じっくりと事を進め、急がず、確実に。これが当院のスタンスです。
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2017.06.01更新

私自身、咬合と全身の関わり合いを知る道を歩む(ような)結果に陥ってしまいました。
こんな表現を使うのも滑稽な事なのですが、一つ読み手の方に共有して頂きたいことがあります。
口を支配する神経に三叉神経があります。で、口の治療と言えば歯科が担当します。その一方で、姿勢制御反射は三叉神経が関与する事が分かっています。この姿勢制御は医科の担当になります。

医科が主催する学会、歯科が主催する学会。いずれも静寂(しじま)の中で過ごす時、個人にくる凹み感は、実は相当なものがありました。

何故だろう?
私なりの結論は、制度設計上の盲点と捉えています。誰が悪いとか誰が正しいとかそんな考え方もあるのでしょうが、私は好みません。むしろ、制度設計上の盲点、いうなれば灯台下暗しが全てだと考えています。理想論かもしれませんが、医科と歯科の共有と確認から物事が始まるのではないかと考えています。

実は、本年(2017年)5月プライベートの用事があったのですが、急遽予定変更で国会議員さんに会ってきました。

いわゆる便乗です。この写真は許可を貰って取っています。

請願書を提出

 中川衆議院議員

 

経緯の要点だけ書き記します。
①ある線維筋痛症に罹患した患者がいました。
②家族に問いかけられました。“世に必要性を訴えるにはどうすればよいか?”
③私には私の戦い方しかできない。
④開業医らしく、学会に発表して何かが起きると良いなって、期待するしかない。
⑤家族の方は考えられます。請願書にすれば、国が動くのでは?そうだ、請願書集めよう‼
⑥先生の意見を語って。今度は先生の番。(前に医科のお医者先生が必要性を語っています。)請願書運動を開始する前はお医者先生。請願書を渡す今度は先生の番。と言った所でしょうか?
⑦という事で、急遽自らの予定を変更して、意見を伝えに行って参りました。しかし、色々と調整が上手くいって(本心から冷や汗)話す運びとなりました。

で、“今回自らが決めた方策と違うのかな?”っていう考えが過りつつも、吉田松陰が提唱した草莽崛起という言葉も思い出しました。一人の人間の発案から、賛同者が集まり草の根の如く広がり今請願書に繋がる。ここに、参加させて頂く名誉を頂戴して何もしないというのは如何なものか?その機会が巡ってきてミスミスというのも…、そんな所が、動機でしょうか。

私は医科歯科である所までは共有してこの現症の意味の解明が進む方が良いと考える立ち位置にいつしか変化しています。歯科医だけでも身体と歯は関係ないのかあるのか喧々囂々です。仮にあるとすれば次は医科の先生方の認識を変える作業も必要になります。それならば、一緒に考えていく方が確実と思うようになりました。

反射系の把握の為には、私の場合、基準の準備が必要でした。反射の定義は「特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こる動物の生理作用」になります。ならば、口腔内の刺激因子の分析に基準があれば確実になると考えました。この基準の存在は、咬合の明示化が可及的具現化が図れると予測するようになります。

さて、口腔由来の課題があると判別出来るようになれば、医科は新しい対応に迫られると考えています。同時に、医科的見識に基づく患者との対峙法は歯科に存在しているのか、ここにも課題があるように感じてもいます。全身との兼ね合いに課題があると両者が認識する際、歯科は新しい対応が求められると予測します。しかし、両者ともにその備えは出来ていない。これが、私の見識です。医科のアプローチ法も変わる気がします。分かりません。

この両者の関係が新しい視点で整頓される時、新しい医療形態の誕生を意味するのかなって考える時もあります。飛躍しすぎかもしれませんが。

歯科医科を含む現状の医学のある側面を根本的に見直す必要すら出てくるかもしれません。その共有・発展は医科・歯科の共同研究から始まるのではないかと考えたのです。

実際、こんな協力行動が具現化される時、それがどんな意味を持つのか。未来像も、将来像も私には分かりません。
ですが、ここにしか三叉神経という医科にとっては口の問題、歯科にとっては姿勢制御という側面を共有する事も大事になるのではないかと思うのです。

この時、口が身体と関係ない、歯が身体と関係ないという説の存在も緩やかに見直しが始まるのではないかと手前勝手なのですが期待したいのです。

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投稿者: こすが歯科医院

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