じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2017.06.01更新

その方の行動の意味は、きっと世に気が付いてほしい。“勿忘草”の花言葉は、私を忘れないで。そう“勿忘草”の言葉のように、何かを忘れているのではないか。その何かを気が付いた人は何とかしないといけない。そんな事を思われたのかもしれません。
メディアの方に伝えメディアの力で何かが生まれるきっかけに繋がって欲しいと発想された時もあられたようです。“勿忘草”の言葉は魔法の言葉でしかなかった。魔法は現実にはありません。

では、患者の会に問いかければどうなるか?患者は自分たちの事で必死です。当然です。何とかしたく何かを得たく情報を集めているのに“良くなっています”では、“勿忘草”はまさに通りすがりの言葉でしかない。必要は、完治という言葉。大事はエビデンス。その説明が無い通りすぎた言葉、そう、まさに風の如し。私はそう捉えています。

どうすれば良いか。“勿忘草”は道を思い出させます。それをその方は素直に受け止められます。思いが想いとなり請願書が生まれました。それを、中川先生は力強く受け止めた。しっかりと受け止められました。この目で確認しました。

その方は”勿忘草”の言葉を知らない方々には言われます。「誰が得します。」「そんな事に意味がありますか」「自分が犠牲になってどうしてそこまでやるのだ」当たり前の言葉と取られるか、或いは、心無い言葉と捉えられるか?全然違う事として捉えられるか、それは“勿忘草”の意味をどう取るかで決まるのかもしれません。

きっと悩まれ苦しまれたのだと思います。そうだ「請願書」を募ろう。挑戦を選ばれたようです。(私の理解です)でも、実態も知らなきゃあ。線維筋痛症学会の話を聞けるのか確認しよう。そして、その方なりに行動をされ、言うなれば募る力を無意識に勝ち得られたのだろうなって思います。動機はただ、何とかしたい。何とかしなければ、ならない。公という精神に立ち返ればそれは、この国では当たり前だったことなのかもしれません。子供の心に立ち返れば、難しく考えない。”何が出来るか、そこから始めよう。“できる側にその方は天の采配で役目を渡されたのかもしれません。考え行動しようは、小さな想いから始められたのかもしれません。私には分かりません。
募った際、その方は色々と知られます。例えば、難病と闘われ言うなれば魂の昇華まで行きつかれた方は本当に積極的に協力してくれる。動機は何であれ日本人として日本の医療が変わる解明を期待したい。そんな想い、そしてそれぞれの期待、願いが何時しか賛同者の数になられたのだろうと私個人は思っています。小さな(筈の)発想が、何かの利益を期待したのでもなく、何かの名声を得たいと思ったわけでもなく、只、願いを持たれます。個人が出来る行動は請願書の数に繋がりました。一人ではなく数多くの願いの声です。

”勿忘草”は、何をその方に伝えたのでしょう。”勿忘草”のもう一つの言葉は真実の友情という意味があるそうです。その様々な想いの重さを渡す事だったのでしょうか?小さな発想は、そんな重みに耐える準備などしていなかったように思います。その方は、選ばれました。そして行動されました。

只、”勿忘草”の言葉に隠された言葉。誠の愛。ここからどう展開していくのか、中川先生へ手渡されたバトンが、次なる発展を育てるのか。”勿忘草”の私を忘れないで、この言葉から何が生まれていくのかただ、待つしかないのでしょう。

お目にかかった日に議員は”一人でこんなに沢山””これだけあれば十分です”傍観者の私は、厚みを持った資料を前に意味の重さの前に何かを感じたようです。愚鈍なので言葉など出ません。

そういえば私の立つ景色からも、色々な景観が見えます。そして、歯科と医科のあたかも共同作業で長く違和感を覚えていた鍵の指すべき鍵穴を見つけたという不思議な経験を私は否定しません。

そんな両者の(歯科医師と医師)の姿から、その方は何かを感じられたのかもしれません。只、盲点を気付かれて、実際に行動に移そうという行動は簡単な事で無いと思うのです。それを知って欲しい。

勿忘草という言葉を、私は請願書の束を見た時”ふと”思い出しました。その時の情景を、触れないと行けないっていう想い、情緒主体に纏めました。意識的に抽象的に表現しました。具体的な行動や、意思はその方のブログが語られていると思います。

そんな感じです。

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投稿者: こすが歯科医院

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