東京都府中市 京王線府中駅前【顎関節症に詳しい医院】

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顎関節症に詳しい歯科医院

このサイトでは、顎関節症、噛み合わせなどの問題について、当院の考えや取り組みを紹介しています。

このホームページは、事、咬合(噛み合わせ)という世界を、とことん掘り下げて紹介していこうという、そんなエネルギーで、書いております。

別に、全ての項目を読まれる必要は無いかと思います。
知りたい、あるいは、面白そうじゃない、そんな興味をもたれた方には、頑張って、是非読破されてください。

どの章も、一話完結になるよう、工夫しております。

ですので、決して、全部読まれようとはされないでください。
それよりかは、ご自身が、興味あるいは、必要性を感じられた部分を読んでいただければ、良いと思うのです。
そして、知りたい分野だけ、読まれて欲しいと思うのです。

また、私自身、成長するホームページでありたいと思う想いがありますので、定期的にをしている側面もあります。

そして、書いている私自身が、ある種楽しんでいる側面すらあります。
そう簡単には読破されるものかと…だから、決して、全部を読まれる必要性は感じておりません。

楽しみたい方がいれば、是非読破されてください。

特集

新シリーズ

『歯科と医科の盲点』
最終更新 2018.04.13
私自身、長年結果論ですが咬合と全身の関わり合いを研究する(ような)状況に陥ってしまいました。いえ、正確に言うと必要に迫られました。

このシリーズを読む

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    最終更新 2020/01/24
    傾斜
    顎の傾斜性のトラブルとでも言えば良いでしょうか?
    臨床的所見では、夜間時喰いしばりも、きっとそうでしょう。
    もっと言えば、寝ている時に顎が下がって苦しいという現症もそうでしょう。

    やっと、筋神経系の働き方から糸口が見えてきた気がします。
    言い方を変えれば、臨床側が狙って解決を図る方法とでも言えば良いのでしょうか?

    そこに行き着きそうなのが、嬉しい。

    おしまい
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    いわゆる発信事(風)

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    最終更新 2019/12/15
    今年も1) 饅頭怖い。   
    今年もあますところ、残り僅かになります。振り返ると(この表現が適切か分かりませんが)、
    それぞれの方に、色々な物語があるのでしょう。ま、アッシにもあります。

    1)平等病という表現を用いて揶揄しますが。
    アッシは根が暗い。平等という言葉には怯えるぐらい警告サインを発するぐらい身構える。
    今年を振り返っても、平等という名の下でヘイト法(理念法が、処罰が前提の法律まで要した地域もあるようですが)
    平等という名で、#Me to運動?平等という名でLGBTを守れという運動もあったようです。

    平等という旗の前では、少数派を弱者を尊重しろ=弱者の言い分を聞け?という感覚を覚える次第です。
    お陰で、この言葉を聞くと相当に身構えてしまいます。

    ルソーが掲げた当時のヨーロッパの状況と今がどうにも同じには思えない。

    この言葉が、あたかも暴走しているという覚える感覚の所以はどこにあるのだろう?そんな事を考える時もあります。

    ”同一賃金・同一労働”という旗にその根底があるのかと思う時もあります。アホなんでお付き合いください。

    一見すると、平等性は担保されているように聞こえますが、公平性という視点ではどうなのだろうと、饅頭怖いという病気に
    かかっているあっしは、根暗な発想をしてしまいます。仕事には実際は責任があるがゆえに、この責任の所在を無視している気がして
    なりません。

    この国は、移民が知らぬうちに世界で4番目に受け入れている国のようです。
    日本人でない方を仮に時給600円で雇えたとします。
    今、東京においては最低賃金は1000円を超したようですが。

    ここで、同一賃金・同一労働が大事と平等病が社会を走る時、さて、雇用者は1000円を取るでしょうか?それとも、
    600円を選ばさせるでしょうか?公正という視点で、賃金を下げるという行為を選択せざる得ない状況になったとする。
    きっと、雇用者・勤務者もお互いに苦しむ気がします。他方、平等病を全面に出す場合、600円を有無をいわさず
    選ばさせられる気がしてなりません。

    アホなんで、この同一賃金・同一労働の旗印を平等病のフィルターを通すとき、こんな見識を持ってしまいます。
    根暗な証拠なのでしょう。

    そうそう、平等を常に訴えている朝日新聞は、社員の方々の早期退職を募集し始めました。
    素晴らしき、朝日の言う平等な処遇なのでしょう。経済な人でないので根暗な(棒ーな)感想以外出ません。

    経団連は終身雇用制を見直さなければならないと言い始めていたようにも聞こえました。

    責任は軽い程度に変換されていくのでしょう。これならば、同一賃金・同一労働という旗は素晴らしき未来像を
    提供してくれる事になるのでしょう。多分。(だから根暗なのでしょう)

    この壁を破れる発想はもしかしたら、生産性という言葉や、仕事の付加価値という言葉に集約される
    のかもしれない。来年4月1により、同一労働・同一賃金の未来の動きが始まる。

    饅頭怖い。


    2)世界が変わるというのか、あり方のシフトが変わっていくとするならば
    アッシらには、建前と本音という心の色を持っています。
    社会が平穏の時は、きっと建前という(別名世間体)顔を大事にするのが、世を泳ぐコツなのでしょう。
    でも、フラフラ動いているような時は、見えざる本音の集合体を見つけ出す以外ないのかなってこの頃思うように
    なってもいます。

    アッシにとっては、遠い僻地(彼らから見れば、この日本が僻地)の英国ではブレグジットが決まったようです。
    色々な解釈もあるようですが、移民を受け入れ続けた英国が、こんな政策はもう嫌だ。こんな所が本音と手前勝手に
    思う時もあります。

    元々住んでいた国より賃金が高ければ、仮に最低賃金より安くても移民者は仕事に飛びつくでしょう。
    コミュニティーが出来れば、社会的活動も強くなれるでしょう。
    移民という定義は良く分かりませんが(左巻の方々のご活躍のお陰でアッシの国語力は劣化したようです)
    移民をして、地元に仕送りが出来るかもしれない。

    アッシの職場の近くにあったラーメン屋の兄ちゃんは、出稼ぎに来て今はどうなっているのかは分かりませんが、
    中国に戻って会社を興していました。支那がGDP世界2位になる前の思い出です。

    先の話に戻します。
    英国の地元ピープルにとっては、仕事を削られる感覚や、正社員に成れない(成りにくい)現実があったのではないかと
    想像もします。先祖代々土着していた俺がなんでこんな事になるんだ。こんな本音が育ったのではないか。
    根暗のアッシは思います。そして、この集合体が今回のブレグジットに行き着いた。

    どうなのでしょうか?

    働き方改革は、非正規の方は正社員の方向に見方を変えれば近づき、正社員は今までのような特権が緩やかに
    削り取られていくのかなって根暗なアッシは想像します。
    更に言えば、非正規の方は正社員の方向に近づくけれど正社員の壁は更に高くなり。他方、正社員は非正規雇用の俵は跨ぎやすくな
    るのかなって想像したりもします。

    その次は、海外のドラマで驚く感覚を覚えるリストラという敷居も、今までのように勤務者に相当に有利な
    壁だった労働法も変わる事に繋がるのかなって想像する事もあります。

    同一賃金同一労働という更に大きく掲げられた旗が空に畏怖堂々と靡く時、
    平等(病)の旗を掲げる本丸の朝日新聞ですら、違う顔を見せるのかもしれません。
    今回行った2回目の早期退職者募集という手法は用いずに、それこそFire!! と一言で済ますのかもしれません。

    ところで、その時の空の色は何色なのでしょう。或いは、何色と感じるのでしょう。

    得を得られる人よりも、「ぶちゃっけ、おかしいと思うのですけれど…」と損を被る人が増えるのかもしれない。

    饅頭怖い。

    3)国際性という響きの良い幻想と、地元が一番。生まれ故郷(国も)が一番という本音とのぶつかり合いなのか?
    他方、アメリカを見ると大統領はトランプ氏。大統領は、(アメリカ人にとって)アメリカが一番。アメリカが豊かになろう。
    君ら(よその国々)も、自分の国が一番にしなさい。自分の国が豊かになろう。

    こんな事を言っているのかとアッシには聞こえます。


    次に、中国に対しては、共産党支配体制は許されない。民に中国を解放すべきだと言われているように感じます。
    その言葉が出始めた時、支那にべったりだった民主党も共産党支配体制に頸木を打ち砕くような法案を次々と
    用意されているようにも感じます。何が起きたのだろうと、驚く時もあります。

    根暗な人間故に、都合よく自分の解釈を書いているように思います。アホなんです。アッシは。

    でも、同時に大統領は自分の事は自分で守れ、と。こんな事も併せて仰られてもいたようにも感じます。

    翻ればカレー、カップヌードルの値段、モリカケ、アキエ夫人、桜を見る会と平等に政治のお仕事を
    されている方々のご活躍や、情報の方々の平等の為に身を挺す活躍もあり、アッシらはただ、傍観
    する以外なさそうです。

    的確な道は憲法改正であろうし、この国の歴史から振り返る国体の大事さを見つめなおす事なのだろうかと
    思う時もあります。
    今は、情報の方々が訴える桜を見る会を平等に考えないといけないだろうし、政治家の方々が訴えるシュレダー
    という次の話題を平等に受け止めないと行けないのでしょう。

    そして、中国が訴える自由経済を守る世界観を平等に受け入れないと行けないのでしょう。

    アメリカは、知的所有権を認めないと。(新幹線は、支那が発祥の地になったようです)
    アメリカは、人権と宗教を守らないと。
    (この国は人権が守られていないとシュレッダーの人々は言いますが、住民の大虐殺には目をつぶるみたいですね。平等だし。
    あ、政権党も触れないみたいですね)

    アメリカは金融の自由化をしないと。
    以下 略。

    饅頭怖い。

    4)饅頭怖いから、離れるために
    根暗になったからこそ、覚えつつあることもある。

    ①同調する意識を、遠くに置く事に心掛ける。
    ②情報を盲目的に信じないよう、遠くに置く事を心掛ける。
    ③衆愚化の状況に招かれないよう、遠くに置くことを心掛ける。
    ④一歩引いて考える事を心掛ける。
    ⑤無防備にお人よしは止めておく。但し、必要な時は自分も学べる可能性があるなら
    という条件付きになるが、受け入れる余裕を持つ。

    さて、今年も何とか乗り切って年を越せそうです。

    きつい1年でしたし、来年もきついのだろうなって思ってもおります。
    ただ、流されることなく何とか、立ち続けたいと思っています。

    自分を見失わない。これを肝に銘じたく思うのです。

    おしまい




























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    最終更新 2019/11/28
    姿勢
    ところで、アッシの仕事は歯科医です。歯科医の仕事で大事にしたいと思っている事は、良く噛める口腔環境の提供になります。
    取り立てて特別な事をするのではなく、基本に忠実に治療に取り組む事に拘りたく思っております。

    ところが、この取り立てて特別な事をしないで、基本に忠実という拘りる事が厄介と思う時もあります。

    1)予測は誰にも出来るけれど、不確定要素が多くなればなるほど当たる事などないに等しい。(と思っている)
    予測という行為は、その求める次元によっては当たる事はとてつもなく難しい物と思っています。
    次元によっては不確定要素が多する場合、どれだけ環境を整えてもどれだけ人や資金を調えても予測した通りになるとは限らないと
    思っています。この次元に関し、何を指すのかはそれぞれの主観に任せるべきと思いますが。

    さて、これを医療という歯科の臨床現場に照らすといつかは、解決する展開が生まれるはずだと未知の現症に対し予測できたとしても
    具現するいつかに関しては、時期の確定をする予測も出来ないし、下手すればいつかは永劫来ないのかもしれない。そう思う時があります。

    もはや死語に近づいているのかもしれなが約束された未来が必ず来るとは限らないだろうし、
    起きないと信じたいことが逆に牙を向けるが如く起こるかもしれない。あるいは、起きるとは
    考えもしない事が、”ふと”起きていると気が付く事があるのかもしれない。

    さて、この牙や、考えもしなかった実際が起きていた時の歯科医の焦りの根源について書いてみたく思います。
    多分、挑戦をしてみようと思います。

    どこまで出来る事やら。

    2)治療をしたら治療した歯が逆に痛くなってしまった。なんていう相談を受ける時もあります。

    治療をしたら、治療をした筈の歯が痛くなってしまった。こんな経験をお持ちの方もいるかもしれない。
    そんな経験という出会いを持たない方がはるかに良い。

    過去の場合、あ~、こりゃ神経の治療がいい加減ね。これを解決すれば何とかなるわ。と、単純な方程式で
    結果を見出せる時期がありました。←これ、アッシの経験。
    歯科医が過当競争に晒された結果、個々人の歯科医の習熟度・練度を上げないと認められにくい環境になった。
    あるいは、治療技術に対し、この技術を担保する道具の進歩により実は神経の治療に差が出にくく為った結果という捉え方も
    出来るかもしれない。

    にも拘らず、痛みが出る場合がある。

    この例などに出会う時、担当した歯科医にとっては堪らない場面かもしれない。
    正に、牙を向けられた瞬間であり、”ふと”気が付くとありえない実際を目の当たりにした瞬間かもしれない。

    3)ここで一つの捉え方を変えると、見える景色が変わるかもしれない。
    痛みが出る時、単純化して意識すればよい事実は炎症が存在していると認識すれば良いだけである。
    この炎症源を神経の治療に置く場合、仮に神経の治療が歯科医の世界の学識内のガイドラインの価値観に
    照らしあうならば、その位置づけからずれているポイントが見つかれば簡易に答えを導ける。

    或いは、器質障害部位がレントゲンで確認できるならば、その対応を行えば良い。ここも、
    歯科医の学識に置いて見つめ直す時、研究熱心あるいは勉強熱心の歯科医ならば学識内の世界観で
    対峙する事が出来る歯科医も存在する。

    ところが、これ以外の因子が存在し主にこの活躍で問題が起きている時、あるいは複合的に絡んでいる時
    これらの現象は、学識外故に対峙する方法がない。

    このように見識に立ち位置を変える時、あるいはその現象を知っていれば実は牙でもなく、出会った実際は対峙する
    方法を歯科医は持ち合わせる事を意味するのかもしれない。

    4)炎症メディエーターという世界
    歯の周囲組織など、感覚神経終末の乱立状態と表現した方が良いかもしれない。
    抹消組織に炎症の源が存在し、感覚神経終末が炎症メディエーターに刺激をされて終わりない痛みが生まれる。

    歯の治療をしたら、完治した筈の治療した歯の痛みが続く。この持つ意味は、以下の表現が妥当なのでしょう。

    これは、侵害受容器の慢性痛という捉え方に立ち返れば、受容器の興奮状態の問題を解決する以外ないという
    方程式が導かれる。


    興奮状態を提供し、炎症メディエーターを提供している源にどうアプローチするか。おそらく、この1点に尽きる。

    このように考えます。

    5)ところが、これが複合的な因子により派生している際は、どうすればよいのだろう。
    先の一般的な予測の話に立ち返ると。年始になれば、経済アナリストと名が付く方々が経済の未来を予言?予測を立てられている。

    これが、全部当たるとする。それであれば、誰もがその通りに行動すれば大金持ちになっている。実際は、その通りなどなっていない。
    そういうものと承知しています。その通りに行動してお金持ちになれば、アッシはとうに引退しています。(本音)

    でも、その手の予言?予測?が重宝されているのも事実でしょう。中には、その情報をもとに、分析をされて、行動を
    目標立てる人もいるかもしれない。中には、その与えられた予測と違った際に、立ち止まってそのまま身動きが出来ず
    為すがままに時間に任せてしまう人間もいるかもしれない。或いは、逆に反応を返す(出来る)人間もいるかもしれない。

    どちらが正しいとか、適当とかはアッシには分かりようがありません。
    ただ、見通せるという発想を起点に物事の解釈を進める事や行動を決める事は、あまり賢い方法とはアッシは思えません。

    むしろ反応の仕方が大事になるのではないかと思います。

    どう受け止め、態勢の変更(転換)を図るか。
    どう受け止め、生き残る事に全身全霊をかけるか。
    これをサバイバル的視点というならば、この表現が妥当かもしれない。

    先の展開を予測する能力を磨くことは、出来る人は大いに磨かれれば良いと思います。
    でも、その通りにならない時、反応の示し方が大事になるのでしょう。
    その大切さを知っていれば、態勢の変更を厭わなければよい。

    そんな所なのかと思うのです。

    臨床の話に戻します。
    治療をしたら治療した歯が逆に痛くなってしまった。なんていう相談を受ける時もあります。

    この時、炎症メディエータの源を歯科医は考察する以外ない。
    これが、アッシの臨床で痛い目にあいながら覚えた事。

    考察ではなく推察と言い換える事も出来るかもしれない。

    患者のあなたが発声された言葉に、症状の歴史が隠されている時もあります。
    この分析をしながら経験を積み、炎症メディエーターという言葉に行き着くようになります。

    複合的な因子が絡んで痛みが出てしまった時、今は学識の中にこの対峙法はないとアッシは認識しています。
    実際はどうなのでしょう?体系化された対峙法(治療法)と言い換える方が妥当かもしれない。

    この状況に患者であるあなたが陥った時、これこそ改善策を知る為、歯科医に治療ではなく見解やお持ちの経験を
    求める方が適当かもしれない。ここには費用は派生するかもしれない。でも、派生させた方が実際、聞きたいことを
    正々堂々相手に(歯科医に)問いかける事が出来るかもしれない。

    その方が、歯科医も自分の知る学識では原因不明と正直なお声を発してくれるかもしれない。
    今の歯科医の法的縛りの問題があるとするならば、来院した際は治療を行うという暗黙の縛りがあります。(保険制度の場合)
    言い方を変えれば、危険故に私には出来ない。仮に、この言葉を派生させるには紹介までを視野に
    いれて行う事が要求されます。しかし、原因が歯科医の学識外ならば、展開があるべき姿でない方向に変わる場合があります。

    保険制度の場合、複合的因子という源へのアプローチは制度設計外である事実は受け入れて欲しい所です。
    但し、この痛みの存在に関し、保険制度は端的な病名で表せる場合がある。
    更に問題なのは、この痛みの治し方に置いて、保険制度の治療は炎症メディエーターという捉え方に立脚した場合
    実際は、違う部分にアプローチをかける可能性がある。

    何故か?歯科の保険制度の制度設計の根幹が出来た後に、炎症メディエーターという言葉が学識に誕生します。
    更に細分化して炎症を捉えようとする時代と、ざっくりと炎症を捉えていた時代の差とでも表現すれば良いのでしょうか。

    私の経験では方策は分からないが、○○という組織なら、○○という先生なら解決策をお持ちかもしれない。
    あるいは、私の経験ではこのようにしたら治った方がいる。私の経験になるが、どうやらあなたも同じタイプのようだ。
    そんな声を聴けるかもしれない。
    私の経験と、違う事を訴えているから私には自信がないという声を聴けるかもしれない。

    結果として会得したい情報がもたらされるかも知れない。

    こんな捉え方もあるのでしょう。
    正に受け入れたくない実際であれ、それでも解決しないといけない現実がある以上どう反応を示されるかという事が
    大切になるのかなって思う次第です。

    手ひどいダメージを受けない為には、あなたの身体である以上、慎重に反応する事が大事なのかもしれない。

    6)偉そうに書いているよなって、読み返すアッシですが…
    今回は炎症メディエーターという慣れない表現を書いて、如何。浅はかな実際や浅学ぶりがバレルと己に対し、
    後悔もしています。

    歯の治療で膝まで痛くなった。腕が上がらない。こんな事があるのでしょうか?そんな相談に対し、
    ま、今日はひざの痛みを取り、腕も上がると喜ばれて帰られる風景を見ながらも、肉体の神秘は
    そう簡単に歯科医学や医学に曝け出させる事など、お天道様もお認めにならないよな。そんな事を
    思います。

    アッシの臨床でまだ、苦しみから解放させられない患者もいます。僅かですが。
    言葉から何かヒントがあれば嬉しいのでしょうが、仄かに見えたヒントを信じながらまた
    調べ考える以外ないのでしょう。

    そんな内なる声に自分をもう一度、身を置く以外なさそうです。

    だから、歯の治療をして歯が痛くなったな~んて相談を第3者のアッシに持って来させるのではなく、
    その先生自身に(お会いした事はありませんし、お名前も知りません。興味もありません。一人ぼっちがお好みなので。)
    もう一度真摯に対峙して欲しかったなって、そんな感情を併せて持ちます。

    原因は今日の相談は、入れた補綴の歯の角度にあると読み取っていますが。

    長くなってしまいました。
    読んで下さった方がおられたら感謝します。

    んじゃ。
    診療室で。はたまたHPで。














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    最終更新 2019/11/21
    学会に 3)
    1)新しい流れなのか、やはり回帰なのか?
    痛みの事よりも噛めることに方向性を変えて、今後は噛むという事に焦点を置いても良いのではないか?これが、
    学会の新しい流れになるようです。

    アッシの立場は、噛むという事を焦点にすることは大賛成です。このライセンスの仕事の本命?本質?の
    一つと心得ていますので。
    だから、極力このクリニックでは、咬合に携る時は様子を見ようという言葉は避けるようしています。

    何故か?慣れるのではなく咬合感覚を患者の求める地点に歩み寄るとでも表現をすれば良いでしょうか?
    この歩み寄る為に必要な作業が、因子を知るという事とあっしは理解しています。

    ま、静寂(しじま)にいる方が性に合うというのがアッシの立場。
    静寂でいるしか方法論はない身としては、個人で出来る事をする以外ないだろうと
    密かに思っています。密かにしか出来ないというのが、現実でもありますが。

    では、派手に花火を上げてと考える事はあるかと問われれば、分不相応と受け付けないようしています。
    身の程知らずが、花火などを考えれば茶番になるような気がします。
    密かに身の丈で行動する事が、あっし程度にはちょうど良い。
    そんな考え方をしています。

    さて、先の話。
    噛むことにおいて痛みが出ると、噛めなくなります。だから痛みはどうしても避けては通れない。
    (この痛みに対しては、具体的な場所は示しません)

    これが、学会の最後に思った事。

    国語力がないせいか、すぐには言葉にならないのがアッシの性。(能力という方が正しい)
    直感的に「痛みを取らないと、噛めないんだよな」と背一杯考えた中、絞り出した言葉。

    痛みが取れたとしても、上手く噛めないと或いは無理な噛み方が常態化すると再発する。(場合がある)

    こんな見解を持っています。これは、一臨床での経験から覚えたアッシの世界観ですので
    学術や学識者の公式見解とは違う事をどうぞ承知おきください。(当然、否定する方もおられるでしょう。
    そういうものです。)

    学会では、高齢化の肉体の状況と(こんな表現にします)歯牙の関係、咬合の関係。
    この読み取り方を、紹介?解説?しておりました。

    そうか…と、納得しつつ違和感も覚えた次第でした。

    2)答えは、臨床にあったような気がします。
    俗にいう高齢者に所属する患者も当院にもいます。

    なんだか、上手く噛めないというような相談が患者から来ます。

    一次体性刺激という言葉があります。
    別の視点では、姿勢筋収縮・随意収縮という用語から、姿勢を理学的に科学表現で説明する手法があります。

    ま、難しい事は、頭がこなれていない今のアッシでは文章にするには覚束ないのが実際です。

    で、この一次体性刺激と姿勢制御の関係を、整理してみると(治療をしてみると)、あら不思議?
    うまく噛めるという評価を頂戴します。

    また、別の患者です。
    やはりうまく噛めない。と、相談が来ます。
    別の見方ではextra forceなんていう現症が、歯科の咬合に重きをおく集団の課題になってもいます。
    で、姿勢という視点から、咬合関係を整理(治療)してみるとうまく噛めると評価をいただく。

    また、別の患者で同じように噛めないという相談が来ます。
    既往歴から、extra forceに影響を受けやすいと知ります。そこで、この影響を受けにくくなるシュミレーションをすると
    噛める感覚を覚えると評価をいただきます。

    学会の”これから目指す事”と、アッシが勝手に違和感を覚えた事がようやく一つになります。
    ここでは、臨床の話は滑稽ですが極力避けようと心掛けています。

    好きに表現できる個人の世界の紹介が出来るスペースといえ、どうしても個人の価値観に於いては、そりが合わない。
    *考えを少しだけ変えてスタッフに任せる形で、臨床の景色を書くようお願いする事にしましたが。
    *開業医という側面があります。そうか、経営も考えないといけないと気が付きます。
    *思うここの臨床を表現してほしい。そして、真面目に臨床に取り組んでいると紹介してほしいとスタッフにお願いします。
    *やや、表現が暴走している側面も感じる時もありますが、表現の世界です。どうぞ、心広く受け止めて頂ければ。
    *嘘がないなら、多少の暴走と感じる表現も愛嬌と受け止めています。
    *しかし、ここまであっしを弄られるとは思いませんでした。きっと、嬉しいと思うべきなのでしょう。はい。
    *ここまで曝け出されるとは思いもしませんでした。愚痴とか、ボヤキに該当します。
    *よろしければ、覗かれてください。(リンクのまったりとした話で覗けます)

    受け手のあなたに考えて頂いて、どう歯科医と付き合うべきか。そんな事を共有していただければ良いのかなって青臭い所を狙っています。
    手前勝手な捉え方と受け止められるかもしれませんが、そんな表現をあっしは目指しています。(多分)

    あなたが、(歯科)医療にとって良い患者になればきっと、(歯科)医療は向上すると信じます。
    一方、あなたが(歯科)医業にとって良い患者になる時、(歯科)医療は衰退します。
    (歯科)医療の向上は、患者の利益の享受が保証されるでしょう。
    (歯科)医療の衰退は、患者利益は損失以外生まれない。
    だから、良い患者とはどんな姿か、そんな事を考えて欲しいのでしょう。

    資本主義です。美辞麗句のオンパレードの表現はプロフェッショナルが担当すれば、あたかもその先生が語ったように
    作り出す事も出来ます。あっしは、それだけは避けたかった。ま、実際は醸し出されている表現は愚鈍の拘りになるかもしれません。

    *自分の臨床の景色を紹介するのは、己に勘違いを渡しそうで極力避けたく思っているのです。矛盾していますよね。
    開業時に、まさか咬合・かみ合わせという世界にこのクリニックが特化していくとは考えていませんでした。そんな方々
    と出会い、あっしも悩む以外方策がなかった。そして、調べ続ける以外なかった。調べて考えて、レクイエムの如く
    殴り書きをしているうちにHPで表現できるようになってしまった。そんな感じです。

    このブログというのですか?ここは、相変わらず思ったことを表現しているのでしょう。

    3)ところで何が答えと感じたのか?
    うまく言えませんが、やはり身体という単位の中の口腔は関連性がある。
    この関連性は、長生きの時代が来なければ矢面にさらされる必要はなかった。

    変な表現です。

    つい最近あった、臨床の話です。紹介するはこれが最後です。
    矯正をしていくにつれ斜眼がひどくなる。この悩みを訴えられます。

    指針をもう一度見直し(これをこの患者が耐え続けた際は、どうなったか。今考えても背中に寒い風が通り過ぎる。そんな感じです)
    再度、検査を受けてもらいます。

    結論を言えば、結果は落ち着きを取り戻します。(ホッ)

    全身と関係がないという学派がある事も事実です。
    あたかも表面上は、全身と関係があると言いながら対応が出来ない(みせかけ学派とあっしは陰で称しています)集団もいる様です。
    全身と関係があるという学派も、(おそらく少数派ですが)おられます。
    →今回も、学会に出席された先生は少なかった気がします。10年という時間で振り返ると、参加者は減っているよなと妙な感傷を覚えます。
    *そんな中で、かみ合わせは身体に云々という文言を結構、目にするようになります。
    *色々な同業サイトから目にする気もしています。実際は、知りえません。
    →全身と咬合を少なくとも歯科という視点で捉えている学会は、顎咬合学会・全身咬合学会・日本咬合学会になると認識しています。
    *大学ベースで構成されている学会は、アッシの認識では全身咬合学会になります。

    *大学の研究レベルが、臨床が求めている内容なのかあるいは、周回遅れなのか、的外れか。これは、参加する先生方の判断になると
    思います。


    でも嬉しい言葉もかけられます。
    頸や肩は実は楽になっているのです。

    ありがたい言葉でした。臨床サイドを救うお言葉です。

    繰り返しになります。

    身体という単位の中の口腔は関連性がある。
    この関連性は、長生きの時代が来なければ矢面にさらされる必要はなかった。

    あっしらの仕事は、端的な表現を用いると物を構成する事を基本とする仕事です。別の形容表現もあるかもしれません。
    使っていれば、物ですから当然のごとく壊れていく。この壊れるという表現、臨床サイドが使用すること事態は
    もしかしたら問題表現かもしれません。恐縮します。

    この時、何が起こるかまだまだ未知なものがある。こんな所でしょうか?

    抽象的な表現ですがこんな所だと理解しています。
    学会では、歯周靭帯が与える影響の反射反応の一部を紹介しました。
    この対応は、クリニックレベルではとうに終えておりますが、一課題を発表するのが
    ルールと承知している分、反射反応以外発表を行っていません。
    いずれ準備が出来次第、発表に使用した一部を紹介したく(公開)思っております。
    ま、個人の世界ですので、時間はかかると思います。

    最後に。
    学会では残存(入れ歯で噛めるならば、環境として残存と評価されます)状況が20本以上
    であれば、高齢者の痴呆も寝たきりの確率も減る事。社会活動性が維持される事。こんな
    事が報告されていました。即ち医療費の削減の可能性を意味する事になるようです。
    即ち噛めるを主に学会の在り方の方向性の変更の動機は、どうやらこんな事が大きく関わっているようです。

    *噛めるようになった患者の変化は、臨床でも驚くことが多いです。
    *それもあり、様子を見ましょうとか、慣れますよという表現は極力避けて、あなたの感覚に
    歩み寄るよう心掛けるようになったのでしょう。

    世は70歳か75歳か分かりませんが、働く社会を目指そうとしている。
    この世を引っ張るお国としては、この状況を作ろうとしている。
    これが、アッシの理解した内容。

    アッシの立場は、まだまだ分かっていない事があるにも関わらず、国としては前に進ませる以外ない。
    過去、世界が医科から歯科を分離させる動機は、歯の痛みの性質(全身との関連性はここでは配慮されていない)
    は、別に研究させる以外ないだろうという歴史の1ページがありました。実際、確かに飛躍的に解明が行われます。

    その当時の景色を経験した訳ではありません。しかし、こんなニーズが早速求めらている以上やむを得ないのだろうな
    と、理解をするよう努めています。

    見方を変えれば、高齢化社会をご担当、あるいは専門家の方々は相当に深刻視されているのだと
    予測するに至ります。同時に、その責務に真剣なのでしょう。

    風景を変えれば、仕事を放棄して仕事をしている事に夢中な政治に司る方々もおられるようです。それがまかり通る。
    銀座久〇衛ではなく、銀座久〇衛ぽい。高級寿司から高級料理でと、言葉遊びに終始して政治放棄をすることに夢中なようで。
    腹立たしい事、この上ないと苦虫を噛み締めてもいますが。この人ら、おかしい。そして、それを褒め称える構成に終始する
    情報の方も、何かが違う。

    仕事をしろよ。と、怒鳴りつけたくなりますが、彼らにとって寿司か高級料理かと調査する事がお仕事と
    信じられているようです。だから、どうしようもありません。市民団体に身を置かれれば良いのにと、
    本音で思う事もあります。


    さて、話を戻します。
    こんな事が学会で感じた報告となるのでしょう。

    ここ3・4年。何か方向性が変わってきているなって感じ、ようやく今回納得できました。それで、思わず
    感じたことを纏めてみたくなりました。相当に愚鈍なのですね。時間がかかりすぎですよね。
    来年は紹介するかは分かりません。
    *参加者が驚くように増えていたら、思わず書いてしまうかもしれません。
    *減る事はあっても、あるいは、同程度の参加者数という事はあっても、増える事はないだろうな…

    これが、個人のHPといういい加減さとご承知いただければ。そして、個人が感じた所感ですので
    読み物程度で受け止めて頂ければ。


    今回も思わず長く書いてしまいました。
    最後まで仮に読んで下さったとすれば、心より感謝申し上げます。
    ありがとうございます。
    個人の所感ですので、そんな感じ方もあるのだと心広く受け止めて頂ければ。

    おしまい。
    またHPであるいは、診療室で。
    んじゃ。

























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    最終更新 2019/11/20
    学会2
    学会で、多分あっしは刺激を受けたと思います。
    きっと、確認したかった何かを確認できたからでしょう。ま、解剖の世界ですが。
    アッシの持ている解剖の本ですと、どうしても見つからない。

    ま、勉強不足だから仕方ないのでしょうが、課題がさらに確信できたので
    探せばいいのでしょう。しかし、見つかるでしょうかね?頑張りたく思います。

    ふと気になった事だけを記してみたく思います。
    ただ、表現は気を付けたく思います。

    ネットの時代です。宗教、思想、人種、年齢等ありとあらゆる属性が、容易に曝け出される
    時代です。下手すればあらゆる属性を攻撃する事が出来る。それが始まれば、粘着質に攻撃
    される場合がある。それを防ぐ手立てもない。ただ、攻撃のきっかけにだけはならないよう、
    表現には気を付けたく思います。どうぞ、攻撃する事が目的ではない事は、承知ください。

    手っ取り早い治し方があれば、どれだけ臨床現場の人間も、患者も楽だろうと考える事があります。
    そうなる時もあれば、それが叶わず苦戦する事もあります。それが、臨床の現実。
    ま、これはアッシのリアルな属性という事で。

    1)顎位という世界
    ここも相当に顎位(だけ)が、解放のカギと捉えこだわった事があります。
    これが主に臨床を進めている集団がいる事も知っております。
    あっしも、一時はこの集団に属性を置いていました。

    顎位が大事というスタンスは変えておりませんが、顎位が全てという発想は捨てています。
    顎位がおかしくなり、様々な部分の身体のパーツに影響を与える場合があります。
    これは、実際、身体に様々な影響が降り落ちた場合、時にその降り落ち方は、患者の肉体に
    地獄を提供する場合があります。

    病名について紹介する事は、避けたく思います。
    この地獄、己の精神状態を崩壊させかねない程のダメージを渡す場合もあります。

    このダメージは、例えば仲たがいをしてしまった人間関係を”さようなら”と清算する訳にも行きません。
    自制をすれば解決するという訳にも行かない。顎位がおかしくなる時、そんなダメージが生じる場合がある。

    この顎位の乱れを知る方法はないか?乱れの要素とでも表現すれば良いのでしょうか?
    あるいは、乱れを生じさせる因子が無いか?

    そんな事を考え続けていた時があります。
    あれ?これは、あっしの属性の話ですね。
    学会と直接関係なくなっている気もしますが、しばしお付き合いいただければ。

    2)医療分野の壁
    医療分野には、悪い意味での規制もあるでしょうが、医療責任を明確にするための規制もあります。
    前者は、医療者の行動を縛る物になり得る物でしょうが、後者は患者利益を守る上で必要な縛りというのが
    アッシの捉え方。


    顎位を決定する事を認められている資格は、アッシの理解だと歯科医の範疇と思っております。
    無論、神が降りたようなセンスをお持ちでそれを誘導できる非歯科医がおられることは想像するに容易いものです。
    それが、三法に属す方もおられるでしょうし、医者にもおられるでしょう。
    無駄に多いとは思いませんが、ゴロゴロいるような気もしています。

    顎位を維持する条件には咬合が維持されることが求められます。
    この咬合に携る仕事が歯科医になります。

    過去、三法の先生が患者の顎位を毎回毎回、面白いように変えて咬合が乱れる事を無視して
    施術をされた経験があります。
    最後には患者を介し、問いかけたことがあります。

    症状を取る為に、顎位をコントロールされる事はご立派です。ですが、教授いただきたい。
    どの顎位で、咬合を定めればよいのか?歯科医の立場ですと、毎回違う顎位では咬合を
    構築しようがない。患者は咬合の構築も求められている。

    この責任は、先生にお任せしてよいだろうか?

    私の方では、手の施し方が見つからない。

    仮に顎位をご自身が決める事が出来るというのであれば、一定の位置で治るように仕向けてもらえないだろうか?
    或いは、今の時期は一定化が出来ないというなら、計画を提示いただけないだろうか?

    こんな経験をしたことがあります。
    *報告としては、この相談後、顎位が一定化して事なきを得ます。

    この時の経験は、要素だけを考え続けた際の出来事でした。因子など見えようがありません。
    調べても、どうしても弾ける情報が得られない。

    医療という中の縛りは、「手っ取り早く治る」という価値観と一線を引くものなのでしょう。
    即ち、ハイリターンがあるかもしれない。これは、大きな財産。
    同時に、それに伴うハイリスクから患者利益を担保する事が目的なの
    かと理解しています。これは、損失というのでしょう。

    これは、あっしの理解でしかありません。

    先の例を主に、三法の思い出に耽ると、きっとハイリターン。
    この患者の現症が解決する。
    ハイリスクは、顎位が固まるにつけ咬合が崩壊する可能性がある。

    当たれば、あっという間にハイリターンが得られる。
    逆の表現を同じように使えば、当たればあっという間にハイリスクを得る可能性もある。

    どちらも”あっという間に”起きる。

    この箍が外れて、他業種交流の如く、あるべき形で連絡(情報の交通)が行われれば
    この捉え方もなくなる気もします。でも、それには情報交流を行うための記号であり、
    認識の共有化、プラットホームというべきか共通の土台が整備されていかなければ
    ならないのでしょう。

    難しいですね。

    3)藁にもすがる思いに応えたいヒポクラテスの誓いの側面と、相反する価値感を紹介するヒポクラテスの誓いの意味
    先に要素と因子の話に触れました。
    交錯する痛みの活動性に対し、脳幹脊椎系で理解を促進させてきました。ところが、姿勢筋反射の活動性における
    交錯関係の解剖を学会で確認します。

    この解剖の情報を求めていました。これ、あっしの欲求の一つ。

    アッシの歴史の中では、ある一人の医療者の痛みを伴う疾患と対峙していた時期があります。
    この方の歴史の中では、アッシの存在は消えているのかもしれませんし、それこそ”さよなら”の思い出なのかもしれません。

    それぞれの心の属性の話なので深く触れるものではないと心得ます。

    この方の出会いから、色々とありました。ただアッシの中で言える事は、因子という方向にプロとして向かうよう仕向ける
    エネルギーをくださった方でもありました。これが、アッシには大きかった。

    歯科医教育にはない理学所見の眼を何気に伝えてくれたのもその方でした。
    この理学所見は、そう簡単に教育抜きには得られるものでもありません。

    調べ続ける事が、ヒポクラテスの誓いに入っている項目とするならば、同時に、自分の領域に踏みとどまって
    それ以上向かわないというのも、きっとこの誓いにはあるのだと個人的には、その理解を努めてもいます。

    あっしの感想文はこれぐらいにして。

    当たれば、あっという間にハイリターンが得られる。逆の表現を同じように使えば、当たればあっという間にハイリスクを得る可能性もある。

    この表現をなんで書いたのだろうと思い返します。
    ヒポクラテスの誓いは、医者の患者に向かうそう心意気のようなものと表記すればよいのでしょうか?
    任務や、倫理を確認するものと言えば良いのでしょうか?

    不勉強なので、ご興味がある方はネットで検索をされてみてください。

    歯科医がヒポクラテスの誓いとは笑止と言われそうですが、どうぞお許しください。

    先に書いた表現。ハイリスクもハイリターンも実は患者サイドに存在する可能性がある気がします。
    同時に、この横に存在する得体のしれない実際は、併せて医療者サイドにも付きまとう物の気がします。
    診断に間違いがなく症状も取ったのに、顎位を安定させていたものが急におかしくなる。
    この恐怖は経験した歯科医でないと、身を持って分かる物ではありません。

    この原因が因子という存在のコントロールにあると知るには、練炭の苦しみがありました。
    多分ね。
    この苦しみの経験が、きっと、きらりと光る何かを学会で感じた際、嬉しく思う心に繋がるのでしょう。
    この先は、ライセンス者に対し話しかけているのだと思います。

    仮に、この抽象的な表現形態をリスクと表現するならば、あっしはつたない経験から思います。
    顎位に全てがあるという発想者は、時にこのハイリターンの裏側には必ずハイリスクがあると知られた方が良い。(そんな事を思います)

    顎位という導く方法において(この手法に関して異論はありません)この手法を自分のものとしてトレースするならば
    どうにかハイリスクに関し見つめなおすと良いだろうと、経験から思います。この見つめなおす手法はどのようにして
    得るのかは、アッシは馬鹿ですので分かりませんし、問いかけられても何一つまともなものなど返せないと思います。

    仮にこのリスクを承知し把握していたとして、ハイリターンを得る事が無謀と考えるのが世の常のような気がします。
    しかし、このハイリターンを信じ突き進んでしまうタイプもいる。
    この動機は様々でしょう。
    成功(この場合治癒)する事だけを考え、失敗(この場合、痛みのコントロールに失敗が起きる)が起きるとは絶対に考えないタイプ。
    自分が治せないとは思ってもいない。

    ただ、あっしのような愚鈍とは違い、中には失敗などつゆとも経験せずに突き進む奇跡のような医療者もいるかもしれない。


    このお話なの中で確実にいえる事は、ハイリスクもハイリターンと称しているものは、実際の所、成功と失敗が増幅する臨床の結果でしかない。

    あっしは、開業医なのでハイリスクもハイリターンも実は、ご遠慮したいと思っている。
    それより確実の中でしか、確実な医療は生まれないと考えてすらいる。

    この確実の意義は奥深いので今回は割愛したく考えてもいますが、最後に一つだけ。

    4)つまるところ
    あっしのような小心が一番という捉え方と一線を引くべきと承知します。全ての医療に関わる人が小心に拘る必要などないと思ってもいます。
    マグマの如く、信念で痛みを取るのだという力で進むことに一切の否定するものなど持つ訳がありません。
    世の中を変えると、大胆に動く力を否定するものなどある訳がない。
    あっしは小心もの故、臆病なだけですので離れた所で見るだけで十分です。

    仮に唯一の光明に近づいていると思えば思うほど、急いではいけないのだとその方にお伝えしたいのでしょう。
    年単位で観察する必要性もあるとアッシは捉えているのでしょう。
    その方とこの件でお話しする事は”さよなら”という関係になった以上、あっしはお断りをしますが、ただ折角できた
    咬合を見る方との距離が適正なのか確認されたほうが良いとお伝えしたいのでしょう。

    それぐらい、慢性疼痛患者の安定は脆弱の可能性がある。これは、つたない経験から覚えたあっしの臨床。
    慎重に慎重に見極め続けないと、おそらく調子が悪くなる日も来る気がすると、個人としては杞憂であって欲しいと
    思っています。いえ、願うという方が適切かもしれません。

    その方は才能あふれる方故、そんな事はないと思いますが万が一の可能性は、確認されておかれると良いと
    ”ふと”思いました。

    周りを(聞き手)引き込むような自信あふれる発表であれば、何も思わなかったのでしょう。
    そんな発表をされた時もありました。
    今回は景色が違うように、手前勝手に感じます。
    妙に壁を作り苦しそうな感じで発表されている。そんな事を感じます。
    感性の世界なので、小心者の勘違いという事もあるかと思います。
    どうぞ、適当に受け流して頂ければ。

    ま、感性がずれていると評価されることが多い人間が故に、戯言と笑っていただくのが宜しいかと思います。
    考えすぎるお人なもので。反省です。
    こんな評価がアッシの場合、ちょうど良い。

    線維筋痛症患者の経験を思い出しながら、ふと、よぎった言葉の階層の一部を紹介してみました。

    長くなりました。
    おしまい

    *次回からは、またお茶らけで表現したく思います。
    このような文体は、性に合いません。
    仮に最後まで、お付き合いいただけたなら感謝します。
    そんじゃ、診療室で。あるいは、HPで。









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    最終更新 2019/11/18
    学会に 1)
    学会に行ってきました。
    学会に行ってきました。少し発表をします。
    ま、個人の感想は別に。

    歯周靭帯の剥離の可能性、あるいは靭帯が剥離を受ける衝撃の機械的刺激の可能性に
    ついて発表を行います。

    しかし、この現症を見出すには相当な時間を要します。今時点で私の知る論文等から得た知識を駆使しても、理解できない
    現症を前に、論文を探し続けようやく、歯周靭帯剥離の怖さを気が付くに至ります。

    この靭帯剥離に伴うC線維の剥離にその本質が、部分的かもしれませんし、全面的に悪さをする結果、
    肉体にダメージを渡すように個人の私は捉えます。

    ま、当然ながら大反響があるわけでもなし、こんなもんだろうと受け入れています。

    ただ、論文化には挑戦してみようと思っています。

    個人的には、学会としては痛みについてよりは噛むという所にもう一度回帰しようという
    流れに戻るようです。

    個人としては、噛むことを阻害する事に痛みがあるのだから、この痛みについて対峙する事を
    忘れないで欲しいなと思ったりもします。

    そんな感想とは別に、次元を変えた捉え方に学会が向かえば実は凄い展開になるという意識も
    同時に芽生えます。難しい世界というか事情も色々とあるのでしょうね。

    ま、そんな感じで。おしまい

    歯周靭帯における破壊と痛みと思しき動画はいつかアップしてみようと思います。
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    最終更新 2019/11/12
    日本語は難しい
    風邪が中々治りません。咳き込むとひたすら咳が出続けます。お年なのでしょうか?

    ふと、思い出し慌てて訂正します。
    拝謁と書いたつもりが、拝見と表現していました。

    許されません。
    ひたすら反省です。

    恥ずかしいと言ったらありゃしない。

    本当に反省です。

    しかし、今年ほど普通に君が代をテレビを介し聞けた年も珍しいかもしれません。

    テレビで君が代を聞きたければ公共放送の最終放送の時間か、放送開始以外は聞く術は無いようですから。

    記憶違いかもしれませんが、ワールドカップのサッカーでしたっけ?”あれ、君が代の所。微妙に違う
    編成にして聞かせないようしている。どこの国の放送局だ?”なんて思ったような記憶もしています。

    ま、極力テレビを見ないよう心掛けていますので、実際は分かりません。
    たまにテレビを見ようとした際のたまたま、勘違いをしただけかもしれませんので。

    でも、まぁ。君が代の意味合いを見事に反日の方々は弄られて、君が代を歌う事も聞く事も許されない雰囲気
    があったようにふと思う事もあります。気のせいかもしれません。テレビを見なくなるのも、結局は反日が
    正義で愛日とでも言い返せばよいのでしょうか?それがあたかも悪だという感覚を覚える事に癖々した事に
    あったようです。

    スポーツ番組ぐらいと思ってみても、なるほど忖度しないといけない国もあるようだと理解するに至ります。
    いつしか、衛星放送に移行するようになります。お陰様で地上波はてんで何を放送しているか、興味も失う
    ようになります。見なくなってもうすぐ10年になるのでしょうか?

    地上波でなければ、自分のペースで韓流の映画も見るようになります。面白いものは面白いので。
    きっと、押し付ける感覚の反日エネルギーに毒されるのが嫌なのでしょうね。
    楽しみたいものは自分のペースで楽しみたいだけで、芸術まで反日が善という流れと補助金であたかも生計
    を成立させる滑稽さも気色悪くて仕方ありません。芸術なら、国に頼らずに良いパトロンと共に、正々堂々
    勝負されればよいのにと思います。
    良いものなら、あるいは芸術性が高い物なら引く手あまたでしょうに。

    韓流映画は、面白いものは本当に面白いので楽しんでいます。

    ふと、そういえば一時は、EUの時代が来たと闊歩した評論家もおられた気がしました。
    その次は、中国の時代が来ると、闊歩された批評家もおられました。
    でも、そんな顔もテレビも見なくなった今、実際はモニターを介し拝見する事はあるのでしょうか?
    あるのかもしれませんが、真剣に耳を傾けられている方はいまだおられるのでしょうか?

    興味を失ったあっしは良く分かりません。

    少なくとも反日というエネルギーなのか、日本はあかんというエネルギーなのかいずれにせよ、
    愛日という視点は足りないよなって、日本人のあっしにはあまり好ましい意見ではない感じです。

    陛下の御代という時でも、戦争の匂いがするという意見を情報の方々は嬉々として紹介をされたようです。
    おめでたい席に、早速戦前みたいと凄い表現と出会います。戦争を知らない世代のあっしは、戦争を知る19歳の学生に
    驚きもしました。どうやって、生まれる前の事を覚えられているのでしょう。凄いという以外なさそうですし、
    この言葉を真実と見いだせた記者の眼力はたぐいまれな物をお持ちなのでしょう。

    前世を見る目をお持ちなのでしょう。素晴らしい。

    オカルトチックになってしまいました。

    ただ、反日の目的でない事を願ってやみません。

    週末は学会です。
    自分の意見というのか考えに対し、どう評価を貰うか。それだけです。

    でも思うのです。

    歯科医のアッシは、歯科医らしく、報告をする。
    患者利益という視点で見た場合、アッシだけでなく多くの先生方が何かを報告を続ければ、
    議論も盛り上がってくるでしょう。盛り上がれば、反証反証の繰り返しも起こるかもしれません。科学という
    視点に立てば、この繰り返しが科学を強くする。

    この運動を別にアッシからなどと、大それた思いなどありません。
    そんな事が起きるかもしれないと楽しみにして運動を続けてみるのも、
    必要かなってちょっとだけ思っているのでしょう。

    実際、学会に参加する人間も悲しいですが減っているようです。
    勉強会も、参加者という側面で見れば勢いは弱くなっているようです。

    何故だろうと、思うと、一言で済ますなら反日効果と勘繰る次第です。

    日本人は劣化した存在だ。考えなくてよい。草食系でただ、自虐史観で収まっていろ。

    一つの思想ですから否定も肯定もしませんが、結局、患者ベネフィットという視点で
    見つめる時、きっと、如何と思うのでしょう。

    長くなりました。

    風邪早く治らないかしらと思います。
    そして、曇った心の雲が、もう少し高い天井まで上ってくれると良いなって願っているのでしょう。

    おしまい









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    最終更新 2019/11/11
    学会へ
    今週学会で発表します。ウ~ム。4回目の発表になるのでしょうか?多分。
    54か55歳までは、何があっても発表をしようと決めたものの、結構、渋く受け止めています。

    分かった事を開業医らしく出す。これは、仕方ないのだろうと決めています。
    何かを目的としたのでしょう。ま、心の言葉を分かりやすく表現できると確信したら
    紹介するかもしれません。

    ただ、静寂(しじま)で始まり静かに去るという、毎度の展開になるのかなと心の踏ん張りを
    守ろうと思っています。

    でも、少しだけ何かを一緒に考えて頂けるきっかけになれば、凄く嬉しいのでしょうね。
    さて、さて…

    そういえば、昨日は国体の一つ出来事がありました。
    立派なパレードがありました。あっしはモニターを介し陛下のお姿を、喫茶店で
    ただただ拝謁しました。

    開かれた皇室という意味合いも、正直分かりませんし。必要なのでしょうか?と個人のあっしは思う事もあります。
    開かれたでは物足りない、ぶっ壊せと、言葉では国民の真意を貰ってと見事に意味合いを変換しているよう感じる表現に出会う事もあります。
    男系であるがゆえに、革命も起こらないでしょうに。
    それでも平和裏に革命という思想が流行っているようで。

    平和裏と革命は相いれない物と、ここらを疑問に感じること自体、情報の方々はヘイト扱いにされるようですが。

    一人の臨床の報告なぞ、革命的変化を作る事など出来ません。同時に、起きてはいけないと思います。
    疑問に感じた解放をたまさか見出した事を報告するだけです。現場が混乱すれば、迷惑するは患者になるでしょうし、
    棄損は患者利益になるでしょう。

    こんな見方をする時、謙虚という言葉の奥底には、この国の面々と繋がる歴史の一面になりえる大事な
    物が隠れているのかもしれませんね。

    おしまい。







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