じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2014.12.03更新

終わりに~僕の出来る事は、選挙に行くこと

長い文章書きの旅路も、ここでおしまいにします。

私達が健康で、文化的という憲法が保障する権利には、医療はおそらく、必要不可欠な存在かと思います。

公的医療保険が中心で、今まで成立してきた医療という存在も、歯科(私はこの世界の人間ですので)においては、非常に危機的状況に陥り始めているのか、あるいは、既に陥っているような気がします。

診療報酬体系改定の一つの方向も、患者の視点重視という項目に変わりつつあるようです。

これまでは、診療報酬の決定は、あるいは、医療費の配分は、もっぱら、医療提供者とそれを管理する側の論理で行われて来たように感じます。

そして、医療費抑制の為に、歯科医療費を調整弁にしているのかなと思うぐらい、全体の占める割合を、急速に減らし、その下で、診療科別の収支が、均衡化するように調整している慣行が主のように感じます。

しかし、それに伴い、歯科界の状況は、脱保険診療という、方向にその舵が、切り替わりつつあるように感じます。

今なにがしかの事を、考え、今なにがしかの処方を打たないと、どうなっていくのだろうと、個人としてふと思う事があります。

十分な医療サービスを受ける為には、保険制度が適応出来なくなってきているとしたら、そのまま手をこまねいていてもよいのだろうか?と、政治家も、役人でもない、単なる市井の、開業医の僕は、感じてしまいます。

僕の出来る事は、選挙に行くこと。

僕の出来る事は、医療に正直でありたいと、真摯に取り組むことと、割り切っております。

でも、ついつい書いてしまいました。
噛み合わせの世界に特化して表現したい、HPといいつつも、やはり、この国で歯科医をさせていただいている以上、なにがしかの意見なり、考え方を記すべきだろうと思い、ついつい書いてしまいました。

 というのも、一概に、噛み合わせの治療と申しましても、実は、全ての診療項目を用意する事が、切実に要求されます。

もしかしたら、インプラントに対応する能力が、医院に要求される事もあります。

もしかしたら、矯正を、用いることが、安全な場合もあります。

もしかしたら、審美や、セラミックに精通していることが要求される事もあります。

基礎治療である、根の治療や、歯茎の治療にある程度の水準で対応する事も要求されます。

全てを自費診療で行えば、患者負担は、相当な額になります。

資本主義である以上、如何に安価に、如何に適正に、そんなところに、こだわりを持とうと決めました。そこにしか、享受という言葉を具現化させるものは、ないと、あたかも哲学かも知れませんが、考えるに至りました。

そして、保険病名にないものは、保険適応がされない現実がある以上、その治療行為に関しては、自費治療を行うしかありません。そして、保険に関して出来る事は、保険で行おうと言う事を、決めたに過ぎません。

そんなこだわりで、治療を行っているそんな心意気の何かでも、伝わればそれでよいのかなって思い、こんな章を作ったに過ぎません。

決して、オピニオンリーダーになる準備として作ったものでも、決して、世の中を批判しようとか、変えようとか、そんな心意気で作ったものでもありません。

市政の開業医と言え、医療に携わる以上、廉恥の精神ではありませんが、迷惑をかけない、この職業が与えられている使命(そこまで高尚では無いかも知れません)に忠実でありたいと、考え、作ったものです。

色々な医療に対する意見ってあっていいと思うのです。
色々な生き方があって良いと、僕は思うのです。

保険医を辞めて、自費医としてブラックジャックとして生きていく道を、選んでもよいと思うのです。

一切、自費をやらず、保険医として地域に貢献するという生き方を選んでもよいと思うのです。

僕が選んだ道は、噛み合わせで悩んでいる方々の、前に進む協力をしたいという道なのだと、密かに思っております。

そして、このシリーズも、今回を持って、終了にしたく思っております。

保険を語るほど保険に習熟していない人間が、語るには、寂いしいですが、ネタきれでございます。

こんな章を読んでいただき、少しでも、医療はどうあって欲しい、そんな思いがよぎっていただければ、半年間にわたり書き続けた努力も報われるというものです。

それでは。

また別の章で。
今度は、診療室で。

はたまた、また気が向いた時に。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その22)

口腔と全身との関わりを、決して、今まで書いてきた管理する側も、手をこまねいているわけでは、決してないと思います。

保険制度における反映に手をこまねいているわけでもないと思います。

ただ、あまりにも、解決すべき因子が、多く、制度自体に無理が生じて来ている気がしてならないのです。

もし、預けてきた医療費を、必要に迫られ、管理する側が、私達に一括で返金する仕組みが出来れば、もしかしたら、理想の治療を躊躇することなく、受けることが出来るかも知れません。

もし、金利もなく借りることが出来るのなら、躊躇なく理想の治療を受けることが出来るのかも知れません。

差額分のみ、負担する事が可能になれば、理想な治療を安価に、受けられるのかも知れません。

民間の保険会社に、適応できる商品を作ることを許可すれば、それも、また可能になるのかも知れません。

今、手をこまねいて、気がついたときには…

と、なった場合、誰が得をするのでしょうか?

そんな事を、私は考えたりもします。

 国民一人一人が、享受できる環境になるには、お任せではなく、考え、選挙にいって、反映する積み上げをしていくことからしか始まらないと、そのように思うのです。

制度崩壊が本格的に始まったとき、その時は、実は、誰も得しない結果に終わる気がしてなりません。

私どものスタンスは、単純です。
保険病名がつかないものには、保険適応が出来ない。
保険対応の技術で対応できないものは、保険対応が出来ない。

保険で出来る事は、保険で行いましょう。

そんなスタンスです。

しかし、いつの間にか、医院もかみ合わせに特化した患者が多くなっていました。
そして、その専門性を維持するため、保険の範囲で、十分治りうる患者に対しては、その役割を、ひとまず、終える事を視野に置き始めてもいます。

医院の治療の質の維持の為、保険治療のみ希望の場合、定員制を(保険治療においては、数を見ないと売り上げには一切反映されません。でも、質を守るとなると、無理はしたくないと考え始めてもいます)検討し始めてもおります。

申し訳なく思う側面もあるのですが、かみ合わせで悩む患者の深刻度は、相当なものです。生半可の受け入れ態勢では、実は、結果すら生まれない事を、経験が教えます。

ただ、矛盾しているかも知れませんが、この制度については、今しばらくこだわって考えたくも思っております。

*かみ合わせの重度の患者は、時に半日お付き合いする事もあります。(治療する事もあります)その際の費用は、施術料が基本となります。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その21)

何を持って、成功か否か、その成功率を出すという表現は、時に非常に難しい側面があるような気がするのです。

素人のあなたには(ごめんなさい、すごく失礼な表現かもしれません)こだわりたい事が、成功率という世界だと思います。この成功率という表現ほど、難しいものはありません。

ここに一つのドクターの腕の良し悪しを、考える基準に置く事を当然ながら、お考えになりたいのでしょうし、医院選びの一つの基準に出来ればと、お思いになるのかも知れません。

というのも、何を以って成功と言えばよいのか、何を以ってその治療における専門性といって良いのか、必ずと言って迷う事もあると思います。

ここが情報を得る上で、相当に難しいものと考えます。

保険制度の素晴らしさは、規格された治療を、(まがりなりにも、その金額が、妥当かどうかは別として)規格された枠で、医療費の負担を固定化していること。

規格された枠(この規格化は、もしかしたら、最高の知恵の結晶かも知れません。時代にそぐわない所も、たくさん出て来ているようにも思えますが…)で、医療が提供できる仕組みを作っていること。

こんな所が、あげられるのかも知れません。

そこに、半世紀たって、次々と新しい技術が生まれ、制度に反映されていない…(あるいは、反映できない)

ひとつ整理を置いてみるとよいのかも知れません。

  1. 病態に対する新しい技術。
  2. 治療法に対し、さらなる予後を求め、改良、工夫をされた技術。
  3. 欠落、欠損部に対して、補う新しい技術。
  4. 自然観にこだわる新しい技術。

これが、技術ジャンルでいえば、私は、今のところ、こんな風に捉えております。

  1. 口腔と全身の関係をとらえた技術。(一つには、噛み合わせの治療もここに入るのかも知れません)
  2. マイクロスコープを使用する根の治療法などは、その象徴かも知れません
  3. インプラントが、その代表ではないでしょうか?
  4. ホワイトニングや、セラミックと言われる治療技術形態にその象徴がある気がします。

 

こんなわけ方をされて、情報を収集してみると、何かが見えてくる気もします。

 言葉にすると、すごく単純なのですが、実際の治療形式は全て、バラバラになります。

その上、精密度に対するこだわり方も、医院、ドクター、環境ごとに、それぞれの文化があると思うのです。

そんな状況で、成功率という言葉だけを、独り歩きをさせても、どうかなって思うのです。

むしろ、その精密度を競う治療において、どういった考えで、どういったシステムで、どういった治療、あるいは、技術に精通しているか、そこを、見抜く、あるいは、感じ取るという作業が、情報収集において、大事ではないかと思うのです。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その20)

もはや、大きく何でも見てもらえるという発想から、一旦、立脚する事もありかもしれません。お金を預けている我々の側は。(これは歯科の話です。医科に関しては私は、専門職ではないので分りません)どう対応していくかが大事だと思います。

 ところで、情報は何が正しいのかという問題もあるかと思います。

まず、理解を深めていただきたい事に、医療の正しい評価基準は、なかなか難しい側面があるという事ではないでしょうか?

無論目安なり指標なりは、あります。
しかし、何が正しく、何が間違っているかという、単純な2元論では決してない気もするのです。

それは、私どもの仕事が、科学というよりは、芸術という側面が強くある事も、その一因かもしれません。

工学の実践を支える物理学の強力かつ普遍的な法則とは異なり、臨床医学の世界において、生物学や生化学には、覆す事の出来ない法則というものは、ほとんどないと、いって良いかも知れません。ヒトゲノムの研究より、これまで予測不能だった私達の生物学的特性や寿命、健康について解き明かされるにつれ、ようやく科学者たちが、人の身体の機能を理解し始めたに過ぎないという、言い方すら出来るのかも知れません。

だから、医療は、“その人を診る”から始める事を、尊ぶのだと思います。

だから、医療者はこだわりを持ち、ガイドラインと考えられる事を、順守しようとするのかも知れません。

一方、この人の身体すら分らない立場の方々が、中心となって制度を守ろうとすれば、余計、事は、ややこしくなると思うのです。

道具の差で、自費と保険を(こういう表現が許された時代も、僅かながらあった気もします)語れる時代は、まだまだ、この制度は、何ら問題ななかったのかも知れません。
しかし、道具、材料で治療の仕方が、変わる時代に入ってきた昨今、もはや、この制度自体を、今一度考えなければ、何も解決していかないように思います。

腕をあげ、医療に貢献しようという思いに対し、この制度は、その思いを持つ人間の生活設計を日増しに、難しくさせる側面すら与え始めています。

良き芸術家は、善き医療人であろうとして、保険医を捨てる道を選ぶ者もでてきています。

この制度は、歯科においては、確かに、WHOが最高の評価したぐらいの貢献を、国民に提供しました。

しかし、今は、この制度の順守だけを、ユートピアの旗印に、影響力を駆使している数字好きも出て来ています。

医療費全体に占める割合は、今は7パーセント代です。20年前は、20パーセント弱でした。個人の負担は、1割から3割が当たり前になりました。

数字好きにはたまらない世界かも知れません。

ところで、患者である、あるいは、患者に成りうるあなたにとって、値段が上がった分、いい事ありましたか?医療費が上がって、結果を実感できますか?数字好きは、医療を知りえません。その彼らに、今度は情報の正当性を心配していただく必要性があるのでしょうか?

結果、医療に忠実でいたいと思われる医療者たちを、保険医を卒業させ、ブラックジャックになる道を選ばせ、(保険診療はしない)
もう一方では、結果、生きていく為に、保険外診療に手を出す冒険者を育てる事を始めたわけですから…

大変な事態のような気がします。杞憂であることを願います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その19)

もしかしたら、ユートピアを語りながら何でも見れるぞと言う派は、では、正しい医療情報はどう、患者が判断するのだという言葉を、言うのだろうなと思うのです。

その為に、いくつか整理して考えなければならない事もあると思うのです。

医療に携わる専門家は、当然ながら、自身の仕事に関する情報は、専門家として、勉強するのは、当然だと思います。勿論、政治にご関心があり、余暇にご関心があり、そちらの努力を大事にされる方もいるかも知れません。でも、多くは、実際、専門家としての勉強を育まれているのかなって、思うのです。

でも、患者という医療に専門ではない人間が、はたして、そこまでの知識を身につけられるのかという事自体を、さもあらんとばかりに問いただしたり、求めたりすること自体、それは、むしろ、また調子がおかしくなる気がするのです。

むしろ、情報化の時代、自身にとり有益な、あるいは必要と思われる情報を、患者となる人々は抽出する事が出来るのかなって思うのです。患者にとり、必要と思われる情報を抽出しようとする作業は、おそらく、消費者という目で判断しているのではないかと思うのです。そして、その先には、利益を正当に享受したいという当たり前の思いがあるのではないでしょうか?

この目を当然のように、個々が持つ事を選択し始めた時代においては、規制の縛りの不自由の中で、全てをユートピアで語ろうとすること自体に無理があるのではないかと、思えるのです。

 確かに、医療は無料という感覚を(実際は、当時も今も無料だった時代など、1回もないと思います)渡されてきた時代はあります。大きく何でも見られると、うまく立ち回れていた時代は、その感覚が、横に付いてくることは、不思議ではないのかも知れません。(医療保険は、必ず払うようなっているはずです)

しかし、高度に技術が発達し、技術論という見方をすれば、その技術が分化し細分化し、高度化してきている昨今、かつてのように(具体的にどこの時期とは書きません)大きく全てを解決できるというユートピアを語る事は、出来ないと思うのです。
享受患者になるため、消費者が、分らなければ情報を調べる、そんな当たり前の事を、当たり前のようにするものと、受け入れていく方が、自然のような気もするのです。

そんな位置付けに、ネット上の、情報が行き来できると、より素敵かと思います。

知識を持つという事は、決して間違いではないと思いますし、きっと、大きな武器になると思うのです。

ユートピアを語る方々の管理する情報と、医療で生きる我々の情報を、選択する目をまずは、持つ事ではないかと思うのです。

患者である自分自身にとり、等身大の目で語りかけるような構成が良いのかも知れません。

専門に特化して、分りやすい構成が良いのかも知れません。

結果を、成功率として述べているものが良いのかも知れません。

でも、素人の方に分かる成功率ほど、時には勘違いを相手に与える事になるのかもと、思う事もあるのです。

ま、そんなお話も、その内に…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その18)

新しい技術が、半世紀たっても、なかなか基本的に認められない事は、業界としては、閉そく感を生み出す可能性があるのかも知れません。そして、ひいては、人材の枯渇、技術の枯渇を意味するのかも知れません。

資本主義の自由競争という側面に立てば、新しい技術は、各々の努力によって勝ち得る物で、その技術格差を持って、競争を成立させればよいという事になるのかも知れません。

大きく何でも面倒を見ましょうという側は、大学教育の中で、その可能性を、歯医者に伝え、システムに反映させる必要性があるでしょう。

でも、享受を考えた場合、実際は、医療は、サービス産業の位置づけ通り、自由競争にさらす必要があるのかも知れません。その方が、享受に近づけるのかもしれません。

トップダウンを好む人々は、規制の枠の中で、安全と、確実性を好むのかも知れません。

確かに何も考えずに、医療費を国に納めていれば、国が考えてくれるという安心感は、便利です。でも、規制だらけでは、実は、不便な気もします。

生産性の向上は、医療の場合、生活の質改善といった利便性に集約できるのではないかと、思うのです。

こう考えると、新技術による医療費の増加は、実は、はるかに利益を享受できる側面があるようにも思えるのです。

ユートピアを語る、大きく何でも出来ると考える側は、医療費の増大が問題と常に語ります。でも、半世紀前の技術で、効率が上がるのかと問われれば、あるいは、治癒の確立が上がるのかと問われれば、どうお答えになるのでしょうか?

その現実を、受け入れろと、お答えになるのでしょうか?

 治る確率は、やはり新しく開発された技術の方が、高くなる気がします。それとも、何度も、通院をする事を受け入れろと、言うのでしょうか?

何度も通う事も、実は、経済的には損失になるのではないかと、思う事もあります。

医療費抑制が前提のトップダウンでは、実は、不便しか、今となっては残っていないのでは?と、思う事すらも、あります。

半世紀前の環境と、治療技術のベースは、歯を削ることに、全てが集約されていると言って、良いかも知れません。

時代は、如何に削らないですむかを、考える所まで、一つの技術は進化し始めてもおります。

同じ削るにしろ、その量を如何に小さくするか…等々

だからなのかも知れません。

抑制を前提のシステムを大事に考える何でも見てあげられる派は、歯科業務に集中するよりも、事務業務に集中せざるを得ない時間を増やして、環境的抑制を、与える努力をされているのかも知れません。

ボトムアップ的見地に立つことで、如何に享受できるルールに基づく、規制と、自由競争を医療者側に与えるという事は、資本主義の、如何に安価に、それでいて、且つ、適正価格に落ち着くという側面を、もしかしたら、無視しているのかも知れません。

*例えば、インプラントの値段を色々と調べてみると、大体一つの傾向性があるように感じられると思いますよ。これは、見方を変えれば、資本主義の市場経済の波に洗礼を浴びた結果という事が出来るのではないでしょうか?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その17)

経済も何も、知らない人間が、勝手な妄想をしてみました。
でも、方法論は、何でもよいと思うのです。
多分、大事な事は、医療機関も、患者も、有益な(物理的にも、精神的にも)結果が、導かれる事ではないかと、思うのです。

 ある民間機関の調査によると、昨年度(2008年)東京において、保険医を辞めた(保険診療をしない)形で、廃院を選択した医院は、750件弱というデーターが出ております。(この場合、実際は、閉院をした所と、保険を一切取り扱わない医院が存在する、2つの実態に分けられるようです)

その一方で、厚生労働省が把握している廃院数は、東京都では、300件強です。実態は、分りませんが、400件強は、保険を取り扱わない医院の誕生という事を意味する気がします。

そして、新規開院は(保険診療を行う)300件弱です。

僅かかもしれませんが、保険診療で、受けられる場所を、患者は失ったという事を意味するように思えます。

そして、ブラックジャックが新たに400件強、誕生した事を意味するのかも知れません。

それは、きっと、素晴らしいのかも知れません。

そして、もし、この現象を、時代の波というのならば、それは、それで仕方ないのかも知れません。

では、預けた権利は、どこに行くのでしょうか?
憲法で保障された、健康的で、文化的という、項目は、どこに行くのでしょうか?

どうも、置き去りにされている気がしてなりません。

もし、素晴らしく大きく何でも、見てやろうという方々が、おそらくその該当する方々、官僚か、政府か、政治家になるのでしょうが、保証している権利を、遂行できないと認めていただけるのならば、かかる費用を、預けている分、返却があってもいいような気もするのです。

歯科の治療の場合、最終的には、補綴治療になることが多いわけですから、ある程度は、見積もりを立てることが、可能な場合もあります。

ユートピアを語りつつも、素晴らしく大きく見ることが出来ないとするのならば、その権利に対する、契約不履行という見方も成り立つ気がするのです。文化的で、健康的なという憲法の言葉に対して、その運用を任されている側が、順守できないとするのならば、その預けているお金を、返却して、患者である自分の医療費に、補充できる権利を認めていただけても、いいような気もするのですが、どうなのでしょうか?

誰もが、文化的な社会的な生活を営み、社会の一員であることを望む権利がある事を、この国は、保証しているはずです。

便利ですみにくい世の中を、作る必要はないような気もするのです。

現状の歯科界は、このままいくと、荒む所を、通り越して、どうなっちゃうのだろうと、憂慮した事もあります。個人が何か特別な事が出来るとも思っておりません。そして、特別行動をしようとも思っておりません。

むしろ、滑稽に感じる事もあります。

補綴物を作る国内の技工士の数は、既に足りない状況になりつつあります。

技工士になっても、技工士で生計を立てるわけではありません。

保険の技工物の作成で、生計を成り立たせるには、既に深夜まで、残って働き続けなければなりません。

体も精神もおかしくして、社会生活から離脱せざるを得ない状況に、なった人間もいます。

ごく一部という捉え方をされる方もいるかも知れません。

学校を卒業して資格を取った人間の5年有職率は、既に1割を切ったと言われています。

何かしら、真剣に考える時にいるのではないでしょうか?

もしかしたら、何か動きを示さなければ、この制度は、崩壊の憂き目にあう所にいるのかも知れません。

もし、実際、何かが起きた時、あなたの権利は、どこに残っているのでしょうか?

もし、実際、技工士の需給体制が、崩壊したとき、あなたの権利は、誰が、保証するのでしょうか?

もし、実際、保険ではない、自費診療を選択せざるを得ない場合、納めた権利は、どこに行くのでしょうか?

その、どこや、誰かを探す旅は、したくないものです。

そんな時代が、来ない事を、祈りたいと思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その16)

目先で、考える事も入れてみたく思います。
いい加減な、戯言かも知れません。
あくまでも、個人的な思いつきでしかないと思います。

例えば、早く問題が見つかれば、長期的には節約になります。この保障は、現行の制度では、ありません。
俗に言う予防という概念になります。この徹底化は、歯科にかかる医療費を2割押し下げる力があると言われています。

成人歯科検診という物ではなく、享受する側が行きたい時に、歯医者と相談の下検診と、予防プログラムを組めるとする。

 もし、これに対して、保障を、きっちりと与えれば、もしかしたら、この医療技術が、第1の医療費削減を提供し、さらに、新たな歯科疾患に罹患する確率を、削減することが出来るかもしれない。

素晴らしき規制を作る方々も、いろいろな取り組みを、行っていた。しかし、問題は医療提供者側への保障額であった。
だから、難しい結果しか、生まれなかったのかもしれない。

では、もし、これを、民間保険団体が扱うとなった場合、民間の競争は、何を生み出せるのだろうと、考えるのです。

民間会社が扱うプランと、協力する医療提供者がいるとする。
この医療提供者には、仮に、公務員という地位を与えるとする。
但し、5年度に、契約更新をする事とする。
年俸制という形態で、その予算上限は、決めておくとする。

月の給与は保証するが、実績に応じてしか、ボーナスはない事とする。この実績は、積み上げた、実績でしか評価しない事とする。

また、民間会社は国との契約関係とする。
この契約関係において、一切の天下り的、風潮は認めない事とする。

この民間会社に対しては、享受する側が、選べるシステムとする。仮に抜け穴があっても、享受する側が、選ぶ限り、その民間会社は、顧客を失うという痛手のリスクを常に、持つ事となる。
これを、現行の医療費の中より、国が保証する形をとる。その3割を、享受する側は、払う形をとる。7割を民間会社に、3割を国が引きうける形を取ればよい。この形をとれば、予防に関しては、全てセーフティネットワークが生まれ易くはならないのでしょうか?

ただ、選択するプランにより全てが変わる形となる。また、不足分は、差額分を、民間会社に提供すればよい。その権限の譲渡の代わりに、セフティーセットの、補助を依頼する形を取るようにすればよい。

その一方で、患者自身がファンで、保険の機会を失っても良いから、ファンの先生に、保険外でも、という場合は、積極的に、保険外のプログラムを受けとれるようにすればいい。

この予防を担う医院は、例えば、100件~200件に一件という、具合に、現行のクリニックを、公的扱いにするなりしたら、どうだろうか?公的扱い故、勤務する衛生士も、公務員にすればよい。その際の、家賃は、国が借り上げてもいいのかもしれない。

ただ、契約解除された場合、また、普通の歯医者業務に戻ればよい。

この予防を担うドクターに要求する事は、予防業務以外に、以下の条件を渡せばよい。但し、この間、業務時間内の、歯医者の治療行為は、一切、許可をしない。

  1. 不正を働く医療機関、保険加入者、保険会社を訴追する事。保険会社の支払い能力を確認する事
  2. 医療保険に入れない人の(差額分)補助を、保険会社に依頼する
  3. 治療を行った担当地区、医療機関の治療成績に対して、予後を、監査する
  4. 高額なレントゲン撮影を、担当して、担当医療機関の、負担を軽減する。
  5. セカンドオピニオン的、役割を持たせる。
  6. 良質な医療成績の紹介能力を、持たせる。

実績は、不正を暴くときと、地域の医療の向上と、セカンドオピニオン能力の確実性だけにすればよい。
例えば、地域医療機関の4割が、その機関の能力を疑いに入った場合、その資格を?脱すればよい。

医療成績は、扱っている症状、病態の難易度により、私は、今の段階では、規格化された成績公開は、難しいものと思います。ですが、少なくとも、当事者と、第3者の評価を、知ることが出来るという事は、決して、患者サイドの不利益にはつながらないものと考える気がします。当事者も公開する事が、多分、一方的批判にさらされる事がないように、考えるのですが…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その15)

例えば、歯医者の収入は、10年前の半分です。そして、この5年後に、現行のさらに、半分になると言われています。
年収200万を切る歯医者が出始めてもいます。

職業的自立と、財政状況は、現場にいる人間は、ただただ、悪化しているに過ぎません。
その国民皆保険を守る、素晴らしき方々の職業的自立は、財政状況も、強くなる事はあれ、弱くなる事はないです。
国民皆保険の権利は、少しずつ、憲法の保障する健康的な、という言葉から、その距離は開いている気が、現場にいると感じます。

患者主体という言葉が、素敵にスキップをし始め、では、患者のあなたの満足度は、この10年で、上がりましたか?
10年前と比較して、情報は強く氾濫し、保険外治療は、素晴らしいけれど…保険では、限界があると言われる回数は、変わりませんか?
それとも、逆に、増えましたか?

医療費削減と、国民皆保険の両立と、政治家も、官僚も、策士も、熱く語ります。ありがたいことです。感謝すべき事です。

社会の警鐘者は、医療費増大は、ゆゆしき問題と、訴え、医療費抑制の為には、医者はもうけすぎという風潮を作りませんでしたか?彼らは、社会の警鐘という立場を、真剣に守ろうと、記者クラブからではなく、生きた目の、生きた社説を提供してくれましたか?

医者が足りないと分かるまでは、医療事故=医療ミスという、簡単な図式を作って、遊んでいませんでしたか?

もちろん、不正を繰り返した輩もいたかもしれません。
もちろん、勉強不足の輩もいたかもしれません。

医療システムに関わる関係者の中で、専門家として倫理を守り忠実であった結果、寿命の急激な伸びと、病気の減少を作っていませんか?

もちろん、医療事故は当然あったかも知れません。
歯が80歳までに20本残る場合、成人病になる確率は、どれだけ減るか、疫学調査まで、専門家は調べてもいます。

社会に貢献はしていませんか?

もちろん、社会貢献はまだまだ、足りないかも知れません。

では、インフォームドコンセントという言葉がはやり、患者主体という言葉が加速度的に流行る今、あなたは、技術提供で、昔より良くなっていると、現場を、訪れて感じられますか?

不思議です。

 医療システムを守る方々は、革新を嫌います。

ならばと、歯科界も現在の医療システムの恩恵に預かれるよう、政治に絡まろうともします。

半世紀前の技術で、更に、医療費抑制に協力する患者のあなたは、何を得られるのだろう?私達の預けている権利は、要求出来ないのかなって、思うのです?

歯学部は定員割れをしました。
合わせて、歯医者が、専門家になかなか育たないシステムも医療費抑制のため、生まれました。
後、5~10年後、歯医者の俗にいう団塊の世代の本格的引退が、起るだろうと言われております。同時期、技工士界も、同じ事が、起るだろうと言われています。
この結果、3割弱人材が消えるという事も言われております。
実際は、分りません。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

とはいえ、保険は・・・(なんだろう? その14)

例えば、享受患者という言葉を持ちいった場合、もしかしたら、消費者ニーズという言葉を、再び、持ちいりながら、考えられるのかなって思うのです。

このニーズは、政治家に分かるのかなって、思うのです。
このニーズは、官僚に想像できるのかなって、思うのです。
このニーズは、策士に、閃くのかなって、思うのです。

大胆な精神って、市井の洗礼を浴びた人間でなければ、分らないかも知れません。資本主義精神というものが、あるのかどうかは、分りませんが、享受を、大胆に考えられるプレイヤーが、のびのびと活動できる環境を、用意した方が、実は、柔軟性がある歯科界になる事は、無いのでしょうか?

ふと、思う事があるのです。
僕は、カローラーが、どうも大好きみたいです。
この頃は、給与所得がどうも、減っているという言い方が、流行っていますが、いったん深呼吸を、してみませんか?

記憶の世界で申し訳ないのですが、確か10年前は給与所得平均、28万円 カローラーは110万円 チョイ前は、給与所得平均 31万円 カローラー 120万円ぐらいだったと記憶しています。

3.9か月分かかる費用が、3.8ヶ月分の、ウェイトに減った。
それでも、品質は、はるかに向上している。

競争の世界があったからなのか、実は、品質が上がり、でも、相対的値段の価値は下がった。

消費者の目が厳しいから、安くなったのか、資本主義の経済原則が、競争というエネルギーと工夫の、積み重ねも合わせた、両者の世界から、変わったのか…0.1か月分、別の力を得られるようになった、そんな言い方が、出来るかも知れません…

安全性において、(操作性や、居住性は別かも知れません)高級車との差は縮め始めている。

競争の大事さを知る資本主義の成果なのかも知れません。

素晴らしき大きく何でも見てやろう派と、享受を考える派が、もしかして、いると想像します。

国民皆保険は、大きく全てを見てやろう。

でも、医療は金のかかる物で、無駄しかない。医療従事者は、抜け目なく、不正と、より多くの金銭を会得しようとする。
もしそう考えれば、患者主体の号令の下、あらゆる限り、手を尽くして、請求ガイドラインを編み出すのかも知れません。
これが、病人にかかる不必要な支出が、押さえられるという考え方になるのかも知れません。

では、享受派が、どう出来るかを、考えるとしましょう。
実際、享受患者の利益は、古い、役割を終えた材料を、永久に、制度から省こうとする事では、無いでしょうか?
品質を高めるうえで、無駄な材料を、用意させることではなく、医療機関に材料の削減を可能にする環境を、与える事ではないでしょうか?節約精神の復活とでも言えばよいのでしょうか?

これにより、制度の軽減化と、市場経済感覚を持たない、歯医者に、享受という感覚を持たせるため、限定でもいいから、一旦、市場経済の感覚を渡す事ではないでしょうか?

 何でも出来るけれど、規制の縛りで、結局は、医療側の持ち出し環境を作る事、それにより、職業意識を低下させる事よりも、享受という自然な流れで、考えられる自由性を、一旦、渡す事から始められないのかなって、思うのです。

差額徴収の復活という言葉に、集約されるのではないかと思うのです。

これにより、手を抜くのではなく、今、先生がお持ちの技術で、より、安全に確保できる不足分は、どうぞ、話し合いの下、請求されてください。

見方を変えれば、全てを保険診療で出来ない状況よりも、一旦は、安くなることも可能だと思うのです。
保険診療から、ただ、目先の金銭の為、走り出す集団を、これにより、一時でもいいから、止めて、安全を確保する環境を作る事ではないでしょうか?

気がつけば、保険診療を受けられない(保険医療機関でなくなったため)、あるいは、資本患者か、資産患者でなければ受けられないという状況になるよりは、まだ、ましな気がするのです。

僕は、それぐらい、医療機関に耐えられないぐらい、追い込む規制の縛りを作った上で、大きな何でも出来る派の存在は、国民へ目が向いているのだろうか?そう考えてしまうのです。

享受すべき人間が支配するシステムか、あるいは、縛りをしっかり作った既得権益の、大きな何でも出来る派の支配するシステムなのか…

この市場経済の波に揉まれる事は、言い方を変えれば、低価格で良質な医療サービスを打ち出す集団を作るきっかけにも、なりうるかも知れません。

むしろ透明性の公開や、不正、悪用をどう取り締まる規制を作るかが、大事な気がするのです。

もし、お時間に自由があれば、大学病院の科を、覗かれてみると面白いかも知れません。保険診療扱いではない科が、もしかしたら、増えているかも知れません。

これは、何を意味するのでしょうか?

*先進国水準で既に1/10である以上、おそらく、今より、低価格という事は、ありえない気がします。でも、自由診療と、ため息がでる所よりは、低価格になる事が大事なのではないでしょうか?

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投稿者: こすが歯科医院

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