じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2014.12.04更新

それぞれの人が自分らしく、自分の出来る事を“らしく”こだわる時、きっと、素敵な自分と出会えるのかなって思うのです。

その“らしく”というこだわる空気を一人一人が作り、それが市民レベルに発展した時、社会はさらなる発展を迎えるのかなって当たり前のように思うのです。只、やりたい事と出来る事には相当に距離がある気もしています。そんな話は気が向いた時にでも…

それぞれの人が、“らしく”を大事にする時、当たり前に各々が自分の言葉を用意し、自分を語り、始めて閉塞感と言う空気を打破していくのではないかと思うのです。不安で食べて行こうとする方々の、空気という感覚的不安を利用した小利口なハウトウ―に踊らさせながら、生活の糧に協力する行為からは、是非とも、卒業したく思うものです。

その“らしく”を、当たり前のように、社会が取り戻せた時に、命と言う言葉までをも忘れさせる空気は消え、獣として生きるという当たり前の強さを取り戻す気がするのです。格好は後回しでも、ある人は夢に向かい、ある人は現実の壁に立ち向かえるのかなって、思うのです。

分かりません、個人のおめでたい想像かもしれません。

森羅万象に渡って愛があるという表現を用いましたが、社会との関わりを捨てるものかという人間(にんげん)だけが持てる言葉を伴う強い意志が必ず、何かを紡いでいくものと、僕は思います。そして、また社会に還元され、まわり巡って自分に帰ってくる、そんな事を、ふと、思ってしまいました。

子供向けアニメかもしれませんが、カールじいさんの空飛ぶ家を見た際、結構、色々と考える事が出来、不思議な感覚に襲われました。色々と考えあぐねていた事に対するきっかけが、この映画だったのでしょうが、実際は。

向き合うことの素晴らしさなどを思い出させてくれた私にとり一時の清涼剤でもあったようです。

歯科心身医学という括りとはいえ、心身医学の世界を知るにつれ、内戦状態のような3万人の自殺者の存在を触れない訳にもいかないと思う事もありました。でも、この分析や、知り得る世界ではとてもではないです範疇では無い事から、結構、パニックになっていました。

何を書けばよいのだろうと。そんなギリギリの人が読んだ際、あっしは何が表現できるだろうと。でも、何故か、賛歌みたいな文章は書いてみたいと思いました。理由は分かりません。私が1日を通して診られる人数なんて決まっております。治療契約、治療同盟が存在した方々にしか、愛は発揮できません。そんなもんです。専門家であるからこそ、限りがあると思います。でも、このHPは、何かの参考にして欲しいという動機で、作っているものです。今回のテーマが、私にとり、ディープな分、結構悩む物でした。

その表現が、難解と思われた分、私の中の意識は、どうも時代が醸し出す閉塞感という空気病に汚染され始めたようです。参りました。

というのも、過半数を超す原因に、身体の問題という側面もあったように書かれていたように記憶していましたので…

健康は、それだけ大きい豊かさの源なのでしょう。

新聞やニュースだと、経済的側面か事件性でしか取り扱われていない分、どうしても人身**という想像や、貧困が全て、いじめがと、通り一辺倒の理解になってしまうようです。

この世界は、私が専門とする領域では無いので、その道の方々に、政治の方々にその指針はお任せしたく思います。只、セーフティーという安全網を1日も早く整備して欲しく思います。政争という駆け引きよりも、政策にその全ての情熱を傾けて欲しく思います。ママのお金と言う感覚の是非よりも、優先度が高いと私は思っています。新しい産業構成でも良いと思います。事業を冒険出来安い環境かも知れません。そして、もう一つ、どうすれば良いなどは、そんなの専門家じゃないから分かりません。あしからず。

でも、イメージする事は、とにかく働いて俺は金持ちになりたいんじゃ~と、この事業成功させるんじゃいと、青臭い言葉を吐きながら、酒臭い人々が、夜な夜な街に繰り出している絵の方が、ずーっと、健全のような気がします。

豊かになってこそ、文明や文化を紡いだ意義だと思います。私の“らしさ”は健康と言う豊かさの少しであれ、協力やお手伝いを出来る場面に立ち会わせていただける事なのかなって思っています。

そして、同時に、この精神という疾患世界を扱う方々のご苦労は、並大抵な物ではないと思うのです。

だから、この業界も、歯科心身医学の世界と言え、安易な気持ちで、心身医学の現象的側面だけから、鬱が治るとか、不眠症が治るというような、キャッチフレーズを言う意味を見なおす時期に来ているのではないかと、あっしは、思うようになっております。

難しい問題ですね。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

さて、“らしさ”の話を続けたく思います。

私の場合、顎口腔系と身体を意識せざるを得ない場合は、歯科医らしく口腔内の歯や、歯周組織や、欠損部を意識する場合は歯医者らしく、それが、大事なのかなって、年の暮から、明けるまでの時間、ふと考えるようになりました。

顎口腔系と身体を意識する歯医者さんが増えてきた事はとても素敵な事と信じたく思っています。
歯だって身体の一部ですからね…

でも、意識する事と、知識を持って、把握して対峙する事とは、大きな違いがある気がしてなりません。そこに接点すら無いものと私自身は、今までの経験をして思う事があります。どん臭い感性だから故、空気を読めていない事になりそうですが…

でも、事実に空気は存在しないと思います。場の雰囲気を壊さないというマナーの範疇以外、空気と言う言葉は存在しないはずですが、いつから、この国の至る所に、空気と言う見えない縛りが誕生したようです。王様の耳はロバの耳の話みたいで、不思議でなりません。メディアが喜んで使ったKYあたりから、オピニオンな方々にも伝染し、空気作りに積極的みたいで、不安と言う空気をあおってそこまで商売したいのか、と、うがった見方を覚える始末です。

独り言です。
公のサイトにおいて、理解度に依存する情報集作業において、どこまで置き去りにされている病態の事を意識されているのだろうと、一人疑問を感じる事があります。そもそも、情報収集者は、仮にライセンスがあろうとなかろうと、この責任ある収集作業を行う以上、この掲示をする意味をどこまで捉えているのだろうと思う時もあります。少なくとも、病態把握は、公である以上されるか、明確にこれ以外は範疇外と書き記す方が、情報の区切りとしては素敵な様な気がするのですが…どうなのでしょうね?

それぞれの診療所が顎口腔系と身体の事(私は、他の項目の表現には口をはさむ意思はありません)を訴える行為を否定する立場のものではありません。でも、その世界が、今の時点で色々と様々な問題をはらんでいる以上、多面的に情報を発信されるか、論理的に情報を発信されるかが、実はあるべき姿ではないかと個人としては思っております。社会的認知性においても、市民レベルにおいても、業界内であれ、混とんとしている状況下では、発信者も相当な労力を惜しまない事が要求される気がしてなりません。発信と言う道を選択するのならば…

あくまでも、独り言です。

ま、準備する事、勉強する事、考える事、多分、結構大変です。でも、生活される皆さんも同じだと私は、思います。そんなもんでしょう。

関係無い話ですが、例えば、というものは人と人の間にしか存在しないのかなって思うのです。ところが、は、きっと森羅万象にある素敵な存在かなって思うのです。その思いが、感謝につながり、社会への関わりを失わない勇気をくれるのかなって思うのです。だから、ヒトは、頑張りたい時に頑張り、疲れたら休むのだと思います。

私の仕事でみた場合、この愛の提供の場面の一つには、身体の不調が、社会との関わりを失う際まで、疾患がその人を立たせてしまった時かもしれません。
ここでは、触れませんがいつか、気が向いた時また何かを残したく思います。

キリスト系の国家が医療は愛から始まるという言葉を大事にするのも、実は、ここにあるのかもしれません。日本では医は仁術と言う表現が該当するのでしょう。

但し、算術では無いという言葉はありますが、何時しか空気は、仁術と言う言葉は、安く治療する事と意味を変節させてしまった事に、悲しさがあると現場に立つ際、私は思う事があります。この変節が、時に人間関係をややこしくさせるから困ったものと、寂しく微笑む時もあります。

医者は儲け過ぎー!医者の横暴!と、全てを一括りに、面白おかしく空気を演出したせいかもしれません。まじめに現場に立つ者よりも、井戸端会議ネタをワイドショウ的に頑張った成果だと、時々思います。メディアの方々には、ご自身たちが作り出した空気を一個一個検証されていく勇気と言う空気を取り戻してほしく思います。もし空気と言う言葉を使用されるならば、勇気の方が素敵だと思います。

事業仕訳をセンセーショナルに取り上げるのではなく、本来、ご自身達が先に行うべき事を、やらなかった理由を、一市民の私は知りたく思う時があります。
なんで、検証や社会の木鐸という役割意識はどこへ旅をしているのだろうと、不思議に思う事があります。

この責任は…という言葉を社会正義の名の下に言われている以上、ちょっと、知りたい、タブーでした。苛めないでくださいね。

だから、途中より私は、医療は愛と言う言葉で理解する事にしました。愛という言葉は、ロマンなもの、神聖、神秘なものと、まだ、空気病に汚染されていないようですので…

文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々へ

日本語のideogram, phonogramと特徴的構成を上手に利用されて、理解の促進よりも、雰囲気で理解したような状況を作り出す行為は、一端止められてはいかがでしょうか?
批評、批判、批難という構成ベースでは無く、常に根拠ある代案や考え方を提示される運動の方が、素敵と存じ上げます。3つの批のうち、2つはきっとあるべきと思います。そして、一つは代案や、考え方を入れられる方がその理解は私のような、どん臭い者にはその理解がより進むように思います。
時に、情報ソースに対する透明性、文章を書かれた方々の責任ある名前の提示をされてみたら如何でしょうか?緊張感を保て欲しく思います。
今の所、テレビニュースはワイドショウ的な意識を失うと厄介と思うようにしております。新聞は、気が向いた際購入するか、喫茶店で読む暇つぶしと言う意識で読む物と自身の理解を変えるようにしました。
でないと、醸し出される空気に自分も影響を受けそうで、見失いそうで、心まで病になりそうで、気を付けないといけない、身構えて読まないといけないという存在に、私の意識の中では変わりつつあります。
あまりに空気を作る行為に、文字と言う媒体で情報を商業ベースに乗せられている方々は無頓着な気がしてなりません。空気と言う言葉は、世相とか、世論と言う言葉に置き換える方が正しいのだと、実は途中から、思うようになっています。
どうせ駄目だというあきらめの世論、未来に希望が無いという世相を、空気と言う言葉で代用している気がしてなりません。この方が、現実から一端距離をおけるわけですので、聞こえは良い気がしてなりません。
私は、あまり好きでないようです。
現実と向き合う事が医療の本質と思っておりますので…

今年はこの覚悟で行こう。ここが、安心と言うセーフティーネットの見地では足らない。ここが、無駄。如何にスピーディーに準備が出来るか、足を引っ張る検証だけに熱心では無く(この作業を否定するものでもありません)、安心の為、ここまで国は動いている、とか、まだ、発掘していないオピニオンリーダーから新しい考え方を紹介していただくとか…

この規制が、無駄とか。この規制が無くなれば、新しい商売が生まれ、雇用が生まれるとか。これ以上安売りにさせない為、この産業には逆に規制をかけるべきとか。デフレ対策だけではなく、デフレ亢進をさせない為には、わが新聞はこう思うとか、そんな文字を読んでみたく思います。

公務員叩きをだけを、ブームにするのではなく、官と民の協力の新しい形の検証とか、行政と立法のスムーズな関係作りの一意見とか、結構、やろうと思えば、面白い世界が見える気がしてならんのですが、どうなのでしょうか?
新聞で許されない表現なら、週刊誌媒体でもいいと思うのです。文字が、元気を失わせたなら、今度は、文字から元気を取り戻す、言い方を変えれば、勇気を思い出す作業を始めても良いのではないでしょうか?
政治家のヒト特性の問題だけ(この作業を否定するわけではありません)に熱心に、それと外交をぶれながら絡めるより、すかっと、一本道で、指し示す難しさに挑戦されている方が、いい空気も生まれてくるような気もするのですが…

現実を直視できないほど、この国の市民は弱くないと思います。

かしこ

素人文筆者からの疑問事です。 それ以外の方は、お読みにならなくて結構です。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

日本語は長い歴史と知恵から殺戮という争いを避けるべく空気を読むという知恵を編み出したように感じる事があります。話わけでも無く、場の空気を読んで、そこの環境性を守るとでも言えば良いのでしょうか?

ただこの空気の厄介な事は、生きるという獣のあるべき本能を忘れるぐらい潔癖さを求める結果、時にヒトを窮屈にさせてしまう側面があるのかなって思える所です。

先に出した話を軽く触れますが、ちゃんと仕事をしているとアピールの為に、テレビに出るは安心でしょう。ちゃんと仕事しているアピールの為に、ワシントン発と書いておけばこれまた成立するでしょう。合点がいきますが、同時にプロフェッショナルとしては、どうなのだろうと、寂しいヒトタチだなって、私には思えます。

政権交代をしました。政治家以外、関わる人はオピニオンリーダーを含め、誰一人として変わっていません。事実、テレビで意見を発する人で新しい人を見かけましたか?作る人も変わりません、構成をする人も変わりません。だからなのかもしれません。分かりません…

目新しい雰囲気は、抜かれるぞ、一流でなくなるぞ、これじゃあ、疲れてしまいます。頑張れ、頑張れと、おまじないを唱えられても、“意味無いじゃん”って、血気盛んであれば怒りたくなります。暴力はダメと怒りの表現を閉じ込められては、考える気も失せるかもしれません。本当に閉じこもれば最悪です。

この空気を変えるコツはただ一つだと僕は思います。“らしく“生きる事からしか始まらないのではないかと思うのです。

もし、あなたが病態で苦しみ、何とかしたいとあがかれているなら、まずは、社会との関わりを失わないよう、あがいて欲しいのです。これを失う事が、ますます苦しい負のスパイラルに自身をおく可能性があります。だから、あがいて欲しいのです。良い言葉が見つからなくて申し訳なく思います。今のあなたにしか出来ない社会との関わりを失わない為の方法を、私が想像し得る範囲で紹介します。

あなたの病態を正しく把握している訳ではなく、経験から紹介して良いと思う最大公約数を書いているに過ぎないので、鵜呑みにされないでください。全てをやる必要性も無いかと思います。全てが該当するとも思いません。

だから、“こんなの無理じゃん”って、思うものがあれば、無視してください。むしろ、こちらの方が正しいとあなた自身が発見したものがあれば、是非とも、あなたの見い出したそのことを行動してください。そして、それが有効であれば、あなたの優しさにすがる事となりますが、こんな事が有効だったと、どこかの掲示板にでも足跡を残し、同じ立場に立ってしまったヒトにヒントを置いて頂けないでしょうか?その時、その情報は有効になる気がします。

  1. 社会との関わりを失わない為に

a) 家族の理解と協力を求めてください。苦しくとも感謝の気持を忘れないで行きましょう。お願いします。
b) 会社に迷惑だろうと、気を回してリタイア―するのではなく、休職でも、時短でも良いと思います。生計の糧に戻る道の確保をされて置いてください。セーフティーネットの脆弱さの解消の為の道筋は、まだ整備されておりません。ようやく、セーフティーネットが、壊れていた事を国が理解したに過ぎません。これからの作業になっております。公の機関に相談してもよいと思います。NPOに該当する機関の方が親身に知恵を貸してくれるかもしれません。独りきりで解決を図ろうとされないでください。世には奇特なヒトは必ずいると思います。あきらめたらいけません。
c) 誰かと会話をする事を捨てないでください。
d) 苦しいかもしれません。でも、あなたがもし、社会人の年齢であるならば誰かに依存だけをするという行為に浸る事は何卒、踏ん張ってください。
e) 寝たきりだけはならないでください。苦しいと思います。寝たきりでいたくなると思います。でも、苦しくとも寝たきりだけにはならないでください。病状がもっと、悪化する可能性をはらみます。少しでも良いのです。家事なり、散歩なり、その時の体調で出来そうな行動を忘れて欲しくないのです。
f) 感情のコントロールが利かない瞬間があると思います。その際は、何も言いません。でも、ルールとして暴力が伴う攻撃性は意思の力で制御してください。協力、理解者に攻撃的言動を発する事は、苦しいかもしれませんが、ご自身の意思の力で、極力制御されてください。そして、してしまったら、次はしないようなるべくコントロールをされてください。
g) 良眠の工夫をされてください。
h) 栄養管理、体調コントロールそれは、獣と言う人間として己の責任でされる事です。

きっと、相当に残酷な事、殺生な事を言っていると記していて思います。申し訳なく思います。
まだまだ、この病態と対峙しようという歯科医療機関は稀のようです。だからこそ、自身でしか出来ない社会との関わり方は、捨てないで欲しいのです。その運動の延長に、あなたと共に対峙しようと協力を惜しまない医療者が必ず現れてくると、私は信じたく思います。

決して、空気に惑わされず、“らしく”にこだわって欲しく思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

ふと干支が虎である事を思い出します。虎は、最強の獣の一つかもしれません。獣(けだもの、けもの)こんな風に読みます。この濁音が面白い事に、どうも畏敬とか、超越した存在に、この濁音を構成させているようです。果物(くだもの)とか、人間(にんげん)とかいう具合にね…

表意文字(漢字)、表音文字(かな、カタカナ)をうまい具合に織り交ぜて日本人は言語構造を作り出したようです。活躍されている経済学者?は、やたら滅法ガンバチャえ!がお好きで、それに対抗して、教授にまで登りつめられた精神科医の先生は、疲れるなら頑張らなくていいのよと、それぞれの主張を啓蒙されて頂いているみたいで、結構な事と思います。
でも、私は時々、“大きなお世話様!”と言ってみたくなります。私は、この得も言えない雰囲気が苦手なようです。どうも、空気をやたら作り出したいみたいで…

隣のお国は今年か、来年には日本のGDPを抜かすと騒がしいようですが、僕に言わせると12億人もいてまだ、メリケンさんも抜かせないの?頑張れよと言う方が正しい気がします。抜かされると一流では無くなるという空気が分かりません。

文字という媒体で、なお且つ、他者の目にさらされる事を前提とした表現は、きっと、そういった空気を作る事が目的とされるのではなく、「模索したい、何かを変えたい、知りたい。」っと、そんな意思を持った市民や個人が、自身の考え方をまとめる際に、利用されるとか、ご自身の感性を豊かにされるべく、教養を得る為に、知識を会得する為に、あるいは心の平穏を得るべく、存在するのではないかと思うのです。全てにこの表現があてはまるとは思っておりませんが…

一方、情報という区切りは、お伝えしたい世界観があったとしても、実際、伝える試みをする側が、どんなに頑張っても、努力してもその一部しか表現できない所にある事ではないかと、この頃、思うようになっています。その限界性を見極めた上で、読み手に対してどれだけ時に自由に、時に想像力や感性を働かせる事が出来るか、そんな側面も大事ではないかと思うのです。また、同時に、どれだけ正しく伝える努力をしていくか、これも忘れてはいけません。本当に情報を扱うという行為は、難しい存在と、私は思うようになっています。

ところで、私達人間も、実は獣でしかありません。とは言え、自然の摂理に従う捕食の世界に身を投じる必要性は無いと思います。文明と文化がその世界から解放してくれた訳ですから、ね。
唯、獣である以上は、生きる事に忠実でなければならないと思います。

だからと言うのも妙なお話ですが、きっと、私どもHPを覗かれている方々の中には、何とかしたい一体なぜ、こうなっているのと、まずは、知るという動機を行動の源にされている方々もいらっしゃる事かと思います。

実際、どこまでその期待に添えられるのか、私は分かりません。でも、一生懸命、表現の努力したく思っております。歯科医を専門とし、歯医者を生業にしている身故、文章を生業にされている表現の方々と比較し、到底適うものではありません。勝手気ままに書いているに過ぎませんので、全てを鵜呑みにされるという愚かな行為は控えて頂ければと思います。そこまで強いメッセージは、ここには込めておりません。

でも、ご自身が知られたいという世界観に対して、少しでもお役に立てばこれほど嬉しく思う事はありません。

獣としての生きる事に忠実な人間へ、どこまで正しくお伝えできるか、どこまで、何かの手助けが出来るかなどは分かりません。でも、こんな風変わりなヒトがいて良いと思うのです。受け入れて頂ければ幸いです。

健康は素晴らしい豊かさです。豊かさを作る源と言っても過言は無いと思います。

必ずどこかにあなたが求められる先生が、医療者がいるはずです。あなたと共に、一緒に病態と戦う勇気を示す先生がおられるはずです。

そして、感染症である限り何も申すものではありませんが、もし、あなたがどうも口腔の不具合が身体まで波及していると直感的に思うのであれば、一端入れ歯と言う選択肢を取る勇気、納得できない限り、色々な選択肢(セカンドオピニオンを含め、但し、病態偏差値が低くない事も相手に要求されます)の中でも、後戻りが利かない治療は積極的に選択されない事を、紹介したく思います。

それぐらい、口腔の不具合と身体の不具合が連関した場合、歯科治療を受ければ受ける程、改善よりも悪化する確率が高まる場合があります。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.04更新

歯科心身症と言われる世界を、歯科医の私が独学の元、書いているに過ぎません。ですので、どこまで本当か?言い方を変えれば、責任を公の場で取れるだけの“情報精度は無い”物と、予め、ご理解いただければと思います。また、時代の移り変わりから、既にその解釈が不適切になっている場合もあるかもしれません。それが、医学と言う学問です。そのご理解の下、目を通していただければと思います。

そして、あくまでも読み物として記しているに過ぎませんので、参考程度にされる事をお勧めいたします。また、歯科同業の先生方には、ぜひ、ご自身の手で調べられる事をお勧めいたします。あくまでも素人向けに、理解の手助けになればと言う思いから書いているに過ぎません。正しい知識はやはり、清書論文からしか得られないかと思います。何卒、その旨ご理解のほど合わせて、宜しくお願い申し上げます。

また、該当すると思われる病態で、お悩みの下、読まれる患者の方々、あるいは、ご親族様におかれましては、何卒、専門家の診断における参考程度、あるいは、専門性のあるデンテイストに治療を委ねるべきか、その判断指針の一助ぐらいの位置付けで、読まれて頂く事をお願いしたい次第です。よろしくお願い申し上げます。

始めに その1

正月は縁あって、カールじいさんの空飛ぶ家という映画を鑑賞しました。内容を話すほど、無粋ではないのですが、軽く触れてみたく思います。了解ください。

長年、連れ添った妻を亡くしました。妻とは空想が大事な時期の10歳の時、知り合いました。妻が無くなりました。過去を見ては、妻との思い出に浸っては、過去に生きようとする。時代には置き去りにされ、ある事を契機に、妻との約束の地に旅立とうとします。そこから、冒険が始まるわけです。色々とあります。いつしか、妻の思い出に生きる事を止め、思い出は胸にひっそりとしまい、人との関わりを思いだし、今を楽しみ、今を生きる。ま、こんな感じの物語でした。結構、僕は好きな話です。

帰る道がら映画を、ふと思い出します。

実は、正月に縁起でもないのですが、電車は人身事故で何十分も駅で立ち往生します。もはや、日本の一風景かもしれません。寂しいです。何とか間に合った所から、始まり、僕は色々と考えます。なぜか、年末年始と思わず時間つぶしに見る討論番組の事すら思いだされていきます。不思議な感覚です。

私は市井の人間ですので、分らないという言葉を添えますが、普天間基地問題で、駐米大使が急遽呼び出された。その大使が国防省ですか?入るシーンが流される。急遽呼び出されたにも関わらず、何故、テレビクルーが既に準備万端で、テレビに映るのだろう?昔、歌にあった人類史上初と言われるけれど、先に入っているのはテレビのクルーさんではないかという詩が、僕には思いだされてしまいます。緊急であれば、私ら市井の人間が知ってはいけません。ギクシャクぐらいが、関の山だと思うのです…流行歌の準備と勘繰りたくなります。

ワシントン発という記事に目を通すと、不思議なのは、情報のソースもこの情報を得た記者名も分かりません。すると、何故か口裂け女の伝説を思い出して仕方がありません。責任者を置く必要がない噂話みたいな扱いで、調子が出ない気がしてなりません。

情報は実は、ものすごく氾濫していると言って良い位に無数にあるように私は思います。あなたが知りたい病名や病態も、見方を変えれば、HPの検索をすれば、それこそ無数に、またネットサーフィンをするが如く、体力に物を言わせてネットサーファーを気取れば、それも、また沢山出会う気がしてなりません。*知りたい情報に出合えるかは別です。

見方を変えて、公的サイトを覗けば、どの疾患を扱っているか、詳細に渡って情報は書かれているかもしれません。現場サイドは、聞かれた設問よりただ記すという、情報収集者の理解度に支配される側面もありますが。

すれ違いと言う表現かもしれませんが、その収集作業で、患者が知りたい、実際の所、“どの程度の疾患数を扱っているの?”とか、“どの程度の完治性があるの?”という、世界がモーラされているかは個人としては疑問視しています。ただ、設問が取り扱っていない以上、仕方がありません。そして、同時に、公にしていく作業は、難しいと、私は感じます。

見方を変えれば、情報の表現法が成熟するには、まだまだ時間が要するのかと思います。だからこそ、表現を発信する道を選んだ人々は、それを糧にされている方であれ、それを商売であれ、それを宣伝の一部にしても、常に工夫し続ける努力と、多分透明性という姿を模索していく必要があるのかなって、この頃思うようになっています。不思議なものです。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

信奉者の名誉を守りつつ、20世紀型健保と21世紀型健保に分け、そして、保険医も登録もその2種類に分ければいいと言いました。20世紀の健保保険の限界はその瞬間考えなくて済みます。21世紀健保には、信奉者を混ぜなければいいと思います。彼らは、一生懸命、今後も、無所得者の為に、生きる気力も、考える気力も無くした自由から逃避をする人々の為、心棒をされ続けていけばいいと思います。そして、そこから給与を貰えば良いとも思います。
そうすれば、まさに、日本人的な誰も傷着かない格好を取れると思います。

歯科医のカスタマイズドも、今より簡単に出来るようになると思います。
今よりですので、決して、100パーセント正解など無いと思います。やはり、話を聞いて、考え方を聞いて、実績を、経験を聞いて、そこから判断するしかないと思います。トラブルの経験も聞いておくといいかもしれません。その際、どんな対応を行ったか、そんな所が大きなヒントかもしれません。

ま、さて、おき。

問題は、病名はあるけれど、保険病名では無く自費治療を、経済的側面を無視してでも受けなければならない人々だと僕は思っております。

ここは、実は、全く持って想像がつきません。
社会がどのような受け皿を作ればいいのか、全く持って分かりません。

 悔しいですが、いいアイディアもまだ無いです。
アイディアを言えばいいと思う訳ではないのですが、こんな個人のHPでも、どこかで、誰かによって素敵な立法の人や、賢い司法の人や、律儀な行政の人に眼が止まる事もあるかもしれません。読んで頂けるよう紹介をいただけるかもしれません。

何かの、考える比較対象になるかもしれません。でも、個人の世界と言え、意見を発信して行く時、その時何かが起こる小さなそよかぜの一つに慣れれば、それはそれで素敵だと思うのです。

あきらめる閉塞感より、また、ガンバンべ!というエネルギーになれば、素敵だと思うのです。
もしかしたら、このHPがご縁で、当院を訪ねる方がいるかもしれません。その際、どんな考え方を持つ人間か知っていただく事も、もしかしたら、大切かなって思っているのです。

何も知らずに来られるよりも、何か期待できる方がいいかなって思って書いているに過ぎません。

あと、HPの表現を楽しんでいるのかもしれません。

勧誘でも、誘導でもなく、かといってブログでもない。そんな試みを、飽きるまではやってみようかと思ったりもしています。

医療が公である以上、公に考えを出すのも素敵かなって思ったりもするのです。

しかし、保険病名に無い病名は、今の健保法においては、正直、調子が悪いです。

だから、歯医者さんも一緒に、勉強をしてもらいたく思います。知り、客観的に情報を病態に対して見解が言える事、そうでなければ、セカンドオピニオンは、苦しい結果を作るかもしれません。

もし、それが、病態に対する診断であれば…是非、気をつけられるとともに、技術的専門書と合わせて、病態という世界も、実際治療を行う行わないという次元は別にされて、言えるご自身を作っていただきたく思います。

健保信奉者が、歯科医師法よりも健保法が優先と啖呵を切られた瞬間、保険病名では無い病名の方々は、東京地裁から、見捨てられる事を無意識に宣告されたと私は思っております。だから、いい知恵があれば、是非、意見を発信されてください。
皆保険は、国民全てがという言葉を健保信奉者は用いたわけですので、この発言から彼らは逃れる事を許されません。ゆとり教育信奉者見たいに、居座り続ける破廉恥だけはして欲しくないと思います。さて、どうなるのでしょう?

みんなで賢くなっていきたいですね。
その一つが歯科心身症という世界かもしれません。
まだ、あります…

医者の葛藤

今も葛藤をしている事があります。
未だに、答えは出ません。

医者の知り合いが昔つぶやきました。

この仕事は、一生人の死に目を見つめていく仕事なのだろうなと…
どれだけの間があったかは分かりませんが、実際は、多分一瞬です。
何とかいけると思ったのに…つぶやきます。

医者の知り合いが飲みながら言いました。
外科だって、100パーセントなんて無いのよ。
殺すんじゃない。でも、殺すんだ…になるわけね。
オペにかけてみようと、ま、そんな感じの時があるとするじゃん…本意かどうかは別にしてさ…あるわけ、緊急とか、容体の急変とか、ま、そんな奴よ。
自信は?
ある時って、あるのかな?何とかいけるだろう、行って欲しいそんな感じが多いかな。とにかく、行くんだと、心では祈る…念じるが近いかな…難しいな。
でも、死ぬ時がある…
“人殺し“と言われる時もある…あるかな…いや、どうだろう。

でな、先生が一生懸命やっていただいた結果ならと言われると、泣きそうになる。殺したわけじゃないけど、重いのよね…
この感覚と付き合う訳よ…

でな、逆に、駅のホーム気を付けてくださいと言われる時もあるの…
やっぱ、一番前には立てないよな…弱いよね。家族の顔を思い出すわけ。死ねないよな。
この恐怖と言うか、なんて言うのかな、

嫌だよね。

こんな渋い台詞を言ってみたく思います。そんな事はどうしてどうしてです。そんな知り合いと違い私は凡人ですから…

でも、久々に苦い経験をしました。大分癒えましたが、釈然としません。
私は、保険病名に無い病名がある事が、まずは驚きでした。
まさに凡人の証拠です。
この事実を受け入れ、自分が、その事に自然体で構えるのに、実は、結構の時間を要したようです。
まさに、凡人の証拠です。

習っていない事において、医科のやる手法が病態把握という手法で会ったりもします。関連図を付けて、関連化させて…ま、そんな作業です。

歯科医師国家試験企画ではあり得ない病態が目の前にいるとする。さて、どうしましょう?

病態に病名を付けなければなりません。(つけられない場合も認められます)

この病名が、患者と社会の接点になったりもします。

調べるしか無かったです。

状況からこの病名を付けるのが妥当と思われます。という自分を育てます。
国語力が上がったりもします。

しかし、同時に、自分が診断した昔のカルテを見ていると、健康で社会復帰してくれたから良かったものの、病態を見落としていたことが経験から学べる時もあります。冷や汗の瞬間です。

おそらく医療倫理という世界観かもしれませんが、この教育は、サクッと、チコッと学んだに過ぎません。患者に病名を与える事が、ここまで大きな物とは知りませんでした。

そのうち気がつきます。これが、やはり保険病名ではない。医科でも保険病名にしていないとか、医科でも保険病名から外れている物があるとか…後で知ります。

強引に保険病名にあてはめる時もあるという言葉も聞いたような、聞かないような…(はっきりとは書かない方がいい場合もある気がします)

保険で出来ないものは、保険でやれない。保険で出来るものは、保険でやる。

保険病名でないものは、コンプライアンス順守で考える場合、保険で行うこと自体が許されません。
だから、当院の方針が決まって行きます。
保険で出来ないものは、保険でやれない。保険で出来るものは、保険でやる。

保険医を捨てた場合、保険行為をしない事がコンプライアンスではなく、歯科医師法に基づく事が、コンプライアンスだと思うのですが、どうも、保険診療をやめた上で、保険診療を行っていないという事がコンプライアンスと解釈をされる先生もおられるみたいで不思議な風潮と思っております。

ですので、保険医をしているドクターがインプラントを行うことも、審美補綴を行うことも、コンプライアンス順守と言う言葉上では、何ら問題はありません。技術提供において、健保対象外を、不足分補填するならば、(勉強しますでとか、色々)問題があるだけと思いますが、どうも、コンプライアンスの意味付けが別の方向に行っている気もします。

コンプライアンスは保険を行わない事という方向解釈は言語力の問題なので何も言えません。知識レベルという表現かもしれません。

健保信奉者と書いて来ましたが、この健保法を、歯科医師法の上に置く解釈を持ってきた東京地裁の考え方に、私は大きな問題がある気がしてなりません。

しかし、マスメディアも、これに関して混合診療は禁止で、健保法が守られたという具合に報道をするものですから、保険病名ではない病態を取り扱っているクリニックは結果、あたかも問題と言う風潮を作るきっかけになるものですから、言葉、文章とはややこしいものです。

健保信奉者のごとく、保険で全ての病気を扱っているという前提に彼らが立っているのならば、職業的怠慢だと個人としては思っています。

一番大事な事は、健保法が歯科医師法などライセンスよりも上の支配力があるというような解釈を与える見解を出した所にあると思うのですが、中々、気が付かないのか、気がついてはいけない協定を結んでいるのかしら。良く分かりません。だったら、安心した医療の為になどという社説は書くな!と、ぼやきたくなります。
この時、事件は起きた!
このようにドラマテックにかければ良いのでしょうが、実際は、閉口するだけです。

何故、繊維筋痛症を、どこもかしこも保険で認めないというのだ!
そして、治りもしないのに金、金言いがかりをつけるのだ

これは正直、苦しい所です。
どんなに交渉されても、どんなに経済的困窮を訴えられても、コンプライアンス上、何も出来ません。

ギリギリデッドラインと思える努力と言いますか、歩み寄りは、初診だけは唯一、診査、診断の権利で確保されている場所ですので、ここは、保険で診察をする事なのかもしれません。

ただ、治療行為を行えば、アウトになります。もどかしい所です。今度は、厳密の意味で、コンプライアンス上、医療者側が罰せられる対象になります
*歯科には医科のように置き換える病名すらありません…

1回目 良好で終わります
2回目 金を幾ら払わせれば、お前たちは気が済むんだ!(正確にいえば3回目ですが。診断結果のお話の日、そして、実際の治療と言う流れでしょう)

悲しい悲鳴です。何を言えば良かったのでしょう。未だに分かりません。普通、歯医者は物にお金を出させるもので、後は、保険で行う事が常識だろう。

何を言葉に返せばよいのでしょうか?

この制度の下、経済活動、医療活動を行うのが我々の仕事です。その事を、申し上げるようしましたが、納得は貰えません。

機能障害におけるポイントは、患者の心も一つの大きなキーがあります。詳細は書きません。

痛みが***とは言わせるものの、結局、お金も支払われず、(少しだけ置いていかれました。)ただ、やるせない感情と後味の悪さだけが残ります。

後日電話で、とどめも来ます。これぐらいにします。

口癖

苦しむしかないんだろうな!
えっ
まあ、いい感じじゃないよね。

どうも、これが、私の場合の口癖のようです。ハハハ。

*補綴学的に問題があります。やり直しの可能性もあります。
(けれど、何百万も支払ったのだろうな。嘘は言えないし、正直、言うしかないか…)
色々なドクターや歯科をショッピングした。
(どんな思いで家族はいたのだろう。つらいよね…)
はやくおかしいと言っている歯を処置してくれ。

*今おかしいと思われる歯は触れません。触ると、とんでもない事になる可能性があります。この判断は、歯科医師側の権利になります。

おかしいだろ。歯医者が歯を触らないのは…
(歯を抜いてからどんどん崩れたと言って事、忘れたのかな?)
それに、歯が抜けたら困るじゃないですか?
*身体を今は優先させましょう。仮に歯を失っても身体を守る事が優先です。
(いい加減な奴と思われるだろうな)

先生は幾ら我々から欲するつもり?
*いえ、なら別に保険で補綴を行ってもいいじゃないですか。そして、いつの日か、お金に余裕が出来てから、それから、悩まれても…
(だから、保険医でいる事に、耐えなきゃな。じゃないと、とんでもない高額な治療費になっちゃうよ…、残酷過ぎる…)
*まずは、身体から始めれば
今まで治りますからと言われて、何万円、何十万円、何百万円、もう少しで千万超すんですよ。分かります?

*分かります。
(だから、安価を必死に考えるんじゃないか)

欲張りすぎです。その年で欲張って、おかしい。サラリーマンの平均年収を知っていますか?
(もう、上手くはいかないかもな。ラポールが全滅だわ。)

“先生電話ありました。”

あれこれ
カクカクしかじかと、
何かがありました。
とさ。

苦しむしかないんだろうな!
えっ
まあ、いい感じじゃないよね。

どうも、これが、私の場合の口癖のようです。ハハハ。

病名も知らない人間のセカンドオピニオンが、あらぬ方向に行けば、とても厄介のような気もします。だから、ついついセカンドオピニオン外来という言葉に、ついつい、眉をひそめたくなるのでしょう。
せめて、心身歯科医療のジャンルぐらいは知識の上でも、頭にしまわれてほしく思います。そして、私もでしょうが、基礎に忠実に、丁寧に確実に、という感じの風潮になればいいのになって思います。

ここ2日の会話

ここ2日の会話。
いつでもいいじゃないですか。
大抵、こんな会話を一日の診療時間の中の、どこかでしている気がしますので。
本当かな?
嘘かもよ?
その一部かも。(ご想像にお任せします)

『どう、顔面神経痛?』
「大分、良くなりました。結構、気にならない感じですよ」
(ラッキー、治療しないで済むかも。疲れずに行けるわ)
『いや、参りましたよ。歯をいきなり削られて。やめてくれとお願いしたのに、大丈夫、ほんの少しだけだからて、言われて、そしたら、その2時間後から、顔面の痛みで、肩に来るわ。膝に来るわ。寝れないわ。不安になるわ。』

(そうだったね)
「少し、歯が痛いからどうだろうと先生じゃない歯医者に行ってみたのが間違いでしたね」
(無理だよな。そんな教育受けていないし、知らないし。こう言った世界。分かん何よな…
確かに、根充不全はあるけれど、10年何も症状がないから、今は、触りたくないよな…て、言いながら3年経過したんだよな。元々、顎位が不安定だから、定期的に落ち着かせて、何もしないで済む作戦をしいたんだよな…ころ合いを見てと思いながら、3年放置か…)

「一時はどうなるかと思いましたよ。また、休職は、この時勢したくないですからね。」
(それは、間違いない。健康に貢献する仕事と改めて思うのは、この言葉を患者が言う時だよな…)

『で、どうします。このまま、様子見ます?それとも、もうひと押ししておく?』

「先生は、どう思います?」
(今日は疲れているし、やりたくないよな。さぼれないかな?)
『脈貸して』
(拍動も正常。あん時は、結構来てたもんな。体性神経系はOK。自律神経系も…まあ、いけるとちゃうか?)

『実際、どうなの?』
「今日で、3回目ですが、だんだん、良くなっています。たまに、この歯が疼く時もありますが、だんだん気にならなくなっています。腰とか、肩、首も今は気にならないですね、寝れますし。顔も、ごくたまに、ゾアゾアとしますが、結構気にならない日が増えてますね」

(やったー。今日は、さぼろう。)
『5週間で来たね。ちょっと、今回は、様子見ようか。でね、この歯あるじゃん。今度痛みが出たら、やはり、根っこ治療やり治そうよ。前回は、様子見るにしたけれど。あんまり気持ちよくなしさ。』
(ジャパニーズエンドは、やっぱ、廉恥の精神で生きたいよな。待つか?それにかったるいし…でも、やりなおすべきだよな…本人の抵抗もあって、出来なかったわけだもんな。結構、何も起こらないもんだな…)
「そうしますか?」

『でもね、おかしければ、来てな。』

「分かりました」

『じゃあ、歯石あるか確認して、一端区切りにしようよ。で、6週開けてみよう。』

リハビリ本に書いてある早期のアクティヴ化は***ていうのも、まんざらじゃないよな。症状を取るのに前回は3カ月、今回は1カ月切った。やるね。しかし、プライマリケアーは、侮れないわ。慢性化が一番厄介よね。まずます。

でも、デパスあるといいかもな…
リエゾンか…

ある会話の一部

ある会話の一部
『**さん、随分、腰いい感じになっているみたいじゃない?』

「そうなんです。前みたいに腰が痛くて寝れないって事はなくなりました。おかげさんでよく眠れますし。顎が急激に痛くなることもなくなりましたし。頭痛もそういえば、ここんとこしてませんね。」

(一時はどうなる事やらと思ったもんな。顔は常にどす黒くて。でも異常ないと医科には言われている。でも、体中痛くて、ひどい時は疲れて床に倒れこんでいた…今は、随分肌色が増えてきたし…ま、いいか。俺、歯医者だし、皮膚は分かる必要無いし…)

「しかし、先生今回の矯正は、速かったですね。半年ぐらいでしょ。」

『意地があったからね』
(そうなんだ。3年前は、耐えられなくて途中で辞めて、結局、何も出来なかった。ただ、スケーリングの歯石どり…どういう経緯か、もう1回やる事になり、歯医者が敗者復活戦と洒落にもならない、ダジャレで奮起させながら、始めた。)

『じゃあ、**から行こうか。』

「はい、よろしくお願いします。先生、肩を取ってよ、それと、首を」

では、また、気が向いたときに。

HP上で、
はたまた、診察室で

んじゃ。

*個人のHPでしかないです。全てを信じるなどという暴挙はされないでください。それよりも、何かを感じるきっかけになればいいなって思います。それが、個人のHPというものです。どうぞ、よろしくお願いします。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

保険の摩訶不思議な世界観を知っていただいた上で、別の問題を提言出来るかもしれません。それは、ドクターの技量であり、経験を今度は上げて良い気がします。

でも、そこには、必要な項目が、多分、その“ドクターの医師として”の“良心”もあるかもしれないから、余計難しいのでしょうね?

ここが見えない精神世界故に、健保法信奉者が着け入る場所があるのかなって思うのです。
どんなに、安全性と、有効性が経済支援法と関連性が薄いといっても、伝わらないのでしょうね。

良心があれば、解決が出来るという、(理想期待論的)精神論を成立させているのだと思います。

失礼な言い方をします。経済弱者が住むアパートと、大手マンション業者が建てたマンションは、同じように安全であると、きっと、彼らは言う気がします。暮らしやすさはと問いかければ、別の素敵な言葉で、普通、納得せざるを得ないような余裕な用語で切り返すのだろうな、そう思います…

 地震と言う例外事項ではなく、環境面とか、色々あったとしても素晴らしい切り返し用語を用意しているのでしょうね…

でも、こう考えると分かりやすいかもしれません。彼らの言う安全て、もしかしたら食中毒的側面かなって思うのです。15分でさーっと食べ終わるラーメンと、1時間かかるフランス料理では、食品安全法上、安全だろって、言っているのだろうな。食中毒になりませんものね。

おいしさは?と問いかければ、それは、感性の世界だと切り返すのでしょうね。

でも、文章にある言葉を幾らお経のように唱えられても、既に保険制度が、自費診療を凌駕している部分など、一個もありません。ここが、大事なところです。
技術は、手間暇かけ、確実に、段階的に行わなければ、結局の所、いいものなど出来ません。それには、時間も経費もかかります
1/10で、何ができるの?

いつの間にか、法の下の平等が、経済的弱者に合わせるようにしているのではないでしょうか?なんとか払えるかもしれない中産階級を無視し、裕福層には、逆差別的に搾取のみを行い、帳尻を合わせている…
そう考えると、信奉者が、一生懸命混合診療は、***と色々な角度で言ってくるのも必然かもしれません。

経済弱者に合わせている限り、法の下の平等は言えるでしょう。
公平、安心という言葉を常に、掲げている事は出来るでしょう。

この国を支えた中産階級市民の壊滅につながるような気もしますが、この国は歴史を忘れる方策に転換するのでしょうか?中産階級の壊滅は、治安の悪化、モラルの低下、学力の低下、と、逆に社会維持費が増える事を意味しますが、どこに、立法は、司法は、そして行政はその先を見ているのでしょうか?

ところで、この論法でいくと、最後は無所得者に合わせる事になりますが、この国は、乞食の国に政策転換をするのですか?

ライセンス者が一番支配されなければいけない医師法、歯科医師法、薬事法よりも、健保法を上にかざして、前門を固めて、後門のトラたる大臣の言葉を用意している意味はなんだろうと考えます。

ここが、大いに疑問です。

これは、誰の得になるのでしょうかね?

半世紀前のルールを一生懸命守る事で、給与を貰う方々の為ではない事を心から祈りたく思っています。

独自性で、自費を走る先生方は素敵です。インディペンデントと思います。しかし、この本質的問題から逃避するがごとく、流されまいとする集団が、哲学論かもしれませんが、一番、マゾ的にサド的に、そして、ナルシスト的に流されるからどうなのだろうと、考えてしまうのです。

ただ、強引に治療行為をするというのは、唯、無理な治療を行うというのは、まさに、健保法の信奉者の思う壺なのかもしれません。

治療を受けられているだろうという、言葉に置き換える事が出来る気がします。

頭が痛くなります。本来は、方法論の一つでしかない経済支援法が、医師の覚悟より、歯科医師の覚悟より、薬剤師の覚悟より上という事にしてしまったわけですので…国家試験の価値も落とされたものです。

最後に大事にするべきは、どこの層で、次に守るべきはどういったセーフティーネットを用意するかだと思うのですが…

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

歯科医師法よりも、医師法よりも、薬事法より貴い健保法の信奉者が、導いた意味は、混合診療禁止という政策が安全性の担保につながり、医療の質が確保されるという効果になります。

歯科の再診料は、400円です。
ここに、滅菌代が含まれております。多分ね。
例えば、当院を例にあげます。
洗浄、アルカリイオン水にて超音波洗浄、水洗、滅菌パックに包装、オートクレーブ滅菌
ガス滅菌を行う流れもあります。
グルタラール溶液(肝炎等対策)から始める流れもあります。
消毒法も入れると、もう一工夫していますが、ま、こんな感じ…
ま、患者であるあなたはどちらでもいいと思いますが…
ところで、この作業で行う材料費って御幾らになるかご存知ですか?
10円?だと嬉しいですね。100円?これでも、笑いましょう。お仕事をされている方ならば想像つくと思いますが、原価に対してどれくらいの利益が乗るべきかなんていう事を…
200円~300円強。利益は100円弱、ま、100円確実に切るのですがね。ただし、一切のエラーが生じないという事です。落として再度滅菌の場合、赤字ですよ。
私らスタッフ含め、4,5人の糧ダス。
ね、すると、15分で一人見るという前提のシステムだという決めつけは、決して間違った考え方ではないでしょ?大量削りにこそ、黒字化の秘密があり。小さな利益も、短時間に集めれば大きな利益になります。小学生の算数レベルです。高学年扱いをされているようです。ありがとうございます。
こんな調理法では、高い飯屋はありえまへンナ。

そうか、日本の安全は昔はタダだったから、我々にも安全の確保はただでヤレ!

国語力の弱い僕は、理解しようと努めて以上の事ぐらいしか想像がつきませんでした。理屈を導かれた信奉者の前提は、公僕の地位ゆずったる。で、お前の金で食わしてや。税金も払ってチョウよ。一応、建前上は、公僕の顔をしとくわ。ヨロシクナ!ホナ、さいなら。
こう考えると、良く理解が出来ます。コンプライアンス順守と言う置き土産をされた同胞は、遠慮しますという意味だったのですね。国語は、ほんま難しいですわ。

ところで、歯科において、それほど危険ではないという前提で自費治療を受けられる方もいるというお話でしたね。

この方々は、僕はこんな感じなのかなって思います。

  1. 保険の建前を知ってしまった。(信奉者さん、残念ね)
  2. 先生を絶対的に信頼して、迷う必要がない(信奉者サン、関与しないで)
  3. 保険にその病名が無くて、自費治療を選択するしかない(信奉者サン、嘘ついたね、それとも気がつかないふり?を頑張るかな)

 腕一本と言う自費の先生は、単純です。尊敬します、といった意味がここにあります。
患者の絶対的信頼を得ている先生だと思うのです。
その先生は、自信の得意、専門分野において、他の追随を許さない極みまで来ているから、結果、当たり前のように患者が来ると思うのです。
何もしなくとも、当たり前のようにセカンドオピニオン依頼も来ると思いませんか?

コンプライアンスとか、理屈をこねている先生は、逆に自信がない裏返しになりません?まめに相談コーナーに顔を出すのは、実は、そこまで極めていない成長途中の可能性か、勧誘、誘導の為の努力と見なす事は出来ませんか?
まめに医療の良心として顔を出すのならば、最後までいい人でいて欲しく思います。ところで、いい人に、果たして、ブラックジャックになるだけの力があるのでしょうかね?そこが、ソフィーの選択ではないのですが、私の謎です。昭和までの価値観と、今は変わっているのでしょうか?難しいです。
そして、そんな目で、セカンドオピニオン外来と、強く打ち出すHPを見ると考えてしまうのです。でも、本当に、私も分からないのですよ。なんで、急に増えた?それだけです。とろい感覚なのでしょうね…

ただ、なんで、こうもおかしい事だらけかと考え続け、何度考え直してもこんな所にしか結論が行かなかったというお話でしかないです。

分かりません。

ゆとり教育は、緩み教育、たるみ教育と言われても、それでも間違っていないと言い切る作られた側の方もいます。国際的に学力の水準が落ちてもそれでも正しいと続けるべきだと張り切る作られた側の方もいます。

この現実に対しては、何が問題だったと反省されたコメントを今の所知りません。そして、普通、資本主義社会、民主主義社会では、誤りを犯した人間は退場を求められます。あるいは、ペナルティーがある気がするのですが、平和の意味も変わったものです。

それを象徴と見て良いのか、どうか分かりませんが、理想と現実という言葉、理念と現実のすり合わせ、チェック、修正という行為を何時から、疎かにする風潮に変わったのかしら?そんなことまで、この頃考えるようになっております。

勘違いの方は退場なり、どうしてもというなら、窓際という踊り場に置かれる事も、時に社会愛になる気もするのですが、難しいのですかね?

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

保険診療は安全だが、自由診療は危険なものが多いという前提が噴き出す理由があると思います。と、同時に、それほど危険ではないという前提で治療を受けられる方もいます。

前者の患者心理は、僕の中では、三つ。
一つは、保険診療は安くなければならないという、観念。
一つは、歯医者は儲け主義に走っているという、先入観。
一つは、出来ない治療でも、生活の為歯医者がトライせざるを得ない、現実。

一つ一つ検証していかなければならないと思います。

保険診療は安くなければならないと思い込ませた方々が、違うという事を広く言うべきでしょう。
安すぎる物を、更に安くしろという事に無理があるという現実を伝えるべきと思います。
これを、歯科医側が伝える事が要求されるから、おかしくなると思います。
どうして、考えつかないのでしょうね?

儲け主義に走るという言葉においては、どの時代にもそんな人間はいます。相手しない事です。しかし、半世紀分の遅れは、既に、保険制度を一生懸命、健保法の絶対信奉者の下、彼らが、発展してはいけない、発展させてはいけない努力をしてしまったのですから、安全、信頼性をおける自費診療を歯科医が進めるざるを得ない場面があるのは致し方ないと思います。
むしろ、その矛先は、その信奉者にぶつけられるべきと思います。
その信奉者に左右されている現場に訴えれば、いずれ、現場からの反撃を食ら事になるのではないでしょうか?

出来ない治療でも無理して…
これが、一番悲しい現実を作っていると思います。でも、本質的原因はそんなにないと思います。
教育制度の問題。
生活権の侵害からくる生存本能としての次の手。

ビジネスチャンスと、経営コンサルタントの介入。(全員と言う訳ではないでしょうが)とにもかくにも、自費治療の導入を進める。この場合、ジャンル分けすると技術論になると思いますが…

これを、足し合わせて、起こる現象を考えれば、大体、理解が出来るように思うのですが…
*でも、不思議です。マスメディアという社会の木鐸が、この事実をいまだ分析をかけない理由が。不思議で仕方無いですが、言い方を変えればどちらかなのでしょう。健康に関わる歯科界がその程度の業界と見なされているか、彼らに既に、その分析、評価する力と社会的役割を果たす能力を欠如させている?ま、どちらでも良いと、ここについて、私は思っております。所詮、市井の一開業医でしかないので…

話を続ける前に、この現象のせいか、次々と、保険医を捨てる人々も出て来ている面も忘れてはいけないように思います。

腕で勝負という強い意識で、自費医に行かれる先生もいらっしゃれば、そんなにコンプライアンスと言うならば、コンプライアンス順守の為、やめます。いうなれば、現場の反撃の表れと思っています。でも、思うのですよ。このコンプライアンスを、分析すればするほど、健保法に対してのみ反応しているように思われるから、何か、寂しいなって思ってしまうのですよね。

 腕一本で行けばいいだけですから、何も、言い訳がましくコンプライアンスという言葉を持ちださなくとも…というのが、私の個人的所感です。

理不尽な信奉者に、最後っ屁を残しても、彼らは何も答えません。無視してご自身の信じる道に行かれる事だと、勝手ながらに思っております。
これは、私の感性ですので、ご了解ください。
私はもう少し、この信奉者を見ていようと思います。

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投稿者: こすが歯科医院

2014.12.03更新

*体が、お辛い方はこの章を飛ばして下さい。また、雑談から始まっております。

すごく不思議です。
東京地裁の指導した(庶民の僕はこのように解釈しました)不可分一体論に基づいて混合診療を禁止と求めた政策は、医療の安全性の確保、経済的負担はどう考えているのだろう?そのように思います。

2006年発表の厚労省調査では、がん患者の医療費負担が年129万円、そのうち保険診療の自己負担分が70万円、民間療法やサプリメントなどの隠れ負担分が59万円という結果も出ています。

ここで、着目しなければならない事は、自由診療に相応する部分が既に存在しています。

さらに、悲しい問題は、先進国では10年も前に認められているのに日本ではさまざまな理由から認められていないドラッグラグを上げられるでしょう。おそらくですが、がん患者は鉄壁な安全性より、命だけは助かる有効な薬を求めていると思います。

医療に求めるインフォームドコンセントは、もしかしたらこういう場所に活躍すべきであり、個の責任において、判断するというあるべき姿に戻れるような気もします。
この前提に立って、医療機関が追加金を取る事があっても、それにより、もしかしたら、先に記した自由診療相当部より安く抑える事が出来るかもしれません。

追加金とか、併用金という表現を用いましたが、その場合、医師も医師法の良心に従い、そして、その安全性を逆に勉強をしてと…。
実は医療サイドと、患者サイドに双方にも、利益は大きいのではないかと思うのですが、不可分一体論という素晴らしい言葉で説明をしていただいた規制は、差し迫った患者の心に何を落としていくのでしょう。冷酷?理不尽?愛はないと思うが…で、がんじがらめにした上で、国民皆保険を壊す可能性もあるからと、言われました。ところで、この場合、一体誰が得するのだろうと、国語力の弱い私は考えています。誰か、教えてください。
歯科心身症と言う病態群に分けられる疾患はあっても、さて、これは、言い方を変えれば、ガンより性質が悪く、最初から保険外診療扱いになってしまいます。

病態を知らない、病名を知らない裁判な方に、保険で扱われていない疾患の方は、どこにその居場所を求めればいいのか、僕は、イライラが止まらない心身症のような感覚に襲われます。

この瞬間、既に、この方達は、国民皆保険の枠から出されることになります。

 この裁判な人は語ります。混合診療禁止の目的や理由は、医療受療の公平性平等性の確保だそうです。それは国民皆保険制度のもと国民は等しく公平に医療を受けなければならないからだと。すなわち国民皆保険で認められた保険診療だけを受けなさい。

では、そこから排除された人はどこに行けばいいのですか?

心身医学を介しての葛藤と、題名を付けた理由はここにあります。

リエゾンという概念は立派です。素晴らしいです。
しかし、歯科では、自費診療。次に精神科に行くと、保険診療?患者は混乱しませんか?

僕はこのように感じます。
患者の安全、有効性は歯科医師法に則って行動しなければなりません。
しかし、歯科医師法より優れているものは、あるいは、その前に聳え立つは経済支援法である、健保法であり、その評価が1/10であれ、それが、国民の公平さにつながります。
そのように東京地裁な裁判な人は、啖呵を切りました。
では、そこから除外される人は、どこに、行けと?死ねと?苦しめと?忘れちゃえ?が正解と、この頃は思っています。一番、残酷です。
そして、後方からは大臣さんが、素朴に、デフレだから、診療報酬は下げないといけないと。

これは、患者であるあなたの、あるいは、近しい人の責任範疇でしょうか?
これは、臨床現場にいる歯科に携わる人間の責任範疇でしょうか?
ここのどこに、個人の自己責任という言葉が入り込む余地があるのでしょうか?
どうか、裁判な人に近しい市民の方、どうか、大臣な人に近しい方、尋ねて頂けないでしょうか?

見事に前門のトラ、後門のトラの完成でございます。アホクサ!

一つおまけに、その危機的状況が、無理な治療や、手荒な治療を生み出す温床にならないのでしょうか?
彼らは、市民の公僕という意識、司法の精神、立法の精神は、どこへ落としたのでしょうね?拾った方、是非、落とし物として彼らに届けてください。大事な人としてのハートの部分だと思いますので…
最後に、彼らの給料は、私達の税金です。

でも、始めから落としていない可能性もあるので、その場合はどうしましょう?
ね、葛藤しませんか?

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投稿者: こすが歯科医院

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