るようになると思います。
今よりですので、決して、100パーセント正解など無いと思います。やはり、話を聞いて、考え方を聞いて、実績を、経験を聞いて、そこから判断するしかないと思います。トラブルの経験も聞いておくといいかもしれません。その際、どんな対応を行ったか、そんな所が大きなヒントかもしれません。

ま、さて、おき。

問題は、病名はあるけれど、保険病名では無く自費治療を、経済的側面を無視してでも受けなければならない人々だと僕は思っております。

ここは、実は、全く持って想像がつきません。
社会がどのような受け皿を作ればいいのか、全く持って分かりません。

 悔しいですが、いいアイディアもまだ無いです。
アイディアを言えばいいと思う訳ではないのですが、こんな個人のHPでも、どこかで、誰かによって素敵な立法の人や、賢い司法の人や、律儀な行政の人に眼が止まる事もあるかもしれません。読んで頂けるよう紹介をいただけるかもしれません。

何かの、考える比較対象になるかもしれません。でも、個人の世界と言え、意見を発信して行く時、その時何かが起こる小さなそよかぜの一つに慣れれば、それはそれで素敵だと思うのです。

あきらめる閉塞感より、また、ガンバンべ!というエネルギーになれば、素敵だと思うのです。
もしかしたら、このHPがご縁で、当院を訪ねる方がいるかもしれません。その際、どんな考え方を持つ人間か知っていただく事も、もしかしたら、大切かなって思っているのです。

何も知らずに来られるよりも、何か期待できる方がいいかなって思って書いているに過ぎません。

あと、HPの表現を楽しんでいるのかもしれません。

勧誘でも、誘導でもなく、かといってブログでもない。そんな試みを、飽きるまではやってみようかと思ったりもしています。

医療が公である以上、公に考えを出すのも素敵かなって思ったりもするのです。

しかし、保険病名に無い病名は、今の健保法においては、正直、調子が悪いです。

だから、歯医者さんも一緒に、勉強をしてもらいたく思います。知り、客観的に情報を病態に対して見解が言える事、そうでなければ、セカンドオピニオンは、苦しい結果を作るかもしれません。

もし、それが、病態に対する診断であれば…是非、気をつけられるとともに、技術的専門書と合わせて、病態という世界も、実際治療を行う行わないという次元は別にされて、言えるご自身を作っていただきたく思います。

健保信奉者が、歯科医師法よりも健保法が優先と啖呵を切られた瞬間、保険病名では無い病名の方々は、東京地裁から、見捨てられる事を無意識に宣告されたと私は思っております。だから、いい知恵があれば、是非、意見を発信されてください。
皆保険は、国民全てがという言葉を健保信奉者は用いたわけですので、この発言から彼らは逃れる事を許されません。ゆとり教育信奉者見たいに、居座り続ける破廉恥だけはして欲しくないと思います。さて、どうなるのでしょう?

みんなで賢くなっていきたいですね。
その一つが歯科心身症という世界かもしれません。
まだ、あります…

医者の葛藤

今も葛藤をしている事があります。
未だに、答えは出ません。

医者の知り合いが昔つぶやきました。

この仕事は、一生人の死に目を見つめていく仕事なのだろうなと…
どれだけの間があったかは分かりませんが、実際は、多分一瞬です。
何とかいけると思ったのに…つぶやきます。

医者の知り合いが飲みながら言いました。
外科だって、100パーセントなんて無いのよ。
殺すんじゃない。でも、殺すんだ…になるわけね。
オペにかけてみようと、ま、そんな感じの時があるとするじゃん…本意かどうかは別にしてさ…あるわけ、緊急とか、容体の急変とか、ま、そんな奴よ。
自信は?
ある時って、あるのかな?何とかいけるだろう、行って欲しいそんな感じが多いかな。とにかく、行くんだと、心では祈る…念じるが近いかな…難しいな。
でも、死ぬ時がある…
“人殺し“と言われる時もある…あるかな…いや、どうだろう。

でな、先生が一生懸命やっていただいた結果ならと言われると、泣きそうになる。殺したわけじゃないけど、重いのよね…
この感覚と付き合う訳よ…

でな、逆に、駅のホーム気を付けてくださいと言われる時もあるの…
やっぱ、一番前には立てないよな…弱いよね。家族の顔を思い出すわけ。死ねないよな。
この恐怖と言うか、なんて言うのかな、

嫌だよね。

こんな渋い台詞を言ってみたく思います。そんな事はどうしてどうしてです。そんな知り合いと違い私は凡人ですから…

でも、久々に苦い経験をしました。大分癒えましたが、釈然としません。
私は、保険病名に無い病名がある事が、まずは驚きでした。
まさに凡人の証拠です。
この事実を受け入れ、自分が、その事に自然体で構えるのに、実は、結構の時間を要したようです。
まさに、凡人の証拠です。

習っていない事において、医科のやる手法が病態把握という手法で会ったりもします。関連図を付けて、関連化させて…ま、そんな作業です。

歯科医師国家試験企画ではあり得ない病態が目の前にいるとする。さて、どうしましょう?

病態に病名を付けなければなりません。(つけられない場合も認められます)

この病名が、患者と社会の接点になったりもします。

調べるしか無かったです。

状況からこの病名を付けるのが妥当と思われます。という自分を育てます。
国語力が上がったりもします。

しかし、同時に、自分が診断した昔のカルテを見ていると、健康で社会復帰してくれたから良かったものの、病態を見落としていたことが経験から学べる時もあります。冷や汗の瞬間です。

おそらく医療倫理という世界観かもしれませんが、この教育は、サクッと、チコッと学んだに過ぎません。患者に病名を与える事が、ここまで大きな物とは知りませんでした。

そのうち気がつきます。これが、やはり保険病名ではない。医科でも保険病名にしていないとか、医科でも保険病名から外れている物があるとか…後で知ります。

強引に保険病名にあてはめる時もあるという言葉も聞いたような、聞かないような…(はっきりとは書かない方がいい場合もある気がします)

保険で出来ないものは、保険でやれない。保険で出来るものは、保険でやる。

保険病名でないものは、コンプライアンス順守で考える場合、保険で行うこと自体が許されません。
だから、当院の方針が決まって行きます。
保険で出来ないものは、保険でやれない。保険で出来るものは、保険でやる。

保険医を捨てた場合、保険行為をしない事がコンプライアンスではなく、歯科医師法に基づく事が、コンプライアンスだと思うのですが、どうも、保険診療をやめた上で、保険診療を行っていないという事がコンプライアンスと解釈をされる先生もおられるみたいで不思議な風潮と思っております。

ですので、保険医をしているドクターがインプラントを行うことも、審美補綴を行うことも、コンプライアンス順守と言う言葉上では、何ら問題はありません。技術提供において、健保対象外を、不足分補填するならば、(勉強しますでとか、色々)問題があるだけと思いますが、どうも、コンプライアンスの意味付けが別の方向に行っている気もします。

コンプライアンスは保険を行わない事という方向解釈は言語力の問題なので何も言えません。知識レベルという表現かもしれません。

健保信奉者と書いて来ましたが、この健保法を、歯科医師法の上に置く解釈を持ってきた東京地裁の考え方に、私は大きな問題がある気がしてなりません。

しかし、マスメディアも、これに関して混合診療は禁止で、健保法が守られたという具合に報道をするものですから、保険病名ではない病態を取り扱っているクリニックは結果、あたかも問題と言う風潮を作るきっかけになるものですから、言葉、文章とはややこしいものです。

健保信奉者のごとく、保険で全ての病気を扱っているという前提に彼らが立っているのならば、職業的怠慢だと個人としては思っています。

一番大事な事は、健保法が歯科医師法などライセンスよりも上の支配力があるというような解釈を与える見解を出した所にあると思うのですが、中々、気が付かないのか、気がついてはいけない協定を結んでいるのかしら。良く分かりません。だったら、安心した医療の為になどという社説は書くな!と、ぼやきたくなります。
この時、事件は起きた!
このようにドラマテックにかければ良いのでしょうが、実際は、閉口するだけです。

何故、繊維筋痛症を、どこもかしこも保険で認めないというのだ!
そして、治りもしないのに金、金言いがかりをつけるのだ

これは正直、苦しい所です。
どんなに交渉されても、どんなに経済的困窮を訴えられても、コンプライアンス上、何も出来ません。

ギリギリデッドラインと思える努力と言いますか、歩み寄りは、初診だけは唯一、診査、診断の権利で確保されている場所ですので、ここは、保険で診察をする事なのかもしれません。

ただ、治療行為を行えば、アウトになります。もどかしい所です。今度は、厳密の意味で、コンプライアンス上、医療者側が罰せられる対象になります
*歯科には医科のように置き換える病名すらありません…

1回目 良好で終わります
2回目 金を幾ら払わせれば、お前たちは気が済むんだ!(正確にいえば3回目ですが。診断結果のお話の日、そして、実際の治療と言う流れでしょう)

悲しい悲鳴です。何を言えば良かったのでしょう。未だに分かりません。普通、歯医者は物にお金を出させるもので、後は、保険で行う事が常識だろう。

何を言葉に返せばよいのでしょうか?

この制度の下、経済活動、医療活動を行うのが我々の仕事です。その事を、申し上げるようしましたが、納得は貰えません。

機能障害におけるポイントは、患者の心も一つの大きなキーがあります。詳細は書きません。

痛みが***とは言わせるものの、結局、お金も支払われず、(少しだけ置いていかれました。)ただ、やるせない感情と後味の悪さだけが残ります。

後日電話で、とどめも来ます。これぐらいにします。

口癖

苦しむしかないんだろうな!
えっ
まあ、いい感じじゃないよね。

どうも、これが、私の場合の口癖のようです。ハハハ。

*補綴学的に問題があります。やり直しの可能性もあります。
(けれど、何百万も支払ったのだろうな。嘘は言えないし、正直、言うしかないか…)
色々なドクターや歯科をショッピングした。
(どんな思いで家族はいたのだろう。つらいよね…)
はやくおかしいと言っている歯を処置してくれ。

*今おかしいと思われる歯は触れません。触ると、とんでもない事になる可能性があります。この判断は、歯科医師側の権利になります。

おかしいだろ。歯医者が歯を触らないのは…
(歯を抜いてからどんどん崩れたと言って事、忘れたのかな?)
それに、歯が抜けたら困るじゃないですか?
*身体を今は優先させましょう。仮に歯を失っても身体を守る事が優先です。
(いい加減な奴と思われるだろうな)

先生は幾ら我々から欲するつもり?
*いえ、なら別に保険で補綴を行ってもいいじゃないですか。そして、いつの日か、お金に余裕が出来てから、それから、悩まれても…
(だから、保険医でいる事に、耐えなきゃな。じゃないと、とんでもない高額な治療費になっちゃうよ…、残酷過ぎる…)
*まずは、身体から始めれば
今まで治りますからと言われて、何万円、何十万円、何百万円、もう少しで千万超すんですよ。分かります?

*分かります。
(だから、安価を必死に考えるんじゃないか)

欲張りすぎです。その年で欲張って、おかしい。サラリーマンの平均年収を知っていますか?
(もう、上手くはいかないかもな。ラポールが全滅だわ。)

“先生電話ありました。”

あれこれ
カクカクしかじかと、
何かがありました。
とさ。

苦しむしかないんだろうな!
えっ
まあ、いい感じじゃないよね。

どうも、これが、私の場合の口癖のようです。ハハハ。

病名も知らない人間のセカンドオピニオンが、あらぬ方向に行けば、とても厄介のような気もします。だから、ついついセカンドオピニオン外来という言葉に、ついつい、眉をひそめたくなるのでしょう。
せめて、心身歯科医療のジャンルぐらいは知識の上でも、頭にしまわれてほしく思います。そして、私もでしょうが、基礎に忠実に、丁寧に確実に、という感じの風潮になればいいのになって思います。

ここ2日の会話

ここ2日の会話。
いつでもいいじゃないですか。
大抵、こんな会話を一日の診療時間の中の、どこかでしている気がしますので。
本当かな?
嘘かもよ?
その一部かも。(ご想像にお任せします)

『どう、顔面神経痛?』
「大分、良くなりました。結構、気にならない感じですよ」
(ラッキー、治療しないで済むかも。疲れずに行けるわ)
『いや、参りましたよ。歯をいきなり削られて。やめてくれとお願いしたのに、大丈夫、ほんの少しだけだからて、言われて、そしたら、その2時間後から、顔面の痛みで、肩に来るわ。膝に来るわ。寝れないわ。不安になるわ。』

(そうだったね)
「少し、歯が痛いからどうだろうと先生じゃない歯医者に行ってみたのが間違いでしたね」
(無理だよな。そんな教育受けていないし、知らないし。こう言った世界。分かん何よな…
確かに、根充不全はあるけれど、10年何も症状がないから、今は、触りたくないよな…て、言いながら3年経過したんだよな。元々、顎位が不安定だから、定期的に落ち着かせて、何もしないで済む作戦をしいたんだよな…ころ合いを見てと思いながら、3年放置か…)

「一時はどうなるかと思いましたよ。また、休職は、この時勢したくないですからね。」
(それは、間違いない。健康に貢献する仕事と改めて思うのは、この言葉を患者が言う時だよな…)

『で、どうします。このまま、様子見ます?それとも、もうひと押ししておく?』

「先生は、どう思います?」
(今日は疲れているし、やりたくないよな。さぼれないかな?)
『脈貸して』
(拍動も正常。あん時は、結構来てたもんな。体性神経系はOK。自律神経系も…まあ、いけるとちゃうか?)

『実際、どうなの?』
「今日で、3回目ですが、だんだん、良くなっています。たまに、この歯が疼く時もありますが、だんだん気にならなくなっています。腰とか、肩、首も今は気にならないですね、寝れますし。顔も、ごくたまに、ゾアゾアとしますが、結構気にならない日が増えてますね」

(やったー。今日は、さぼろう。)
『5週間で来たね。ちょっと、今回は、様子見ようか。でね、この歯あるじゃん。今度痛みが出たら、やはり、根っこ治療やり治そうよ。前回は、様子見るにしたけれど。あんまり気持ちよくなしさ。』
(ジャパニーズエンドは、やっぱ、廉恥の精神で生きたいよな。待つか?それにかったるいし…でも、やりなおすべきだよな…本人の抵抗もあって、出来なかったわけだもんな。結構、何も起こらないもんだな…)
「そうしますか?」

『でもね、おかしければ、来てな。』

「分かりました」

『じゃあ、歯石あるか確認して、一端区切りにしようよ。で、6週開けてみよう。』

リハビリ本に書いてある早期のアクティヴ化は***ていうのも、まんざらじゃないよな。症状を取るのに前回は3カ月、今回は1カ月切った。やるね。しかし、プライマリケアーは、侮れないわ。慢性化が一番厄介よね。まずます。

でも、デパスあるといいかもな…
リエゾンか…

ある会話の一部

ある会話の一部
『**さん、随分、腰いい感じになっているみたいじゃない?』

「そうなんです。前みたいに腰が痛くて寝れないって事はなくなりました。おかげさんでよく眠れますし。顎が急激に痛くなることもなくなりましたし。頭痛もそういえば、ここんとこしてませんね。」

(一時はどうなる事やらと思ったもんな。顔は常にどす黒くて。でも異常ないと医科には言われている。でも、体中痛くて、ひどい時は疲れて床に倒れこんでいた…今は、随分肌色が増えてきたし…ま、いいか。俺、歯医者だし、皮膚は分かる必要無いし…)

「しかし、先生今回の矯正は、速かったですね。半年ぐらいでしょ。」

『意地があったからね』
(そうなんだ。3年前は、耐えられなくて途中で辞めて、結局、何も出来なかった。ただ、スケーリングの歯石どり…どういう経緯か、もう1回やる事になり、歯医者が敗者復活戦と洒落にもならない、ダジャレで奮起させながら、始めた。)

『じゃあ、**から行こうか。』

「はい、よろしくお願いします。先生、肩を取ってよ、それと、首を」

では、また、気が向いたときに。

HP上で、
はたまた、診察室で

んじゃ。

*個人のHPでしかないです。全てを信じるなどという暴挙はされないでください。それよりも、何かを感じるきっかけになればいいなって思います。それが、個人のHPというものです。どうぞ、よろしくお願いします。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

保険の摩訶不思議な世界観を知っていただいた上で、別の問題を提言出来るかもしれません。それは、ドクターの技量であり、経験を今度は上げて良い気がします。

でも、そこには、必要な項目が、多分、その“ドクターの医師として”の“良心”もあるかもしれないから、余計難しいのでしょうね?

ここが見えない精神世界故に、健保法信奉者が着け入る場所があるのかなって思うのです。
どんなに、安全性と、有効性が経済支援法と関連性が薄いといっても、伝わらないのでしょうね。

良心があれば、解決が出来るという、(理想期待論的)精神論を成立させているのだと思います。

失礼な言い方をします。経済弱者が住むアパートと、大手マンション業者が建てたマンションは、同じように安全であると、きっと、彼らは言う気がします。暮らしやすさはと問いかければ、別の素敵な言葉で、普通、納得せざるを得ないような余裕な用語で切り返すのだろうな、そう思います…

 地震と言う例外事項ではなく、環境面とか、色々あったとしても素晴らしい切り返し用語を用意しているのでしょうね…

でも、こう考えると分かりやすいかもしれません。彼らの言う安全て、もしかしたら食中毒的側面かなって思うのです。15分でさーっと食べ終わるラーメンと、1時間かかるフランス料理では、食品安全法上、安全だろって、言っているのだろうな。食中毒になりませんものね。

おいしさは?と問いかければ、それは、感性の世界だと切り返すのでしょうね。

でも、文章にある言葉を幾らお経のように唱えられても、既に保険制度が、自費診療を凌駕している部分など、一個もありません。ここが、大事なところです。
技術は、手間暇かけ、確実に、段階的に行わなければ、結局の所、いいものなど出来ません。それには、時間も経費もかかります
1/10で、何ができるの?

いつの間にか、法の下の平等が、経済的弱者に合わせるようにしているのではないでしょうか?なんとか払えるかもしれない中産階級を無視し、裕福層には、逆差別的に搾取のみを行い、帳尻を合わせている…
そう考えると、信奉者が、一生懸命混合診療は、***と色々な角度で言ってくるのも必然かもしれません。

経済弱者に合わせている限り、法の下の平等は言えるでしょう。
公平、安心という言葉を常に、掲げている事は出来るでしょう。

この国を支えた中産階級市民の壊滅につながるような気もしますが、この国は歴史を忘れる方策に転換するのでしょうか?中産階級の壊滅は、治安の悪化、モラルの低下、学力の低下、と、逆に社会維持費が増える事を意味しますが、どこに、立法は、司法は、そして行政はその先を見ているのでしょうか?

ところで、この論法でいくと、最後は無所得者に合わせる事になりますが、この国は、乞食の国に政策転換をするのですか?

ライセンス者が一番支配されなければいけない医師法、歯科医師法、薬事法よりも、健保法を上にかざして、前門を固めて、後門のトラたる大臣の言葉を用意している意味はなんだろうと考えます。

ここが、大いに疑問です。

これは、誰の得になるのでしょうかね?

半世紀前のルールを一生懸命守る事で、給与を貰う方々の為ではない事を心から祈りたく思っています。

独自性で、自費を走る先生方は素敵です。インディペンデントと思います。しかし、この本質的問題から逃避するがごとく、流されまいとする集団が、哲学論かもしれませんが、一番、マゾ的にサド的に、そして、ナルシスト的に流されるからどうなのだろうと、考えてしまうのです。

ただ、強引に治療行為をするというのは、唯、無理な治療を行うというのは、まさに、健保法の信奉者の思う壺なのかもしれません。

治療を受けられているだろうという、言葉に置き換える事が出来る気がします。

頭が痛くなります。本来は、方法論の一つでしかない経済支援法が、医師の覚悟より、歯科医師の覚悟より、薬剤師の覚悟より上という事にしてしまったわけですので…国家試験の価値も落とされたものです。

最後に大事にするべきは、どこの層で、次に守るべきはどういったセーフティーネットを用意するかだと思うのですが…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

歯科医師法よりも、医師法よりも、薬事法より貴い健保法の信奉者が、導いた意味は、混合診療禁止という政策が安全性の担保につながり、医療の質が確保されるという効果になります。

歯科の再診料は、400円です。
ここに、滅菌代が含まれております。多分ね。
例えば、当院を例にあげます。
洗浄、アルカリイオン水にて超音波洗浄、水洗、滅菌パックに包装、オートクレーブ滅菌
ガス滅菌を行う流れもあります。
グルタラール溶液(肝炎等対策)から始める流れもあります。
消毒法も入れると、もう一工夫していますが、ま、こんな感じ…
ま、患者であるあなたはどちらでもいいと思いますが…
ところで、この作業で行う材料費って御幾らになるかご存知ですか?
10円?だと嬉しいですね。100円?これでも、笑いましょう。お仕事をされている方ならば想像つくと思いますが、原価に対してどれくらいの利益が乗るべきかなんていう事を…
200円~300円強。利益は100円弱、ま、100円確実に切るのですがね。ただし、一切のエラーが生じないという事です。落として再度滅菌の場合、赤字ですよ。
私らスタッフ含め、4,5人の糧ダス。
ね、すると、15分で一人見るという前提のシステムだという決めつけは、決して間違った考え方ではないでしょ?大量削りにこそ、黒字化の秘密があり。小さな利益も、短時間に集めれば大きな利益になります。小学生の算数レベルです。高学年扱いをされているようです。ありがとうございます。
こんな調理法では、高い飯屋はありえまへンナ。

そうか、日本の安全は昔はタダだったから、我々にも安全の確保はただでヤレ!

国語力の弱い僕は、理解しようと努めて以上の事ぐらいしか想像がつきませんでした。理屈を導かれた信奉者の前提は、公僕の地位ゆずったる。で、お前の金で食わしてや。税金も払ってチョウよ。一応、建前上は、公僕の顔をしとくわ。ヨロシクナ!ホナ、さいなら。
こう考えると、良く理解が出来ます。コンプライアンス順守と言う置き土産をされた同胞は、遠慮しますという意味だったのですね。国語は、ほんま難しいですわ。

ところで、歯科において、それほど危険ではないという前提で自費治療を受けられる方もいるというお話でしたね。

この方々は、僕はこんな感じなのかなって思います。

  1. 保険の建前を知ってしまった。(信奉者さん、残念ね)
  2. 先生を絶対的に信頼して、迷う必要がない(信奉者サン、関与しないで)
  3. 保険にその病名が無くて、自費治療を選択するしかない(信奉者サン、嘘ついたね、それとも気がつかないふり?を頑張るかな)

 腕一本と言う自費の先生は、単純です。尊敬します、といった意味がここにあります。
患者の絶対的信頼を得ている先生だと思うのです。
その先生は、自信の得意、専門分野において、他の追随を許さない極みまで来ているから、結果、当たり前のように患者が来ると思うのです。
何もしなくとも、当たり前のようにセカンドオピニオン依頼も来ると思いませんか?

コンプライアンスとか、理屈をこねている先生は、逆に自信がない裏返しになりません?まめに相談コーナーに顔を出すのは、実は、そこまで極めていない成長途中の可能性か、勧誘、誘導の為の努力と見なす事は出来ませんか?
まめに医療の良心として顔を出すのならば、最後までいい人でいて欲しく思います。ところで、いい人に、果たして、ブラックジャックになるだけの力があるのでしょうかね?そこが、ソフィーの選択ではないのですが、私の謎です。昭和までの価値観と、今は変わっているのでしょうか?難しいです。
そして、そんな目で、セカンドオピニオン外来と、強く打ち出すHPを見ると考えてしまうのです。でも、本当に、私も分からないのですよ。なんで、急に増えた?それだけです。とろい感覚なのでしょうね…

ただ、なんで、こうもおかしい事だらけかと考え続け、何度考え直してもこんな所にしか結論が行かなかったというお話でしかないです。

分かりません。

ゆとり教育は、緩み教育、たるみ教育と言われても、それでも間違っていないと言い切る作られた側の方もいます。国際的に学力の水準が落ちてもそれでも正しいと続けるべきだと張り切る作られた側の方もいます。

この現実に対しては、何が問題だったと反省されたコメントを今の所知りません。そして、普通、資本主義社会、民主主義社会では、誤りを犯した人間は退場を求められます。あるいは、ペナルティーがある気がするのですが、平和の意味も変わったものです。

それを象徴と見て良いのか、どうか分かりませんが、理想と現実という言葉、理念と現実のすり合わせ、チェック、修正という行為を何時から、疎かにする風潮に変わったのかしら?そんなことまで、この頃考えるようになっております。

勘違いの方は退場なり、どうしてもというなら、窓際という踊り場に置かれる事も、時に社会愛になる気もするのですが、難しいのですかね?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

保険診療は安全だが、自由診療は危険なものが多いという前提が噴き出す理由があると思います。と、同時に、それほど危険ではないという前提で治療を受けられる方もいます。

前者の患者心理は、僕の中では、三つ。
一つは、保険診療は安くなければならないという、観念。
一つは、歯医者は儲け主義に走っているという、先入観。
一つは、出来ない治療でも、生活の為歯医者がトライせざるを得ない、現実。

一つ一つ検証していかなければならないと思います。

保険診療は安くなければならないと思い込ませた方々が、違うという事を広く言うべきでしょう。
安すぎる物を、更に安くしろという事に無理があるという現実を伝えるべきと思います。
これを、歯科医側が伝える事が要求されるから、おかしくなると思います。
どうして、考えつかないのでしょうね?

儲け主義に走るという言葉においては、どの時代にもそんな人間はいます。相手しない事です。しかし、半世紀分の遅れは、既に、保険制度を一生懸命、健保法の絶対信奉者の下、彼らが、発展してはいけない、発展させてはいけない努力をしてしまったのですから、安全、信頼性をおける自費診療を歯科医が進めるざるを得ない場面があるのは致し方ないと思います。
むしろ、その矛先は、その信奉者にぶつけられるべきと思います。
その信奉者に左右されている現場に訴えれば、いずれ、現場からの反撃を食ら事になるのではないでしょうか?

出来ない治療でも無理して…
これが、一番悲しい現実を作っていると思います。でも、本質的原因はそんなにないと思います。
教育制度の問題。
生活権の侵害からくる生存本能としての次の手。

ビジネスチャンスと、経営コンサルタントの介入。(全員と言う訳ではないでしょうが)とにもかくにも、自費治療の導入を進める。この場合、ジャンル分けすると技術論になると思いますが…

これを、足し合わせて、起こる現象を考えれば、大体、理解が出来るように思うのですが…
*でも、不思議です。マスメディアという社会の木鐸が、この事実をいまだ分析をかけない理由が。不思議で仕方無いですが、言い方を変えればどちらかなのでしょう。健康に関わる歯科界がその程度の業界と見なされているか、彼らに既に、その分析、評価する力と社会的役割を果たす能力を欠如させている?ま、どちらでも良いと、ここについて、私は思っております。所詮、市井の一開業医でしかないので…

話を続ける前に、この現象のせいか、次々と、保険医を捨てる人々も出て来ている面も忘れてはいけないように思います。

腕で勝負という強い意識で、自費医に行かれる先生もいらっしゃれば、そんなにコンプライアンスと言うならば、コンプライアンス順守の為、やめます。いうなれば、現場の反撃の表れと思っています。でも、思うのですよ。このコンプライアンスを、分析すればするほど、健保法に対してのみ反応しているように思われるから、何か、寂しいなって思ってしまうのですよね。

 腕一本で行けばいいだけですから、何も、言い訳がましくコンプライアンスという言葉を持ちださなくとも…というのが、私の個人的所感です。

理不尽な信奉者に、最後っ屁を残しても、彼らは何も答えません。無視してご自身の信じる道に行かれる事だと、勝手ながらに思っております。
これは、私の感性ですので、ご了解ください。
私はもう少し、この信奉者を見ていようと思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

*体が、お辛い方はこの章を飛ばして下さい。また、雑談から始まっております。

すごく不思議です。
東京地裁の指導した(庶民の僕はこのように解釈しました)不可分一体論に基づいて混合診療を禁止と求めた政策は、医療の安全性の確保、経済的負担はどう考えているのだろう?そのように思います。

2006年発表の厚労省調査では、がん患者の医療費負担が年129万円、そのうち保険診療の自己負担分が70万円、民間療法やサプリメントなどの隠れ負担分が59万円という結果も出ています。

ここで、着目しなければならない事は、自由診療に相応する部分が既に存在しています。

さらに、悲しい問題は、先進国では10年も前に認められているのに日本ではさまざまな理由から認められていないドラッグラグを上げられるでしょう。おそらくですが、がん患者は鉄壁な安全性より、命だけは助かる有効な薬を求めていると思います。

医療に求めるインフォームドコンセントは、もしかしたらこういう場所に活躍すべきであり、個の責任において、判断するというあるべき姿に戻れるような気もします。
この前提に立って、医療機関が追加金を取る事があっても、それにより、もしかしたら、先に記した自由診療相当部より安く抑える事が出来るかもしれません。

追加金とか、併用金という表現を用いましたが、その場合、医師も医師法の良心に従い、そして、その安全性を逆に勉強をしてと…。
実は医療サイドと、患者サイドに双方にも、利益は大きいのではないかと思うのですが、不可分一体論という素晴らしい言葉で説明をしていただいた規制は、差し迫った患者の心に何を落としていくのでしょう。冷酷?理不尽?愛はないと思うが…で、がんじがらめにした上で、国民皆保険を壊す可能性もあるからと、言われました。ところで、この場合、一体誰が得するのだろうと、国語力の弱い私は考えています。誰か、教えてください。
歯科心身症と言う病態群に分けられる疾患はあっても、さて、これは、言い方を変えれば、ガンより性質が悪く、最初から保険外診療扱いになってしまいます。

病態を知らない、病名を知らない裁判な方に、保険で扱われていない疾患の方は、どこにその居場所を求めればいいのか、僕は、イライラが止まらない心身症のような感覚に襲われます。

この瞬間、既に、この方達は、国民皆保険の枠から出されることになります。

 この裁判な人は語ります。混合診療禁止の目的や理由は、医療受療の公平性平等性の確保だそうです。それは国民皆保険制度のもと国民は等しく公平に医療を受けなければならないからだと。すなわち国民皆保険で認められた保険診療だけを受けなさい。

では、そこから排除された人はどこに行けばいいのですか?

心身医学を介しての葛藤と、題名を付けた理由はここにあります。

リエゾンという概念は立派です。素晴らしいです。
しかし、歯科では、自費診療。次に精神科に行くと、保険診療?患者は混乱しませんか?

僕はこのように感じます。
患者の安全、有効性は歯科医師法に則って行動しなければなりません。
しかし、歯科医師法より優れているものは、あるいは、その前に聳え立つは経済支援法である、健保法であり、その評価が1/10であれ、それが、国民の公平さにつながります。
そのように東京地裁な裁判な人は、啖呵を切りました。
では、そこから除外される人は、どこに、行けと?死ねと?苦しめと?忘れちゃえ?が正解と、この頃は思っています。一番、残酷です。
そして、後方からは大臣さんが、素朴に、デフレだから、診療報酬は下げないといけないと。

これは、患者であるあなたの、あるいは、近しい人の責任範疇でしょうか?
これは、臨床現場にいる歯科に携わる人間の責任範疇でしょうか?
ここのどこに、個人の自己責任という言葉が入り込む余地があるのでしょうか?
どうか、裁判な人に近しい市民の方、どうか、大臣な人に近しい方、尋ねて頂けないでしょうか?

見事に前門のトラ、後門のトラの完成でございます。アホクサ!

一つおまけに、その危機的状況が、無理な治療や、手荒な治療を生み出す温床にならないのでしょうか?
彼らは、市民の公僕という意識、司法の精神、立法の精神は、どこへ落としたのでしょうね?拾った方、是非、落とし物として彼らに届けてください。大事な人としてのハートの部分だと思いますので…
最後に、彼らの給料は、私達の税金です。

でも、始めから落としていない可能性もあるので、その場合はどうしましょう?
ね、葛藤しませんか?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

*体が、お辛い方はこの章を飛ばして下さい。また、雑談から始まっております。
健保法にその全てがあると判断するのは、立法判断だと思います。最高裁が、どのように判断するかでしょうが、今の所、東京地裁の判断が、有効になるのかもしれません。

ですが、この判断をされた裁判官に問いかけもしたく思います。

時代錯誤という言葉をご存知ですか?
勘違いという言葉の意味は、知られていますか?
虚構という言葉の意味、考えられた事ありますか?

なんていう具合に。

歯科における医療の質は、経済支援法という1/10評価のおかげで、荒れるだけ荒れていますよ。良心的に踏ん張っている先生方も、結構、疲弊をし始めていますよ。
医科にしろ、歯科にしろ、もしかしたら、保険診療において医療被害が出ている可能性がありますよ。

1/3の評価、1/10の評価(医科の世界との差、歯科の世界との差)で、どうして安全な治療行為が生まれると言えるのでしょう。

無理に無理を重ねれば、それが、結局、医療被害を生み出す温床になりませんか?

今度は患者になる可能性のあるあなたや、患者であるご自身に照らし合わせればいいと思うのです。あなたの会社は、1/10の評価の売り上げしか貰えません。さて、維持するためには、どのような事を、その会社と組織の一員であるあなたはするでしょう。

答えは単純です。

騙して金を取るという行為を選択するしかないのではないですか?
詐欺という方法かもしれません。
偽証と言う方法かもしれません。
強引商法?
誘導商法?

ここが、私は大きなポイントだと思うのです。

考えるだけで不安になってしまいます。机上の世界の裁判な人や、能天気大臣決定な人のおかげで、僕は心身症にされそうです。現場を知らなすぎ。国民の健康を、無意識にないがしろにしていませんか?

出来なくとも自費に走らざるを得ない歯医者を生み出す温床にならないでしょうか?
いきなり歯を削り、とにかく治療行為を成立させて、その後、保険請求を強引に押しつける。
素敵にするため、ここと、ここを白い歯にしますので、次回までに@@万円用意してください。

こんなさほど、驚く必要性も無い現象が乱れ飛ぶ形になる気がします。

不信という言葉も出るでしょう。
逆に、人の身体のメカニズムを壊して、小さな問題を相当に大きな問題にしてしまう事もあるかもしれません。

どうしましょう。ないがしろにしていると言われた方は、どんな素敵な言葉を用意して、納得させてくれるのでしょうか?

*もしかしたら、追いつめられて無理な治療を行い、結果、医療被害、健康被害を生み出している可能性はないのでしょうか?
医療被害の因子の分析をする事なしに、経済負担の支援法ともいうべき健保法のおかげで、自費治療だけがクローズアップされている可能性はないでしょうか?いかがお考えになりますか?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

*体が、お辛い方はこの章を飛ばして下さい。また、雑談から始まっております。
実は、当院に来られる患者さんを介して、僕もいろいろと調べざるを得ませんでした。
筋骨格系の障害、機能障害、障害、リハビリ、心身医学等々
まだまだありますが、ま、それも気が向いたときに、紹介するかもです…
まず、そういった病態があると受け入れる事からが始まりでした。回想はこれぐらいにして続けます。

そうこう考えたり調べたりするうちに、実は、我々医療提供者側だけの問題と捉えるだけでは済まされないと、考えるようになりました。

良い歯医者がいない、歯医者は行ってみなければよく分からないという言葉に顕著に出会う気がします。

そして、同時に受信意欲の低下という問題も出てきているようです。

別に社会学者でもないので、私の情報(私の主観でしか過ぎません)が、正しく物事の本質を捉えているかは分かりません。

でも、景気が悪いから患者が来ないという理屈だけはあまり納得ができません。というのも、緩やかに患者は来ない業界になって来ているわけですから…

 この理由がどこにあるのだろうというのが、私自身のそもそもの疑問点の一つでもありました。

で、ある時気がつくのです。あくまでも僕なり、にです。

行政システムと申せばよいのか、この環境が悪化し始めている、見方を変えれば、制度疲労がもそもそもの問題の根源があるのではないか?このスタート地点からの見直しを行わなければ、ややこしくなるように個人としてはしています。

歯科医が、個人レベルの努力で解決するには、あまりに時代性のヒエラルキー、歯科医間の知識、技術の格差が出ているのではないかとも、思うようになっています。
だからと問いかけられれば、それまでですが…

しかし、この根底を変えることなく、ただ現場と患者サイドが、やれ保険、自費とやりあっても、その性質上、自費は精密度のこだわり、保険は各クリニックのこだわりであり限界があると思います。そして、患者の持つ情報力と所得力にのみ、その解決を一方的に管理する側が無関心でいられても、発展系は生まれない気がします。

規制を管理する側が投げ出せば別です。しかし、その瞬間、国民皆保険も投げ出される事を意味する気がします。だから、難しい。

医療サービス提供者である歯科医サイドにせよ、サービス享受者の患者サイドにせよ、個々の努力や行動は当然あると思います。が、実は、その本質論に、この医療を管理する側全体にその問題の根源が隠されているように思えてなりません。

何かおかしい気がします。

歯科医療には保険診療と自由診療という保険外診療があります。

そして、私達市民は、健康保険法(以下、健保法)の保護により、保険を用いて、保険医登録機関に保険診療を受ける保護をもらっております。同時に、これは、患者になった際、医療を安価に受けられるための経済的支援法的側面があります。(以下、経済支援法)

この経済的支援法の側面が、世界水準の1/10で、サービス提供者側は原資を得ているわけです。この数字は、今の所ルールですから、個人の見解を述べる必要はないと思います。問題は、経済支援法で安全性や有効性を確保しようという発想だと思います。

医療の安全性・有効性保険は本来別問題です。言い方を変えれば、同じ土俵で語るべき物ではないと思います。

健保法で自由診療を含むすべての医療の安全性、有効性が守れると考えるのはどうなのだろうと思うのです。(自由診療は、健保法の管轄外です。)

安全、有効性は私達の場合、歯科医師法が保証していると思います。
健保法が、保証しているのではないと、国語力の弱い僕ですら、何度も考えても同じ結論に行きついてしまいます。国語力が本当に弱いみたいです…

この歯科医師法が、患者であるあなたの、あるいは、近しい方々の安全性や有効性を保証していると強くしんじ、そして、思っています。

カルテ番号の間違いによる返戻や、病名記載漏れの返戻や、整合性(保険請求上)の不備と言う形(このような請求は、保険のルール上出来ません)での返戻はあっても健保組合から、医療厚生の方々から、安全性の問い合わせを受けた歯科医の先生は、多分、いないと思うのですが、どうなのでしょうか?

何故、経済的支援法の位置づけでしかない、健保法に、全てを束縛されないといけないのでしょうか?

東京地方裁判所の判断は、僕には難しい言葉の羅列でしたが、結局、健保法にその全てがあると宣言したとしか思えませんでした。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

歯科医である私から見ても、顎関節症は沢山、治せると謳う方々がいて(真剣に取り扱っている方々がいる事は肯定しております)、こける状況です。

これを、心身医学を取り扱っている先生方の立場に立って、考えれば、歯科が、歯医者が、心身医学の知識も無いにも関わらず、治ると唄う事は、まさに、彼らの立場に立つと、“で、ついでに、まだいうか!“と、発展性が無いような気がしてなりません。

発展的な関係の下、連携できれば、どれだけ、有用かと、時々思います。

精神科と連携して病態をみるという解釈を与えるのが正しいような気がします。

リエゾンの意味です。

以下に記す事は、リエゾンにおいての代表的な状態だそうです。
精神科からみえる世界なんだろうなって、私は勝手に思っています。
この見える世界を歯科治療の関わっている所も私なりに分析したく思います。

赤字歯科治療行為としましょう。青字は、それと関係すると思われる?歯科治療のせい?としましょうか?茶色歯科治療が必要としてみましょう。

  1. 自覚症状があるが、それに見合う他覚的所見がない
  2. 自覚症状があり、身体的他覚的な所見があり、その他所見で自覚症状を説明できるか難しい
  3. 明らかに口腔内に疾患がある
  4. 明らかに口腔疾患であるが、その身体症状が環境変化によって憎悪する
  5. 審美、美容外科的行為が存在する
  6. 口腔領域に不随運動を有する
  7. 過去に不適切な処置が行われている

 

で、今度は歯医者から、この言葉の意味を考えてみましょうか?
見方を変えると、身体面への治療が良くならないとの理由で、精神科に依頼をかけてもそれは、非常に難しい側面もでてくるのではないかと思うのです。⑤⑦が該当する気がします。

また、身体面を徹底的に治してから精神面を考えるという行為も、不適切につながるかもしれません。①②がそれに当たるのではないかと思うのです。ところで、この場合、歯医者の言う身体面って何?

①②⑤⑦に関しては、見方を変えれば、倫理面という側面の解釈もできますが、見方を変えれば、環境面の影響という言い方も出来る気がします。

そして、臨床現場においては、どれだけ、治療行為に関し、基本に忠実かが大事になってくるような気もします。最低それだけはお伝えすべきと思います。
また、無理な治療行為はどれだけのリスクを持つのか、歯科界も知っていく必要が、こんなリエゾンという考え方や、他科の見解からも実は見えてくる気がします。(リスクの理由もどこかで、気が向いたら触れてみたく思います)

とすれば、セカンドオピニオン外来を仮に行う事を考えられるのならば、少なくともそのクリニックの専門領域について行われる方が、実は迷惑をかけづらいのかなって思ったりもします。

私は、とてもではないですが、そんな大それた事は掲げようとは思いません。

おしまい。

不適切な治療

ここで、考えていただきたい事は、不適切な治療という言葉です。

我々歯科医も、歯科業を生業にして生きております。
保険行政は、如何に医療費削減というテーマで、その部分のみ執着するがごとく、あの手この手と、私から言わせれば、本質論から外れた所で、意見を、現場学を知らない方々が自信を持って言うものと、感心しています。

15分を一単位で作られていた時代。
理想は1時間の内容を、15分を基本とするという単位で作られてた制度。

これでも、命は守られます。
命を守る事を主に考えられた制度であれば、何も疑問の余地を挟む必要性はないと思います。

それが不適切か否かは。
命は保証されているわけですから。

不適切でも、命にかかわる敗血症、菌血症等の感染から守る貢献は十二分にしてきた物と思います。問題は21世紀も、感染症の時代なのかが大事だと思います。疫学的考え方です。改めて、歯科界は、その一考がいるような気もしますが…どうなのでしょう?

しかし、命で無く、健康に価値の移り変わりが起きているのが今の時代と僕は思います。高齢化社会になればなるほど、健康へのこだわりが世相として大きくなるのは当然のような気がします。今回は何気に心の健康という事もテーマにしています。

そして、この思想の先には何が見えるのかなって、僕自身、興味を持っておりました。私のフィルターからはこんな世界観しか出てきませんでした。

その中で、不適切な治療という言葉を、医科サイドから提言をされているように思いました。これは、私の解釈です。先入観があるかもしれません。ご注意を。しかし、仮に不適切であれ、歯医者の生活の為には、15分を主体に強引であれ、業を成すという行為も、従事者が生きていくという行為の前では否定できるものではありません。私は、そのように考えます。これは、一般論で、当院がどうしているという議論に、お付き合いする意思はありません。

回転寿司のごとく、回転させるしかないのが、歯科の保険行政が導き出した生きる方法論のように思います。

この制度が、本当に制度疲労をしていないのか、改良で済むレベルなのか、あるいは、抜本的に構成し直さないといけないのか、おそらく、この議論を抜きには解決案を求めてはいけない気もします。今回の政権交代でも、目先、こて先に、少なくとも保険行政に関しては行われているような気がしてなりません。交代したばかり故、おかしいと声を荒げようとも思いません。寂しいとは思いますがね…
マスメディアの方々を、結構、茶化す文章を書いておりますが、実は、マスメディアにおける啓蒙や、教育(患者に―もし、医療サービスと捉えるならば、消費者、医師に―もし、医療サービスと捉えるのならば、提供者)を行う場合、その効果は大きいという研究データ?報告?などもあります。ヨーロッパの方でしたが…是非、実践して欲しく思います、個人的には…

そして、事実を自社のフィルターで、こだわる部分のみ報道をして(この行為は否定されるべきものではありません)この抜本に関わる部分は、触れないという行為は、どうなのだろうと思う時があります。意見を持つ事は悪い事なのでしょうか?でも、出来ないならば、あるいは、能力が無いのならば、マスメディアという肩書を、情報を流す仕事、言われた情報を面白おかしく噂に変える仕事と、その位置づけを変えるべきと思います。何も知らない一人のつぶやきです。

少なくとも、医療界の片隅とはいえ、そこで生きている私には思えます。

まだ、元気な人が多くいる時期に、ちこっとでも、考える社説医療改革を求める(野次るだけではなく)必要性を訴える分析を報告して所感を言う批評家、評論家?ではなく)是非とも、生きた責任を取る覚悟をした社説を私は、目を通してみたく思います。今も、それが、楽しみです。

そんな所から、アクションを起こしていかなければ、不適切な治療は解決していかないのではないかと思います。

ある大臣のセリフ

ある時、ある大臣が素朴にこんなセリフを言っておりました。

『物価が下がっているから、診療報酬を下げる』

ところで、診療所に勤める職員の給与、家賃は下げられないのに、何故こんな議論が提起されるのでしょう。
「診療報酬=医師の収入」と安直な誤解から生まれていると思います。
同時に、想像力が無いのか、国語力が無いのか、昔風に言えば、おつむが弱いのか…馬鹿? 間違いました、恥知らず!と、何故か、はっきりとお伝えしたくなる衝動が湧き上がりかけました。あきらめました。魚みたいな曇った目に感じましたので…

一つ、政治家の言葉は非常に大きいと思います。まあ、随分、思いついた事を配慮抜きに言った物と感心します。浅はかな人と思います。優しい僕は、カメラの前で緊張して、ついつい言ったのだろうと、心を落ち着けるため、野菜ジュースを飲んでみました。

厚顔無恥とか、羞恥心とか、破廉恥なんて、言う具合に、表せるのかもしれません。
恥を重んじる廉恥の国が、恥も外聞もなくという、この国を大きくした、強くした精神を忘れる事はあって欲しくないと思うのは、私が、寂しい人間だからでしょうか?

公なメディアも、評論家も、ただ、スルーしていたように記憶しておりますしね…
やっぱり、寂しい人間なのだと思いました。こらえる為、緑黄色のジュースから渋い葡萄色のジュースに変えてみました。

ただ、一つ誤解無きようお願いしたい事は、診療報酬とは医業を運営していく全ての費用の原資のことです。

あと、おまけですが、経営者として金策に走り(昔と違い金融機関は医療機関になかなか融資をしてくれません)、職員の不満・悩みを聞くなど多忙な日々を送るようですよ。標榜時間に終わると思ったら、甘いですよ。事実、私の労働時間は、勉強時間も入れれば、一日18時間なんてしょっちゅうです。労働法の保護も無いです。残業代もありませんしね…

気持ちを入れ替えて話を進めていきましょう。寂さなんて、サヨナラと行きましょう。

あ、そう、あと一つだけ。
医療経済実態調査の数値は条件を少し変えるだけで大きく変動します。だから、財務省の数字の強い方は、本当に頭がいいと思いますし、それを、見抜く力がない警鐘、啓蒙の方々には、是非、頭を良くする根野菜系のジュースを飲んで賢くなって欲しく思います。嫌味です。多分…

で、そうなると、手っとり早く、コンプライアンスを守るためと称して、自費医療に走る人々も生まれるのかもしれません。
保険の延長線上の、材料がいい素材を使うだけの自費治療行為に走る人々も生まれてくるかもしれません。

生きていくためです。受け入れてください!と、メッセージを送るのが正しいのでしょうか?野菜ジュースをこの頃飲まなくなった私には分かりません。

ただ言える事は、自身の腕を信じ、腕一本で医療を自費で責任を取る覚悟を持たれた先生方とは、明らかに違うように、私は思います。

その差は如何に?
ここで、おしまいにします。

*デフレの脱却を課題に置かれている方々に質問してみたく思う時もあります。医療産業をデフレの真っただ中に国策か、意図的か、無意識かは存じ上げませんが、何十年と医療界を巻き込んでもう一度、デフレ対策を執行しようとしているように感じます。果たして、国がデフレから脱却することは出来るのでしょうか?既に安すぎる状況を今度は、どのように持っていきたいのでしょうか?外国が高いではなく、日本が安すぎるという意味を、如何に捉えているのでしょうか?さらなる次のデフレ亢進政策で、医療機関からどれだけの失業者を輩出させたいのか、そして、就職難に追いやられる新たなる人間を作り出して、どのような雇用対策をしたいのか?コンクリートから人への時代の、キャッチコピーはどのような社会構造を理想とし、目指していくのか一市民として、注目をしております。かしこ

無理な治療行為

審美、美容外科的行為が存在する、と心身医学的側面で精神科の先生方はリエゾンを行う際、分析をしていると記しました。

歯科医の私が置き換えると、無理な治療行為という言い方になります。
ここでは、詳細を省きます。
構造の世界や、機能障害の世界等々記していこうかと思ったのも、その無理な治療行為とはどんなものか、私なりにまとめたいと思った所にその動機があるのかもしれません。誰かに心理分析をしていただいたわけではないので、実際は分かりません。

本当のプロフェッショなる自費医はいます。これは、間違いのない事実です。ある専門領域では、実際、ブラックジャックといえるドクターを私は沢山知っております。(でも、両手で足りるような気がするので、果たして、何百人もいるのかと不思議に思う時もあります)

心身共にやはり大きなプレッシャーと戦っているものと私は、常々尊敬をしております。私の専門としている世界とは違っても、いつも、その感性や考え方は敬服します。生き方なぞは、漫談風ですが、見習いたい、あやかりたい、爪の垢を煎じて飲めば、その領域にいけるかと思う時もあります。だから、私も勉強を続けようと思えるのだと分析します。医者は生涯勉強という意味は、こんなところにあるのだろうと思っております。

僕が尊敬する彼らは、本当に職人気質の塊が共通項にある気がしてなりません。
しかし、例えば、暇なのか、ネット相談に積極的に顔を出す方々は、果たしてブラックジャックなのだろうかと時々疑ってしまう心せまい私もいるから不思議です。でも、同時に、良心的な存在である事は、間違いないです。私は今の所そこまで性格は崩れていないです。

自分の専門の世界に特化され、技術的な部分や、考え方を、その運営サイトの趣旨に賛同されて時々、善意で顔を出す方々とは、始終顔を出す方は、違う気がしてなりません。実際、“何かがある”と、一線を引いてみるべきなのかもしれません。私には、分かりません。
それぐらい、ネットの相談ごとは、難しいと私は、思っています。これは、個人の偏見ですので、影響されずに斜めに見ていただければと思う次第です。

一般論で解決しないものであれば、あるほど、心痛む患者も大変だと私は思います。(当人にとっては、それどころでない事は重々承知しております)

ネットを頻繁に活用するのも、知識を得る事もあるのでしょう。
ネットで相談を持ち込むのも、患者サイドからすれば、心の準備、文字を通して客観的に判断する作業もあるのだと思います。

その行為は、何ら、否定するものではなく、肯定されるべきものと思います。

しかし、問題は、現場の世界では、主治医に伝える事が出来ない。コミュニケーションが取れない、こんな所に、実は既に、問題がある気がします。

さらに、時として問題になる可能性として、積極的に自身の存在をアピールする事が、患者を誘導する、誘導商法という見られ方はないでしょうか?

患者満足が得られる限り、何ら問題はないと言えるのかもしれません。そして、その限りにおいては、誘導商法ではないとみなせるのかもしれません。しかし、そこにトラブルが生じた場合、それは、相互にとり悲劇でしかないと思います。そして、その場合、どのように判断されるのだろうと思います。難しい問題です。

思慮深さとはきっと、こういう事実をどう捉えるかという為に用意されているのではないかと思うのです。

この答えは、私には分かりません。
ただ、それでも共通して言える事に、ネットの相談サイト、HPと、情報が氾濫している中で、情報の享受者も、発信者もその思慮深さを前提に、安易ではなく冷静な判断が必要なのではないかと、私は思います。

審美、美容外科的行為が心身症に存在する、と書きましたが、そのスタートに立つ事を選ぶのは患者です。そして、そのスタート台に立つことになるのは、患者になる可能性がある“あなた”や、“あなたの近しい人か”もしれません。

この治療行為には、私の知る限りクイック矯正という名の審美補綴、インプラント治療、外科矯正、矯正、審美補綴という物が含まれているようです。ですから、よく理解され、よく考えられ、身をお任せしたい先生の思慮深さ、知識、技術等のご判断は多分にいると私は思っています。

確率論という世界なのかもしれませんが、本当に難しいと思います。
だからこそ、まずは医療界の置かれている環境も合わせて知ることも必要ではないかと思うのです。批判は簡単です。ですが、環境的側面も問題の発生に一役買っていないでしょうか?あなたの仕事評価を今までの1/10に今日からします。今までの給与が欲しければ、10倍の仕事をこなしなさいと言われて、出来る人がどれだけいるのでしょうか?

話を変えますが、一時ほどではありませんが、多重債務者の過払金という言葉を、ネットでも広告でも見かける時があります。
そして、急に、セカンドオピニオン外来が増えてきているように感じます。だから、これが流行りとして生まれてきているものであるのならば、不気味さを感じます。

アメリカでは弁護士が、事故に出合った際、救急車に乗る時には、胸ポケットに名刺、ズボンのポケットに名刺、怪我をしていない手に名刺と、その風潮を茶化したお話があります。

何か、そんな光景が見えてなりません。

医科において、セカンドオピニオンという歴史はもっと、古く、時がシャッフルをする事で、おそらく、歯科界よりは洗練された物になっている気がします。

本当に難しいですね。

※注意事項

*セカンドオピニオンは、保険行為ではありません。
*そして、患者が、まずは、自身の手で資料を主治医より、一時の拝借を行い、その行為に対して、意見を求められたドクターが、私ならこの方法より、こちらの方法を選択するとか。私も同じ考え方を持つとか。その診断に対して、私は別の診断をするとか。その一つの疑問に対して、答えるものと、私は理解しております。医者の友達に聞いた、そのまんまの受け売りです。ですので、私の解釈が実際の所、正しいかどうか分かりません。
*必要な場合、新たにその疑問に対して別の検査を、患者の同意のもと行うことも稀にあるようです。
*勿論、そのトータルの意見を主治医に伝える所まで責任が生じる。
そして、その判断に対して患者が、考える
*このようなものと、記憶しておりますが、私達の業界はいつ、そのコンサイエンスを作り、いつから始める事にしたのか、時勢に疎い私は正直分かりません。
*別に、セカンドオピニオンは、患者の権利ですから、業界のコンサイエンスは特に必要としませんが、どのセカンドオピニオン外来と唄うHPにも、その注意事項が書いてない事が、私にはただただ不思議です。

**当院にセカンドオピニオンに来られる患者においては、私と今の主治医のどちらのレベルが上か偏差値競争のような比較を求める方もいました。
**現在の主治医の不満だけを述べる方もいました。
**現在の治療行為に対する意見を言う事などは正直なかなか無く、結局、一般論のみに終始せざるを得ないときもありました。
**資料を持ってきていただいた人などはおりません
**私自身、こんな経験から、当院でセカンドオピニオンを受けいれることには、非常に否定的です。(時期尚早と思っております)
**そして、セカンドオピニオンに関しては、受け入れるべき義務はありませので、当院の基本方針は、非常に消極的という事も合わせて入れておきます。
**また、私の知っているセカンドオピニオンという世界観が、仮に正しいとするのならば、果たして歯科医同士のコミュニティーの軋轢が生じる可能性に、ライセンス者同士が耐えられるのか、分かりません。ですので、私は、非常に消極的ですし、懐疑的立場をとっております。
**セカンドオピニオンが当たり前になるまでは、医科の業界に人間関係が不穏な空気に変わった事も知っております。(噂でしょうね)
**そこに、好んで入ろうとは、今の私は思っておりません。
**何年後、成熟した関係をライセンス者同士が持てる雰囲気になれば考えてみたく思います。
**同時に、世界の1/10の評価の治療にセカンドオピニオンというのもどうかと思いますし、自費の質に手抜きはない前提との比較もどうかと思います。病名を知られているかどうか分からない方々に見解を、仮にお伝えする事もどうかと思っています。
**私は、今の仕組み(保険、自費、保険で一部自費等々、専門家、自称専門家、それ以外)が、様々なヒエラルキーを生み出した中で、セカンドオピニオンというのは、土台無理があると考えている立場の者です。
**言い方を変えれば、1960年代の考え方、21世紀の考え方と、既に半世紀時間が経過した中での時代性の様々なヒエラルキーの中で、セカンドオピニオンは、相当に難しいものがあるとも考えております。21世紀の見地で述べるのですか?1960年代の見地で述べるのですか?筋骨格系の問題として?機能障害として?正直、壁々とします。勝手ながらの、個人の想いです。
 **これは、個人の主張ですので、こんな考えを持つ輩もいると、適当に受け流していただければと思います。

ですので、セカンドオピニオン外来と打ち出せる先生方の人間性には、すこぶる尊敬の念を僕は持っております。そして、是非とも、患者を失望させて欲しくないとも思っております。これも、本音です。
くれぐれも、ネット業者や経営コンサルタントの集客アイディアに乗ったものであって欲しくありません。我々の仕事の本質は、患者の来院を待つべきものであり、集客をかける性質ではないはずです。そこに、古臭い表現かもしれませんが、その行為に美さがあると思います。
医療を受ける権利医療機関の選択の権利が患者にはあります。同時に、医療者及び医療機関の誘導、勧誘行為は禁止されていると記憶しています。それは、その患者の持つ自由と権利を阻害し奪う事になりかねないからです。それだけ、医療はの存在という事なのでしょう。アメリカの弁護士の名刺が、セカンドオピニオン外来、サプリ外来でない事を祈ります。
あくまでも、歯科医は歯科医らしく、歯医者は歯医者らしくと、公を意識するたびに思いますが、如何でしょうか?
本当に、難しいですね。
チャンチャン

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

*体が、お辛い方はこの章を飛ばして下さい。また、雑談から始まっております。
ライセンスも持つ以上、歯科医は自分が扱っている病態の意味も知らないで、何でもかんでも治せるように歌うことは、時々どうなのだろうと思うのです。

そうであるにも関わらず、治療を正々堂々と行い、結果を出せるドクターは、言いかえれば、長嶋茂雄のように言葉を作る前に先に行動と結果を出せてしまう天才か、厳しい見方かもしれませんが、井の中の蛙なのか…
時々、そんな事を思ってしまいます。

でも、日本プロ野球史上、長嶋茂雄はただ一人しかいません。
どれだけ多くの長嶋茂雄が歯科界に入るのだろうと、時々、思います。

こんな見解に立つとき、果たして、セカンドオピニオンと、強く言える先生方はどれだけの勉強をされているのだろうと思うのです。

 私は、その先生の専門とされる世界のセカンドオピニオンという行為を否定する立場のものではありません。大いに活躍するべきと思います。

しかし、己の専門ではない世界の、仮に、専門家レベルでみた場合、聞きかじりの知識でしか意見が言えない場合(勿論患者にとっては、知らない知識、分析、見解を知る上では、貴重であるとは思います)それは、社会にとっては有益なのかと思う時があります。

私は、この専門で、この世界に対してはセカンドオピニオンが言えるという書き方の方が、まだ、素敵ではないかと思うのは、私が小心者だからでしょうか?

エビデンスベースに話す能力は、やはり、己の専門性にしか現れない気もします。(エビデンスの、考え方色々‐利点、問題点等は、またの機会に)

どうも、中年のくせに悩む事が好きみたいな青年の主張をしてしまう私でした。恐縮します。

さて、続けましょう。
リエゾンという考え方を書き記そうとすればするほど、どうも脱線をしてしまう私は、意志が弱いようです。
歯科医は歯科医らしくという言葉を、何時からか私は好んで使うようになっています。別に、歯医者は歯医者らしくでも構いません…

例えば、心臓治療において早期の活動を組み込むという革新的な変更を臨床現場が直ちに受け入れる事が出来た実績は、実は、医学界にとり大きな出来事のようです。この持つ意味は、飛躍的に心臓治療が、臨床的に大きな功績を社会に残せるようになったという捉え方でいいと思います。

ですが、これを可能にしたのは一つの専門領域の医師達がルール改訂を一斉に出来たという、いうなれば、環境的側面があった事を忘れる事は出来ません。

その一方で、例えば、顎関節症においては、今や(あくまでも歯科医サイドの私が見ている世界です)歯医者さんではなくて、いえ、あくまでも、ネットサーフィンの結果ですが…よく分かりません。いろいろあります。

で、口腔外科
で、歯周病科
で、矯正科
で、補綴科
等々、歯科においても、取り扱う科は、現在増殖中。

と、お医者さん?だと思うのですが
と、耳鼻科
と、内科(漢方?と思うのですが…)
と、整形外科
と、ペイン
と、精神科、心療内科
等々、医科においても増殖中、増殖中…

ついでに、国家資格では
ついでに鍼灸師
ついでにあん摩マッサージ指圧師
ついでに柔道整復師
等々、その他の国家資格でも、増殖中、増殖中

やや、忘れてはいけません。民間資格でいえば、
やや、忘れてはいけませんカイロプラクター
やや、忘れてはいけませんオステオパシー
やや、忘れてはいけません整体師
等々 やってます。やってます。増殖ぶりは流行り病のようです。

で、もう一つおもけに、
おまけに、サプリメント外来
おまけに、ハンズか、スーパーかで売っている何か
おまけに、電気家電店で売っている赤外線か、マッサージ機か、とにかく色々、なグッズ君たち…
あ、岩盤浴もあったし、
あ、磁器ネックレス
あ、宗教では石?(宝石?)もありました。本当?

まさに百家百鳴の時代の到来ですね。

こんな感じにありました。、とうとう疲れて、ついでにあきました。やや、まだあるかと、感動しました。、増殖している事がよく分かりました。

まだ、更にあったら、どうぞ、新たにあなたの日記なり、ブログなり、掲示板で紹介してください。いつか、サーフィンで眼に着いた際、紹介してみたく思います。もし、この扱う集団達に、新たな仲間が増えていたら、それは、あなたのおかげと、小さく微笑んでください。もし、見つけてしまったら、僕は、さびしく微笑もうと思っています。さようなら。
次の章で、リエゾンを行きたく思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

ところで、先に心身症の定義について書いてきましたが、総合失調症とうつ病を含む精神疾患の精神状況の重篤な場合は、心身医学の対象外になる事もあるようです。

ですから、歯科で鬱、総合失調症が、治るという言葉を安易に用いる事は、もしかしたら、危険なのかと思う場合があります。

心身医学という見地に立った場合、きっと、そのフィールドをご専門に活躍されている先生方にとっては幅広い領域を対象に出来る歯科医が増えるという事は、リエゾン外来にとり、心強いのかもしれません。が、見方を変えると、それほど知識がない歯医者までが、専門家を名乗る事にもなるでしょうから、問題を難しくさせるのかもしれません。きっと、これは、心身医学という専門家のフィールドを訳の分からない状況に陥れる可能性がある気がします。

時々、顎関節症が治ると唄う整体師を歯医者が苦々しく思う事よりも、この訳の分からい所に追い込む追い込み方は、もっと複雑で、性質が悪いような気がします。
というのも、歯科医は歯を削り、スタートにおける身体の問題をより複雑にしてから心身医学の専門家に患者が頼るというケースが多い気がするからかもしれません。その為、リエゾンという考え方を、我々歯科医が知る必要性もある気がします。

医療行為に当たる“治癒”という言葉は、現行の法解釈では決して整体師が言葉として使うことも許されないと私は思います。しかし、彼らの存在が、多くの患者にとり苦しくとも何とか現状維持なり、相当に緩和させている事実を、歯科医側は無視してもいけないと、私は思います。歯科医は謙虚になるべきであり、同時に、整体側も例えば、“解放させる”とか、表現を変えられたらいいのになって思う時もあります。

それは、彼らが、***を上手にアプローチしているからに過ぎず、歯科医が***を忘れている、あるいは、知らないせいなのかなって時々思います。(***は、ここに表記しません)

その現実を踏まえるほど、歯科医は、より謙虚であるべきと個人としては思いますが、どうなのでしょうか?
礼に始まり、礼で終わると行きたいものですが、どうなのでしょうか?
咬合、顎関節、かみ合わせと、その効能に着目をして、HPを見る時、鬱、心身症、自律神経失調症と強く関連付けて表している先生方もいますが、果たして、どこまで、心身医学に精通しているのだろうと思うのです。

時に、精通してなければ、専門家にご迷惑をかける事があるのではないかと思います。その治療行為が、仮に不適切な場合、状況をより複雑にしないかと思うのです。(この問題は、また気が向いたときにどこかで触れてみたく思います)

私自身、この見解を持つ為には、やはり、勉強にあてるという作業を行う必要がありました。

鬱等に効果があると謳っている先生方は、必ずその経験に回復させた経験をお持ちだと思います。ですので、私は、その結果を、否定する者でもありません。

ただ、ご理解いただきたいのは、心身医学という世界の心身症という定義にあてはめれば、***が悪く、あるいは、問題があり(**例えば、顎関節症、例えば噛みあわせ-広義な表記です)結果、心身症の症状を呈していた。そして、その特徴的所見は、鬱様症状であった。そのように判断した根拠は、全身所見として、不眠、やる気が起きない、ボーっとしている、何故か不安である。常に後ろ向きの考え方をしている患者の態度より、鬱症状と判断するに至った。

おそらく、簡易な表現を用いると、このような感じになるのではないかと思うのです。そして、この表現を使うべきです。鬱の診断権は医科にあり、精神科等の専門化がすべき事です。門外漢が言えば、その瞬間、己惚れ屋さんでしかないと思います。別名、勘違い?

 歯科はあくまでも歯科で、直接的に身体の病気に関わるのではなく、間接的に貢献をする事があるにとどめるべき様な気がします。痛みの概念とか、リハビリの概念を知れば知るほど、私は、慎重になるべきだと思っております。

歯科が、21世紀の新しい可能性とセンセーショナル的な側面があるという見出しを見れば見る程、寂しい感覚になるのは、私が昭和生まれのせいでしょうか?好んでライセンスをお持ちでない方々と対抗しなくとも…と思うのですけれどね。

歯科の治療が直結させて、心の病を治しますという、書き出し方は、ライセンス習得者である以上、許されないのではないかと思うのです。裳黒福造は、心のお悩みを治しますと登場して、あからさまに悩みを具現化するブラックユーモアの方だったと私は記憶しております。
歯科治療で良かれと術者が取る行動で悪くさせたら、始末に負えないと思います。

だから、患者になる可能性のあるあなた、咬合治療(噛み合わせ治療、咬合調整治療、矯正治療、プレート治療等)を受けてみたいと考えられているあなた、時として言葉は大事だという事も知っておかれた方がよいような気がします。

あなたの国語力も、あなたの身体を決める要素になるかもしれません。

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投稿者: こすが歯科医院

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