じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2014.12.04更新

それぞれの人が自分らしく、自分の出来る事を“らしく”こだわる時、きっと、素敵な自分と出会えるのかなって思うのです。

その“らしく”というこだわる空気を一人一人が作り、それが市民レベルに発展した時、社会はさらなる発展を迎えるのかなって当たり前のように思うのです。只、やりたい事と出来る事には相当に距離がある気もしています。そんな話は気が向いた時にでも…

それぞれの人が、“らしく”を大事にする時、当たり前に各々が自分の言葉を用意し、自分を語り、始めて閉塞感と言う空気を打破していくのではないかと思うのです。不安で食べて行こうとする方々の、空気という感覚的不安を利用した小利口なハウトウ―に踊らさせながら、生活の糧に協力する行為からは、是非とも、卒業したく思うものです。

その“らしく”を、当たり前のように、社会が取り戻せた時に、命と言う言葉までをも忘れさせる空気は消え、獣として生きるという当たり前の強さを取り戻す気がするのです。格好は後回しでも、ある人は夢に向かい、ある人は現実の壁に立ち向かえるのかなって、思うのです。

分かりません、個人のおめでたい想像かもしれません。

森羅万象に渡って愛があるという表現を用いましたが、社会との関わりを捨てるものかという人間(にんげん)だけが持てる言葉を伴う強い意志が必ず、何かを紡いでいくものと、僕は思います。そして、また社会に還元され、まわり巡って自分に帰ってくる、そんな事を、ふと、思ってしまいました。

子供向けアニメかもしれませんが、カールじいさんの空飛ぶ家を見た際、結構、色々と考える事が出来、不思議な感覚に襲われました。色々と考えあぐねていた事に対するきっかけが、この映画だったのでしょうが、実際は。

向き合うことの素晴らしさなどを思い出させてくれた私にとり一時の清涼剤でもあったようです。

歯科心身医学という括りとはいえ、心身医学の世界を知るにつれ、内戦状態のような3万人の自殺者の存在を触れない訳にもいかないと思う事もありました。でも、この分析や、知り得る世界ではとてもではないです範疇では無い事から、結構、パニックになっていました。

何を書けばよいのだろうと。そんなギリギリの人が読んだ際、あっしは何が表現できるだろうと。でも、何故か、賛歌みたいな文章は書いてみたいと思いました。理由は分かりません。私が1日を通して診られる人数なんて決まっております。治療契約、治療同盟が存在した方々にしか、愛は発揮できません。そんなもんです。専門家であるからこそ、限りがあると思います。でも、このHPは、何かの参考にして欲しいという動機で、作っているものです。今回のテーマが、私にとり、ディープな分、結構悩む物でした。

その表現が、難解と思われた分、私の中の意識は、どうも時代が醸し出す閉塞感という空気病に汚染され始めたようです。参りました。

というのも、過半数を超す原因に、身体の問題という側面もあったように書かれていたように記憶していましたので…

健康は、それだけ大きい豊かさの源なのでしょう。

新聞やニュースだと、経済的側面か事件性でしか取り扱われていない分、どうしても人身**という想像や、貧困が全て、いじめがと、通り一辺倒の理解になってしまうようです。

この世界は、私が専門とする領域では無いので、その道の方々に、政治の方々にその指針はお任せしたく思います。只、セーフティーという安全網を1日も早く整備して欲しく思います。政争という駆け引きよりも、政策にその全ての情熱を傾けて欲しく思います。ママのお金と言う感覚の是非よりも、優先度が高いと私は思っています。新しい産業構成でも良いと思います。事業を冒険出来安い環境かも知れません。そして、もう一つ、どうすれば良いなどは、そんなの専門家じゃないから分かりません。あしからず。

でも、イメージする事は、とにかく働いて俺は金持ちになりたいんじゃ~と、この事業成功させるんじゃいと、青臭い言葉を吐きながら、酒臭い人々が、夜な夜な街に繰り出している絵の方が、ずーっと、健全のような気がします。

豊かになってこそ、文明や文化を紡いだ意義だと思います。私の“らしさ”は健康と言う豊かさの少しであれ、協力やお手伝いを出来る場面に立ち会わせていただける事なのかなって思っています。

そして、同時に、この精神という疾患世界を扱う方々のご苦労は、並大抵な物ではないと思うのです。

だから、この業界も、歯科心身医学の世界と言え、安易な気持ちで、心身医学の現象的側面だけから、鬱が治るとか、不眠症が治るというような、キャッチフレーズを言う意味を見なおす時期に来ているのではないかと、あっしは、思うようになっております。

難しい問題ですね。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

さて、“らしさ”の話を続けたく思います。

私の場合、顎口腔系と身体を意識せざるを得ない場合は、歯科医らしく口腔内の歯や、歯周組織や、欠損部を意識する場合は歯医者らしく、それが、大事なのかなって、年の暮から、明けるまでの時間、ふと考えるようになりました。

顎口腔系と身体を意識する歯医者さんが増えてきた事はとても素敵な事と信じたく思っています。
歯だって身体の一部ですからね…

でも、意識する事と、知識を持って、把握して対峙する事とは、大きな違いがある気がしてなりません。そこに接点すら無いものと私自身は、今までの経験をして思う事があります。どん臭い感性だから故、空気を読めていない事になりそうですが…

でも、事実に空気は存在しないと思います。場の雰囲気を壊さないというマナーの範疇以外、空気と言う言葉は存在しないはずですが、いつから、この国の至る所に、空気と言う見えない縛りが誕生したようです。王様の耳はロバの耳の話みたいで、不思議でなりません。メディアが喜んで使ったKYあたりから、オピニオンな方々にも伝染し、空気作りに積極的みたいで、不安と言う空気をあおってそこまで商売したいのか、と、うがった見方を覚える始末です。

独り言です。
公のサイトにおいて、理解度に依存する情報集作業において、どこまで置き去りにされている病態の事を意識されているのだろうと、一人疑問を感じる事があります。そもそも、情報収集者は、仮にライセンスがあろうとなかろうと、この責任ある収集作業を行う以上、この掲示をする意味をどこまで捉えているのだろうと思う時もあります。少なくとも、病態把握は、公である以上されるか、明確にこれ以外は範疇外と書き記す方が、情報の区切りとしては素敵な様な気がするのですが…どうなのでしょうね?

それぞれの診療所が顎口腔系と身体の事(私は、他の項目の表現には口をはさむ意思はありません)を訴える行為を否定する立場のものではありません。でも、その世界が、今の時点で色々と様々な問題をはらんでいる以上、多面的に情報を発信されるか、論理的に情報を発信されるかが、実はあるべき姿ではないかと個人としては思っております。社会的認知性においても、市民レベルにおいても、業界内であれ、混とんとしている状況下では、発信者も相当な労力を惜しまない事が要求される気がしてなりません。発信と言う道を選択するのならば…

あくまでも、独り言です。

ま、準備する事、勉強する事、考える事、多分、結構大変です。でも、生活される皆さんも同じだと私は、思います。そんなもんでしょう。

関係無い話ですが、例えば、というものは人と人の間にしか存在しないのかなって思うのです。ところが、は、きっと森羅万象にある素敵な存在かなって思うのです。その思いが、感謝につながり、社会への関わりを失わない勇気をくれるのかなって思うのです。だから、ヒトは、頑張りたい時に頑張り、疲れたら休むのだと思います。

私の仕事でみた場合、この愛の提供の場面の一つには、身体の不調が、社会との関わりを失う際まで、疾患がその人を立たせてしまった時かもしれません。
ここでは、触れませんがいつか、気が向いた時また何かを残したく思います。

キリスト系の国家が医療は愛から始まるという言葉を大事にするのも、実は、ここにあるのかもしれません。日本では医は仁術と言う表現が該当するのでしょう。

但し、算術では無いという言葉はありますが、何時しか空気は、仁術と言う言葉は、安く治療する事と意味を変節させてしまった事に、悲しさがあると現場に立つ際、私は思う事があります。この変節が、時に人間関係をややこしくさせるから困ったものと、寂しく微笑む時もあります。

医者は儲け過ぎー!医者の横暴!と、全てを一括りに、面白おかしく空気を演出したせいかもしれません。まじめに現場に立つ者よりも、井戸端会議ネタをワイドショウ的に頑張った成果だと、時々思います。メディアの方々には、ご自身たちが作り出した空気を一個一個検証されていく勇気と言う空気を取り戻してほしく思います。もし空気と言う言葉を使用されるならば、勇気の方が素敵だと思います。

事業仕訳をセンセーショナルに取り上げるのではなく、本来、ご自身達が先に行うべき事を、やらなかった理由を、一市民の私は知りたく思う時があります。
なんで、検証や社会の木鐸という役割意識はどこへ旅をしているのだろうと、不思議に思う事があります。

この責任は…という言葉を社会正義の名の下に言われている以上、ちょっと、知りたい、タブーでした。苛めないでくださいね。

だから、途中より私は、医療は愛と言う言葉で理解する事にしました。愛という言葉は、ロマンなもの、神聖、神秘なものと、まだ、空気病に汚染されていないようですので…

文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々へ

日本語のideogram, phonogramと特徴的構成を上手に利用されて、理解の促進よりも、雰囲気で理解したような状況を作り出す行為は、一端止められてはいかがでしょうか?
批評、批判、批難という構成ベースでは無く、常に根拠ある代案や考え方を提示される運動の方が、素敵と存じ上げます。3つの批のうち、2つはきっとあるべきと思います。そして、一つは代案や、考え方を入れられる方がその理解は私のような、どん臭い者にはその理解がより進むように思います。
時に、情報ソースに対する透明性、文章を書かれた方々の責任ある名前の提示をされてみたら如何でしょうか?緊張感を保て欲しく思います。
今の所、テレビニュースはワイドショウ的な意識を失うと厄介と思うようにしております。新聞は、気が向いた際購入するか、喫茶店で読む暇つぶしと言う意識で読む物と自身の理解を変えるようにしました。
でないと、醸し出される空気に自分も影響を受けそうで、見失いそうで、心まで病になりそうで、気を付けないといけない、身構えて読まないといけないという存在に、私の意識の中では変わりつつあります。
あまりに空気を作る行為に、文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々は無頓着な気がしてなりません。空気と言う言葉は、世相とか、世論と言う言葉に置き換える方が正しいのだと、実は途中から、思うようになっています。
どうせ駄目だというあきらめの世論、未来に希望が無いという世相を、空気と言う言葉で代用している気がしてなりません。この方が、現実から一端距離をおけるわけですので、聞こえは良い気がしてなりません。
私は、あまり好きでないようです。
現実と向き合う事が医療の本質と思っておりますので…

今年はこの覚悟で行こう。ここが、安心と言うセーフティーネットの見地では足らない。ここが、無駄。如何にスピーディーに準備が出来るか、足を引っ張る検証だけに熱心では無く(この作業を否定するものでもありません)、安心の為、ここまで国は動いている、とか、まだ、発掘していないオピニオンリーダーから新しい考え方を紹介していただくとか…

この規制が、無駄とか。この規制が無くなれば、新しい商売が生まれ、雇用が生まれるとか。これ以上安売りにさせない為、この産業には逆に規制をかけるべきとか。デフレ対策だけではなく、デフレ亢進をさせない為には、わが新聞はこう思うとか、そんな文字を読んでみたく思います。

公務員叩きをだけを、ブームにするのではなく、官と民の協力の新しい形の検証とか、行政と立法のスムーズな関係作りの一意見とか、結構、やろうと思えば、面白い世界が見える気がしてならんのですが、どうなのでしょうか?
新聞で許されない表現なら、週刊誌媒体でもいいと思うのです。文字が、元気を失わせたなら、今度は、文字から元気を取り戻す、言い方を変えれば、勇気を思い出す作業を始めても良いのではないでしょうか?
政治家のヒト特性の問題だけ(この作業を否定するわけではありません)に熱心に、それと外交をぶれながら絡めるより、すかっと、一本道で、指し示す難しさに挑戦されている方が、いい空気も生まれてくるような気もするのですが…

現実を直視できないほど、この国の市民は弱くないと思います。

かしこ

素人文筆者からの疑問事です。 それ以外の方は、お読みにならなくて結構です。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

日本語は長い歴史と知恵から殺戮という争いを避けるべく空気を読むという知恵を編み出したように感じる事があります。話わけでも無く、場の空気を読んで、そこの環境性を守るとでも言えば良いのでしょうか?

ただこの空気の厄介な事は、生きるという獣のあるべき本能を忘れるぐらい潔癖さを求める結果、時にヒトを窮屈にさせてしまう側面があるのかなって思える所です。

先に出した話を軽く触れますが、ちゃんと仕事をしているとアピールの為に、テレビに出るは安心でしょう。ちゃんと仕事しているアピールの為に、ワシントン発と書いておけばこれまた成立するでしょう。合点がいきますが、同時にプロフェッショナルとしては、どうなのだろうと、寂しいヒトタチだなって、私には思えます。

政権交代をしました。政治家以外、関わる人はオピニオンリーダーを含め、誰一人として変わっていません。事実、テレビで意見を発する人で新しい人を見かけましたか?作る人も変わりません、構成をする人も変わりません。だからなのかもしれません。分かりません…

目新しい雰囲気は、抜かれるぞ、一流でなくなるぞ、これじゃあ、疲れてしまいます。頑張れ、頑張れと、おまじないを唱えられても、“意味無いじゃん”って、血気盛んであれば怒りたくなります。暴力はダメと怒りの表現を閉じ込められては、考える気も失せるかもしれません。本当に閉じこもれば最悪です。

この空気を変えるコツはただ一つだと僕は思います。“らしく“生きる事からしか始まらないのではないかと思うのです。

もし、あなたが病態で苦しみ、何とかしたいとあがかれているなら、まずは、社会との関わりを失わないよう、あがいて欲しいのです。これを失う事が、ますます苦しい負のスパイラルに自身をおく可能性があります。だから、あがいて欲しいのです。良い言葉が見つからなくて申し訳なく思います。今のあなたにしか出来ない社会との関わりを失わない為の方法を、私が想像し得る範囲で紹介します。

あなたの病態を正しく把握している訳ではなく、経験から紹介して良いと思う最大公約数を書いているに過ぎないので、鵜呑みにされないでください。全てをやる必要性も無いかと思います。全てが該当するとも思いません。

だから、“こんなの無理じゃん”って、思うものがあれば、無視してください。むしろ、こちらの方が正しいとあなた自身が発見したものがあれば、是非とも、あなたの見い出したそのことを行動してください。そして、それが有効であれば、あなたの優しさにすがる事となりますが、こんな事が有効だったと、どこかの掲示板にでも足跡を残し、同じ立場に立ってしまったヒトにヒントを置いて頂けないでしょうか?その時、その情報は有効になる気がします。

  1. 社会との関わりを失わない為に

a) 家族の理解と協力を求めてください。苦しくとも感謝の気持を忘れないで行きましょう。お願いします。
b) 会社に迷惑だろうと、気を回してリタイア―するのではなく、休職でも、時短でも良いと思います。生計の糧に戻る道の確保をされて置いてください。セーフティーネットの脆弱さの解消の為の道筋は、まだ整備されておりません。ようやく、セーフティーネットが、壊れていた事を国が理解したに過ぎません。これからの作業になっております。公の機関に相談してもよいと思います。NPOに該当する機関の方が親身に知恵を貸してくれるかもしれません。独りきりで解決を図ろうとされないでください。世には奇特なヒトは必ずいると思います。あきらめたらいけません。
c) 誰かと会話をする事を捨てないでください。
d) 苦しいかもしれません。でも、あなたがもし、社会人の年齢であるならば誰かに依存だけをするという行為に浸る事は何卒、踏ん張ってください。
e) 寝たきりだけはならないでください。苦しいと思います。寝たきりでいたくなると思います。でも、苦しくとも寝たきりだけにはならないでください。病状がもっと、悪化する可能性をはらみます。少しでも良いのです。家事なり、散歩なり、その時の体調で出来そうな行動を忘れて欲しくないのです。
f) 感情のコントロールが利かない瞬間があると思います。その際は、何も言いません。でも、ルールとして暴力が伴う攻撃性は意思の力で制御してください。協力、理解者に攻撃的言動を発する事は、苦しいかもしれませんが、ご自身の意思の力で、極力制御されてください。そして、してしまったら、次はしないようなるべくコントロールをされてください。
g) 良眠の工夫をされてください。
h) 栄養管理、体調コントロールそれは、獣と言う人間として己の責任でされる事です。

きっと、相当に残酷な事、殺生な事を言っていると記していて思います。申し訳なく思います。
まだまだ、この病態と対峙しようという歯科医療機関は稀のようです。だからこそ、自身でしか出来ない社会との関わり方は、捨てないで欲しいのです。その運動の延長に、あなたと共に対峙しようと協力を惜しまない医療者が必ず現れてくると、私は信じたく思います。

決して、空気に惑わされず、“らしく”にこだわって欲しく思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

ふと干支が虎である事を思い出します。虎は、最強の獣の一つかもしれません。獣(けだもの、けもの)こんな風に読みます。この濁音が面白い事に、どうも畏敬とか、超越した存在に、この濁音を構成させているようです。果物(くだもの)とか、人間(にんげん)とかいう具合にね…

表意文字(漢字)、表音文字(かな、カタカナ)をうまい具合に織り交ぜて日本人は言語構造を作り出したようです。活躍されている経済学者?は、やたら滅法ガンバチャえ!がお好きで、それに対抗して、教授にまで登りつめられた精神科医の先生は、疲れるなら頑張らなくていいのよと、それぞれの主張を啓蒙されて頂いているみたいで、結構な事と思います。
でも、私は時々、“大きなお世話様!”と言ってみたくなります。私は、この得も言えない雰囲気が苦手なようです。どうも、空気をやたら作り出したいみたいで…

隣のお国は今年か、来年には日本のGDPを抜かすと騒がしいようですが、僕に言わせると12億人もいてまだ、メリケンさんも抜かせないの?頑張れよと言う方が正しい気がします。抜かされると一流では無くなるという空気が分かりません。

文字という媒体で、なお且つ、他者の目にさらされる事を前提とした表現は、きっと、そういった空気を作る事が目的とされるのではなく、「模索したい、何かを変えたい、知りたい。」っと、そんな意思を持った市民や個人が、自身の考え方をまとめる際に、利用されるとか、ご自身の感性を豊かにされるべく、教養を得る為に、知識を会得する為に、あるいは心の平穏を得るべく、存在するのではないかと思うのです。全てにこの表現があてはまるとは思っておりませんが…

一方、情報という区切りは、お伝えしたい世界観があったとしても、実際、伝える試みをする側が、どんなに頑張っても、努力してもその一部しか表現できない所にある事ではないかと、この頃、思うようになっています。その限界性を見極めた上で、読み手に対してどれだけ時に自由に、時に想像力や感性を働かせる事が出来るか、そんな側面も大事ではないかと思うのです。また、同時に、どれだけ正しく伝える努力をしていくか、これも忘れてはいけません。本当に情報を扱うという行為は、難しい存在と、私は思うようになっています。

ところで、私達人間も、実は獣でしかありません。とは言え、自然の摂理に従う捕食の世界に身を投じる必要性は無いと思います。文明と文化がその世界から解放してくれた訳ですから、ね。
唯、獣である以上は、生きる事に忠実でなければならないと思います。

だからと言うのも妙なお話ですが、きっと、私どもHPを覗かれている方々の中には、何とかしたい一体なぜ、こうなっているのと、まずは、知るという動機を行動の源にされている方々もいらっしゃる事かと思います。

実際、どこまでその期待に添えられるのか、私は分かりません。でも、一生懸命、表現の努力したく思っております。歯科医を専門とし、歯医者を生業にしている身故、文章を生業にされている表現の方々と比較し、到底適うものではありません。勝手気ままに書いているに過ぎませんので、全てを鵜呑みにされるという愚かな行為は控えて頂ければと思います。そこまで強いメッセージは、ここには込めておりません。

でも、ご自身が知られたいという世界観に対して、少しでもお役に立てばこれほど嬉しく思う事はありません。

獣としての生きる事に忠実な人間へ、どこまで正しくお伝えできるか、どこまで、何かの手助けが出来るかなどは分かりません。でも、こんな風変わりなヒトがいて良いと思うのです。受け入れて頂ければ幸いです。

健康は素晴らしい豊かさです。豊かさを作る源と言っても過言は無いと思います。

必ずどこかにあなたが求められる先生が、医療者がいるはずです。あなたと共に、一緒に病態と戦う勇気を示す先生がおられるはずです。

そして、感染症である限り何も申すものではありませんが、もし、あなたがどうも口腔の不具合が身体まで波及していると直感的に思うのであれば、一端入れ歯と言う選択肢を取る勇気、納得できない限り、色々な選択肢(セカンドオピニオンを含め、但し、病態偏差値が低くない事も相手に要求されます)の中でも、後戻りが利かない治療は積極的に選択されない事を、紹介したく思います。

それぐらい、口腔の不具合と身体の不具合が連関した場合、歯科治療を受ければ受ける程、改善よりも悪化する確率が高まる場合があります。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

歯科心身症と言われる世界を、歯科医の私が独学の元、書いているに過ぎません。ですので、どこまで本当か?言い方を変えれば、責任を公の場で取れるだけの“情報精度は無い”物と、予め、ご理解いただければと思います。また、時代の移り変わりから、既にその解釈が不適切になっている場合もあるかもしれません。それが、医学と言う学問です。そのご理解の下、目を通していただければと思います。

そして、あくまでも読み物として記しているに過ぎませんので、参考程度にされる事をお勧めいたします。また、歯科同業の先生方には、ぜひ、ご自身の手で調べられる事をお勧めいたします。あくまでも素人向けに、理解の手助けになればと言う思いから書いているに過ぎません。正しい知識はやはり、清書論文からしか得られないかと思います。何卒、その旨ご理解のほど合わせて、宜しくお願い申し上げます。

また、該当すると思われる病態で、お悩みの下、読まれる患者の方々、あるいは、ご親族様におかれましては、何卒、専門家の診断における参考程度、あるいは、専門性のあるデンテイストに治療を委ねるべきか、その判断指針の一助ぐらいの位置付けで、読まれて頂く事をお願いしたい次第です。よろしくお願い申し上げます。

始めに その1

正月は縁あって、カールじいさんの空飛ぶ家という映画を鑑賞しました。内容を話すほど、無粋ではないのですが、軽く触れてみたく思います。了解ください。

長年、連れ添った妻を亡くしました。妻とは空想が大事な時期の10歳の時、知り合いました。妻が無くなりました。過去を見ては、妻との思い出に浸っては、過去に生きようとする。時代には置き去りにされ、ある事を契機に、妻との約束の地に旅立とうとします。そこから、冒険が始まるわけです。色々とあります。いつしか、妻の思い出に生きる事を止め、思い出は胸にひっそりとしまい、人との関わりを思いだし、今を楽しみ、今を生きる。ま、こんな感じの物語でした。結構、僕は好きな話です。

帰る道がら映画を、ふと思い出します。

実は、正月に縁起でもないのですが、電車は人身事故で何十分も駅で立ち往生します。もはや、日本の一風景かもしれません。寂しいです。何とか間に合った所から、始まり、僕は色々と考えます。なぜか、年末年始と思わず時間つぶしに見る討論番組の事すら思いだされていきます。不思議な感覚です。

私は市井の人間ですので、分らないという言葉を添えますが、普天間基地問題で、駐米大使が急遽呼び出された。その大使が国防省ですか?入るシーンが流される。急遽呼び出されたにも関わらず、何故、テレビクルーが既に準備万端で、テレビに映るのだろう?昔、歌にあった人類史上初と言われるけれど、先に入っているのはテレビのクルーさんではないかという詩が、僕には思いだされてしまいます。緊急であれば、私ら市井の人間が知ってはいけません。ギクシャクぐらいが、関の山だと思うのです…流行歌の準備と勘繰りたくなります。

ワシントン発という記事に目を通すと、不思議なのは、情報のソースもこの情報を得た記者名も分かりません。すると、何故か口裂け女の伝説を思い出して仕方がありません。責任者を置く必要がない噂話みたいな扱いで、調子が出ない気がしてなりません。

情報は実は、ものすごく氾濫していると言って良い位に無数にあるように私は思います。あなたが知りたい病名や病態も、見方を変えれば、HPの検索をすれば、それこそ無数に、またネットサーフィンをするが如く、体力に物を言わせてネットサーファーを気取れば、それも、また沢山出会う気がしてなりません。*知りたい情報に出合えるかは別です。

見方を変えて、公的サイトを覗けば、どの疾患を扱っているか、詳細に渡って情報は書かれているかもしれません。現場サイドは、聞かれた設問よりただ記すという、情報収集者の理解度に支配される側面もありますが。

すれ違いと言う表現かもしれませんが、その収集作業で、患者が知りたい、実際の所、“どの程度の疾患数を扱っているの?”とか、“どの程度の完治性があるの?”という、世界がモーラされているかは個人としては疑問視しています。ただ、設問が取り扱っていない以上、仕方がありません。そして、同時に、公にしていく作業は、難しいと、私は感じます。

見方を変えれば、情報の表現法が成熟するには、まだまだ時間が要するのかと思います。だからこそ、表現を発信する道を選んだ人々は、それを糧にされている方であれ、それを商売であれ、それを宣伝の一部にしても、常に工夫し続ける努力と、多分透明性という姿を模索していく必要があるのかなって、この頃思うようになっています。不思議なものです。

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投稿者: こすが歯科医院

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