じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。

2014.12.02更新

何が常識か何時か、お目にかかりたく思います。同時に、あたしは非常識らしいです。と言う感じでおしまい。

ちょと、タイに行って来ますわ。あたしの用意した言葉が、世界にはどう聞こえるのか確認したくて、ね。もうこの際、何でもアリ、て感じかな?

命をかけるといっても、中途で投げ出すのも常識、粗だけを探してそれがあたかも問題に見えるようするも常識、役職が付くと言い分を変えるのも常識、で、役職が無くなると急に元気になるのも常識。事実の捏造も常識?まさかね?
ま、これも何でもアリ。
同じアリなら、納得する事をしたい。問題提起に対して、まともな意見交換をしたい。自身の責任で借金までしたのですもの。命がけで、元気でいたいですわね。死にたいと思っても、死のうとはしませんよ。もう暫くはね。

こいつも何でもアリ。

同じアリならどちらが、公かしら?
同じアリならどちらが、自律を考えようとしているのかしら?

歯と全身とは関係ないと、思うのは常識。
だったら、関係していない事を立証する事が、多分、常識。
そんなの知らないよ、は、世界の医療の考え方では、多分、非常識。

それで苦しんでいるのです、その患者の声はどこに置こう?
歯の治療が、歯のある事態がきっかけになった場合は、どうしよう?

あり得ないから、心身症だから精神科、心療内科、口腔外科で見て貰いな、幾ら優しい言葉で覆われて云おうとも、結構、その発言、残酷かもよ。こんな事を言おうものなら、これ、非常識。無い事実を作ろうとするのは捏造。ある事実を無い事にするのも捏造。捏造は、非常識。

その為の方法は、多分、無関心に装う事。優しい言葉で覆われて、距離を開ける事。これ、大人の知恵。同意。
じゃあ、世界の医療倫理では、常識、非常識?
歯と全身が関係しているのか、とにかく調べてみよう。は、どっち?常識、非常識?

その為寝る時間も、全て提供する事を選ぶは、非常識。これは、同意。
でも、世界の医療の倫理的考え方では、苦しいけれど常識っぽい。

無い事に出来れば、患者の心の針を取ってと心意気で解決でしょう。
これ以上、疾患が無いとなれば、技術論だけに終始すればいいでしょう。
これ以上、歯科医学が発展しないならば、患者様と言う接遇教室でも良いでしょう。だって、あたしらは、高級食材を売る店員か、100円ショップのとっぽい店員を選べばいい訳ですからね。

管理する人の審査に合わせて、病名を手頃に決める事もありでしょう。でも、それは、医療として成立するのでしょうかね?不思議です。
あなたの疾患は、この企画から、決めましょう。

次なる一手は、PCで、症状を押せば、薬が決まる事なのかな?

ま、マニュアルで全てが始まって行く訳です。あたしらも、マニュアル以外は考えません。
少しの人間らしさが、患者の心から針をとる優しさと言う心意気かな?みたいな感じ?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

そうだ、舌が主だから、そこまで影響が無い、だから関係ないのだ!と言われたとしても、あたしは論点を変えましたねと、言うつもりもありません。

論点を変えて、議論が成立する雰囲気、結構、慮る様にこの頃、思う時もあります。気のせいでしょうね。

日本を良くする約束はしますけど、気に入らないから大臣辞めます。最初の論点は向こうに置いて、都合が悪くなれば感情で反故が全て認められるというこの国の常識?結構、見慣れてしまいました。だからかな?

ですので、日本人の特徴と捉えれば済む事なので、話題を変えられたとしても、慌てません。次の質問を送りたく思います。

ま、どうしていいか分からないから、とりあえず切れてみました、って言えばいいのにね。覚悟すらお持ちになれないなら、端から大臣なんておやりにならなければいいのにね。でも、これも日本の常識?世界でも常識?

姿勢維持には歯も噛み合っていないといけません。これを等尺反射と言います。歯と身体は関係していませんならば、医学の生理学の定義を、一生懸命、否定する論文をいつか、お目にかかりたく思います。世界を否定する事が許される常識の方が非常識と個人は思いますが、ガラパゴスは、世界と常識を乖離する道を選ぶという事なのでしょうかね?嫌だな!個人的には、と呟きます。

でも、普段は歯を噛み合わせないようされて下さい。出来ない場合もありますが、この理由はまたその内…

筋活動においては、等尺性活動(isometric activation)求心性活動(concentric activation)遠心性活動(eccentric activation)という集約させた表現が存在する。ところで、問題は、歯牙の持続的接触により、持続的興奮、疲労性物質の産生が起こり、顎顔面領域における筋活動が著しく低下する事にある。また、それに伴い歯牙の崩壊、位置異常等の器質的問題が生じ、収束する事の無い活性化が活動障害として表れる事が問題になる。

この疲労物質などをP物質なんていうそう。こいつも不定愁訴の素(もと)になるみたい。でも、歯は関係ないからさ。これ、日本の常識。お疑いなら、ネット相談とかを見てみると良いでしょう。真夏の夜の夢と言う事で…ね!

新聞とかで、何気に厚生省の見解を探してみると、こんな感じ。
噛み合わせ万能論のような考え方は、今はもう少ないが、確かに噛み合わせが全身の健康状態に与える影響はある。
これが事実で、公式の見解ならば、相当に問題として捉えられているか、全く分かっていないか?ま、どっちらかでしょうね。

矛盾した事をここに書いていますが、こんな所も実は、咬合?顎位?ま、何かがとても、難しい問題と暗示している現象なのかもしれません。

この国の常識は、歯と身体は関係ない、繋がりはない、だから、そう確信をされる方は、今後もどうぞ、積極的に歯を感覚系の組織と言う事実を無視した治療を受けられると良いと思います。そして、文句も言ってはいけません。黒ヤギさんになる事が大事です。これも常識。

もう一つは、それらを了解した下で、故意に行う訳ではありません。但し、時間の制約に追われて医業行為を優先する事は、問題があっても、仕方ないと置いています。それは、時間内で売り上げを出さないといけない立場に、私は立っており、家族の為、従業員の生活の為と、目をつぶって医業を優先させるのです。そして、審査にパスする為に、病名を合わせる羊さん達を受け入れられて下さい。それだから、世界の1/10の治療が受けられる訳です。これも、常識。文句を言ってはいけません。

顎領域の感覚系のエラーは、一応無いのが常識らしいので、その問題に関しては医療被害と言う解釈は成立しないと思います。ですから、分かって貰えないという思いを持たれる事は、本当に苦しい事だと思います。口惜しい事と思います。そこまでしか、あたしは悲しいけれど表現できません。そして、健康被害と解釈せざるを得ないのかなって…

でも、これは、日本における医療倫理は心意気と言う個人の精神に宿る物と、そして皆が本当に共有しているのか、あるいは用意したのかは、知りませんが、何故か聞こえのいい常識という2点で固めた結果、生まれた現象のように思えます。後は、空気が全て解決するに、なって欲しく無いものです。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

あたしが見出した現象を、医学部の教授である彼が仮に肯定したとする。すると、今度は、公に胸を張って、何か別の事を発信できるかもしれません。この公になるかもというそんな過程を、今のあたしは、何だか楽しみにしたく思っています。どうなる事やら。ですね?

世界が言う所の、医療者の倫理は、そんな拘りから始まるのかなって、勝手ながらに再確認をしました。そんな話でした。

先に書いたセリフでは無いですが、俺の話を聞く奴が求めていた人。そしたら、それは、南方に居ましたという話です。
今は、10月も半ば。借金もしました。経営的には痛いのですが、あたしは、あたしの知る事実が真実か否か、また、ちょっと、タイで公になればいいなって云う思いの旅に行って来ようと思っています。公に出来れば、ちょっと、愉しみ。

偶然ですとか、嘘ですとか、言わないで済みますものね。あり得ないとか、愚かな事は考えるなと言われる事、無視される事は、織り込み済みですので気にしませんが。平等に知り渡られなければ、平等に科学で無いと受ける評価に対しては、学問の自由はどこに?という個人的な疑問が解決しない限り、とりあえず意識の蚊帳の外に置いておこうと思っています。

ま、嘘つき男爵なのか、あるいは、あたしが空気を読めない程度の人間なのか、そんな事も分かってくるのでしょう。

しかし、空気を読むとは、使う場面が違う気もしますが、“あり得ない“と言う常識に、身を置く事が空気を読むになるなら、あたし的には、嫌ですね。

倫理と言う社会性に関わる物、法と言う社会のルールと言う物、基礎医学と言う物等々に、あたしらは、結構縛られている職業のはずですが、心意気と言う個人の精神に宿る物と、そして皆が本当に共有しているのか、あるいは用意したのかは、知りませんが常識という2点であれば全て解決するという空気は好きになれそうにありません。

WRMと言う捉え方にすれば、TMDも感覚系の病気と言う見方が成立します。FMSもしかりです。
因みに口腔内は感覚器などとも表現されます。その感覚器の一つに歯牙がある訳です。

だから、明らかに感染症の場合は別でしょう。しかし、これが、併発(感覚系のトラブルが)している場合は、慎重に考えるべきでしょう。

これが、安易に歯を調整しない方が良いと思いますとどこかで書いた、裏の理由。ところで感覚系のエラーの診断はどうやるのだろう?ま、時期尚早だし、あり得ないのだから、知りません。錯覚と言う事で。

感覚系を壊す可能性を秘める矯正も安易にされるべきではないでしょう。感覚系を育てながら、守りながら矯正をすべきでしょう。これは、成長期に行う矯正と、成人矯正におけるWRMの差異につながる様にも思っています。感覚はどうやって守り、育てるのだろう?ま、身体と歯は関係ないので、常識違いと言う事で。

成人時代は既に感覚系は出来上がっている訳です。言葉に立証でき無いけれど、そんな危険な香りを気付かれた方々が非抜歯矯正を唱えられているとすれば、道理が合いませんか?あり得ない戯言です。空気読めないもので…

タダ低いから、只ずれているように見えるから、ヤジロベイでは無いからと、安易なスプリントも感覚系にいたずらな阻害をしたりネ?すんません。空気読めないのです。

ま、例えば、横隔膜が呼吸系に関係があって、姿勢起立維持に関係があって(頚部固有感覚と言う方が良いでしょうか?)、なお且つ嚥下系に関係していますが、
歯は身体に関係しないという常識者は、大変だと思っています。この論文化された世界を、否定しないといけません。口は呼吸に関係しますよ。嚥下に咀嚼と言う側面で歯も活躍しますよ。でも、歯は関係ないという以上、これら世界からも発信されている論文を、人類が長い時間積み重ねた研究を、否定する訳ですからそれはそれで、偉大な功績になられますので、是非行って欲しく思います。

世界を否定してでも、自身の意見を貫かれたいのなら、まずは、医の倫理に従って拘られて欲しく思います。どちらが常識か、見えて来るという物です。
そうすれば、あたしもこの悩みから、解放されるという物です。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ま、てな感じで思いつくままに書いてみましたが、変わらないが前提で、管理の工夫をし始めたオンライン化にも、実は、沢山の活かせる点は、絶対にあると、あたしは思っています。

でも、病名の標準化に関してだけは、病態把握や、その治療法が完全なマニュアル化されていない物以外は、慎重に扱うべきでしょう。また、その幅に関しては、如何に自由性を与えるかという視点では、とても大事な気がします。

そして、まだ不明確な病態に関しては、やはり、社会から患者が置き去りにされないよう、どういう扱いにしていくべきか、日本流の個人のライセンス者に依存する倫理ではなく、世界がどう扱っているかという視点も、同時に、幅広く捉える事が、大事な気がします。

また、医療費に関して、如何に効率よく安価にさせるかと言う倫理と、始めから決められた収益の範囲での分配で、無理な状況を理解しつつも、効率よく分配を貰う為に、医療者側が審査に合わせる治療方針の温床になり得る可能性を秘めているという問題とは、一線を置く勇気も必要ではないでしょうか?

医療をどの位置付けに、国は、国民に提供をする意志があるのか、政治に携る方々も、本質論から逃げない議論が必要な気がします。
弱者救済のセキュリティーの存在を置く事と、本当にすべてを皆保険で維持が出来るのか、それは別次元だと思います。理想と言う思い込みで、世界は議論を進めるのか、あるいは、理想を確認しながら、今出来る事を確実に進めるのか、それだけでも議論の質は変わると思います。真剣な議論を是非、行って欲しく思います。

落とし所と言う言葉や、煮詰まった分、どのように打開をするか、そんな表現を用意しているのが日本語でもあると思いますが、揉める、辞める、いじけるでは、何ら生まれない気がします。そして、責任が無い所に立つと、威勢のいい言葉を出す。これで、いいのかな?不思議。

たまたま、タイに行き、professional autonomy and self-regulationという聞きなれない言葉を知り、国内に帰って慌てて調べます。結構、成る程と思える世界を知ります。

「患者の人権擁護のためのシステム」と「医療倫理の遵守のためのシステム」が、実は常に独立精神や、自立の精神を医療者側に強烈に要求している事が同時に紹介されます。

きっと、こんな哲学って政治にも、ジャーナリズムにも、開発する技術者にも色々とある気がするのです。ガラパゴスの根底は、世界を意識する事を忘れた事と、世界に興味が無いという意識が、混在した事。
もう一つは、自由に意見を交わせば良いという事が建前になり、変な平等精神が常に周りの空気を読み取りながら、気を使い続けるという違った方向に行きついたせいなのかなって思ったりもします。分かりません。意見の先は平等という視点しか用意されないとするならば、社会は窮屈になりますで。平等の精神は、機会にあり、敗者になっても復活できる再生の精神にあるだけで、皆が同じになるではないと思うのですが…
歯医者だけに、敗者と言う言葉に拘ってみたりして…
アホですわ。(笑)

同じ肌でなく違う肌ならば、常に、相手に正しく意見を言う事が求められるかもしれません。恋愛小説で、ポット頬を赤らめるという表現があります。でも、肌の黒い方には存在しません。すると、人種でその表現自体が違う可能性もあります。

違う民族で作り上げる文化ほど、正しく自分の意思を伝えようとするのかもしれません。同じ肌の色で同じ感覚と言う前提に立つ私達の文化では、成立しない考え方でしょう。でも、これが他所と交流を深められれば、また違った感性が芽生えるかもしれません。

その時、どれだけ自国の歴史や国語を知っているか、そこにどれだけの重みがあるか、逆説的に理解が出来るかもしれません。

と、まあ、どこかの青年の主張みたいな事を書いてみましたが、タイ語でなく英語で許されるとなれば面白くありません?そう考える事にしました。

英語が話せれば、世界が近くなる。ま、それを信じて、凌君を見習いEラーニングを、始めてみました。

発音はもう、この際OK!
とにかく意志を伝えてみよう、そんな心意気です。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

これが、タイに行ってあたしなりに持って帰って来てしまった何か。結構、文章にすると、長い世界ですね。

でも、例えば、医療倫理の世界標準に、日本がいつの間にか考えの中では遅れ始めている事を感じ取れた事は、良かったのかな?

で、改めて心に誓もしました。

もう一度、国内の大学に連絡を取ってみようと。そして、今度は聞き方を変えてみようと思います。あり得ない、考え過ぎが返答なら、その根拠を世間体ではなく科学的に教えて頂きたいと、問いかけようと思い始めてもいます。大学ですもの。応えられるはずです。応えられなきゃあ、どうして?って云う感じ。

皆であり得ないと答えるのが平等だから、あり得ないもありじゃないですかね?平等万歳!とも、呟きながら、心の準備はしています。

只、一個この頃危惧している事もあります。

僕が科学的にこれはあり得ると推察した際、成立するのでは?という問いかけには、村八分の理屈で無視と言う秩序維持の方法もあると言う事をこの頃知りました。規律の為には、無視と言う排除の理論があると言う事をこの頃知りました。

平等を守る為には、空気を読めないと排除する理論が平等にあるのです?解釈を捻じ曲げられた平等かな?とも、呟きながら、心の準備はしています。

だから、自分の事ですので、自分で勝手に思う事にしました。

タイと言う国から世界へ発信するきっかけになっても良いでしょうし、日本人発の日本からの世界への発信でも良いでしょう。もう、ここだけは流れに任せようと思い始めています。
“もし、私の言いたい事が、あるべき物であるならね!”
ま、大らかさと、解釈する事にしました。

でも、同時に、今までの手段と指向を変えて、もう一度、僕がまだ出会えていない国内の一流の先生へ、コンタクトをとる努力をしてみたく思います。日本に拘りたいですし、日本人ですしね。

しかし、英語は話しこなせないと大変ですね。宜しければ、どうぞ、チャレンジされてください。僕にまた、新しい課題が渡されました。面白いものです。

そう考えると、民主主義という仕組みは、人間に沢山の可能性を教えてくれるのかもしれません。
ま、やってみても損は無いと思うので、トライしてみようと考えました。とさ。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

ま、何か小難しい話を書いている気もしますが、“海外に久々に行ってみた“というのは、結構、あたしには大きな経験でした。

あんまり村に拘っても、世界の方が大きい。これが、改めて確認出来た事。

世界の方が、当たり前ですが、村に拘る頑な人でない限り、相手の話を聞こうとする器量があるのかもしれません。当たり前に、外国人と接する機会がある方が、まずは、相手の話を聞こうとする素晴らしさを知られているのかもしれません。

あんたは、村に属していないから、とりあえず、出方を見ます。そして、出方が見えないなら、無かった事にしましょう。そんな所かしらって、あたしは、この頃、思えるようにもなりました。これ、あたしの個人的感想。大人になったもんだと、微笑む事にしました。

沢山、世界で深呼吸をする事を覚えた人が増えれば、ちょっと待てよ。システムを作る人を育てるのは、いっそ、その方法を知っている人間に任せてみようと思い立つかもしれません。

変わりに国内の働く労働市場(と言うのですか?)を流動化させてくれってお願いして、具現化してくれるかもしれません。

成る程、こうやればいいのかって、村から卒業する方も生まれるかもしれません。生まれた暁には、国旗を燃やしてばかりいると、損するのは、実は御自分ですよって、教える勇気を持つ人が現れるかもしれません。侵略したお前らは危ないって、燃やし続け、悪態や罵りに励んでいる内に、実は危ないのはお前だと、もう、思われ本当に、嫌われていますで。と、事実を正直に、伝える勇敢な方が出てくるかもしれません。あたしは小心者なんで無理です。

あんまり村の基準で、平等を説いた後に、今度は規律を説いても人って理解できない気もするのね。あんまり村の基準で、自由の為に規制を緩和すべきと説いた後に、無駄を排除せいって付け加えても、中々、心に響かない気もします。響かせる為に、沢山、世論調査を行っても、真実味はどんどん薄れる気もします。何を書いているか、あたし自身、全然分かりませんけどね。

それぞれが、“らしく”独立性精神を改めて持つには、きっと海外の異文化交流や、一層、海外で働く方が、その解決は早いのかもしれません。

その上で、受け入れる流動性をある社会を作ってしまう方が、活力も生まれやすくなるし、閉塞感を感じる暇なんて無くなる気すらします。

変わらないが前提で、含蓄合戦に終始して流動化が停滞する時って、人って、相当に閉塞感を持つ気がします。

でも実は、そう言いながらも結構、変わって来ている気もしますがね。情報は、最早、メディアの代表的媒体である新聞や、テレビでなくともネットで確認出来たり、医療情報が、手軽に入るようになったり…

変わらないが前提で、管理の工夫をしても、変わり始める勢いには、遅かれ早かれ対応しないと難しいようにも思えます。金融ビッグバーンが起きて20年、空に起きる風が今日この頃、平等幻想が垣間見られ始めている今日この頃。ヒエラルキーを、小さくして全ては平等。この成果は、安く安くのデフレの儀式。医療費はタダに近くなければ、おかしいと思うデフレ影響病。給料は成長無くして絶対アップって無いけれど、皆で平等に、安く安く運動を続かせていけば、減少して行くのも自明。ヒエラルキーだって、公平性があれば、決して悪くないと思うけれどな。伸びる可能性、大きくなる可能性の枠を用意して、後は、市場経済社会に個々がどう、対応するかのほうが、頑張る意味をみつけやすいけれどと、勝手な呟き。

平等という言葉に振り回されて、横並びに合わせる癖が、低く低くに変化していないかしら?知りませんが…

昔、1時間半講義の大学授業が、今は集中力維持の為1時間にしているなん?て、その最たる現象かもね?低い方が、高い方に合わせろでは、どうして行けないのかな?そこにある努力は、尊いと思うのだけどね。そこで落ちこぼれる事を大学が心配するなら、必要ないでしょう。着いていけないというのなら、最初から大学に行かねば良いだけでしょ?甘えなさんな、と個人的には思います。大学生になって試験を受ける理由を悩む青春君は、答えが見つかってから大学に行けば良いと思いますよ。

ま、いつまで平等という言葉に、縛りつけられなければならないのでしょうかね?低い人に合わせる行為は、平等でなく劣化と言う表現が該当する気がしますがね?言葉は難しい。

本当に、不思議?♪どうでしょう、ね?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

公務の方々だって実務に実直であって、決して、日本をガラパゴスに持っていこうとしている訳でも無い気がします。世界は、如何に、良い利益を社会に還元するかを政治に求め、別にルールに基づく限り必要悪と流す器量も準備しているようにも思います。そんな目を穏やかにしておく事も、時に必要なのかなって思うのです。眼の奥底は、別と思いますが…

規律と言う正義に全ての物を求めれば、規律と言う実務の方は無理してでも、期待に応えようとするでしょう。むしろ大事な事は、オープンだけに拘るのではなく、透明性の確保や、時間がたてば公開する公平性の確保を保証する事や、正々堂々、考えを述べる無謀では無い勇気のような気がします。戦略なき思い付きは、上げ足を取る事だけに燃える、他所の国の国旗を燃やす事が正義と信じる破廉恥精神の塊の方々には良いように利用されるだけの気がします。

あたかも事なかれ主義に、徹すば、またいいように国旗を燃やされる気もしてなりません。マナーを知らない前提も世界にはあるのかもしれません。

オープンに出来ないものは透明性が時間の経過後であれ、保証される限りそれも民主主義なのでしょう。公に出来るタイミングと、してはいけないタイミングが混在するのも世界で生きる限り当たり前の気がします。言論の方も、透明性とオープンとが同時にあるべきと言う、旗を燃やす事に嬉々を感じる方々を利する事のみに拘るよりも、時にあり方を見つめ直す事も大事な気がしてなりません。

はて、あたしらも病名の標準化に納得するのではなく、問題は、どこまで受け入れても良いのか、そして、どこからは無理と言う意思を個々のライセンス者が大事にする事も、自律には欠かせない要素の気がします。穏やかに表現したく思います。

言論の方々も、風を吹かせようとする意識に迎合する事よりも個々が独立性に律し始めた時、始めてジャーナリズムと言う本質を見つめ直す事にならないのかなって、知りもしない癖に考えても見ます。

きっと、これは大きな政府とか小さな政府という土俵ではなく、まずは、世界と対峙しているという意識から、どうこの国があるべきか考えるきっかけを、まずは拘る事から始まる気もします。

見方を変えれば、空のビッグバーンはぼちぼち起こりそうな雰囲気です。世界に足を運ぶ事が、相当に簡単になるでしょう。

その時、海外から何かを感じる力を持って帰る日本人が増える事を、ちょっと期待をしています。そうなれば、多分…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

社会派を目指している訳でもなく、只、何でだろう?って云う思いを書いているだけにしか過ぎないHPです。多分。でも、知識を患者が持つ事に決して損はない。そう信じてもいます。

何か、良いものを持って帰って頂ければ、いいかもって思った事も、このHPを立ち上げようと思ったきっかけ。

よくよく考えてみれば、自分の意見を言う土俵も無い。

勝手に、スーパーマンと自称する人間(歯科医師)は沢山いるけれど、得てして低空を飛ぶ奴も多い気もする。これ、あたしの宗教。

なら、イッチョ、自分の土俵を作ってみるか?

そしたら、誰か声をかけてくれるかも…

そんな事を思った昔を思い出します。

確かにレクイエムと位置付けた自分もいます。けれど、重く重く暗く暗く構成しようとも思っていません。

少しでも権威ある言葉を紹介出来れば、もしかしたら何か素敵な事が起きるかも…

そんな事を思っていた際に、理解を示す現在、編集をお願いしているK氏と出会う。それが個人的つながりまで発展できた事も、このHPが成長できた理由かな?そう思っています。

また、何気に読まれている方が多い事も(個人のHPでは中々、無いそうです)何かを書きたい思えるモチベーションと言うエネルギーなのでしょう。

別にこの疾患に、医者が罹らない訳ではない。罹った医師と言うライセンス者とも一緒に戦っている。TMDを治すのに協力させていただいたライセンス者もいる。旬な研究をしているにも拘らず、平気で歯科で起こるのって、自身が行った疫学調査を疑う国語力が幼い人もいるのは確かです。自分の世界しか善は無く、後は無関心と言う見地で判断する寂しい方がいる事も事実だと理解しています。

歯が身体に影響を与える訳が無い。そう断言されるヒエラルキーの高いライセンス者も、いらっしゃいます。

その方には、いつも問いかけたく思います。器質障害が活動障害まで波及する事が無いと言っているのに等しいのですが、歯だけが違うなら、歯は医療行為ではない、保険制度から外すべきだと、何故、活動をされない?無駄な支援が出来る程、皆保険制度に余裕はありませんよ。是非、活動をして頂きたく思います。

別の表現でも良いでしょう。

何故、歯は身体には関係ない組織である事を、そこまで強く言われるならば、科学的に立証されないのだろう。是非、立証をされて欲しく思います。そうすれば、あたしのような者を、完全な・はみ出し者・流され者に変える事が出来ます。

仮に、この逆、即ち、あたしが思っている事が成立する場合、その投げ出した唾はどこに引っ込めるのだろう?って。自身をはみ出し者・流され者に変える、御覚悟はおありですね?

まさか、くれぐれも言い換えるなどと言う愚の骨頂はされて欲しくありません。ご自身のヒエラルキーが、寂しく微笑むというものです。

日本人が自らをこのまま進むとガラパゴスと自己分析を始めたのなら、多分、どこは世界標準に合わせるべきか、あるいは、このまま進もうと、沢山考える必要性が出て来るでしょう。

省エネや、環境問題は、ガラパゴス化した結果、生み出した最たる物でしょう。

決して、恥ずかしむ物だけではでなく、誇り高い物とあたしは受け入れています。

多分、世界の感覚をちょっと、忘れただけなのでしょう。

世界と付き合うぞって!公務の方も受け入れたから、羽田を24時間化の方向に働きかけているのでしょうし、オイオイちょっと、待ってくれ。それなら成田ももう少し、遅くまでやってみようと決め直せたのだろうし、これって、管理する人からのちょっとした独立運動のような気もします。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

こんな文化を礎にしているのだからこそ、僕はライセンスを持っていると言う事で“そんな訳の分からない言葉なんて、あり得ないという思い込み(見方を変えれば誰かが決め込む常識)を一端向こうに置いて、まずは信じて聞いてみよう。ここから、始めたに過ぎません。ま、開業と言う時期から見れば、途中からですがね。患者である貴方の言葉を信じてみようと言う意識から、その言葉の意味を、調べて行き着いた物でしかありません。

オールラウンドプレイヤーを要求するこの制度がいいのかどうかは分かりません。でも、このオールラウンドに色々な疾患に対峙できる機会が、患者と言う出会いを作り、彼らから、今の僕ではなく、当時の僕にはあり得ないという世界を紹介して頂きました。

歯の治療をしてから…
この言葉が、どれだけ多かった事か…この言葉がどれだけ、苦しい叫びだったか…判断は読み手のあなたに依存します。

科学では既に十分、関連性は暗示や、実証もされてもいます。個別にですが。僕は、そう未だ感じています。しかし、世間体というもので受け入れる事を許さない。そのようにも同時に感じています。だから,独りもどかしいのかもしれません。

ガラパゴス化をしているからだ、医療倫理が崩壊しているからだという言葉で解決を求める事は簡単な事だと思います。
支援法で考えているから、標準化で審査に合わせる束縛が問題と答えを見いだす事は、簡単でいいと思います。

でも、あたし的には、もっと根深い物がある気もします。
考える自由よりも、こなす事、医業に向かわざるを得ない環境にある、余計な事などは考える必要はないと、マニュアルを徹底的に叩きこまれ、それ以外は受け付けない要素も、無意識な排除意識が働く要因かもしれません。

あたしは、言論の方で無いので、正直分かりません。
でも言える事が一つだけあります。

この縁を大事にしたく思っています。ですので、1ヶ月半後また、タイに渡航してチャレンジをしてみようと思っています。
相手されない惨めさと苦しみで、日本人を分析する作業なんて、正直、面白くもありません。今の学問と言う世界のあり方や日本文化を考える事も、正直、楽しくもありません。研究は基本的に大学機関、臨床の事は開業医が、開業医用の学会で、発表をする。あたしには、今一ピンとこない世界観のようです。今の所…

タイと言う僅か数日の体験でも、色々と考えさせられました。
本当かどうかは、ご判断をお任せします。少なくとも、あたしにはこのように理解が出来ましたと言う話です。

何故、あなたは躊躇をそこまでされるのですか?

教授、仮に、器質障害が起きる歯から、活動障害含め、問題が起きるとなれば、その反応は大変な物になりませんか?

今は茶化しているだけですから、誰も相手されていなくても、言い方は恐縮ですが、好きに茶化せますけれど、事実と社会が受け入れた場合、心の準備をあたしらの業界がしているとは思えません。
優しい平和な羊が当たり前の秩序を乱しませんか?黒ヤギさんを、困ったとメィメィ泣かせませんか?お上次第という最適化モデルに、疲弊点が出始めても、それでも、お上依存の平等信仰、ややこしくなる気がするのですが…

笑われました。それを考える人は別でしょう。仮に社会が騒然としても、正しく公になるならば、それは発展であって、その騒ぎは一過性でしかないと思いますよ。

そんなもんか…

医療の倫理を勘違いしてはいけません。医療は患者の為に存在して、医者はその中で患者と協調関係を作る事ではないでしょうか?
お国のシステムに対して私は、当然ながら疎いですが、君が背負う事も無いでしょうし、君が背負える訳が無い。自惚れなさんな。

成る程…

要は素晴らしい事をされて、自身の誇りを保てる事、これは医療で生きる人間にとっては、とても尊い事でもある気がしますよ…

そんな考えもあるんだ…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.02更新

そして、その後会食。
中華へ連れて行かれ、最後はタイ名物のトムヤンクンです。しかし、緊張のあまり酸っぱさを感じる余裕もないのも、これ、愛嬌。
ウッチャンの知り合いの日本人の歯科医が、クーさん。教授のプライベートオフィスの部下。ここから、彼の開いているスケジュールを聞きだし、まさにゲリラ的に渡航したのが今回のきっかけ。だから、誇る理由など何もありません。

時に彼の通訳を協力頂きながら、必死にまた話をします。ウッチャンとクーさんの協力なしには、今回の事はありませんでした。感謝です。

しかし、この通訳には一個だけ壁があります。そんな現象は無いと言う歯科界の常識に於いては、訳す事を拒まれます。

これが、国内で僕がいつも地団太を踏む苦しい理由。“あり得ません”、だったら、何故、この(具体的には書きませんが)疾患で苦しむ人がいるのだ?これ、僕の勝手な心の叫び。無いものは無いのだから、悩む僕がおかしいと言うのが、医科にせよ歯科にせよ返される当たり前の壁…優しく考え過ぎですよ。そうであれば、どれだけ嬉しい事か…

さて、この会食でも同じ事が置きます。教授の質問に答えられません。いえ、正確に言うと翻訳されません。通訳と揉める事、30分。何かの役に立つと思い、当院で行っている痛みの分布図を見せます。消失の経過を見て貰います。

これしか、教授の質問には答えられないと判断をする訳です。英語しゃべれないもん!開き直るしかありません。

君は、何故そこまでして行動するのだ?そしてその目的は、何ですか?

くーさんに要求します。これは答えられましたが、あえて、要求します。『クーさん、臭いと思われるかもしれませんが愛です。そう訳して下さい。』“ほんまですか、そんな言葉で、教授理解すると思いませんよ。”「訳して下さい。」

付け加えます。人への愛です。人類への愛です。くーさんがまとめます。
“Love for human beings.”

教授が返します。
私が先生の治療の被験者になってみましょう。そして、あなたの考えをもう少し、理解してみる事にしましょう。

これが、今回の話の展開の顛末でした。

何故か、その夜、僕の胃は緊張でほとんど手を付けられなかったのに、汚い話吐きました。緊張しすぎると吐くと言うのは本当なのね、なんて思いながら…
後日談。

9月2日。彼は、アメリカの予定を一日ずらします。そして、今度は彼のもう一つのオフィスに案内されます。今度は指定の時間に来られます。

僕はいつものように、このクリニックでやっている具合にバイトを取ります。驚きの表情を教授は見せます。

僕は、ウッチャンに呟きます。勝手に松竹梅ってイメージしてきたけれど、これって、ウルトラ松だと思う…

3日、朝6時バンコク空港にチャックインをして、定刻より1時間遅れて大体9時に出向。貴国への途に付く。

機内で、明らかに興奮していると思える高ぶりと明らかに疲労困憊している肉体のギャップを楽しみながら、振り返ります。

日本って秩序と規律を慮る国なのだなって。

ただそれが行き過ぎると学問と言う視点に立てば、自由性を相当に失う事があるのかもしれない。タイって、その比較から見た場合、大らかな国なのかもしれない。どれがいいとか、どれが正しいとか、優劣を決める必要など意味が取り立ててあるとは、あたしには思えません。

でも、僕が独りで、感じている出くわした事など、実は、歯科に於いては専門医制ではまだない日本の仕組みだからこそ知れた事、偶然の出来事と思っています。日本人が大事にする“和を持って尊べ”は、人の話をよく聞きなさい、その人の言い分を聞きなさい、ここから全ては始まったと思っています。

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投稿者: こすが歯科医院

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