じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2014.12.03更新

話も右に左にと、読み返すと、色々と飛びながら、ここまで、書けました。文章を職業にしていない僕としては、いつも心苦しく思っています。

思った事をただ、書き続けているのも関わらず、読んでいただける方がいる。
名前も知りませんし、どういうきっかけで、ここに遊びに来ていただけたのかも分かりません。でも、もし、最後まで読んでいただけたとしたら、ありがとうございます。

飛ばし読みでも、どんな読み方であれ、目に触れていただき、ありがとうございます。感謝申し上げます。

さて、この一連の流れでは、自分なりに受け止めている、世間的な顎関節の常識や、噛み合わせ治療というものの曖昧さを書き記してきたつもりです。

すごくひねくれた見方かもしれません。
でも、すごく単純に(シンプルを否定する訳ではありません)、すごくさっぱり、すごく革新的に、表現されている顎関節症や、噛み合わせ治療の事を、読むにつけ、どうなのかなって思う時があります。

決して普段、性格が分析好きの人間では無いので、実際の所、深く、深くインターネットを熟読しているわけでは無いです。適当に、サクッと見る方が多いです。

ただ、咬合(噛み合わせ)にしろ、顎関節症にしろ、身体との関わり合いを言われ始め(古くて新しい普遍的テーマのようです)、もし、本当であれば、決して、患者であるあなたも安易に考えても、そして、安易な事を歯科医側も述べてはいけない気がするのです。

私が、正しいとか、世間がおかしいという事を、ここで述べたいとも思っていません。

これを読まれた方が、何かを知るきっかけになれば、あるいは、冷静になるきっかけにでもなればと思って作っているだけです。

私自身、この考えに行き着くまで、相当試行錯誤をしました。相当、(今もですが、)調べました。そして、悩みました。
目の前の患者に、この資格にふさわしい結果を出そうと、あがきました。

始めの頃は、絶好調でした。
治ってばかりでしたから。でも、今考えると、偶然は怖いと思い返されます。評判が上がり、全く歯が立たない症状をお持ちの患者にも、ぶつかりました。悲しい結果しか出せなかった患者もいます。
悩み、自分の非力さを悔やみ、出た答えは調べる、そこに資格の意味があると思うようにしました。
病態の本質はなんだろうか?
一体、この病の根はなんだろう?

多分、真摯に取り組む医師って、こんな所に、勝手に身を置く事になるのかなって、つぶやく事すらあります。

このHPに出す症例は、なるべく予後が最低でも1年以上経過しているものを、出していきたいとも思っています。

昔は、目の前の難敵と戦う事に一杯で、実は、あまり資料を残しておりませんでした。不備があるかもしれませんが、よろしければ、何かの参考にしてください。

支えてくれたのは、何年も身体の不調に悩み、それが、何かを(すいません、これは、今回は書きません。大したものでも無いですが、しばらくは、企業秘密とでも、させてください)取り戻した事で健康になったと、時々、メインテナンスによってくれる患者の声だったように思います。

映画であれば、ハッピーエンドでしょうが、実際の所、病を扱う仕事ですから、現在も治療中の患者だらけです。

 でも、その何かのおかげで、私どもは、随分と、成績を上げられるようになってきました。

何年も“根とは”と、悩んできた私自身が、“根”の話を患者にし始めているから、面白いものです。
知識は武器です。
どうぞ、良い関係を、気付かれる知識として、利用できそうならば、お持ち帰りください。

また、何かの可能性が、あるようでしたら、どうぞ、お声をかけていただければと、思います。

それでは、また。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

随分、長く、何かを語って来たように思います。
でも、多分、二律背反性な物の見方は、実際、私は寂しくなる事が多いです。

それが正しいというエネルギーを強く反証する事も出来ないとも、同時に思っています。何故ならば、これが正しい、顎関節症の治し方だという、そんな方法が、無いという所に、世間の常識はあるような気がしています。

では、何故、これだけ情報化時代に、このテーマが着目を浴びるのだろうとも思ってしまうのです。

でも、せめて良くなる、あるいは、解放されるヒントぐらいは、この21世紀つかんでいても良いと思うのです。
(国立図書館で、紀元前にも顎関節症と思われる骨格標本を覗けた時は、身ぶるいをしました)

 話を少し変えます。
医術とでもいいましょうか?
東洋医学的(私は、西洋科学の基の資格ですので、東洋医学は皆目分かりません)病の考え方とでも、言いましょうか?
こんな言葉があります。
普通の医者は病を看られる
良い医者は病を治せる
名医とは病になる前に、病を見抜き、治す

東洋医学に精通しているのかなって思う友人に(内科のドクターです)聞いた事があります。この意味は、どういう意味なのだろう?

笑いながら “俺も分からん”
“話にならないじゃんか!”と、何気にふてくされます。

笑いながら答えます。

“ただ、病に、当たり障りのないところで納めるというのかな…もちろん患者がどう受け止めようが、多分、関係ないと思うの。この場合。本当に当たり障りのない所にするわけさ。”
“治すという所にこだわらないのかな?“と、問いかけます。
“当たり障りのないという言葉は、多分、文字通り当たり障りのないという事だけどな…”
考えます。悩んでいる思いを胸にしまいながらも、考えます。と言う事は、結果とか、過程では無く、何もしないという事なのかなって…腹を見透かされたように、続く言葉がありました。別に質問もしていないのに。
“まあな、何もしない、あるいは、トラブルが出ない、とにかく、そこに落とし所を置こうとするのじゃないかな?別に、この際は、関係ないと思うよ。患者がどうなるであれ…”
声だけが届くのですが、考えて行きます。病を治せるとは。どういう意味なのかなって?治るのだから、治療に取り組み、結果を出すという事なのかなって考えます。じゃあ、名医とは予防を促進する先生?分からん。今考えると、穴があったら入りたい心境で、碧い時期だったと、苦笑いをします。

そんな、碧い思い出の中から、また言葉がよみがえります。
“まあ、よう。実際、病ってそんな簡単じゃないと思うわけよ。患者が治ったと言ってくれるから、治った事にしているわけ。勿論、西洋医学的解釈なら、100パーセント治っているわけよ。でも、東洋医学の見方は、まるっきり違う訳さ。”

ハニャ?の心境でした。わけが、分からない。そんな感じとでも言えばよいでしょうか?続けさまに言葉が出ます。考えながら、うつむいた顔は、徐々に上がりますが、どうしても口の動きしか思い出せません。不思議なものです。

“東洋医学ではな、如何に根を断つか、そこにこだわるわけ。“
得意気に動く唇を見つめながら、言葉にならない何かが、はじける感覚を持ちます。
“言い方を変えれば、西洋医学は対処療法。究極の対処療法もあれば、何も出さない対処療法もあるわけ。実際、そうなるかは分からないけれど、根を断ち、二度とそうならないよう取り組む…こんな感じかな?”

“だからさ、根を絶たずに、良くなったって医者が思ったり、患者が言うのは、多分、普通かな、いや、自然の世界だと思うよ。難しいもの、そんな世界。でも、目指したいと思っているのかな?多分。”

そもそも、何を以って治ったというのでしょうか?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

噛み合わせは顎関節症の大きな原因ではないと、思いたくなってみても、
噛み合わせは顎関節症の大きな原因だと叫びたくなってみても、
どれも関係ないと、歌いたくなってみても、
私ども医療人が、医業で生計をなす為には、どんな理由であれ、患者と対峙する必要性が出てくるような気がしております。

治療して何ぼという捉え方もあれば、
結果を出して何ぼ、

気のせいと言って、いくばくかのお金をいただくという、回避の仕方もあれば、
チャレンジしてみようという捉え方もあるかという、

患者という存在を一回、無視すれば、医療人としての捉え方は、さまざまなものになる気がします。

私は、真摯に対応するという言葉の意味は、無謀は論外かもしれませんし、冒険は危険の香りがするように感じますが、時に挑戦がいるのかもしれないとも、考える事があります。医療で生きる限り、個人としては非常につらいですが、常にリスクと隣り合わせと考えています。

目の前に苦しんでいる患者がいる。

当たり障りなない声をかけるのか…
何に障害があるのか、この病態は何なのか、調べることなのか?

新しい新発見の病気なのか?
それとも、古くから存在し、その本質を、私達歯科医が気づけなかったものなのか?
(私は、科学の進歩、研究の積み重ねが起こるまでは、致したかないもののように思います)

そう考えると、まんざら、プラセボも、悪くないのかなって思う事もあります。

でも、この際、リラックスをしているという共通項があるように思えてならないのです。筋肉が変な緊張を、起こしていない、ここに、実は、大きなヒントがあるように思われてなりません。

もし、ずーっと、リラックスできていたら、幸せ物質が出つつづけてくれたら、プラシーボであれ、それは、何ら、問題が無いように思えます。

こう考えると、もしかしたら滑稽な妄想と思われるかもしれませんが、こんな事を考えてしまいます。

もしかしたら、変に力が入らない状態ならば、顎は痛くならないのかもしれません。
変に力が入らない環境の、噛み合わせならば、顎は痛くならないかもしれません。
言い方を変えれば、リラックスできる顎の状態になるのであるのならば、噛み合わせの治療などは、不要なのかもしれません。

変に力の入らない方法を顎に学習させる事が出来るとすれば、言い方をかえれば、リラックスできる方法を教える事が出来るとすれば、あるいは、学習させる事が出来るとすれば、顎関節症においての噛み合わせの治療は、繰り返しになりますが、不要では無いかと、思えるのです。

では、逆に、学習する事が出来ないような、既に噛み合わせになってしまっている場合、噛み合わせの治療は、避けて通られないもののような気がするのです。

 ところで、噛み合わせの治療と称す物の定義は、一体何なのでしょう?
先に書いた、噛み合わせの治療は良くない、必要はないという強いエネルギーで書かれているHPの、過激とも思われる文章を読むにつれ、何を指しているのだろうと思うのです。歯科に関わる仕事の多くは、結果、噛み合わせに繋がります。

  • 歯を削る事なのか?
  • 補綴をすることなのか?
  • 入れ歯を入れることなのか?
  • インプラントをすることなのか?
  • 他の何かなのか?

でも、どれも否定されてしまったら、歯医者の存在意義は無くなります。

顎関節症に罹患してしまったら、その患者は一生、スプリントで過ごすか、薬漬けか、あきらめるか、その組み合わせか、救いがないとなってしまいます。

でも、スプリントは長期入れる事もリスクがあると、熱く語る文章もある。

救いは、顎関節症における、顎の痛みに関しては、加齢とともに減るというデーターがある事でしょうか?

でも、それまでは、大事な人生を、世捨て人のように生きろという事でしょうか?
考えてしまいます。

顎関節症って何?
噛み合わせの治療って何?
なんだと思います?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

プラシーボ効果と言う言葉があります。

ま、その気になって、治った気になる、そんな言い方になるのでしょうかね?
プラシーボとは偽薬という意味だそうです。
仮に、ビタミン剤を痛み止めとして渡しても、患者が痛み止めと考えた場合、痛みが取れてしまった、
そんな所が、この語源になるようです。

プラシーボ、プラセボなんて称しますが、紹介したいのは、経験から覚えた現場のお話です。
但し、今は、ほとんど、この方法は採用していない事を、予め述べさせていただきます。
でも、ちょっとした雑学としてでもしていただければ、面白いような気がします。

教科書的に、ゾーンと言う表現が正しいかもしれません。
噛み合わせを、調整したふりをします。
治ったと言われるとします。

これは、プラセボという言い方が出来るかもしれません。

 咬合調整をしたとします。実際は、触ったふりですが…
楽になったと言われます。

歯医者が何かをしてくれたから、楽になったと思った、偽薬ならぬ偽術です。
そう解釈する事も出来ます。

楽になったと、思うようにしていただいているという事なのかもしれません。

でもですね、その瞬間、楽になったという事実は、実際の所、本当ではないかと思うのです。
瞬間的でも、真実だと思っていいと、私は考えます。

次に来院したとき、やはり痛いなり、おかしいと言われたとしても、その瞬間痛みが消えたという自覚は真実なのだと思います。

聞いてみるわけですね。

いつまで、自覚はなかったですか?

ある人は、次の日になるまで。
ある人は、医院を出てからしばらくしてから、ぶり返した。

ん?違和感を 感じます。

しつこく聞くわけです。
ある人は、答えます。

100mぐらい歩いたら、おかしくなった。

入れ歯を外して、入れたら、おかしくなった。

それは、どういう事ですか?

食べる前まで、そして、食べる時も平気だった。
そして、外して入れたらおかしくなった。

考えるわけです。
プラセボでもプラシーボでも、表現は構いません。

どういうこと?

安易に、先に記したような短絡的結論に、答えを求めたくなかったのかもしれません。多分、二元的思考、二律背反性の思考は、すごく単純な結論を導かせます。僕はそう思います。

見方を変えれば、有資格者が言う言葉が、素人に分かりやすい程、確かに説得力もあります。でも、そんな単純な事であるのならば、まず、不治の病とか、難病とか、“なんじゃこりゃあ”というような現場の混乱も、患者の悲痛な叫びもないと思うのです。
確信している訳ではありませんが、素人に届きやすいものって、結構、迎合しやすいもののような気がします。でなけば、医療って、もっと単純なものでもいいでしょうし、わざわざ、国家試験などと用意する必要はないように思えるのですが…どうでしょう?

痛みを取る為、実験でのビタミン薬は、後に、患者がリラックスした事により、筋の過緊張の亢進が阻害された事が考えられる。
リラックスにより、脳に幸せ物質、セロトニンの分泌が(これが出ると、痛みは楽になってくると言われています)促進された事により、決して、偽薬で、効果が無いとは一概には言えない、そのように考えられるようにもなっております。(直接的関与は、当然偽薬ですから無いですよ…)

先に書いた現象で、瞬間なりにも変わったというのも、あながち見当違いでもないのかもしれません。

では、何なの?
では、顎関節症って何なの?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

例えば、噛み合わせの調整で、顎関節症が治る事はない。
例えば、噛み合わせは、顎関節症の大きな原因ではない
とか、

例えば、噛み合わせの調整で顎関節症は治る
例えば、噛み合わせの調整で体の歪みは治る

こんな言葉を、たまにインターネットを覗くと目にする事があります。

補綴物を入れたら、治ったという話と、矯正をすれば、治るという話は今のところ、私自身あまり、見ていないので、この頃は、流行りでは無いのでしょうか?

むしろ悪化したという悲しい話の方が多い気がします。

長期スプリントを入れていたら、身体がおかしくなったという話も見たりもします。歯が沈んだという話も目にします。

何なんでしょうね?

解剖の絵も、新しい試行で入れたは良いが、一体何をいいたいの?と、言われそうな勢いですね。

小さい声でつぶやきます。よろしければ、お付き合いくださいませんか。勿論、読むことに疲れたのならば、個人の世界です。どうぞ、お帰りください。ここまで、目を通していただき、ありがとうございます。

さて、話を続けます。
そんな色々な文章を、覗いていると、何だか、共通点を見出して来た気がします。(決して社会学者では無いので、違うかもしれません。優しく通り過ぎてください。今回は歯医者さんのコメントから感じた事を記してみます)

一つの共通点に、長期の話が、今の所、無い。その後、どうなったのか、分からない…
一つの共通点に、ぼったくりに合うな!そんな過激な言葉に目が行く事もあります。
面白いものです。では、どうしろと言うのだろう?そう思う寂しさがあります。

面白いものです。その歯医者の生きる術として、行っている行為の是か非かの基準を渡さず、他人とはいえ、同じ世界の資格者を、どうして、そこまで攻撃的になるのかなって思ってしまうのです。自分に自信が無いのかなって思ってしまう事もあります。

 面白いものです。続けて、書いてある文章が世界で初めてとか、日本で初めてとか…その忙しい言葉。どうして、一開業医が、世界でとか、日本でとか、まるで、医療では無く、商売っ気丸出しって、思えてしまうのですよね。さもしいというのでしたっけ?

面白いものです。自信があるなら、結果を出しているものであれば、逆に、整然と、淡々と、インターネット上で、発言されればいいのになって。その方が、尊敬できるのにな。

ま、個人の感想文でした。(特定のHPを、指して書いている訳では無く、ただ、覗いた時に、覚えていた言葉を、並べて書いているだけです)

一つの共通点に、良く分からないが、完全否定。

一つの共通点に、様子をみましょう。

一つの共通点に大学病院に行きましょう。

でも、顎関節症は、そこにある。
色々な可能性(治療法として)が、難病であったり、怪病であったり、不治の病と言うのであるのならば、出てきてしまう事は、やむを得ない気がするのです。

だから、こういう治し方で、取り組んでいるという言葉が出てきても仕方がないとも思うのです。
それが、結果がどうであれ(治療成績が)さまざまな治療の表現がされていてしかたないと思うのです。
私どもも、特化してこの病を書いているのも、多分、何かのきっかけになってくれたら嬉しいなって、思う所、勿論、縁あって、お会いする事が出来たらいいなっていう現実的な所、そんなもろもろのエネルギーが、診療後の時間に書かせているエネルギーなのかなって、思うのです。
ところで、顎関節症って何?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

咬合を知るには、総義歯をするといいという言葉が、もしかしたら、一部かもしれませんが、業界にあります。

私はそのように教わりました。
総義歯で、まず何を迷うかと言えば、顎位をどのような関係にしようかという事です。

歯が無くなりますので、顎位はどのようにも決められてしまいます。(正確にいえば、ある範囲の中で、どのようにもと言えますが)
この顎位を決める事に、非常に大きなポイントがあります。

 実際、最終義歯形態に行き着くには、何度もトライを要求される必要がある事すらあります。

そして、諸条件を満たしながら、快適な所まで持って行く必要があると、私は考えています。

そして、如何に最短でゴールに持って行くかを考える必要が出てくるとも思っています。

ところで、稀に、入れ歯を見ていると、どうかなって思う事があります。

おそらく、全体に歯が当たっているから、(まさにゾーン)と言う例えがぴったりな表現だと思います。でも、痛い。あるいは、良く噛めない。そのような表現をいただく場合があります。

患者が、(入れ歯を調整する事だけが、テーマとします。そして、条件は、他の先生のものも含めます)入れ歯で痛いと、行って来られる場合、単純に5つの基準でやはり、見ざるを得ないと考えます。

  • 顎位
  • アーチ
  • 平面
  • 高径
  • 歯の面

先に咬合調整は、歯の面だけで、見る事は時に具かもしれない。
あるいは、悲しい事が起こるのかもしれないという事を、それなりに示唆させていただきました。

今度は、総義歯を主人公に触れてみたく思います。

痛い場合、多くは粘膜のコントロールがうまくいかない為に起こると言って過言はないと思います。

その際、粘膜を調整するだけで良いのか?(当たらなくする)
あるいは、咬合調整で済まされるのか?

ここが、面白いもので、この方法では、コントロールが一切聞かない事もあります。

逆に歯の高さを高くして、アーチ関係を変え、結果、顎位までをコントロールして、痛みを取る場合もあります。

この理由は、先に記した沈み込み(粘膜の入れ歯を介しての沈み込み)が、局所的に起こる事への、対応で行わなければならない事もあります。

そして、面白い事に、時に顎が軽くなった、身体が軽くなったと喜ばれる事すらあります。顎の痛みが取れたという言われる事もあります。

顎関節症は噛み合わせでは無いという考えもあります。
でも、こんな現象があると、今度は一概に、噛み合わせは関係ないという言い方も出来なくなるから、面白いと、私は思っています。

では、何でしょうか?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

例えば、保険診療において、このシステムは、もともとは、基本的は15分で、事を処理する事を要求して作られたシステムです。

時代も変わり、歯医者の数も増え、丁寧な治療が要求され、(机上の中で、作る人は、まさに机上の人のように感じることさえあります)30分、患者に対峙しましょう。

保険の制度設計(医療者側を主人公にした解釈です)では、15分で終わらせ、かつ、断続では無く、連続に患者の治療に当たれば、生活が成り立つ仕組みとして作られています。
私どもは、最低限でも拡大鏡、必要な場合、顕微鏡での確認を行って、補綴物の調整や、咬合調整にあたるようにしております。

 しかし、15分を基本とした場合、ただ、ガリガリギリギリ、カチカチの方法以外とりようがないのも事実かと思います。
そして、その固定観念が植え付けられた場合、調整法は、それしかないという事にならないでしょうか?
事実、大学教育においても、保険に対応が出来る教育をされて来ますから、実際は、もう少し、レベルアップした調整法も習うとはいえ、現場では、何も変わらないという事になるのかなって思います。

顕微鏡で見る歯の世界では、歯には、いろいろなメッセージが埋め込まれているように思われます。

先に咀嚼性と書いたので、少し、咀嚼性について、軽く触れて、お終いとします。
トン路(スピルウェイ)などと申しまして、言うなれば、食塊が、通ると言われている道ですね。

定義ですと、食物を咀嚼する際に、歯列咬合面から食塊が流れ出る通路の事を言う。などと、表現されています。
この存在は、食塊の咀嚼効率を、上げるのに、大いなる働きがあるので、大事になります。

そういう事を配慮しないでの咬合調整は、やはりどうかなって思ったりもします。
実は、配慮すべき点って、もっともっとたくさんあると思っています。

トン路が無い例は下記の図になります。



溝がべたっとして、意味はなさないと思いませんか?(くだけるかしら?)
もう一つは、溝がある例です。
咬合調整は、気をつけないと、べったーって起こしがちになるかもしれません咬合調整ほど、慎重に事に当たらないといけないものはないのかもしれません。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

さて、影響なり、思いこみという話でしたね。その続きを、書いていこうと思います。ここは、割愛しても良いかとも思います。あくまでも、読み物ですので…

例えば、咬合調整と言うと、カチカチ噛んでください。
次に、ガリガリ噛んでください。

こんな所が、実際の現場では、見られる事かと思います。
限界運動を調べるという考え方です。

小刻みにカチカチと、連続性の動きを行う。
横にガリガリと、歯を滑らせる。

実際の食事では、小刻みに噛んで食す事はないと思います。
口を、もう少し開けてみたり、もっと、かぶり付くように開けてみたりと、この運動の再現性では、中々、出会わない光景のような気がします。
ガリガリもそうかもしれません。

もし、お疑いでしたら、レストランでそんな食べ方をしている人がいるか、観察をされてみてください。

ここで、実は、いくつかの事を気付いたりもします。

まずは、咀嚼性にのっとって、調整が行われていないのではなかろうか?
言い方を変えます。
食べるという機能を、無視して、限界はここまで耐えうるという意味は何があるのだろうか?
ところで、その咀嚼性とは、何だろう?

その瞬間、ドクターの主観だけが、先走りをする事はないだろうか?
患者は、それに対して、いいか悪いかだけを言う事になりはしないだろうか?
(但し、本物を患者が知らない場合、そして、その下で、いいか悪いかを判断する場合、我慢できるか、出来ないかだけを言うだけにならないだろうか?)

この限界運動が誕生したルーツは何にあるのだろうか?
(今回は、詳細には一切触れません)
どうも歴史的背景を知ってから、考えるべきだ。

等々

分からなければ局所的にまずは考えてみよう。
それと、歯が全くないという場合を考えてみよう。(総義歯)

局所的に考えた場合、歯の沈み込みにヒントがあるのではないかと、まずは、考えました。それについて、書いてある書物、ありましたよ。

まず、沈み込み感を、同じように脳が感じる事が必要ではなかろうか?

ただし、その沈み込み感が一致する事とは、逆に当たらなくさせているにも関わらず歯医者が勝手に、大丈夫と思い込んでいる事は、ないだろうか?なんて、考える事もあります。
当たらなくさせた場合、新たに一体どんな問題が起こるんだろう?
考えます。

ちなみに、沈み込みに対して、コントロールの考え方はドウソンテクニックなどと、申しまして、決して、カチカチ・ガリガリ運動での確認の方法だけ、足りないのでは、と、私は考えます。

 読書感想文みたいな世界になってきました。

今回は、これぐらいにしますが、実は、咬合調整と申しましても、その実、術者によっては、結果、すごく不安定なものしか提供できないという事が言えるのかもしれません。

そして、さらに悩ましいのは、実際の所、めちゃくちゃに当たらないようしている側面があるように思われる事すらあります。それは、私の気のせい?

歯の天然な形では無く、松田勇作風に“なんじゃ、こりゃあ”と、思われる形が多く存在するのは、私の気のせい?

噛み合わせるという行為が、持つ条件は、実は、もっとナーバスなもののように思われるのですが、今のはやりの言い方かもしれませんが、結構、単純に考えるよね~、そう思えるのは、私の気のせい?

もう少し、真摯に当たる事も必要ではないかと、思う事もあります。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

 さて、一応は、絵を見ていただければ(歯科関係の方々は、専門書を必ず、読まれてください。あくまでも、読み物的位置づけですので、その責任は、当方は負いかねることを、予め、申し上げます。何とぞ、よろしくお願い申し上げます。)、おそらくですが、話を先に進める事が出来ると思います。
適当に、読まれていただければと思います。

さて、問題は、ここから、色々と、言われていることごとの、整理です。どこが、本当で、あるいは、どれが、本当で、あるいは、どこまでが、本当で、などなど、とにかく自分なりに整理です。



こぼれ話

例えば、ダーウィンの特別変異説というものがあります。でもですね、ある程度知性がある動物の場合、親と明らかに違う子は、親は子の面倒を見ないという、自然界の法則があります。(これは、親が子の面倒を見ることが前提の動物を指します)ただし、僕は、彼の功績、実績を一切否定する立場では無いという事は、予め申し上げます。
ですので、言い方を変えれば、突然変異が仮にあっても、実際、その変異した子は、成長する事が出来ないという事実があります。ですので、突然変異の子は成長をする事が許されません。仮に、奇跡的に成長しても、つがいには恵まれませんから、子孫が生まれる事も、無理という捉え方が妥当のような気がします。
人間の場合、医学の発展のおかげで、道徳、宗教、経済の発展のおかげで、奇形種(決して、突然変異と言う言葉は使いません)も、生活する事がある程度は可能かもしれません。医学を主人公にした見方をすれば、如何に自然に近いように、整形を加えることもできるかもしれません。ですので、突然変異はあり得ないと私は思っています。SFの世界であれば、この考え方は好きです。
実際の所、生物学者に間で、この議論に関する、落とし所をどのようにされているかは知りませんが、歯科においても、私は、そのような事があるのではないかと、考えたのです。どうしても、納得が出来ない事象が積み重なったもので…
こういう時って、多分、考え方のどこかが当たっている、全くナンセンス、解釈を変えてみる等々、色々な試みをしながら、私達の先輩、先人達の研究成果の理解をふかめるべきだと思ったのです。
基礎的学問から、とにもかくにも、洗い出しをしなければならないと…
だから、整理してみたく思ったのです。
無論個人のHPでしかありませんから、それも、僕なりの解釈かもしれません。でも、何かをお持ち帰りくださいと、書いているのも、A先生には、こう言われた。逆にB先生にはこう言われた、そういう事に関して、もっと、すっきりとした何かを、持って、いい意見交流を主治医とされていただければと、思ったわけです。
知識は武器になるはずです。
私は、そのように考えました。
私の場合もA先生に質問して、B先生に質問して全く、別の事を言われたというのもざらです。
そんな疑問を、自分なりにまとめている側面が、このHPにもあるのかもしれません。

本題に少しずつ入って行きたいと思います。
まず、知っていただきたい項目にこんな事があります。

一見がっしりとして動かないように見える歯も、実は少し動くことが、できます。
揺らせばわずかにですが、前後左右に動きます。
食べ物を咬めば、10~20ミクロンくらい沈み込みます。

ここで考えるわけです。
くだらないことかもしれません、でも、当時の私には大きな事でした。

例えば、弱い力をかけ続ければ、その方向に動きます
この現象を利用したのが、矯正と言う治療になるのではないでしょうか?

では、他に歯が動く現象はないのかと、また考えます。

例えば、患者に言われる事があります。
昔は、歯並びが良かったのに、こんなに歯が動いてしまった。

 その際の口の中の状況は、今回触れません。

この持つ意味は何があるのだろう?
(どこかの機会に触れてみたく思います)

唯、大学で学んだことで、言わせていただければ、咬合調整を誤ると、歯が動く事がある。
私ども、歯医者が咬み合わせの調整をする紙の厚みは基本的に30ミクロン(9ミクロン、17ミクロンという、咬合紙もあります。一応は、用意しています。私自身は。ただ、稀にしか使いませんが)です。
習った範囲のお話をさせていただくと、本来は、歯の周りの組織(歯根膜、歯槽骨など)、脳の感覚を感じる部分で吸収できるはずです。

つまり、歯科治療での調整ならば、噛み合わせにおいて、なんら問題無く適応力の範囲内で治療を推し進める事が出来ると言う事になります。

 ここで、二つの解釈を入れてみます。
一つは、大学で習い、その後、自身が、一時納得した考え方になります。
今は、さらに色々な考えを付け加えています。今回は、触れません。

(大学で習った事、あるいは、もしかしたら、思いこみなり、口授されたもの)
乱暴な言い方かもしれません。
歯科治療(詰め物やかぶせ物)というものは、この人間の体が適応する範囲内に収めておけば問題はないはずです。
そして、どんな名人でも、寸分たがわずに再現するのは不可能です。それでも世の中の大半の人が何事もなく過ごせるのは、体(歯や脳)が詰め物やかぶせ物に適応してくれるからです。

だから、慣れてくださいと言ってよいのです。

何故なら、もとの状態にできる限り近づけようと、歯科医は、日々、努力しているから言えるのです。

また、良い咬み合わせを作るのなら、「点」「ポイント」のみで当たるのでは無く「ゾーン」気味にあてる限り、問題は起こりにくいは。それは、力が全体に拡がるから、分散するから…

な事を、習ったか、勝手に思い込んでいたか、世界観があります。

では、何故、歯が動いてしまうのでしょうか?
先に書いたように、昔は…は、成立しません。
ここの考え方に、足りない条件と言いますか、別の角度からの次元を付け加え、考えないと、説明がつかないという事が起きる気がするのです。

もっと、目先の現象を思い出します。

そうであるのならば、患者が目の前で、カチカチする。(決して、いい意味では無いです)
歯が硬い気がする。(高いではありません)
急に歯肉が下がってきた。(ブラッシングは今までと変わらないと言っていたのに…)

歯が痛いのです。(俗に言う、非定型性歯痛)

そして、専門用語を調べます。(意味は、カっとします。またの機会にと言う事で)
ICP
ワイドセントリック
ロングセントリック
パワーセントリック
Etc.

はっきりと言って、分かりません。どう考えれば、いいのだろう?当時の思い出です。

考えます。
もしかしたら、観念論に自分自身が、縛られてはいないだろうか?
これさえ、揃えば勝手にうまくいくと。

もっと、真摯に考えるべきでは無いのか?

観念論は、言い方を変えれば、歯科医側の満足だけになっていないだろうか?

口の性質を、今一度考えるべきではないだろうか?
機能性(咀嚼、嚥下、発語)
では、内なる臓器と言う言い方、外なる臓器と言う意味は?三半規管と密接につながっているという意味は?これを、拡大解釈をすれば、バランスに繋がっている。バランスが関係あるという事になるかもしれない。どういうこと?
構造性(歯、骨、関節、筋肉、他組織)

お・て・あ・げ という感覚が正しかったですかね?
分からなければ、原点に戻る。
ドン臭い発想の、ドン臭い原点探しです。

進化、ルーツも探してみました。(これは、本当に興味深い世界です。気が向いたら紹介してみたく思います)
相当に、割愛します。
脳は口が欲して出来たパーツなんですね。一言でいえば…
億年単位の話です。

(ごめんなさい。今回は、これ以上、紹介しません。ただでさえ、あっちこっちに話が飛ぶのに、どうも、ここに触れると、収拾が相当につかない気がします。いつか、触れてきたく思います。)

と言う事は、如何に敏感にも、鈍感にもなり得る余地があるということを示唆する事になるわけです。ここも、いつか気が向いた時に紹介をします。

ただ、一言。
今となっては、身体の命令系の全てを担う大事なパーツになった脳を主人公にしてみれば、時に過敏に、違う事を要求してみる、(おかしいよ、いやだよ)
別の神経系の回路を使って別の反応を用いて逃げようとしてみたり、逆に、一切感じず、その感覚を捨てて、分子学的レベルで解決を図ろうとしてみたり、力学的特性を借りて、歯が動く事で解決を理解する事も、あり得るのかなって、整理して思うようになって来ているわけです。

この話は、気が向いた時に、一生懸命、広げてみようと思っています。
身体全体を、本当に歯科は見るべきという事が伝えられるかもしれません。
逆に、歯の医者は歯と、歯周組織と、欠損部を見れば良いという事になるのかもしれません。

でも、一口に噛み合わせというものは、と、今の私が、述べるだけの勇気はないです。
強いて言えば、機能性にも、構造性にも、全身と調和している、そう、恒常的関係性が成立しているという表現の方がしっくりと来ます。
その条件に、先に書いたような言葉が、浮かび上がってくるのかなって思うのです。でも、やはり、必要、十分という具合に分けられるべきかとも思います。

一言で、自信を持って表現できる先生は、本当に素晴らしいと思いますし、本当であるのならば、是非教えを請いたいとすら思っています。

多分、噛み合わせって、色々な次元が、個々に構成される条件、絡み合って構成される条件という世界で存在している以上、理想を一言で述べる事は出来ても、あっさり、さっぱりとは、紹介できないような気が、今の私には、するのです。ご了解を。

読まれた方は、どう思われますか?

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投稿者: こすが歯科医院

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